「谷口雅春先生を学ぶ会」の飛躍発展には、一人ずつ、一歩ずつ、キメ細かくをモットーとして伝道に励むことが肝要なのでは… (12483) |
- 日時:2020年08月02日 (日) 14時02分
名前:破邪顕正
表題のことは、『人生の秘訣365章』を拝読していて痛感したことです(186〜187頁)。
《私は少年の頃、こんな話をきいたことがある。ある時、牛若丸と弁慶とがお櫃(ひつ)一ぱいの御飯を練ってどちらが早くソックイ(飯粒をこねて粒をなくしてネバネバの強靭な接着剤につくったもの)にそれをすることが出来るか競争したというのである。弁慶はこれしきの飯粒(めしつぶ)位一ぺんに摺りつぶして見せるぞと、全部の飯を板の上にあげて、大薙刀(おおなぎなた)をもって摺りつぶし出した。牛若丸は小さな竹箆(たけべら)をもって十粒位づつキメこまかく飯粒を摺りつぶして、完全にそれが摺りつぶされると、又次の十粒位の飯粒を摺りつぶした…最初は弁慶が一網打尽的に速かに全部の飯粒が摺りつぶされるかと見えたが、最後にちかづいてくると、どうしても完全にキメ細かい接着剤にならないで、一部ママコ(充分につぶされていないで粒状になっているもの)になったところを生ずるのであった。そして到頭、十粒位づつキメ細かく摺りつぶしていた牛若丸の方が勝ったというのである。 これは少年の時に母からきいた話なので、作り話か、憶え違いか知らないが、手近にいる数人を次から次へとキメ細かく光明化する方が、大々的宣伝をして人類全体を一ペンに光明化しようというようなやり方よりも著実に実効があがるものだと考えられるのである。ある宗教が今日の如き多くの信徒数を得たのも、信徒全体が自分に触れる人たちを一人のこらず信徒にしようとキメこまかく伝道しているからだといえるのである。人類全体の光明化は自分の身辺をキメこまかく光明化するにあるのである。》
思えば、尊師も『生長の家』誌の1,000部の贈呈愛行から、この運動を始められたのでした。
友人や知人等の名簿を頼りにしていかれたわけです。
“自分に触れる人たちを”
この精神こそが、今、最も大事な心構えなのだと思います。
ある会員さんの話です。
よくお世話になっている主治医さんに、毎年、『光明日訓(日めくり)』を愛行しておられる。
で、その会員さんの信仰姿勢に感動されて、何と、その「日めくり」を診察室に掲げられるようになった。
そのお医者さんがこう言われたというのです。
〈「病は無い」という言葉を見た時、僕は医者だよ。こんなもの掲げられない、最初はそう思った。ところが、それを見た患者さんが、すごく、その言葉に勇気づけられるそうなんだ。患者さんがよろこぶのであれば、掲げてもいいかと思ってそうしてきたけど、最近、「病は無い」という言葉、実に味わい深いなあと思うようになってきた。谷口さんという方は偉い方だね〉
考えてみれば、『生命の實相』にはお医者さんがよく出てきます。
また、新編『生命の實相』第11巻「実証篇・精神分析篇」の「編者はしがき」にもこうあります。
〈谷口雅春先生は日本における精神分析の草分けと言っても過言ではない。…今でこそ、個人指導、いわゆるカウンセリングといえば少しも目新しい感じがしないが、谷口雅春先生は、それを宗教界のみならず、日本社会にあっていち早く導入されたのである。まさに、カウンセリングの分野でも先駆者である。当時の知的階層の多くの人々が、『生命の實相』を紐解いていたというのも頷けることである。〉
自らの主治医もまた「自分に触れる人」に他なりません。
今回の新型コロナウイルス禍で、医師や看護師等、医療従事者は、どこかで恐怖感をもっているそうです、「御守り」を持つと何となくホッとするという話も伺いました。
今、奇蹟を呼び起こしている“健康成就のお守り”を愛行する、またとない機会とも言えます。
不安、恐怖がヒタヒタと忍び寄る時代状況だからこそ、大安心に導く、この御教えをお伝えする絶好のチャンスとも言えます。
一人ずつ、一歩ずつ、キメ細かく、自分に触れる人に伝道してまいりましょう。
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