《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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“造化の三神”教団に対して、吾らは“非理法権天”の旗印を掲げて進むべし… (12459)
日時:2020年07月30日 (木) 13時31分
名前:破邪顕正


表題の“非理法権天(ひりほうけんてん)”とは、あの楠木正成が菊水旗に掲げたものとして知られるものです。

非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず、天道に従って行動すべきであるという意味です。

非という無理、無謀なことは、理という道理には勝てない。

その道理も、法を前にしてはそれに従わざるを得ない。

しかし、その法だって、権力の前には屈服せざるを得ない。

しかし、その権力も、天の道にはかなわない…。

これを旗印にしようと思ったのには、理由があります。

それは、今の総裁が絶対権力者であるからです。

この絶対権力に立ち向かうには、そうです、天を味方にするしかない、そう思ったのです。

それでは、その天とは何か。

私は、それが、尊師のご存在。

尊師の教え、お志を護る、それが天の道にかなうことである…。

それしかないと思っているのです。

“造化の三神”教団は、盛んに、「総裁先生は先見の明がある」ということを錦の御旗にして信徒を“洗脳”しようとしています。

しかし、私に言わせれば、その「せんけん」とは“専権”でしかないし、めいもまた“迷”でしかない…。

信徒がどんどん教団離れを起こしているのも、結局、その総裁の“専権の迷”にウンザリしているがゆえである…。

そう解釈する方が、今の現状を見事に言い当てているように思うのです。

そもそも、“専権”で教団を支配している総裁が、「立憲」をいうこと自体、言語矛盾も甚だしいのです…。

総裁が「立憲」を言えば言うほど、それは「立憲」に名を借りて“護憲”を主張したいがためだろう…。

安倍首相に対して、異常なまでの敵対感情を露わにするのも、“護憲”の厚い壁をぶち破ろうとする首相が癪に障るからだろう…。

お仲間の「朝日新聞」をヨイショするのも同様の心理が働いているからだろう…。

そう思ってしまうのです。

そういう“専権の迷”のある総裁には、「権は天に勝たず」その信念をもって相対峙していくに如くはなし…。

今年、宗教法人を取得し得たのも、天が私どもに味方をしてくれている何よりの証左なり…。

私はそのように受け止めています。

そうとでも考えなければ、宗教法人を取得できるなんて、本当に奇蹟としか言いようのないことだったのですから…。

今、私どもが力を入れている、コロナ皆空消滅を祈念しての「大調和の神示」奉納写経充満運動も、有難いことに、大きな広がりを見せています。

教団信徒の中に、この運動に共感し、33巻奉納を決意した方も生まれています。

信徒は、間違いなく、信仰の喜びのある方についてきます。

天を味方につければ、必ず、絶対権力者に打ち克つことができます。

絶対権力を笠に着て、尊師を亡き者にしようという悪辣なる企みに、心ある信徒は必ずや気づきます、目覚めます。

“非理法権天”の旗印のもとに、心ある信徒よ、起ちあがれ!

それを声を大にして叫び続けてまいりたいと思っております。



宗教法人を取得せしめた“天の意志”とは「宗教改革」の精神の蘇らせよ、ということではないのか… (12470)
日時:2020年07月31日 (金) 10時47分
名前:破邪顕正

「大聖師御講義『続々甘露の法雨』」にこうあります。

《…人間の罪を強調することによっては、決して人類は善くならないのであります。こんなことになったのは、釈尊御出興以来二千七百年、キリスト降誕以来約二千年になり、その間、多くの釈迦・キリストの弟子たちが、「一切衆生悉く如来に等し」と『法華経』の方便品におときになった釈尊の真意を伝えず、人間悉く神の子≠ニいったキリストの真意を伝えず、「罪悪深重」だの「罪の子」だのと、言葉の力によって罪を宣伝し、一切衆生の如来≠スる本性を覆い隠してしまった結果なのであります。ここに宗教改革の必要があり、釈尊に帰れ、キリストに帰れと吾々が絶叫している所以であります。》(606頁)

尊師が神去られてまだ35年です。

にもかかわらず、もう既に尊師の御教えは歪められ、眩まされつつあります。

その最たるものが、今回の“實相隠蔽”でありましょう。

“實相隠蔽”とは、即ち真理の隠蔽、そのものと言っても決して過言ではありません…。

そうであれば、それこそ、尊師に帰れ、『生命の實相』の教えに帰れと“絶叫”しなければなりません。

まさしく、これは生長の家における、新たな「宗教改革」ともいうべきものであります。

そのためには、きちんと社会的に認知された、公的な立場を築い上で展開していかなくてはならない…。

単なる不満分子、不平分子の集りに過ぎないなどと見下されては、折角の“聖業”に傷が付く…。

そういう“天の意志”が働いたからこそ、今回、宗教法人を取得し得たのだと思うのです。

宗教法人を取得して堂々と「宗教改革」を目指していく…。

何と誇らしいことでありましょうか。

尊師の灯された真理の灯を決して絶やさない…。

それこそが私どもの「宗教改革」を担う根本信念であります。


「谷口雅春先生を学ぶ会」の飛躍発展には、一人ずつ、一歩ずつ、キメ細かくをモットーとして伝道に励むことが肝要なのでは… (12483)
日時:2020年08月02日 (日) 14時02分
名前:破邪顕正


表題のことは、『人生の秘訣365章』を拝読していて痛感したことです(186〜187頁)。

《私は少年の頃、こんな話をきいたことがある。ある時、牛若丸と弁慶とがお櫃(ひつ)一ぱいの御飯を練ってどちらが早くソックイ(飯粒をこねて粒をなくしてネバネバの強靭な接着剤につくったもの)にそれをすることが出来るか競争したというのである。弁慶はこれしきの飯粒(めしつぶ)位一ぺんに摺りつぶして見せるぞと、全部の飯を板の上にあげて、大薙刀(おおなぎなた)をもって摺りつぶし出した。牛若丸は小さな竹箆(たけべら)をもって十粒位づつキメこまかく飯粒を摺りつぶして、完全にそれが摺りつぶされると、又次の十粒位の飯粒を摺りつぶした…最初は弁慶が一網打尽的に速かに全部の飯粒が摺りつぶされるかと見えたが、最後にちかづいてくると、どうしても完全にキメ細かい接着剤にならないで、一部ママコ(充分につぶされていないで粒状になっているもの)になったところを生ずるのであった。そして到頭、十粒位づつキメ細かく摺りつぶしていた牛若丸の方が勝ったというのである。
 これは少年の時に母からきいた話なので、作り話か、憶え違いか知らないが、手近にいる数人を次から次へとキメ細かく光明化する方が、大々的宣伝をして人類全体を一ペンに光明化しようというようなやり方よりも著実に実効があがるものだと考えられるのである。ある宗教が今日の如き多くの信徒数を得たのも、信徒全体が自分に触れる人たちを一人のこらず信徒にしようとキメこまかく伝道しているからだといえるのである。人類全体の光明化は自分の身辺をキメこまかく光明化するにあるのである。》

思えば、尊師も『生長の家』誌の1,000部の贈呈愛行から、この運動を始められたのでした。

友人や知人等の名簿を頼りにしていかれたわけです。

“自分に触れる人たちを”

この精神こそが、今、最も大事な心構えなのだと思います。

ある会員さんの話です。

よくお世話になっている主治医さんに、毎年、『光明日訓(日めくり)』を愛行しておられる。

で、その会員さんの信仰姿勢に感動されて、何と、その「日めくり」を診察室に掲げられるようになった。

そのお医者さんがこう言われたというのです。

〈「病は無い」という言葉を見た時、僕は医者だよ。こんなもの掲げられない、最初はそう思った。ところが、それを見た患者さんが、すごく、その言葉に勇気づけられるそうなんだ。患者さんがよろこぶのであれば、掲げてもいいかと思ってそうしてきたけど、最近、「病は無い」という言葉、実に味わい深いなあと思うようになってきた。谷口さんという方は偉い方だね〉

考えてみれば、『生命の實相』にはお医者さんがよく出てきます。

また、新編『生命の實相』第11巻「実証篇・精神分析篇」の「編者はしがき」にもこうあります。

〈谷口雅春先生は日本における精神分析の草分けと言っても過言ではない。…今でこそ、個人指導、いわゆるカウンセリングといえば少しも目新しい感じがしないが、谷口雅春先生は、それを宗教界のみならず、日本社会にあっていち早く導入されたのである。まさに、カウンセリングの分野でも先駆者である。当時の知的階層の多くの人々が、『生命の實相』を紐解いていたというのも頷けることである。〉

自らの主治医もまた「自分に触れる人」に他なりません。

今回の新型コロナウイルス禍で、医師や看護師等、医療従事者は、どこかで恐怖感をもっているそうです、「御守り」を持つと何となくホッとするという話も伺いました。

今、奇蹟を呼び起こしている“健康成就のお守り”を愛行する、またとない機会とも言えます。

不安、恐怖がヒタヒタと忍び寄る時代状況だからこそ、大安心に導く、この御教えをお伝えする絶好のチャンスとも言えます。

一人ずつ、一歩ずつ、キメ細かく、自分に触れる人に伝道してまいりましょう。



“人生は他動的”(巨人軍・原監督の言葉)に思う… (12487)
日時:2020年08月03日 (月) 09時47分
名前:破邪顕正


新編『生命の實相』第12巻「生活篇」にこうあります(17頁)。

《無論『生長の家』がもっと大きくなり、その経済も独立し、諸方の同志が私に直接会って導かれたいと言って、忙しく私をあちらからもこちらからも招ぶようになったら、私は会社を辞めるかもしれない。しかしそれは会社の仕事から私が逃げ出すのではなくて、一層大きい者が私に会社を辞めよと示したまうから会社をやめるのでなければなりません。》

尊師が会社を辞め、宗教家としての人生を歩み始められたときの思いが、よくここにあらわれていると感じます。

それで思い出したのが、表題の言葉です。

もともとは、この言葉は、名将・三原脩氏の言葉だそうです。

様々な人生の決断において、原監督も、この言葉の重みを実感することがあった…。

で、これを座右の銘にしているとか…。

「人生とは他動的である。周りの方の支え、影響、協力が現在の自分を作り上げている。」

監督を引き受けたのもまさしく、「他動的」からである…。

周りから「頼む」という声があったからこそ受けたのである…。

いくら自分でやりたいと思っても、周りにその声がなかったら、監督になれるものではない…。

大事なのは、周りからそういう声が上がるような生き方をすることである…。

原監督の、この言葉を知って、改めて、冒頭に掲げたご文章の意味をかみしめなくてはならないと思った次第です。

こういうことです。

“忙しく私をあちらからもこちらからも招ぶようになったら”

「谷口雅春先生を学ぶ会」の今後の発展もまた、この「他動的」にかかっているのではないのか。

そうです、“忙しく私ども「谷口雅春先生を学ぶ会」の講師をあちらからもこちらからも招ぶようになったら”

そういう状況を如何にしてつくりあげていくか、それに尽きると思っています。

その吉兆は既に出てきています。

それが、神癒祝福祈願です。

純粋に、尊師の教えそのままに祈願をさせていただいている…。

実際、すばらしい結果も出ています。

それが口コミとなって広がっている…。

どんどん申込み件数が増えていっているのです。

やはり、尊師の教えを純粋に護っている、これこそが決め手になる…。

それを目の当たりに感じています。

宗教法人を取得してから、何かが違ってきている…。

それを肌で実感している今日この頃です。


「大調和の神示」写経奉納のよろこびの輪がどんどん広がっています。組織会員の方もよろこんで実践なさっています… (12510)
日時:2020年08月08日 (土) 11時24分
名前:破邪顕正

新編『生命の實相』第8巻「聖霊篇」にこういうご文章があります(133〜135頁)。

《大通りのアスファルト道に三寸幅位の白線を引いて、それを踏み外さないように自転車で走れといわれたら、それは何の雑作もなく出来ます。しかし、かなり広い河の上に三寸幅の板を渡してその上を自転車で乗り切れといわれたら大抵失敗して墜落するだろうと思います…同じ三寸幅でも大道の上に描かれた白線だと少しも踏み外さないのに、河の上に三寸幅の板があったら何故踏み外すのでしょうか。…『これは困難だ』とまず認めているから墜落しやすいのです。…吾々は仕事を『河の上にある細板』だとは見ないで大道の上に引かれた線であって、落ちっこがないと信じてすらすらやることが必要です。それは大道が自分を受け支えていてくれると信ずるから失敗しないのです。仕事をする上に、自分を受け支えていてくれる大道とは『神』のことです。神の全能力が私を導き、私を受け支えていてくれるから失敗はない…》

落ちるんじゃないかという不安・恐怖の念があれば、普通に出来るものも出来なくなります。

今のコロナウイルス禍の問題は、この念に駆られる人がどんどん増えてきていることにあるのではないでしょうか。

そういうとき、最も大事なことは“神の全能力が私を導き、私を受け支えていて”くれているから大丈夫だという「大安心」の境地なのだと思います。

その心境に誘ってくれるのが信仰なのだと思います。

しかし、その信仰は、ただ「大丈夫、大丈夫」と空念仏のように称えるのだけであっては、如何にも弱い…。

やはり、その信仰を支える“行”が求められている…。

即ち、これを“行”じているからこそ大丈夫、そういう自己暗示こそが重要だと思うのです。

で、その“行”として、「谷口雅春先生を学ぶ会」では、3つを行ずるようにしています。

@「大調和の神示」の写経奉納を行う

Aご先祖の守護により家族一人一人が完全円満健康であるよう、盂蘭盆供養祭に向け霊牌供養を行う!

B聖経『続 真理の吟唱』にある「龍宮無量寿国に入る祈り」の100回読誦祈念を行う

とりわけ、今、大きな広がりを見せているのが@の運動であります。

組織の枠を超えて、知人の教団信徒の方にもお願いしましょうと提案させていただいたところ、快く受ける方がどんどん生まれています。

ただ、その際、住所・氏名は書かないで匿名で出すことを条件にされる方があります。

どこかで、そのことが教区にばれることを怖がっているからなのですね。

ところが、その一方で、ばれたらばれたで退会するきっかけが出来て、これ幸い…。

そういう腹の据わった信徒も出てきているというのです…。

これを聞いて、私は、教団内の空気が変わってきた…

実際、今回の「實相」額隠しで、きっかけがあれば退会してもいい、そこまで思っている信徒もいるという情報も耳にしています…。

とにかく、大切なことは、このコロナ禍で、如何にして大安心の境地に誘うか、そのための具体的な“行”を提示することである…。

今の写経のよろこびの輪をどんどん広げてまいりましょう。

このコロナ禍を、まさしく「転“禍”為福」のチャンスとしていこうではありませんか。


“3密”を避けるとともに“3行”の実践を通して、コロナ禍の今を“大安心”の心境で乗り切ろう! (12512)
日時:2020年08月08日 (土) 15時53分
名前:破邪顕正


新型コロナウイルスは、いまだ終熄する気配を見せていません。

いずれは、インフルエンザのような感じで受け止められる、そんな時代が訪れると見込んではいますが、それまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

当然、そこに到るまでには、何とはなしの不安、恐怖に苛まれるものと覚悟しなくてはなりません。

その上、現状のマスコミ報道ぶりが、実に煽情的で、それに拍車をかけてもいます。

そういうときだからこそ、尊師の御教えに触れた信徒として、表題に掲げたことを「合い言葉」にしていきたいと思うものであります。

思えば、『生長の家』誌「創刊号」を飾る“巻頭のことば”にはこうあります。

《…恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。
此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐すべき道を示さんとするのが『生長の家』の念願の一つである。》

そうであれば、なおのこと、大安心へと導く“行”がなにより大事になってきます。

更に、この“行”に加えて、“何かあったら神癒祝福祈願”ということで祈願を出す…。

それをまたお勧めするというのも大切な愛行の一つになってこようかと思います。

何のために、「生長の家」が立教されたのか。

その原点に立ち返って、この“3行”+神癒祝福祈願、それを多くの人にお願いしてまいりましょう。


“「大調和の神示」の写経奉納、108巻、これを奉納できたら、いつ、あの世に旅立ってもいい” (12524)
日時:2020年08月10日 (月) 16時45分
名前:破邪顕正


表題は、ある教団所属の信徒さんの言葉です。

何でも、それを勧められた方(勿論、吾らの同志です)の言葉に痛く感銘を覚えられたのがその理由だとか…。

どんな風に勧められたか。

「大調和の神示」に“感謝”の言葉は何個、あるか知っていますか?

14個です。

“和解”は?

13個です。

「大調和の神示」をはじめて写経された方が、これをすると心が落ち着くからと、それからは毎日一巻、写経するようになられた…。

そして、何といわれたか。

この「大調和の神示」を写経していて、ここには「感謝」と「ゆるし」の大切さが説かれているというのが分かった…。

そう言われたというんです。

「感謝」はわかります、14個もあるんですから。

しかし、「ゆるし」という言葉は1個も出て来ません。

でも、この方は、写経しているうちに、ゆるすことの大切さを感じ取られた…。

なるほど、確かにそうなんです。

何故、感謝できないのか。

それは、憎んでいるから、恨んでいるから…です。

つまり、ゆるしていないから感謝ができないんです。

はじめて「大調和の神示」と出会って、それを毎日、写経しているうちに、ここには「感謝」と「ゆるす」ことの大切さが説かれている…。

それがわかったというのも、やはり、毎日毎日、1巻ずつ写経されたからこそではないでしょうか…。

この話を聞いて、表題の方は、泣かれたそうです。

「大調和の神示」は勿論、知っているし、それこそ数え切れないほど誦げてもきた…。

しかし、“感謝”“和解”の数が何個か、そんなこと、少しも知らなかった…。

自分のこれまでの信仰が恥ずかしい。

初心に帰って、写経させていただきます。

もう88歳。

煩悩の数の108巻、これを決意いたします。

驚くのはそればかりではありません。

なかなか、勧め上手のこの同志、同じような108巻決意者を14名。

33巻決意者は20名。

何でも、108巻、33巻、双方の決意者を100名つくる。

それが目標なのだとか。

この同志に続け…。

ここから、新たな運動が生まれてくると確信しております。


御教えに触れた前と後とでは、性格、生活がこんなにも変わってくる。それが何よりの魅力であり伝道の力ともなる… (12530)
日時:2020年08月12日 (水) 15時45分
名前:破邪顕正


表題は、新編『生命の實相』第5巻「生命篇」を拝読させていただいて感じたことです(130〜133頁)。

《この「生長の家」の生活を始めない以前の私、つまり金剛不壊の自分の「生命」の実相を自覚しない以前の私は、絶えず此の悪い精神波動を起していましたので、不断に身体も悪く、心も不快だったのであります。》

当時、尊師はどんなふうな性格であられたのか。

えっ、と驚いたのがこれです。

吾々が知っている尊師のお姿からは想像だにできません。

《ちょっと胃腸が悪いと、「お昼にあんなお菜を食べさせたからだ」といって小言を言う。「お菜が半煮えであったから、そのために野菜の繊維素が不消化だったのだ」などという。…インキ壷をひっくり返してでも、これは自分が不注意であったのだ、自分が自己の円満完全な本性の自覚が足りなかったためにこんな失錯をしたのだとは考えずに、「お前がこんな所へインキ壷を置いておくものだからインキが引っくりかえったのだ」などという。或は「お前が呼んでも返事をしないものだから、手を揚げる拍子に袖が引っかかって机からインキ壷が落ちたのだ」などという。終いにはこれは自分が悪いのではない、親が私の性格をこういうふうに生んだのだなどとまで思ったりする、始末にいけない私だったのです。何事が起っても悪いことはみんな他の所為にし、皆他に責任を負わしてしまって、自分だけは責任のがれをしようと思う。》

尊師でもこうだったのかと、ある意味で、ホッとするところもあるのですが、そういう心であれば当然、運命、境遇も好くはなりません。

実際、尊師は御自ら、その「心の法則」を身にも環境にも現していたのだとこう仰います。

《人を恨む、その癖自分は同情されたい。その間じゅう私は神経衰弱で、不眠症になったり胃が痞(つか)えたり、下痢したり、震災に会ったり、泥棒に二度も這入られたりしていました。》

今、神経衰弱や不眠症で悩んでいる方が多いです。

そういう方の相談にあずかって「かつての尊師もそうだったんですよ」と言いますと、皆さん、異口同音に「エッ」と驚かれます。

で、尊師は、どのようにしてそれを克服していかれたか、お話させていただきます。

《人間というものはそんな他から支配されるような土偶人形ではない、自主独立的な神の子である、自分の肉体、自分の運命、自分の境遇は、自分で自由自在に変化させ得るものであるという真理をさとってからは、だんだん私の呟きも減って来ました。こうして自己の神性の自覚が出来まして、呟きが減って来ますと、私の身体も健康となり、以前には随分虚弱だった私が、会社生活の片手間にでも雑誌の執筆編輯から、他人の病気相談に至るまで、二重三重の激務に従事出来るようになって来ましたし、境遇もだんだん善くなりつつあるのであります。》

改めて痛感するのは、尊師は自らの体験を通して、真理による救いの素晴らしさを説いておられるのだということであります。

神性の自覚≠サれがすべてなのですね。

そうすれば、体も健康になるし、運命、境遇も一変する…。

今、何より大事なのは、この真理が如何に救う力があるか、それを自らの体験で実証することなのだと思います。

教えに触れて、性格がこう変わりました。

生活もこんなに良くなりました。

そのよろこびこそがまた伝道の力にもなっていくのだと思います。

草創期、「生長の家」が何故、広がっていったのか。

それは、まさしく信徒一人ひとりの性格、生活環境が劇的に変わったことにあります。

それをもう一度、蘇らす…。

「谷口雅春先生を学ぶ会」の明日は、まさに、それにかかっているのではないでしょうか。


『谷口雅春先生を学ぶ』誌・9月号の清野勝範さんの体験が大きな反響を呼んでいます。ぜひ、ご一読のほどを… (12535)
日時:2020年08月13日 (木) 13時34分
名前:破邪顕正


「真理」は体験に裏打ちされてはじめて力を持ちます。

毎月、『谷口雅春先生を学ぶ』誌には、会員のすばらしい体験が掲載されています。

最新号では、表題の清野さんの体験に、凄い反響が寄せられています。

ぜひ、お読みいただければと思っております。

清野さんの体験で、私が、ここが人生の分岐点、ターニングポイントだったと思った箇所があります。

そこのところを引用させていただきます。

〈そんな彼(註…勝範さん)は、どんな時でもお客様が一番で、お客様に頼まれたことは上司が「そんな品は儲からないからやめておけ」と言われても仕入れて間に合わせていました。そんな性格なので社長と喧嘩になり、ある時、社長が「俺の言うことが聞けないなら辞めろ」と言われ、「ああ分かった。すぐ辞めるが、この品物だけは今日中にお客様に届ける約束だから、それまでトラックは借りるよ」と言って会社を突然辞めてしまいました。〉

この社長とは波長が合わない…。

そう思ったら、社長に見切りをつけてスパッと辞める…。

で、勝範さんは独立して、その後、繁栄の道を歩んでゆくわけです。

世の中には、勝範さんとは逆で、波長が合わないのに「NO!」と言えないという人がいます。

そういう人を、周りは「人がいい、善人だ」と言います。

そういう人は断ることが苦手のようです。

断ることによって、人から嫌われるということを内心、恐れているからに他なりません。

で、そういう断れない人は、逆に、都合よく人に利用されます…。

波長が合わないのに、それに無理に合わせようとするから、その無理がたたって病気にもなったりする…。

新編『生命の實相』第5巻「生命篇」にこうあります(125〜126頁)。

《「生長の家の生き方」というものは、常に明るい生活であって、暗い影をもっていない生活であります。…本当の宗教的生活というものは、生命の実相を生かす生活でなければならないのであります。つまり大生命の波長と調子を合わした生活でなければならないのであります。「大生命」即ち神は自由自在な円満具足完全な、無限に生々として安らかな力に満ちた生命的波動というべきものでありますから、この生命的波動と調子を合わした生活こそ真の宗教的生活であって、その生活なら、ひとりでに実に明るい朗らかな生活となってくるのであります。よく道徳家とか善人とかいう人が病気になるというような場合には、往々その善人の心が暗いという場合があるのであります。心が暗ければ他の如何なる点で善人であってもその点で悪人であるということになるのであります。》

波長が合わないのに無理に合わせようとするから、どうしても暗くなってしまう。

それが問題なのですね。

どうして、こういう話をしたかと言えば、今の総裁と波長が合わないのに、それに無理に合わせようとしている信徒が多いように思うからです。

最近、教団信徒の表情が暗いという話をよく耳にします。

その背景に、こういう事情があるのではないのか…。

「俺の言うことが聞けないなら辞めろ」

総裁はそう言っているも同然なんですから、この際、辞めるというのも一つの大きな選択肢である…。

そこから却って道は開ける…。

清野さんの体験に、その大きな励ましをいただいたと思う次第です。



“自分の人生で一番の痛恨事は、一度も勝負をしなかったことだ”に思う… (12538)
日時:2020年08月14日 (金) 13時21分
名前:破邪顕正


表題は、『リーダーシップの本質』などの著書で知られる堀紘一氏のお父さんの言葉です。

父親は、駐イタリア大使で、プロ野球パ・リーグ会長などを務めた堀新助氏です。

「私は自分の父親を大変尊敬し、多くを学んできた」という堀氏が、きわめて大きな影響を受けたのが表題の言葉だそうです。

“上の命令には忠実であったが、自らの意思に命をかけることはできなかった…”

この言葉で、一時期はやった、「この世の中には二種類の人がいる」というのを思い出しました。

こういうものです。

「世の中には二種類の人間がいる。できる人間と、批判する人間だ」(レーガン大統領)

「世の中には二種類の人間がいる。できない理由を探す人と、できる方法を見つけようとする人だ」

さしずめ、この二種類で言えば、堀氏の場合、こういうことが言えそうです。

「世の中には二種類の人間がいる。上司にハイで生きる人と、自分の良心にハイで生きる人だ」

それでは、一体、何が、この両者に分かつのか。

それを教えてくれているのが、新編『生命の實相』第6巻「生命篇」です。

その中にこういうご文章があります(139頁)。

《全ての人の運命は熟慮の圏外にあるところの漠然とした力によって左右せられる、この漠然とした力は吾々の外にあって吾々の運命を左右しているといえば、それはどうにもならない宿命論になってしまう。しかし、此の吾々の運命を決定する力は…吾々が自己内部から「フト思いつく」という自分の内から催して来る潜在意識できまる。吾々自身の潜在意識というものは吾々の識閾外にあって、知らず識らずのうちに吾々の罪の自浄作用を起している。》

この「フト」がどちらに向くか、それで人生は大きく分かれていくのです。

今の教団信徒に当て嵌めれば、こういうことではないでしょうか。

今、辞めたら、これまで培ってきた人間関係が壊れてしまう。

何のための人生だったのか、振り返ったら、何もないということになりはしないか。

ひとりぼっちになるのだけは嫌だ…。

「フト」そんな思いが頭をもたげる…。

やっぱり、辞めるのは思いとどまろう…。

潜在意識裡に牢固としてある、このような不安や心配。

そういう念があれば、どうしてもそれに足を引っ張られてしまうのも致し方ないと思うのです。

「世の中には二種類の人間がいる。スパッと辞めれ切れる人と、なかなか辞め切れない人だ」

どうしたらいいか。

「世の中には二種類の人間がいる。一人だけでは勇気がでないという人と、みんなと一緒であれば勇気が出るという人だ」

『前掲書』を拝読させていただいて、改めて、潜在意識の重要性を再認識いたしました。

その不安、心配の念を消し去るには、結局は、仲間を増やすしかない…。

そう、決意した次第です。





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