“教団内本流派”は教団の良心なり。だからこそ、「トキ」さんにはこんな大事なことを「雑感」というタイトルで述べてほしくはないのです… (12480) |
- 日時:2020年08月02日 (日) 09時56分
名前:破邪顕正
ある政治家を評して“言うだけ番長”ということがあります。
大変、残念ですが、「トキ」さんもまたそうではないのか…。
まずは、「トキ」さんの、その投稿をご紹介します。
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雑感 (31482) 日時:2020年08月02日 (日) 01時44分 名前:トキ
『楽園の夢破れて――北朝鮮の真相』( 全貌社、1962年)という書物で北朝鮮の現実を警告していた元朝鮮総連幹部がいました。その人の名前は、関貴星(せき・きせい)。在日朝鮮人として帰国事業を支援し、北朝鮮とも行き来している中で、北朝鮮が実は地獄のような体制であることを見抜きます。そこで、彼は、自分の体験をまとめた書籍を出版し、北朝鮮のプロパガンダは嘘で、実は地獄のような体制であることを暴露したのです。残念なことに、当時は左翼全盛の時代であり、この告発は無視されました。が、平成の時代になり、拉致問題や帰国者問題が大きく取り上げられると、彼の告発は再評価され、書籍も再度、出版されました。
生長の家について言えば、かってあれほど隆盛を誇った教団が、なぜ、衰退したのか、と言うことは、後世の史家の関心事になります。この時に、当事者が証言を残すことは、歴史への責任となります。
教団が開祖をないがしろにし、暴走を始めた時点で、破綻は決定されていました。このことを証言することは、谷口雅春先生をはじめとした先達の名誉のためにも必要だと思います。 ……………………………………
この「トキ」さんの投稿の問題点は二つです。
北朝鮮の問題が大きな話題となったのには、なるほど『楽園の夢破れて――北朝鮮の真相』という書物がそれに預かって力があったことは認めましょう。
そうであるならば、「トキ」さんもまた「書物」に著わさないといけないのではありませんか。
「トキ」さんは、『“新しい文明を築こう”の夢破れて――雅宣教団の真相』という書物を著す覚悟がおありですか。
はっきりと申し上げます。
いくらこういう掲示板で“ぼやき節”を言い募っても、それが教団を動かすような具体的な力とはなり得ません。
申し訳ありませんが、それを言うのならば、既に私どもの方で『「生長の家」教団の平成30年史』が発刊されています。
「トキ」さんは、いろんな内部情報を入手しているそうですが、常に「それを書くことはいたしません」みたいな言い訳をよくしていますよね。
“本気”ならば、腹を括って、内部に居た者にしか書きえない暴露本を出すしかありません。
「生長の家」の“ボルトン”になる覚悟がおありですか。
もう一つ、指摘しておかなければならないことは、『楽園の夢破れて――北朝鮮の真相』が再評価された背景には、拉致問題を大きく訴える運動があったからこそだということです。
このことで、付言しておきたいことは、よく「ペンは剣よりも強し」ということが言われます。
これはどういう意味で使われるか、そこをしっかりと踏まえておかなければ、その言葉にただ酔いしれるだけで終わってしまいかねません。
この本来の意味は、「政府などの圧力による影響を受けない独立した報道機関が備える情報伝達力は、武力に訴えるよりも遥かに大きな力となる」ということなのです。
何を申し上げたいか。
「ペン」というのは“報道機関”ということなのです。
立法、司法、行政という三つの権力を指して「三権」と言いますが、世論形成に大きな影響力を持つ「マスコミや報道機関(マスメディア)」についても、三権に次ぐ権力として「第四の権力」「四権」と呼ばれるようになりましたが、まさしく、この「ペン」もまた“権力”なのです。
ここでも、力なき「ペン」は無力というほかはありません。
つまり、「トキ」さんの言わんとすることを現実の力とするには、「トキ」さんもその背景に力をもたないといけない…。
その力とは応援団です。
応援団とは、「トキ」さんの、所謂、ファングループではありません。
常に行動を共にする、同志的つながりをもった集団です。
しかし、はっきり言って、これまでの長いお付き合いで、「トキ」さんが、そういう力を構築しようという気が無いことは充分に承知しております。
だから、いつまでも“ぼやき”に終始するほかはない…。
ここで、その“ぼやき”で終わらない道がある…。
「トキ」さんに応援団を構築する意志がなくとも、吾らがその応援団になればいい…。
外に出た本流派の力を背景にして「トキ」さんの言論を応援していく…。
今回の投稿なんか、どうですか。
吾らの主張と何の遜色もありはしません。
“和解”できないわけがありません。
私は、「トキ」さんを応援する“勝手連”を仰せつかってもいいとすら思っています。
教団内で、吾らと同じように、尊師の教えに帰れ!
こういう考え方をしている信徒がいるということは、何という有難いことでありましょうか。
実に心強いではありませんか。
“教団内本流派”は、教団の良心なり!
私はそう思って、こういう形で応援、支援していきたいと思っております。
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