《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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村上正邦先生に、虔んで哀悼の意を。 (12615)
日時:2020年09月11日 (金) 12時14分
名前:聖地巡拝参加者

村上正邦先生がご逝去あらせられましたとの報に接し、
虔んで哀悼の意を表させて頂きます。
村上先生は、谷口雅春先生を学ぶ会の「伊勢愛国練成会」に
ご出講下さったこともありました。
親しみを感じるお人柄、お話しぶりにて、ご講話に
引き寄せられるように聞き入りました。
天皇陛下への恋闕(れんけつ)の想いを、
切々と語っておられたのが、深く印象に残っております。

ご葬儀ではYOSHIKI(X-JAPAN)の天皇(現・上皇)陛下御即位十年の奉祝曲“Anniversary”が流されました… (12624)
日時:2020年09月15日 (火) 11時52分
名前:破邪顕正


「聖地巡拝参加者」さん、投稿、ありがとうございました。

村上先生の事務所には、尊師ご揮毫の「天皇国日本」が掲げられていました。

そういう先生でありますから、何よりの誇りであったのは、思うに「天皇陛下御即位十年奉祝行事」の実行委員長を拝命なされたことではなかったでしょうか。

だからこそ、ご葬儀で、“Anniversary”が流されたのだと拝察いたします。

先生のご著書『だから政治家は嫌われる』の中に、こんなエピソードが紹介されています。

この話を、ご霊前に手向けさせていただきたいと思います。

…………………………………

 和気藹々で、皇后陛下ともいろんなお話をしたんだけど、そのときに御在位10年のYOSHIKIさんの演奏に触れられてね、「あれはちょっとキーが重かったですね」って、こう言われたんだよ。キーが重かったって。

 どういう意味かわからなかったんだけど、「どういう意味ですか?」って聞けないじゃない。だから、「ああ、そうですか」って。私だけじゃなくて、みんな意味がわからなかったけど、「そうですか」って。

 そのあとね、YOSHIKIさんとお母様と一緒に食事をする機会があったんだ。慰労会のような感じで、神宮前の日本食の料理屋で。

 そのときに聞いたんだ。「いやあ、皇后様が、キーが重いと言われたけども、YOSHIKIさん、どういう意味?」って。そしたら、YOSHIKIさんが、「そうですか」ってハッとした顔をしたんだ。そこで私は初めて知ったんだ。なんで園遊会にお母様をお連れしたいと言ってたのか。

 YOSHIKIさんは「私は日ごろから使い慣れてるピアノを持って行こうと思って、用意していたんですが、母から電話がかかってきまして」と。お母様は九州の門司なんだよね。

「門司からロスへ電話がかかってきて、両陛下のためにピアノを弾くならば、そういう古いピアノでは失礼です。だから、私が新しいピアノを買い求めておくから、どこへ送ればいいかと聞かれて、それで、実はあのときに初めて弾いたピアノなんです」

 新しいピアノで、しかも当日は朝から雨で、湿気も多かった。「だから、ピアノのキーが重く感じられたのでしょうね」と。

 いや、ホント、皇后陛下の耳はすごいですよ。YOSHIKIさんも驚いて、「ああ、皇后様はそこまでお気づきでしたか」って。

……………………………………

これからは高き神界より、「天皇国日本」をお護り下さるものと確信しております。

村上先生のご冥福を心より祈念申し上げます。

ありがとうございました。


作家の佐藤優氏が故・村上正邦先生だけ“先生”と呼び続けている理由… (12628)
日時:2020年09月16日 (水) 14時26分
名前:破邪顕正


表題は、「産経新聞」(13日付け)に掲載されています。

その書き出しはこうです。

〈10日早朝、自民党参院議員会長、労相などを歴任した村上正邦氏が埼玉県朝霞市の病院で亡くなった(享年88)。筆者は新聞や雑誌で政治家について言及する場合、〜氏、〜さんと表記するが、村上氏に関しては、本人がいるときも、いないときも常に「村上先生」と呼んでいた。本稿でも村上先生と記す。筆者にとってこの人は、人生の窮地における先生だった。〉

ある日、東京拘置所の独房に勾留されていた佐藤氏のもとに、リンゴが差し入れられる。

被拘留者にとってバナナやみかんは購入できても、リンゴは購入できない。

そのリンゴを毎日、1個、差し入れされたのが村上先生だった…。

村上先生も「KSD事件」で罪に問われ、拘留された経験がおありでした。

だからこそのリンゴ差し入れだったということでしょう…。

佐藤氏は、こう言っています。

このリンゴには「応援しているぞ。頑張れ」のメッセージが込められていると思ったと。

このおかげで、厳しい取り調べで心が折れそうになっても踏ん張り抜くことができた…。

いや、もう一つ、大きな励みとなったのが、拘置所の職員のこの言葉だった…。

「おいらは村上先生がここにいるとき担当していた。生活態度が実に立派な先生だった。事件のことはよくわからないけれど、村上先生は筋を通した。あなたも筋を通した方がいいよ。ここで頑張らないと一生、悔いを残すことになるから」

後日、この職員のことを村上先生も覚えていて、佐藤氏にこう語ったと言います。

「検事に『村上!お前は先生なんかじゃない。巧言令色とはお前にぴったりの言葉だ』と罵られて、辛かったとき、担当さんから励まされて人間に対する信頼を失わないで済んだよ」

最後、佐藤氏は、村上先生のことをこう結んでいます。

“日本の国家と国民を愛すると共に、情に厚い政治家だった”





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