《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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“教団内本流派”はこのままでは「ぼやき漫才」みたくなってしまう。それほど教団の現実は厳しい。そういう中で私どもがなすべきは… (12467)
日時:2020年07月31日 (金) 09時01分
名前:破邪顕正


昭和を代表する「ぼやき漫才」と言えば、人生幸朗・生恵幸子の夫婦漫才の右に出るものはないでしょう。

昭和ですから、時代背景は古いんですが、しかし新鮮。

今、見ても、思わず笑ってしまいます。

例えば、こんなふうにです…。

幸朗:「皆さん聞いてくださいよ、なんですか、あの桜田淳子の『気まぐれビーナス』というふざけた歌。去年のトマトは青くて固かった、だけどいかが、今年はもう赤くて甘いでしょ。舐めとんのか〜〜!!んなもん1年たったら腐っとるわいっ!責任者出て来い!」

最後の「責任者出てこい!」

これがたまらなくいいんですよね。

これを紹介したのは他でもありません。

「トキ」さんの投稿が、どんどん、これに似た論調になってきているように思えてならないからです…。

そう思った投稿を紹介します(※「トキ」さん、勝手に紹介すること、長いお付き合いに免じてご容赦ください)。

……………………………………

雑感 (31412)
日時:2020年07月30日 (木) 18時59分
名前:トキ

 生長の家本部は、最近、本部内に「メディアセンター」なる組織を作り、出版物の編集などを行なっています。日本教文社などの組織があるのに、このような組織を立ち上げるのは、無駄といえば無駄ですが、おそらく谷口雅春先生の作られた日本教文社よりは独自の組織に役割を写(※移)したいと言う気持ちがあるような気がします。

谷口雅春先生が組織指導をされていた頃は、生長の家という教えが好きで、損得を度外視して奉職をしていた人が大半でした。それが、組織が大きくなり、職員の待遇が向上するにつれて、「なりわい」として職員をする人が増えました。しかし、それでもある種の使命感は持っていた人が多かったです。が、谷口雅春先生がおられなくなると、サラリーマンのような職員や幹部が増えてきて、求道者とは思えない職員が増えてきました。

 このような風潮が顕著になり、最近は、総裁の言う通りにすれば身分は安泰であると言う情けない人ばかりになりました。

 いずれ、組織は破綻するでしょうが、その時、これらの人たちはどう言う反応を示すでしょうか。

……………………………………

これを幸朗風に言い換えてみると…

「皆さん聞いてくださいよ、なんですか、今の本部職員は。使命感をもって奉職したのと違うんかい、身の安泰ばかりを考えくさって。舐めとんのか〜〜!!んなもん尊師にどのつら下げてあうんかいっ!責任者出て来い!」

しかし、こんなぼやきばっかりを言っておったら、それは単なる憂さばらしに過ぎず、決していい運命とはなりません、健康にもよくない…。

どうしてこうなってしまうのでしょうか。

それは、やはり“教団内”に留まってしまっているからではないでしょうか。

出る杭は打たれる。

だから出ない。

しかし、出ない杭は腐る…

それが“ぼやき”に転化してしまう…。

悲しいかな、その腐った“杭”は“悔い”ともなる…

それでいいのか…。

しかし、既に述べましたが、私どもにとって“教団内本流派”は大事な人たちです。

そういう人たちとは、いずれ、必ず“和解”できると信じます…。

だからこそ、“教団内本流派”をこのまま腐らせてはなりません、“腐敗”させてしまってはなりません。

それには、“発酵”させる…“発光”させることです。

どうしたらいいか

新編『生命の實相』第12巻「生活篇」に、その答えがあります(135頁)。

《明るい、朗らかな、生き生きとした生きる力に満ちあふれている人々こそ、神の子たる「人間の本性」に近い人であるのである。かかる人は健康と幸福とを招び寄せる磁石である。彼は自分自身が健康と幸運とに恵まれるばかりでなく、彼の接触する人々に健康と幸運とを感染さす事が出来るのである。病が心的存在であって、心の恐怖的波動によって感染するがごとく、健康も幸運も心的存在であって、心の光明的波動によって感染するのである。》

今、新型コロナウイルスの感染が問題になっています。

しかし、感染とは何も悪いことばかりを言うのではないのですね。

“健康と幸運”だって感染する…。

何を申し上げたいか。

“教団内本流派”を“発光”さすには、“心の光明的波動によって感染”させることである…。

それが、教団から外に出て自由を得た私どもの使命である…。

私どもが光り輝く…、内外の“本流派”の希望の光となる…。

それには、もっともっと仲間を増やすこと…。

“数は力なり、希望の光なり”

そう思って、全力を尽くしてまいりたいと思っております。


“教団内本流派”は教団の良心なり。だからこそ、「トキ」さんにはこんな大事なことを「雑感」というタイトルで述べてほしくはないのです… (12480)
日時:2020年08月02日 (日) 09時56分
名前:破邪顕正


ある政治家を評して“言うだけ番長”ということがあります。

大変、残念ですが、「トキ」さんもまたそうではないのか…。

まずは、「トキ」さんの、その投稿をご紹介します。

………………………………

雑感 (31482)
日時:2020年08月02日 (日) 01時44分
名前:トキ

『楽園の夢破れて――北朝鮮の真相』( 全貌社、1962年)という書物で北朝鮮の現実を警告していた元朝鮮総連幹部がいました。その人の名前は、関貴星(せき・きせい)。在日朝鮮人として帰国事業を支援し、北朝鮮とも行き来している中で、北朝鮮が実は地獄のような体制であることを見抜きます。そこで、彼は、自分の体験をまとめた書籍を出版し、北朝鮮のプロパガンダは嘘で、実は地獄のような体制であることを暴露したのです。残念なことに、当時は左翼全盛の時代であり、この告発は無視されました。が、平成の時代になり、拉致問題や帰国者問題が大きく取り上げられると、彼の告発は再評価され、書籍も再度、出版されました。

 生長の家について言えば、かってあれほど隆盛を誇った教団が、なぜ、衰退したのか、と言うことは、後世の史家の関心事になります。この時に、当事者が証言を残すことは、歴史への責任となります。

 教団が開祖をないがしろにし、暴走を始めた時点で、破綻は決定されていました。このことを証言することは、谷口雅春先生をはじめとした先達の名誉のためにも必要だと思います。

……………………………………

この「トキ」さんの投稿の問題点は二つです。

北朝鮮の問題が大きな話題となったのには、なるほど『楽園の夢破れて――北朝鮮の真相』という書物がそれに預かって力があったことは認めましょう。

そうであるならば、「トキ」さんもまた「書物」に著わさないといけないのではありませんか。

「トキ」さんは、『“新しい文明を築こう”の夢破れて――雅宣教団の真相』という書物を著す覚悟がおありですか。

はっきりと申し上げます。

いくらこういう掲示板で“ぼやき節”を言い募っても、それが教団を動かすような具体的な力とはなり得ません。

申し訳ありませんが、それを言うのならば、既に私どもの方で『「生長の家」教団の平成30年史』が発刊されています。

「トキ」さんは、いろんな内部情報を入手しているそうですが、常に「それを書くことはいたしません」みたいな言い訳をよくしていますよね。

“本気”ならば、腹を括って、内部に居た者にしか書きえない暴露本を出すしかありません。

「生長の家」の“ボルトン”になる覚悟がおありですか。

もう一つ、指摘しておかなければならないことは、『楽園の夢破れて――北朝鮮の真相』が再評価された背景には、拉致問題を大きく訴える運動があったからこそだということです。

このことで、付言しておきたいことは、よく「ペンは剣よりも強し」ということが言われます。

これはどういう意味で使われるか、そこをしっかりと踏まえておかなければ、その言葉にただ酔いしれるだけで終わってしまいかねません。

この本来の意味は、「政府などの圧力による影響を受けない独立した報道機関が備える情報伝達力は、武力に訴えるよりも遥かに大きな力となる」ということなのです。

何を申し上げたいか。

「ペン」というのは“報道機関”ということなのです。

立法、司法、行政という三つの権力を指して「三権」と言いますが、世論形成に大きな影響力を持つ「マスコミや報道機関(マスメディア)」についても、三権に次ぐ権力として「第四の権力」「四権」と呼ばれるようになりましたが、まさしく、この「ペン」もまた“権力”なのです。

ここでも、力なき「ペン」は無力というほかはありません。

つまり、「トキ」さんの言わんとすることを現実の力とするには、「トキ」さんもその背景に力をもたないといけない…。

その力とは応援団です。

応援団とは、「トキ」さんの、所謂、ファングループではありません。

常に行動を共にする、同志的つながりをもった集団です。

しかし、はっきり言って、これまでの長いお付き合いで、「トキ」さんが、そういう力を構築しようという気が無いことは充分に承知しております。

だから、いつまでも“ぼやき”に終始するほかはない…。

ここで、その“ぼやき”で終わらない道がある…。

「トキ」さんに応援団を構築する意志がなくとも、吾らがその応援団になればいい…。

外に出た本流派の力を背景にして「トキ」さんの言論を応援していく…。

今回の投稿なんか、どうですか。

吾らの主張と何の遜色もありはしません。

“和解”できないわけがありません。

私は、「トキ」さんを応援する“勝手連”を仰せつかってもいいとすら思っています。

教団内で、吾らと同じように、尊師の教えに帰れ!

こういう考え方をしている信徒がいるということは、何という有難いことでありましょうか。

実に心強いではありませんか。

“教団内本流派”は、教団の良心なり!

私はそう思って、こういう形で応援、支援していきたいと思っております。


何故、私は“和解派”という言い方をやめて“教団内本流派”という言い方に変えたのか…。 (12486)
日時:2020年08月03日 (月) 08時50分
名前:破邪顕正

「トキ」さんを始めとする“和解派”の皆さんとの間ではいろんなやりとりをしてきましたが、思い返せば、あまりいい気分のするものではありませんでした。

“和解派”の皆さんから、よく言われた言葉はこれでした。

「生長の家」なのに“和解”の教えを無視するのか…。

それでも「生長の家」か…。

「谷口雅春先生を学ぶ会」という名前を返上せよ、少しも学んでいないではないか…、等々。

そのやりとりの中で、痛感したことがあります。

大事な教義であるべきはずの“和解”という教えが、「谷口雅春先生を学ぶ会」を貶めるための道具に使われている…。

そして、舌鋒鋭く口撃する人たちが、必ずしも本気で“和解”を願っているわけではない…

そもそも、“和解”を言い募っている当の本人たちが、「谷口雅春先生を学ぶ会」とは和解したくないと言って憚らない…。

なるほど、“和解”というのは、私どもをただ口撃するための手段、口実だったのか…。

それが分かってしまった以上、まともに相手するのにも飽いてしまった…。

つまり、敵対感情を露わにする“和解派”の、その逆念に足を引っ張られることに、ほとほと空しさを覚えたということです。

しかし、「トキ」さんのような人と、“和解”云々で敵対し続けるというのは、決して得策ではないと思うに到りました。

だって、私どもが相対すべきは、あくまでも“雅宣教団=造化の三神教団”であって、“和解派”ではないからです。

それどころか、「トキ」さんは、教団内で「尊師の教えに帰れ!」と言い続けてくれている貴重な存在に他なりません。

そういう人とは、教団の内、外とを越えて、それこそ“和解”できる…。

そもそも、“和解派”と感情的に対立して一体、だれが得するのか、それは教団側ではないのか。

そう思ったら、“和解派”との対立関係に終止符を打たなければならない…。

それに最も相応しいのは、“和解派”という言い方をやめて“教団内本流派”と呼ぶべきである、そう思った次第です。

その思いは、内外を越えて、“本流派”が相手すべきは、教団本部なり!それに尽きるということであります。

しかし、今までの習い性なのでしょう、それでも“教団内本流派”の方々からは、相変わらず、私どもに対して、なんやかやと批判がましいことを言っている向きがあるようですが、今や、さして気にもならなくなりました…。

宗教法人を取得して、押しも押されぬ新たな「宗教団体」として公的に認められたのですから、今更、何を言われてもビクともしない、そんな心の余裕も手伝っているのかもしれません…。

ともあれ、「トキ」さんの言葉を借りれば、“教団が開祖をないがしろにし、暴走を始めた時点で、破綻は決定”の“雅宣教団”であります。

破綻が見えているのに、まだまだそこに数多の信徒が留まっているわけです。

「自業自得だ」などとは決して言ってはならない…。

尊師の教えに帰れ!

『生命の實相』の教えに帰れ!

その声が信徒の皆さんに届くよう、尽力する…。

それが“本流”に課せられた今日的使命であると思うものであります。



「トキ」さん、全く同感です。“本流派”はそのためにこそ存在しているのですから。ただ、最後の一文だけが違う… (12501)
日時:2020年08月05日 (水) 09時13分
名前:破邪顕正


「トキ」さんの今回の投稿、まさしく「我が意を得たり」。

“本流派”の心意気はまさにここにあり。

激しく同意した投稿がこれです。

…………………………………………

雑感 (31741)
日時:2020年08月05日 (水) 01時20分
名前:トキ

 昔、ソ連がありスターリンが独裁をしていた頃、トロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコという生物学者がいました。熱心な共産党員で、スターリンのお気に入りでしたが、彼は遺伝子の存在を否定する学説を展開していました。問題は、彼がスターリンに取り入り、自分の学説だけをソ連で勉強することを強要したことでした。今から考えると、遺伝子を否定する学説など荒唐無稽ですが、遺伝子が発見される以前の学説ですから、いわゆる左翼系の学者の中には、これを信じた人が西側にもいたのです。もちろん、当時でも、この学説への批判がソ連にもあったのですが、ルイセンコはスターリンに取り入り、自分の学説を否定する学者にでっち上げの罪名をなすりつけて秘密警察に逮捕させるという暴挙に出ます。結果、彼に反対する人はいなくなり、ソ連では、後難を恐れて真相を口にする人はいなくなりました。

 このように恐怖を持って真実を圧殺したのですが、DNAの発見や遺伝学の発展により、現在ではルイセンコの学説を支持する人はいません。つまり、権力を持って真実を圧殺しても、嘘は長く持たなかったのです。

 現在の生長の家でも、正しい教えが圧殺されていますが、権力を持ってしても、真実をいつまでも隠し通すのは不可能です。おそらく、将来、生長の家では、何が正しいかをみんなが知る時期が来るでしょう。

…………………………………………

全く以て、その通りです。

“背教総裁”の“専権の迷”によって、尊師の教えを如何に圧殺しようとも、それは非真理ですから、いつまでもそれを隠し通すことはできません。

確かに、それはそうなのですが、ただ、「トキ」さんと私との違いは、最後のこの表現にあります。

「時期が来るでしょう」

これでは、まるで評論家ではありませんか。

主体性のない、他人事のような言い方…。

他力本願と言うのか、そこだけが何とも納得がいきません。

何故、ルイセンコの学説が消えていったのでしょうか。

ご指摘のように、それは、DNAの発見や遺伝学の発展があったからでしょう。

そのDNAの発見や遺伝学の発展は、ソ連国内ではありませんでしたよね…。

ソ連以外の国外に於いてでした…。

何を申し上げたいか。

“絶対権力”が支配する教団内にあっては、何が正しいか、なかなか、言いづらい空気にある…。

先日も、教団のある地方講師の方が歎いていました。

「實相」額の前に“モノ”をおいて、あんな不細工なものには耐えられない…。

「こういうことをしていいんでしょうか」と言ったら、「いいんです」の一言。

で、睨まれてしまって、出講できない処分をくらってしまったと…。

こういう現実を目の当たりにすると、やはり、何が正しいか、それを言うのは、まさしく、外に出た吾々の使命である…。

というより、そのためにこそ、吾々は外に出たのである…、そう思うのです。

つまり、「トキ」さんのように教団内にいては、なかなかズバリ言い切ることができないようなことを、その“教団内本流派”の思いを汲んで、それに替わって、言わせてもらう…。

そういう形で、“教団内本流派”を支援し、激励し、共闘していく…。

その思いを込めて、「トキ」さんの投稿の最後を、こう書き換えさせていただきたいと思う次第です。

「おそらく、将来、生長の家では、何が正しいかをみんなが知る時期が来ます。それは早ければ早いほどいい、それだけ犠牲者が少なくて済むからです。そのために、何が正しいかを言い続ける、訴え続ける必要があるのです。その使命を担っているのが、他ならぬ吾々“本流派”なのです。尊師に報恩感謝の誠を捧げて生きようとするならば、その使命に人生を賭ける、その覚悟で臨んでまいります。」



「トキ」さん、教団の内状報告、ありがとうございます… (12533)
日時:2020年08月13日 (木) 11時32分
名前:破邪顕正


「トキ」さんの投稿、いつも注目しています。

今回も、大変、有難い情報でした。

………………………………

行事が中止になって (32053)
日時:2020年08月12日 (水) 12時19分
名前:トキ

 コロナウイルスの影響で、リアルの行事が全て中止になりました。組織では、デジタルでの行事開催に力を入れており、本部主催の研修なども始めたり、誌友会もオンラインで始めたりしております。

 しかし、そのようなデジタル行事に開催できるのは、一部の人になります。

 総じて、組織はじわじわと人数が減少しているという印象があります。高齢者が多い組織ですから、亡くなられる人も多く、また新規の入会者もあまりいません。結果として、緩慢なる終結という流れになっています。

 これが、昔なら、信徒の間から自発的になんとかしようという動きが出たでしょうが、現在の本部の指導内容では、真面目にやろうという人はかなり少ないです。

 難しい状態になってきたと感じます。

……………………………………

今回の投稿も、実に悲観的な内容になっています。

それだけ、教団の実状は厳しいものがあるということなのでしょう。

実際、私の耳にも、同様のような話が届いています。

ただし、こちらは、今回のコロナ禍≠ノ感謝しているという話です。

何でも、その理由というのが、嫌な教化部長に会わなくてもすむようになったからというもの…。

コロナ様々だというのです。

結構、この類いの話、教化部長の不人気ぶりは、いろんなところで耳にします…。

「トキ」さんが、以前、零していたように、サラリーマン気分の教化部長に信徒が愛想尽かししているということなのでしょうね…。

しかし、それもこれも、もとはといえば、宗教本来の使命である救いを忘れて、カルチャー化に走ったことに起因するのではないかと思うのですが…。

だからこそ、教団が忘れた救い≠ノ焦点をあてていくことこそが「谷口雅春先生を学ぶ会」の生きる道だと改めて痛感している次第です。

そのためには、やはり、救いの原典『生命の實相』に帰れ、これを言い続けることなのだと思っております。




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