《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

“教団内本流派”の「トキ」さんのお気持ちはお察しますが… (12639)
日時:2020年09月22日 (火) 10時23分
名前:破邪顕正


「トキ」さんの投稿が目に止まりました。

……………………………………

それでも教団をやめるべきではない (33689)
日時:2020年09月20日 (日) 20時53分
名前:トキ
 最近の本部の常軌を逸した言動には、心ある会員は唖然としています。当然、このような指導部の下に居たくないと退会を考える人も増えています。

 心情としては、理解はできます。が、それでもやめるべきではないと思います。

 そもそも、谷口雅春先生の教えを学び、承継するために教団は設立されました。その教団が、創始者の御意志をないがしろにするのは間違っています。しかし、心ある人が退会することは、このような本部が望む方向に動くのが加速されるだけです。総裁は、このような人たちを「スリーパーセル」などと罵倒していますが、考えてみると、彼が一番困るのは、このようなスリーパーセルが増えることです。

 いい年齢をした大人が自転車や工作をして喜ぶはずがありません。このような方針は確実に破綻します。その時に、初めて、谷口雅春先生の教えを正しく学んだ人が求められます。

 私は、退会を考えている人たちには、ここは隠忍自重して、退会を思いとどまることを勧めます。

…………………………………………

「トキ」さんのこの投稿を意地悪く読めば、辞めたら総裁の思う壺である…。

だから、辞めてはいけない…。

総裁を悦ばせてはいけない…。

辞めないことが、総裁を困らせる道だ…。

総裁を困らせるために、教団に残るべきだ…。

でも、これって、実に寂しくはないでしょうか…。

総裁を困らせることのために教団に残るというのは。

あたら人生をそんなことに賭けていいものなのか…。

そのことは、「トキ」さん自身も、内心、忸怩たるものがあったのではないでしょうか。

だから、続いて、こう言っているのだと私は思うのです。

いずれ、今の“方針は確実に破綻”するから、その日まで“隠忍自重”せよ…。

つまり、総裁路線が破綻するのは必至だから、そうなれば“教団内本流派”の時代が再びやって来る…。

そういう希望の灯を掲げて、退会しようとする信徒をつなぎ止めよう…。

私なりに、そういう趣旨だと受け止めさせていただきました。

“退会しない”と決めた「トキ」さんにしてみれば、まあ、そういう他はないのだろうなと思った次第です。

結局、「トキ」さんのような“教団内本流派”というのは、総裁の時代が終わるのをひたすら待つ…。

それがいつとも分からないのに、4代目総裁が今の路線を受け継ぐ可能性が高いと思われているのに、それでも、そのときが来るのをただ待つ…。

実に、忍耐のいる話だなあと思った次第です。

で、私は思うのです。

どうして「トキ」さんは、いつも、評論家じみた言い方をするのかなあ…。

例えば、先に引用したところでは、これです。

“このような方針は確実に破綻します。その時に、初めて、谷口雅春先生の教えを正しく学んだ人が求められます。”

私にすれば、こんな表現はいたしません。

“このような方針は確実に破綻します。しかし、大事なことはそんなところにあるのではありません。総裁路線が破綻しようが破綻しまいが、そんなこととは関係なく、尊師の教えを正しく学ばないといけないということこそが信仰者にとっての第一義なのです。そういう真理の学びの場をどんどん増やしていきましょう。よし、その学びの場を教団が権力をもって弾圧するというのであれば、そのときは、覚悟と決意をもってその非を堂々と訴えてまいりましょう。今は、こういうネットがあります。それ拡散する手立てに事欠きません。私は、その覚悟と決意をもって、教団に残り続けます。私たちの主戦場はあくまでも教団内にある、それば私の立場です。”

これが私の「トキ」さんに対する、長いお付き合いをしていただいていることへのエールであります。


「トキ」さん、自分の立ち位置を正当化するために、恣意で尊師を持ち出したのは、大変な「勇み足」ではありませんか… (12641)
日時:2020年09月23日 (水) 09時08分
名前:破邪顕正


表題は、このコメントを読んでの感想です。

……………………………………

コメント、ありがとうございました (33707)
日時:2020年09月21日 (月) 05時15分
名前:トキ
 現在の組織内では、間違った教義を教えられるという点に問題がありますが、同時に、幹部や本部講師にモラハラ的な言動をする人が増えているという問題点もあります。

 トップが間違った言動をすると、幹部がおかしくなり、人間的に問題がある幹部が増えているのが現状です。結果、嫌気がさしてやめる人が増えています。

 ただ、そんな人に振り回されるのもおかしな話です。信念を持って、堂々としていれば良いと思います。私の知人の所属する教区では、教区五者の一人に、総裁万歳の人が教化部長のゴリ押しで就任しましたが、部内の総すかんをくらい、孤立して本人も困っているといいます。

 事情通様が言われる通り、谷口雅春先生は、教団が間違った方向に進んでいるのは悲しまれていると思いますが、だからと言って、心ある会員が退会するのも、お望みではないと拝察します。

 退会を考えている皆様には、色々なことがありますが、ここは退会せずに、組織に止まりましょう。

……………………………………

“教団内本流派”の「トキ」さんが、教団に残るという立場を、私は以前から決して否定するものではありません。

否定しないどころか、こうして、教団に残っているからこそ入手しえる、教団の内部情報をお知らせくださっていることに大変、敬意を表するものであります。

今回の投稿でも、歯に衣着せず、

“トップが間違った言動をすると、幹部がおかしくなり、人間的に問題がある幹部が増えているのが現状です。”

とまで指摘していただき、教団内の実状に疎い私にとっては、とても参考になる投稿でした。

だから、「トキ」さんには、教団に残って、今後とも、どんどん、こういう投稿をお願いしたいと思っています。

しかし、今回の投稿、ここまで言うのは如何なものか…。

“谷口雅春先生は、教団が間違った方向に進んでいるのは悲しまれていると思いますが、だからと言って、心ある会員が退会するのも、お望みではないと拝察します。”

“拝察”という表現をするのであれば、かくかくしかじか、こういう根拠があるから…ときちんと提示すべきではありませんか。

だって、そうでないと、退会した私どもは、尊師のご意志に背いているということになってしまいますからね…。

これは実に由々しき問題だと私は受け止めさせていただきました。

ご存じのように、私どもは、ずっと“裏切り者”“恩知らず”“反逆者”等々、言うに言えぬ厳しい罵詈雑言を浴びてまいりました。

なるほど、教団から見れば確かにそうかもしれません。

しかし、私どもに言わせれば、教団こそが、尊師を裏切っているではないか。

だから、その言葉、そっくりそのまま、教団に返します…。

そういう思いで、これまでやってきたわけです。

ところが、「トキ」さんは、今回、自ら盛んに教団はオカシイと難じている、その教団と同じ側に立って、私どもを否定するような言い方をしてきたわけです。

「トキ」さん、よろしいですか。

この言い方を許したら、総裁と袂を分かっておられる谷口家の皆様方も、尊師のお心に背いた生き方をなされているということになりますよ。

だって、皆さん、教団を退会されているのですからね。

それでいいのですか…。

「トキ」さん!

自分の立場を擁護するために、尊師を持ち出したというのは、これは大変な「勇み足」です…。

ここは一つ、「勇み足」の表現であったと、訂正なされたがよろしいかと、老婆心ながら申し上げさせていただきます。



「トキ」さんに、これは「勇み足」だと申し上げた、私なりの根拠を指し示しましょう… (12642)
日時:2020年09月23日 (水) 15時56分
名前:破邪顕正


「トキ」さんに根拠を示せと申し上げた手前、私もそれに対して「勇み足」と判じた根拠を示さないと、礼を失することになるかと思い、ここに投稿させていただきます。

結論から先に申し上げます。

尊師は、神観などの教義をこそ、最も重要視せられたのであって、「教団」そのものに、ご執着なされていたようには思えないのです。

あくまでも、「教団」とは光明化運動を展開するための、いわば手段として大切になされたのであって、「教団」そのものの維持にお心を砕かれたとは思いえないのです。

そもそも、尊師は、ご存じのように、神罰を与えるというような神を是認できないとして大本教という「教団」を脱退せられているわけです。

「トキ」さんは、この事実をどう捉えているのでしょうか。

今の教団のことで言えば、尊師が祀ってはならないとされた第一義の神を勧請し、あまつさえ「實相」額の前に“モノ”を置くというような偶像崇拝を信徒に強要したわけです。

これは明らかなる教義の改竄に当たります。

そういうことを平然とやってのけた「教団」、それは「トキ」さん自身も厳しく指弾されていますが、そういう「教団」を維持するために、信徒に対して、そんなことには目をつむって「教団」に残りなさいと尊師が仰るという根拠をぜひ、お示しいただかないと、とても納得いくものではありません。

もう一つ、尊師は「日本を守る会」の結成に関して、「日本を守るためには教団の一つや二つ潰してもかまわない」とまで仰ったという事実があるわけです。

これについては、例えば、「護法の天使」さんのこの投稿をご参照ください。

〈谷口雅春先生のお言葉の出典の真実性を裏付ける文献があります! (11539)
日時:2019年12月10日 (火) 18時23分
名前:護法の天使〉

よし、尊師が「教団」の維持そのものを第一の目的とされていたら、とても、こういうお言葉は出ないと思うのです。

逆に、“日本を守るために”ならないような「教団」になったとすれば、尊師は却って、そんな「教団」であれば潰したがいいとまで仰るかもしれませんよ。

「占領憲法」を擁護し、あまつさえ“女系天皇”を支持するような教団であってみれば、果たして、尊師の目にはそれがどのように映るでしょうかね…。

何を申し上げたいか。

“谷口雅春先生は、教団が間違った方向に進んでいるのは悲しまれていると思いますが、だからと言って、心ある会員が退会するのも、お望みではないと拝察します。”

「トキ」さん。

ここまで言い切った以上は、ぜひ、そう“拝察”したという根拠をきちんと指し示すべきであると思うものであります…。

できれば、私が提示した、大本教の脱退について、「日本を守る会」の結成時のお言葉について、何らかのご意見、ご感想でも示していただければ幸いに存じます。


何のために「生長の家」という教団が設立されたのか、それを抜きにしての「教団」維持のための論はとても首肯しえるものではありません… (12643)
日時:2020年09月24日 (木) 09時43分
名前:破邪顕正

「教団」を退会する勿れ。

それが説得力を持つには、やはり、「教団」とは何のためにあるのか、そこがはっきりしないといけないと私は思うのです。

例えば、教団職員にとっては、それはそのまま死活問題につながりますから、「教団」の維持は至上命題ということになります。

「トキ」さんが、いまだどういう立場の人か、私は知りませんし、それにさして関心もありませんが、もし教団職員というのであれば、なるほど「退会する勿れ」という気持ちは痛いほどわかります。

食うために、そういうしかない…。

もし、そうだとしたら、それこそ、そこに尊師云々を持ち出すべきではなかった…と私は思います。

「トキ」さんは、決して、そういう立場の人ではない…。

自分の食い扶持のために、尊師を利用するなどということをするわけがない…。

私はそう信じています。

閑話休題。

尊師が、どんな思いで、教団を設立なされたかは、『生長の家』誌・昭和12年5月号「近況通信」(『明窓浄机』草創篇257〜258頁)にはっきりと示されています。

《私は『生長の家』と云う大いなる団体を作って、その主宰者となり、自分の団体の勢力を拡大したいとは思っていない。唯私の心の中には国家あるのみであり、人類あるのみである。》

設立当初から、尊師は、「教団」の維持を第一義とせられていないということがこれではっきりとわかります。

では、何のためにあるのか。

続けてこう仰っています。

《ここに私は『国家』と『人類』との二つを同格に平列せしめて語ったが、私にとっては『日本国家』と『人類』とは同格なのである。日本国家が栄えることによってのみ、人類は栄えるのである。》

如何に、尊師が「日本国家」を重大視せられているか。

大事なのは、その理由なのです。

こうあります。

《實相とは無限荘厳の組織体である。だから實相が顕現するとは、無限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。そしてヘーゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、實相の顕現であるのである。
 而して世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家のみが最高完全の組織体である(その理由はその中心が万古不易永遠に続いているからである。外国の国家のように中心定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とは云い難い)。
 それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の實相の顕現であるのである。》

ここで、最も重要な言葉がこれです。

“その中心が万古不易永遠に続いている”

何故、続いてきたのでしょうか。

それは言うまでもなく、歴代天皇が男系であったからにほかなりません。

ところが、既に述べたように、現総裁は女系天皇を支持しているのです。

はっきりと申し上げます。

この比喩は適切ではないかもしれませんが、話をわかりやすくするために敢えて使わせていただきますが、女系天皇とは皇室破壊のための時限爆弾なのです。

だから、皇室破壊を目論む日本共産党までが、女系天皇の支持を表明するに至ったのです。

それだけでも、女系天皇がどんな意味をもっているか、察しないといけないのです。

心ある人の中に、女系天皇の支持を言う方がありますが、そういう人は、洞察力に欠けるのです。

日本共産党が支持するのは何故か…。

そこを見抜かないといけないのです。

日本共産党を侮ってはいけません。

“国体”をよく知悉しています。

占領軍のやったことをよく研究していて、今の皇室のどこに弱点があるか、それをよーく分かっているのです。

そして、女系天皇は皇室破壊の蟻の一穴となると見抜いたからこそ、支持表明したのです。

万が一、女系天皇が誕生したら、間違いなく、“その中心が万古不易永遠に続いている”は土崩瓦解します。

だから、女系天皇を支持するような現教団は、明らかに、尊師の願いに真っ向から背反しているのです。

そういう教団になっているということをまず理解しなくてはならないと私は思います。

それでもなお、退会してはならないというのであれば、それなりの説得力ある根拠を指し示さないといけない…。

ましてや、尊師の御名まで持ち出した以上、それは当然、自ら責めを負うべきであると思うものであります。


「トキ」さんへ、「退会しない」という前提での“行動”となれば、結局は“待ちぼうけ”の生き方しかないのでは… (12645)
日時:2020年09月25日 (金) 09時20分
名前:破邪顕正

表題は、この投稿を読んで感じたことです。

……………………………………

雑感 (33756)
日時:2020年09月22日 (火) 22時22分
名前:トキ
 いわゆる本流復活派で活動する私と破邪顕正さんとは、立場が違います。彼らは、組織から離れることで信仰の正当性を示そうと考えているのですから、当然、組織に留まるべきだという私の考えには否定的であるのが当然ですし、それを云々するつもりはありません。

 生長の家という組織を歴史的に考えると、谷口雅春先生はもちろん、多くの有名無名の人々の善意で今日まで発展したと考えることができます。そのような多くの人たちのの有形無形の支援があって、初めて今日の組織ができた以上、それを正しく維持発展させることが後輩である私たちの責任でもあると思います。

 現在の本部の方針は、このような多くの人たちの善意を無にする暴挙であると考えますが、だからと言って、これから安易に脱退することも、先達のご遺志に反すると思います。

 生長の家という組織は、過去、どんなに功績のある人でも、辞めた以上は「外部の人」という扱いをされますから、退会したら、意見は通らなくなります。そういう組織文化の存在を前提にしたら、退会をすることは答えにならないと言えるでしょう。

 宗教の歴史は、同時に分派と分裂の歴史でもあります。ただ、創始者が亡くなられて間もないのに、生長の家で、このような教義の歪曲や組織の分裂が起きたのは、単に個人の人格とかいう問題で説明できるとは思いません。何か歴史的な視点で考えるべきと思います。

 そのようは視点に立って、行動することが必要と思う次第です。

…………………………………………

まず、予め、お断りしておきますが、「トキ」さんは

“彼らは…組織に留まるべきだという私の考えには否定的であるのが当然です”

そう書いていますが、それはちょっと違います。

以前、私は書いたはずです。

“教団内本流派”とならば、「和解」は出来ると…。

だから、私は決して、教団に残る方を、端っから無下に否定するものではありません。

それより、むしろ、組織に留まるのを了としますから、それでは留まって何をするのか、そこが大事なのではないかと申し上げているのです。

ただ、じっと、総裁路線が破綻するのを待つ、それでいいのか。

そんな“待ちぼうけ”の生き方でいいのか、それを問うているのです。

そう言えば、童謡に♪待ちぼうけ♪という歌がありましたが、あの終わりは実に教訓的です。

待った結果はどうであったか。

♪寒い北風 木の根っこ♪

待ってばかりではいけない、そう教えているように思うのです。

また、「トキ」さんは、退会するのは、先の“尊師”に続いて、今回は“先達のご遺志に反する”とまで言ってきました。

自己正当化のために、今度は“先達”ですか…。

実名は伏せさせていただきますが、その“先達”のお一人から、よくぞ「谷口雅春先生を学ぶ会を起ち上げてくれた、影ながら応援させてもらうから」と言っていただき、どれだけそれが励みになっていることか。

“先達”にも色々あるということです。

持論に都合のいいように“先達”を持ち出すのは如何なものかなと思います。

更に、こうも言っていますね。

「退会したら、意見は通らなくなります」

それではお伺いします。

「トキ」さんは、ずっとこうすべき、こうしたらいいと言い続けてきましたが、それが通ったことが何かありますか。

教団に残っても、今の総裁専制体制下では、意見が通らない…。

私はそのことを痛感したからこそ、もはや教団内での体制変革は困難、外に出て“受け皿”づくりに賭けた方が、まだ道は開ける…。

そう確信したからこそ、退会したわけです。

「トキ」さんが、自ら、教団に残って、こういう意見を申し上げたらそれが通りました、だから残りましょう…。

そう言うのならばまだしも、そういう事実を挙げ得ずして、退会したら意見がとおらなくなりますと言っても、少しも説得力をもちはしません。

実際、「トキ」さんは、ここで、ずっと一貫して、批判ばかりしているではありませんか。

退会しなくとも、意見が通らない…。

それが現実なのではありませんか。

で、最後、「トキ」さんは、今回、こう結んでいます。

“行動することが必要”

しかし、どんな行動をするのか、それを少しも明示してはいない…。

前述したように、「トキ」さんは、これまで、舌鋒鋭く、総裁批判、教団批判を繰り返してきました。

ところが、にもかかわらず「トキ」さんは、少しも教団から弾圧を受けたという形跡がない…。

もしかしたら、あるのかもしれませんが、しかし、具体的にこんな弾圧を受けたという話を私は聞いたことがありません。

それは私だけでない、周りもそのようで、あれほど批判しているのに、「トキ」さんって何の咎めも受けていないように見えるよね、実に不思議だねえ…。

で、どういう結論になるか。

いつも言うだけだからじゃない、言うだけならばさして害がない、体のいいガス抜きに使われているのじゃない…。

でも、それにしてもと私は思うのです。

あれほどの批判は、教団にとってはカチンと来るに相違ないと思うわけです。

その「トキ」さんが、今度は、「行動」ということを言った…。

これは実に大きな変化だと思うのです。

言うだけではない、今度は行動するとまで宣言したのですから…。

では、どんな行動に打って出るのか…。

それが実に興味津々なのですが、その具体的な内容については、「トキ」さんの投稿を待つほかはありませんが、その行動に移した結果、教団の弾圧がきたらどうするのか…。

「退会しない」と決めてかかると、自ずと、その行動には制約が伴うのではないのか…。

ここまでやったら弾圧が来る…。

だから、必然的に“隠れ生長の家”のような生き方をせざるをえないのではないのか…。

結局、“待ちぼうけ”という生き方しか出来なくなるのではないのか…。

それもこれも、結局、「退会しない」と決めてかかるからではないのか。

それが行動の自由を奪う…。

つまり、自粛が萎縮を呼び、折角の行動にもブレーキがかかり、結局は何も具体的な行動には移せない…。

隠れて、『生命の實相』勉強会を開くのが精一杯となるのではないのか…。

そんな気がするのです。

私はそれならそれでいいとも思っているのですよ。

“教団内本流派”が教団に留まって出来る「行動」とは、それぐらいのことしかないのではないかと見ていますから…。

しかし、それで本当にいいのか。

“隠れ生長の家”として、時が過ぎるのを待つばかりで本当にいいのか…。

それで後悔しないのか…。

その自問自答の中から、それでは飽き足らないと決断したからこそ、私は退会の道を選ばせていただきました。

一口に「行動」と言いますが、それの中身は実に幅が広い…。

「退会しない」という前提で、それではどんな「行動」が可能なのか、ぜひ「トキ」さんの見解を承ることができれば本当に有難い、そう思っている次第です。

何の根拠も示さず「トキ」さんは、尊師は“たとえ本部の指導が間違っていても、信徒の退会をお喜びではない”と言っていますが… (12646)
日時:2020年09月26日 (土) 10時51分
名前:破邪顕正


表題はこの投稿を読んでの感想です。

……………………………………

雑感 (33830)
日時:2020年09月24日 (木) 14時22分
名前:トキ
 破邪顕正さんからコメントを頂戴していましたが、お返事が遅れました。ごめんなさい。

 個人的には、「拝察」という言葉を使った以上は、根拠を示す必要はなかったと考えていました。これが、

 「谷口雅春先生は、信徒は何があっても教団をやめるべきではないとお考えである」

と書いたら、「根拠を示せ」と言われても仕方がないですが、「拝察」なら、「察する」ということで、個人的な感想であるということになります。

 その上で、古い信徒さんから聞いたのは、谷口雅春先生は、新たに同志が増えたら喜ばれ、同志が去られたら悲しまれたという話です。もともと、情の厚い先生でしたが、それ以上に同志を大切にし、また秩序を重んじられた先生だったと聞いておりますので、たとえ本部の指導が間違っていても、信徒の退会をお喜びではないと思います。また、筋から考えても退会すべきではないと思っています。

 あまり大した返答ではありませんが、個人的にはこう考えております。

……………………………………

ご回答いただきましたこと、ありがとうございました。

回答していただいたことには感謝しますが、しかしそれでもやはり「トキ」さんの回答には納得いきません。

私は、先に、こう書いたはずです。

“そもそも、尊師は、ご存じのように、神罰を与えるというような神を是認できないとして大本教という「教団」を脱退せられているわけです。

「トキ」さんは、この事実をどう捉えているのでしょうか。”

私は、尊師の大本教脱退は、決して看過してはならない重大事だと思っています。

何故と言って、尊師は、教団が自ら信ずる道と違うと判断すれば、どんなに恩義があろうとも、それに引きずられることなく、きっぱりと脱退する道を選ばれた、それを御自ら示されたと思うからです…。

実際、そのために、尊師は、大本教から厳しい扱いを受けられたと伺っています。

『大調和』(有留弘泰・著)にこうあります(72頁)。

〈谷口先生は大本時代、青年講師のピカ一で、ことに若い求道者の憧れの的であった。頭はとびきりよく、霊感もあり、大道場の講師でもあり機関誌にもよく執筆されていたので、私も当時一青年として好んでお話を聞き教えられるところ多く、したがって衷心から尊敬を払っていた。ただ第一次の弾圧前後に去ってしまわれたので、当時の大本人からの評判はあまり香しくなかった。〉

おそらく、私どもが言われたように、尊師もまた、“裏切り者”とか“恩知らず”みたいなことを言われたのではないでしょうか。

しかし、そう言われることを敢えて覚悟の上で、尊師は大本教を脱退せられたのです。

「トキ」さん、どうしてだと思われますか?

やはり、信仰は純粋でなければならない。

その教えは間違っている、そう思うのであれば、自らの良心に従ってけじめをつけなければならない。

恩義があるからとか、お世話になったからとか、そういう私情を超えて、そこは“筋を通さなければならない”。

そう思われたからこそ、大本教を脱退せられたのではないでしょうか。

ところが、「トキ」さんは、“たとえ本部の指導が間違っていても、信徒の退会をお喜びではない”と言う。

そして、これまた何の根拠もなく“筋から考えても退会すべきではない”とまで言う。

「トキ」さん、この“筋”とは一体、何のことですか。

教団の方針がオカシイと思っても、それに目を瞑りなさい、見て見ぬフリして教団に留まりなさい、それが信徒の“筋”というものです、そういうことを言っているのですか。

再度、伺います。

尊師が大本教を脱退なされたこと、「トキ」さんには、それはどのように映っていますか?

そこから、どんな教訓を得られていますか?

しかし、こう言ったからと言って、何も私は回答を強要するものではありません。

ただ、こうして「トキ」さんの投稿を題材にして、これを読まれている方々に、自分は今後どう生きるか、どうすべきか、それを考えるきっかけにしていただければと思っているだけです。

私の一連の投稿は、そのためにこそある、そうご理解いただければ幸いです。



なるほど、“照明の方法はない”でしょうが、しかし“推測”することは可能ではないでしょうか (12649)
日時:2020年09月27日 (日) 15時25分
名前:破邪顕正


表題は、「トキ」さんの、この投稿を呼んでの感想です。

……………………………………

雑感 (33845)
日時:2020年09月24日 (木) 22時22分
名前:トキ
 もちろん、谷口雅春先生がどうお考えかは、神界に行ってご本人に伺うしか方法はありません。その意味では、私の意見も、破邪顕正さんのご意見も、照明の方法はないと思っています。

 ただ、谷口雅春先生のお名前を出す以上は、破邪顕正さんが言われる通り、慎重になる必要はあるのも確かで、それは反省をしなければならないと思っています。

……………………………………

私は、持論を正当化するために、尊師や先達のことを安易に利用することは厳に慎まなければならないと思っています。

しかし、“今、尊師いませば何と仰るだろうか”と推測することは、信仰者としてとても大事なことであるとは思っています。

今回、「トキ」さんの投稿を取り上げて、私なりの意見を申し上げているのは、「トキ」さんが、そう“拝察”したという根拠を何一つ示さないでいたからに他なりません。

私は、ここで“拝察”ではない、“推測”してみるということを逆に提案したいのです。

尊師は、自分の言いたいことはすべて書物に書いたと仰ったことがあります。

ですから、その『聖典』を通して、推測することは可能なのではないかと考えるのです。

例えば、今回、「トキ」さんが提起した

〈谷口雅春先生は、新たに同志が増えたら喜ばれ、同志が去られたら悲しまれたという話です。もともと、情の厚い先生でしたが、それ以上に同志を大切にし、また秩序を重んじられた先生だったと聞いておりますので、たとえ本部の指導が間違っていても、信徒の退会をお喜びではないと思います。また、筋から考えても退会すべきではないと思っています。>

これについて、その正否を『聖典』を通じて検証してみることにいたします。

『明窓浄机』「発展篇」にこうあります(45〜46頁)。

《私は一人の誌友が殖える毎に一人の我が子が出來たように喜び、一人の誌友が去る毎に一人の我が子が死んだように悲しみながら、私は『愛』のいたましい勤行を続けて来たものである。誌友相愛会を開いていて下さる諸君は、今、当時の私と同様な心の痛みを懐きながら、経済上の大いなる犠牲を払いながらその尊い救済の手を隣人に捧げていられるに違いないことを信ずる。何人がそれを知らずとも、私が知っているのである。『神』が知っているのである。そして自分自身がつづけて来た積善の善業が知っているのである。

このことから、「トキ」さんの言っている“新たに同志が増えたら喜ばれ、同志が去られたら悲しまれた”ということは、充分に首肯できるものであり、正当化されるものと推測いたします。

しかし、大事なのは、その“同志”とは何なのか、なのです。

尊師は、誌友のことを我が子とまで仰っています。

しかし、当時の『生長の家』誌は、すべてが尊師の手になるそれであったわけです。

だからこそ、“我が子”とまで仰ったのだと思うのです。

ところが、今の教団発行の『月刊誌』は、その内容から見て、果たして、そう言えるでしょうか。

今の『月刊誌』に、尊師のご文章がどれほど掲載されていますか?

果たして、今の『月刊誌』の誌友をもって、尊師は“我が子”とまで仰るでしょうか。

そのことを考える上で、新編『生命の實相』第26巻「人生問答篇」にある、次のお言葉は実に重要であると思います(10頁)。

《全生命を一つのものに賭けるとき誠が出るものです。それは『生長の家』に私が常に説かして頂いているところです。けれども私にとっては何に全生命を賭けるかということが問題なのです。…あらゆる手段を講じて雑誌の読者を殖やす実業ーー私はこんなことに全生命を賭けているのではないのです。…私は雑誌の外形の伸びるということよりも、雑誌の内容が本物になるということに生命を賭けているのです。》

ここに言われる、“雑誌の外形の伸びる”のを、教団信徒・誌友が殖えるとみなせば、必ずしも、尊師はそこに生命を賭けておられたのではない。

あくまでも“雑誌の内容が本物になる”、そこに生命を賭けておられたということが分かります。

そう考えると、今の教団の『月刊誌』が、果たして“内容が本物”と言えるでしょうか。

何を申し上げたいか。

“内容が本物”でない…、ここに尊師の教えはない…、このままでは尊師の教えは後世に正しく伝わることはない…、そう判断して、教団を退会したとしても、尊師は“退会をお喜びではない”とまでは言われないのではないのか。

そう“推測”することも充分に可能なのではないかと思うのです。

現に、これまでにも、尊師のご文章をもっともっと掲載してほしい…。

以前の「神誌」の世界に立ち戻ってほしい…。

そういう声はたくさんありました。

しかし、実状はどうでしたか…。

それが幾ばくかでも取り入れられたことがあったでしょうか…。

それどころか、逆に、心ある信徒の願い、要望は、悉くはねつけられ、まさしく聞く耳をもたず、ということに終始したのではありませんか…。

だからこそ、どんどん『月刊誌』そのものも減少の一途を辿ったのではありませんか。

これでは、教団に見切りをつけ、退会するもやむなしと思ったとしても、決して非難されるべきことではないとい思うものであります。

実際、そういう思いをもった信徒たちが起ちあがって、本流運動は成り立っているわけです。

それぞれ、組織は異なっても、尊師の教えに帰れと主張している点では大枠、一致している、それが本流運動なのだと私は思っています。

「トキ」さんも、その一点において、私たちと思いは同じである、そう思うからこそ“教団内本流派”だと申し上げているわけです。

「退会は避けるべきである」というのは、それはそれで一つの考え方であると了とはしますが、しかしそれはあくまでも「トキ」さんの個人的な考えであるということに留めていただいたがいいというのが私の申し上げたいことです。



故・菊地藤吉先生は、本部を辞められたとき、尊師から激励されたことがその後の人生の大きな励みとなったと… (12651)
日時:2020年09月28日 (月) 08時14分
名前:破邪顕正


「トキ」さんは、尊師は“心ある会員が退会するのも、お望みではない”そのように拝察すると言っているわけですが、その反証になるのではないかと思って、ここに菊地藤吉先生のことをご紹介させていただきます。

菊地先生は、既に鬼籍に入られておられますので、実名で申し上げても差し支えないだろうと思った次第です。

菊地先生については、『放送 人生讀本』の中にこう紹介されています(256頁)。

《菊地藤吉さんは、嘗て日本共産党員として北海道の全逓の闘争委員長をやっておられた人であります。きわめて真面目な人で、人類を救うためには、どうしても、制度をかえなければならない、その制度によって人間に配給される物質の量が変り、それによって人間の幸福の量がかわると言うのでありまして、共産党員の方は皆唯物論でありまして、この世の中は物質でできていると考えている。その物質でできていると考えているこの世界をよくするには、物質的なものを破壊して行かなければならない。従って人間を幸福にするのは制度を破壊しなければならないというわけで、きわめて真面目にそれに従事しておられたのでありますけれども、「生長の家」に触れられましてから、この世界は物質の塊でできているのじゃない、物質と見えているのは、実は心の相(すがた)が現れているのである。いくら形をかえても、結局心が変化しなかったならば、人類は救われないのである。こういう気持におなりになりまして、そして「生長の家」の講師として活動し、各所で講演をやっておられるのであります。》

私自身、いろんなところで、菊地先生の御名は耳にしたことがあります。

それだけ、信徒間に、人気のあった本部講師であられたのであろうと拝察いたします。

その菊地先生が本部を辞められて沖縄にわたられた。

そして、そこで「応用心理カウンセラー協会」を起ち上げられ、人財養成に努められる一方、幼稚園の経営にも携わられた…。

そのように伺っております。

で、その菊地先生から、ご生前、本部を辞めるとき、尊師から激励のお言葉をいただいたことが、その後の人生の大きな励みになったというお話を私は直に耳にいたしました。

この事実からしても、尊師は、実にお心の広い先生であり、弟子が、たとえ教団から離れることがあっても、大いなる志をもってやることであれば、それを激励してくださる…。

それが尊師ではなかったかと思うのです。

もとより、これも私の“推測”の域を出ないことでありますけれども、こういう事実もあったのだということはお知らせしておきたかったという次第です。

何かのご参考になればと思います。




“教団内本流派”の「トキ」さんには、“純粋信仰”に生きる志の継承者の育成をこそ期待したい… (12653)
日時:2020年09月29日 (火) 09時48分
名前:破邪顕正

表題は、「トキ」さんのこの「投稿」を読んで感じたことです。

……………………………………

雑感 (33897)
日時:2020年09月25日 (金) 21時15分
名前:トキ
 教団内部では、現在、動きが停滞しております。自転車や園芸をしていても、本当に信徒が求める教えが伝わりません。

 そのような状況でも、熱心に信徒のお世話活動に挺身している人は数多くおります。

 派手な動きをしなくても、地道に教えを伝え、悩める人々を救う活動をしていることは立派な行動だと思っております。

……………………………………

新編『生命の實相』第26巻「人生問答篇」にこういうご文章があります。

《「生長の家」の生活はどんな職業を有っている人にも出来るので尊いのです。…如何に人間は職業という荒縄で縛っても縛っても、なお手を出して人を救うことが出来る。縛られていて縛られていない生活を事実は示し得るところが非常に尊いのです。大多数の人間はみんな職業にしばられ職業に没頭し、職業の中に溺没してしまって、人を救うような生命の余裕は自分にはないと思っている。ところが、実際はそうではないぞ、縛られていても、人間はどんな職業をもっていても人を救うことが出来るぞ、私を見よ、私は縛られていながらこうして人の光となり、人の相談相手となり、 人の病を癒やし、その傍ら雑誌の原稿を書くことも出来る、それは生命は無限であるからだ。人間は神の子であるからだ。生命を出せば禿びるように思うのは迷いである。出せば出すほど伸びるのが「生命」である。こういう真理を実例によって示すために生きているのが現在の私の生活なんです。》

“人を救う”

まさしく、それこそが「生長の家」立教の根本精神であるということが、ここにはっきりと明示されています。

ところが、「トキ」さんも痛感しているように、今の教団方針は、そのことを少しも目指しているようには見えない…。

現に、「個人を救っているヒマなどない。それより、今は地球環境を救うことの方が急務なんです」と平然と言ってのける教団幹部まであらわれる始末…。

それを聞いて、私はこう思ったものです。

個人の救いとなれば、どうしても『生命の實相』をはじめとした尊師の聖典に依るほかはない。

総裁が書いているものでは、それはできない…。

だから、敢えて、信徒の目から尊師の『聖典』を遠ざけるために、その深謀遠慮であのような前言が登場したのではないのか…。

全ては、総裁の称える「今の教え」に救う力がないから…。

それを教団幹部もよく知っているがゆえに、個人救済を排除せざるをえなくなった…。

当たらずとも遠からず、それが案外、ウラの事情、真相に近いのではないかと私は思っております…。

しかし、それでは、「生長の家」本来の使命を果たすことができない…。

そこに、心ある信徒の心理的葛藤、懊悩もあるのではないのか。

で、中には、教団の方針とは関係なく、敢えてそれを無視して、やはり、自分がこの真理で救われたように、今度は自分が周りの方々をお救いする番…。

“救われ人が救い人になる”

それこそが信仰者としてのあるべき姿である…。

そう思って、地道に、お世話されている信徒の方々もおられる…。

実際、そういう信徒さんを私は知っていますし、「トキ」さんの身の回りにもそういう方がおられる…。

であれば、ぜひ、そういう信徒の方々のために、真理を研鑽する場を設けていってほしい…。

本当に人を救うには、真理の力をより一層、増大していくしかないからです…。

教団内に、そういう真理研鑽の場を設けること、そのことのために「トキ」さんには一層のご尽力をお願いしたい…。

そして、尊師に心から惚れ込み、その教えをもって救いの輪を広げていく…。

そういう“純粋信仰”に生きる信徒を陸続と生み出していってほしい…。

「トキ」さんであれば、それができる…。

私はそれを期待しているのです。

もとより、「トキ」さんがそういう“行動”に打って出れば、それがために、教団から睨まれ、理不尽な弾圧を受けて、外されるようなことがあるやもしれません…。

当然、“行動”する以上は、そのことも織り込み済み、覚悟の上…。

ということで、その志を受け継ぐ、第二、第三の「トキ」さんを生み出していってほしい…。

それが、教団内であれ、外に出た者であれ、“本流派”の心意気なのだと私は思っています。

信仰の世界で最も大事なこと、それは“継承”にあります。

自分の代だけで終わってはならない…。

次の世代にそれをどう引き継いでいってもらうか…。

今の教団は、そのための、いわば他山の石に他なりません。

“継承”を間違うと、どんな悲惨な結果になるか、それを現教団は身を以てまざまざと見せつけているわけですから…。

外に出た私ども以上に、内部で、その志を展開することは困難を極めるであろうことは容易に想像がつきます。

その敢えて厳しい、困難な道を選んだのが「トキ」さんであってみれば、そこのところを、ぜひ乗り越えて、教団内に“本流”の足跡を残し、残し続けていってほしい…。

“たとえ本部の指導が間違っていても、信徒の退会をおよろこびではない”それが尊師のお心であると拝察した「トキ」さんなのですから、ぜひ、それを通して、教団に残った意味が奈辺にあるか、それを証し立てていってほしい…。

もとより、「トキ」さんにこんな要望を言った以上は、私も外において、“本流”の足跡をしっかと残すべく、残りの人生をそこにすべて傾注するつもりでおります。

内と外と、いずれ必ず連携できる時代が到来する…。

これまでの恩讐を超えて、本来の、本当の「生長の家」を復権させるために、ともに手を携え、協力し合う、そういう時代が必ずやってくる…。

それが私の今の希望であり、願いであります。




名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板