《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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“なにも足さない。なにも引かない”(「シングルモルトウイスキー」のキャッチコピー)それに反して、尊師の教えを「補強」してみたり「削除」したりして台無しにしてしまうのは何故か… (12511)
日時:2020年08月08日 (土) 15時16分
名前:破邪顕正

表題のキャッチコピーで知られるサントリーの山崎が世界NO1の栄誉に輝き、入手困難になっているのはご存じの通りです。

そうなったのも、やはり、コピーにあるように“なにも足さない。なにも引かない”をモットーにしてきたからこそ…。

ところで、全く、その逆を行っているのが、今日の教団です。

「聖経」は補強されなければならないと言ってみたり、或いは好き勝手に削除してみたり、もうやりたい放題…。

実に耐えがたいのは、尊師がおさとしになった宗教行である神想観、浄心行、実相円満誦行、祈り合いの神想観、先祖供養等において、“賢しらな”人間智で新たな文言を附け加えていることです。

これによって、却って、行による救いの力を失わしめているのは、その付け加えられた文言を見れば、一目瞭然…。

どうしてこういうことをしてしまうのか。

そのヒントが、新編『生命の實相』第8巻「聖霊篇」にあると感じます(32〜34頁)。

《「手のひら療治も好いけれども、手のひらよりも偉大なるものが、生長の家の悟りにあるのに何故あなたは手のひら療治を習いに行かねばなりませんか」と私が申しますと、その方は「人を神に導くにはどうしても病気治しから導いてゆくのが捷径(ちかみち)であるように思うから、神想観に手のひら療治をつけ加えたら一層よく効いて人を神に導くのに都合がよいから」と被仰るのです。
 この伯耆から来たAさんに類する人が往々あるのであります。神というものに何かを附け加えたら一層よく効くだろうと思っていられるのであります。神様を信じないのではないけれども、神様だけでは何だか足りないように思っていられるのであります。…
「あなたが色々の霊術をまぜまぜにやってみて効かないのは、却って色々まぜまぜにおやりになるから効かないのですよ。…実生活の上にも、生命力の上にも何の影響も反映も見出されないような「悟り」ならば、その人は本当に「実相」を悟っていないのであります。本当に自己生命の実相を悟れば、その悟りの結果が生命の力の上に現れて来なければならないはずです。》

「聖経」“だけでは何だか足りないように思って”「補強」してしまう…。

そしてその「補強」された讃歌≠ニ「聖経」とを“まぜまぜにおやりになる”…。

それもこれも、結局は、“本当に「実相」を悟っていない”それに尽きると私は思っています。

そういう世界に、どんどん信徒が巻き込まれてしまって行く…。

それを今度は 『“新しい文明”を築こう』を会員必携の本にしてやっていこうと言うのですから、決して座視など出来ようはずがありません。

尊師の教えを護る、その覚悟でこちらも腹を据えてやっていかなければならないと思っている次第です。


「七重塔」や“造化の三神”のお社を礼拝するようになったら、もはやそれは「生長の家」に非ず、“雅宣教”という宗門なり (12517)
日時:2020年08月09日 (日) 16時53分
名前:破邪顕正


“なにも足さない。なにも引かない”(ピュアモルト)それを「原理主義」だとして忌み嫌ったのが、言うまでもなく“背教総裁”で、とうとう、今回は、ご存じのように「實相」隠しまでやってのけたわけです。

これは「生長の家」という教団名、そもそもの由来まで、根本から否定するものであると私は思っています。

そのことを新編『生命の實相』第9巻「聖霊篇」を拝読させていただいて痛感いたしました。

《私は「本当のキリスト教は生長の家にある」と話しましたが、私のその舌の根の涸かないうちに日蓮宗の方が来られましたので、『法華経』の本当の教えが啓かれているのは「生長の家」だと私が申しました。…どんな宗教の方がやって来られましても、「神髄(ほんとう)の何々教は生長の家だ」といってその人の信じている宗教の名をいって間違いがないのであります。》(128頁)

ここに、「生長の家」の「生長の家」たる所以があると言っても過言ではありません。

どうして、こういうことが言い得るのか。

その根拠が、続いて、こう示されています。

《生長の家では礼拝のために神殿やお厨子を建てない。生長の家の神様の神示に「我に神殿は不要である、我が言葉を書いた本が神殿である、吾が神殿を建てようと思えば、わが言葉を書いた本を諸方に弘めよ。それが諸方に我が神殿を建てることになる」という意味が示されてある。生長の家ではそれで『生命の実相』の聖典聖語を礼拝の本尊にしている。》(129頁)

つまり、聖典『生命の実相』の中に書いてある真理、「實相」のお悟りこそが、礼拝の本尊なのです。

それだからこそ、所謂、万教帰一が成り立つのだし、「生長の家」という名称が意味を持つのです。

それについて、『前掲書』はこう説明しています。

《「生長の家」は「家」といって何々教といわないのであります。何々教といって各派の宗門に対立するような宗門ではないのであります。…「生長の家」は「家」であるから、どの宗門からお這入りになりましても一向差支えはありません。どうぞ御遠慮なく御自分の宗門をそのままズッと奥まで、内陣までお這入りなさい。そこに広々とした奥座敷がある−−その奥座敷が「生長の家」というのであって、この奥座敷には、どの宗教門をお這入りになった方でも構わない。》(39〜40頁)。

こういうことです。

奥座敷と思って入ったら、そこに「七重塔」そして“造化の三神”のお社があり、それを礼拝しなさいと言われて、果たして、例えば、キリスト教信者が、礼拝し得るでしょうか。

ご存じのように、神社の鳥居すらくぐらない人たちです。

絶対に、拒否すると私は思います。

何を申し上げたいか。

本来、「生長の家」は“奥座敷”であったはずなのに、「七重塔」そして“造化の三神”のお社を設けたために、“奥座敷”とは名ばかり、そこが“宗門”へと変じてしまった…。

当然、万教帰一の教えも説き得なくなってしまった…。

いわば、「生長の家」が“雅宣教”という宗門に変じてしまった以上、本来の「生長の家」に帰れ、そう叫ぶ信徒が出てくるのは必然のことだったと思うのです。

今回の「實相」隠しが、その声を更に大きなものにしていく、否、大きくしていかなければならないと思っております。


“不要なものは処理した”(総裁の言葉)その精神で生まれたのが『“新しい文明”を築こう』です。総裁や教団への憎しみ≠ナ投稿していると思われるのは実に心外です… (12525)
日時:2020年08月11日 (火) 10時12分
名前:破邪顕正


投稿していると、いろんな方がいろんなことを言ってきます。

論争しようではないかと挑発をしかけてくる向きもあります。

論破してたたきのめしてやろうという意欲満々の方もあります。

『人生の秘訣365章』にこうあります(267〜268頁)。

《…他の人からの挑戦的行為や言辞に対して、直ぐ腹を立てたり、恐怖したり、闘争の念を起したりしてはならない。吾々が腹を立てたり、恐怖したり、闘争の念を起すのは、その人が「自分の實相は神の子≠ナあって何者にも害されない素晴しい存在である」という信念を、周囲から挑戦を受けた瞬間に、忘れてしまうからである。だから誰かがあなたの怒りを挑発するような行為をしたときに、すぐ行動に移ったり、直ぐ荒々しい言葉を出してはならない。
「私は神の子≠ナあり、何物にも害されたり、他の人の誤った評価で値打ちのさがったりするような存在ではない」ということを心の中で数回念じて、自分が神の子≠ナあるという自覚を恢復してから発言をするなり行動をとるなりするとよいのである。…》

尊師の、このお言葉を常に肝に銘じてまいりたいと思っております。

尚、私がここに投稿しているのは、論争したいからでも、勝ち負けを競いたいからでもありません。

ただただ、今の総裁と教団のやっていることは、尊師の創始せられた「生長の家」の教えとは違う…。

それが分かっているのに、それをそのまま等閑視することは許されない、そう思っていればこそです。

こういうと、何か、私が憎しみ≠もって投稿しているかのように勘ぐる向きもあるようです。

そう勘ぐられたとしたら、それはまさしく自らの不徳の致すところというほかはありませんが、折角の機会なので、改めて、私の真意をここに述べさせていただきたいと思います。

実は、以前にも、そういう誤解、曲解の向きがあったので、こういう投稿をしているのです。

……………………………………

「あなたと会ったがゆえに」 (1390)
日時:2016年05月07日 (土) 17時22分
名前:破邪顕正

表題は、ノートルダム清心学園・渡辺和子理事長の言葉です。

この後、こう続きます。

《私の好きな祈りの中に「あなたと会ったがゆえに、だれもが、いままでより不親切になることがないように。

あなたと会ったがゆえに、ノーブルな心を失うことがないように。

あなたと会ったがゆえに、いままでより、いやしい人となることがないように。

あなたと会ったがゆえに、いままでよりも、より親切に、より気高い、より人間らしい人となるような、そういう人にならせてください」》

これを紹介したのは他でもありません。

「谷口雅宣総裁と会ったがゆえに」ということが今の生長の家信徒に突きつけられている命題だと思うからです。

それぞれ、その立ち位置によって、その後にどういう言葉が続くか。

まさしく十人いれば十通りの言葉があり得るでしょう。

しかし、少なくとも、私は「谷口雅宣総裁と会ったがゆえに」、生長の家がおかしくなったではないか、俺の人生もメチャクチャになってしまったではないか、どうしてくれるんだ!とわめき散らすようなことだけはごめん蒙りたいと思っている次第です。

結局、そうなってしまうのは、運命は自分もち、という大原則を亡失してしまっているからにほかなりません。

運命の主人公は自分です。

自分の運命を谷口雅宣総裁に握られてどうするのでしょう?!

そういう心意気が大事なのではではないでしょうか。

本来、信仰とは自分で磨き上げていくべきものです。

谷口雅宣総裁がそれならそれで、自らの信仰をどう建て直していくのか、それこそが信徒ひとりひとりに問われていることなのだと思うのです。

さしずめ、私は、こういう信仰を貫いてまいりたいと思っております。

《谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、教団を退会する勇気をいただきました。

谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、「谷口雅春先生を学ぶ会」と出会う貴重なご縁をいただきました。

谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、谷口雅春先生の教えを本気で学ぼうという求道心に一層、火がつきました。

谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、谷口雅春先生の教えを後世に過たず伝え遺すという、伝道の大いなる使命をいただきました。

谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、憲法改正に向けた運動を展開できるという喜びと出会うことができました。

谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、誰かに依存しない、自分で立つという生き方と出会うことができました。

谷口雅宣総裁と会ったがゆえに、教団にいたときよりも、よりよき人生が切り開かれました、信徒の皆様にそう言っていただけるような「谷口雅春先生を学ぶ会」にならせてください》

谷口雅春先生を心から慕う信徒の心の拠り所として、「谷口雅春先生を学ぶ会」は更に前進してまいりたいと念願しております。

……………………………………

ですから、私は、総裁に対して個人的な憎しみなど毫も抱いてはいません。

むしろ、それを言うのならば、有難い存在とも思って感謝しているほどです。

ただ、私は、冒頭に申し上げましたように、総裁の説いていること、やっていることについて、それは尊師の教えに反していると訴えているに過ぎません。

だって、総裁は、かつて、こんなことを言っていたのですからね。

……………………………………

「谷口雅春先生の教えは古いところがあるから書き換える必要があります」(総裁の発言) (9897)
日時:2018年08月03日 (金) 14時19分
名前:破邪顕正

(前略)

さて、今回は、「重要リンク」に貼り付けてある<愛国本流掲示板>から、私が注目しているものをご紹介したいと思います。

「生命の泉」というハンドルネームの方のこの投稿がそれです。

《谷口雅春氏は僕の祖父でありますが、彼は彼なりの説き方をされたが、やはり神ではないので、各所にその欠点を見い出しそれを訂正したり、廃刊にした書物もあります。 私は私なりに現代人を救済する義務があるので不要なものは処理したのです(平成16年7月31日、ブラジル教習会)》

なぜ、私がここに注目しているのか。

同様の発言は、実は、ブラジルだけではない、国内の講習会でも見られたことだと知らされたからにほかなりません。

私は、退会された信徒さんが、何を理由に教団と袂を分かつ決意を固められたか、そこに大変、興味・関心を抱いています。

で、そのことをある会員さんにもお訊ねしました。

そのときに言われたのが、表題に掲げた言葉でした。

その方曰く。

「何と言う、大それたことを言うのだろう。

まず、そう思いました。

そして、話を聞いているうちに、こんな人が教えを書き換えるのか。

これでは生長の家はダメになる。

そう確信しました。

驚きから、最後は絶望へと変わりました。」

とは言え、日頃、お世話になっている方のことを思い、すぐに退会することはせず、何ヶ月か過ぎて、頃合いを見て、その方に退会する旨、伝えたということでした。

この会員さんのお話を伺い、改めて、総裁は、尊師・谷口雅春先生への心からの尊敬心、法燈をそのまま継承するという志は一切、なかったのだということを痛感いたしました。

そういう人が、所謂法燈継承者≠ノなってしまった。

しかも、その手続において、今なお黒いベールにつつまれている…。

詳述するならば、宗教団体にとっていのち≠サのものと言っても過言ではない法燈継承≠ェ信徒の前に、少しも公明正大に執り行われなかった…。

それが、今日の生長の家教団に暗い影を落としているのではないのか。

最近の生長の家は暗い!

そういう声をよく耳にします。

それもまた、このことと決して無縁ではないと私は思っております。

……………………………………

これを投稿してから、ちょうど2年。

現実はどうでしょうか。

“不要なものは処理した”

まさしくこの言葉どおりの考えで編まれたのが『“新しい文明”を築こう』に他なりません。

これでは、尊師の教えは遺りません。

だからこそ、その危惧を共有していただきたく、こういう形でお伝えしているという次第です。



本当に稚拙ながら・・ (12593)
日時:2020年09月05日 (土) 16時17分
名前:初音

文明の利器といえる
パソコンとスマホが出てきたことで
わたしたちの生き方は変わってきました。

テレビは真実を伝えているのか
マスコミが言うことは本当なのか

それぞれが、自分で責任を取り
自分の魂にきちんと聞きながら
情報収集する時代です

生長の家も、同じことです。
盲目に、または知っているのに知らぬふりをして
自分の心に嘘をついて
信仰よりも人づきあいを優先して・・
神を信じることよりもエゴを尊重して・・

その生き方で、これから死ぬまで
自分の人生を汚い色で塗るのは
自分自身です
雅宣さんのせいでも
誰のせいでもありません

選択は、すべて自分にあり
人生も、あの人がああ言ったからではなく
自分が何を選択したか・の連続です

正しい御教え、信仰に基づき
誰よりも自分の心を大切に
清め
救われ
そして周りを助け
生きていきたいから
皆さんがここに来ます。

生き方は
誰かのせいにしてはいけません
可哀想に、とうとう憑依されてしまった
小心者の雅宣さんがどうあろうと
彼、そしてそれに付いていく
彼らの目の前にあるのは、崖っぷちということは
火を見るよりも明らかです
早く気付けますように、祈ります。




貴方の心の中にある神と
貴方だけが
人生の主人公なのです。


現象がどうあろうと
自分の人生は
自分で責任を持たなければいけない。


その道が正しいものであるように
神が出現させたのが

谷口雅春先生を学ぶ会だと思うのです。


学ぶ会の住所に

初音森ビルとあります


神様が
初めて音を出した場所
同じ森でも
この森は神が宿るところです


どんな時にも
生命の実相を読めば
貴方や人類を導く指針になるからと

雅春先生は
あの時、未来を察知して
私たち一人一人に

パテントを譲ると仰ったのではないかと
思います


男の嫉妬は醜い。
正しく輝いている人に
汚い手口で
議論をふっかける人がいますが
神に唾を吐くのと同じ行為ですよ。
神殿はここにあるのですから。


神は全て見ておられます。


責任はすべて自分にあります。

誰かになすりつけてはいけないのです。
最悪のシナリオになって
自分の人生どうしてくれるんだと
言う先には何もありません

誰がどうあるべきか
ではなく
貴方が何を信じ
どういう気持ちで「今を生きているか」
なのです。


どんなに時が流れても
生命の実相の中に全てがある。

だからわたしは
神殿ある場所に集いたいと思うのです

その場所が未来永劫輝くように
応援したいのです

前原先生や中島先生の背中に手を合わせ
応援していきたいのです。


色んな声に
負けないでくださいとは言いません
敵なんか最初から存在しません
みんな神の子です

初めから燦々と神の愛に祝福されたこの場所で
わたしも神と共に、生命の実相とともに
実相額とともに
学ぶ会とともに
生きていきます。















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