《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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神棚には「神鏡は置きません」???これでは「三種の神器」の意義も分からないでしょうし、“皇位の一貫性・連綿性・神聖性”についても理解しえないでしょう。だから… (12405)
日時:2020年07月22日 (水) 15時14分
名前:破邪顕正


表題は、『“新しい文明”を築こう』(中巻)に出てまいります(170頁)。

〈神鏡を置くことで「天之御中主大神」の神名が見えにくくなり、唯一絶対神の御徳を意識する力が限定されるおそれがありますので、神棚には置きません。〉

そうですか、“見えにくくな”るから置いてはいけませんか?

それを言うのだったら、「七重塔」「お社」の設置で「實相」額も“見えにくくな”ってしまいましたが…。

それとも、何ですか。

「實相」額は見えなくなってもいいが“「天之御中主大神」の神名が見えにくくな”るのはいけない…、そういうことでしょうか。

もし、そういうことでありましたら、こちらもハッキリと言わせていただきます。

そもそも「天之御中主大神」とは絶対神でしょ。

見えてしまったら絶対神とは言えませんから、見えなくて当然のはずです。

にもかかわらず、そういう絶対神を敢えて“神名”にして見えるようにするというのはどういうことでしょうか…。

却って絶対神を貶めることになるのではありませんか…。

いったい、どういう教え、どういう論拠に基づいて、「天之御中主大神」の“神名”を祀ることができるのでしょうか。

少なくとも、そういう教えは尊師の教えにはありません。

尊師の教えにないとすれば、それはもはや現総裁の考えに依るとしか考えられません。

創始者の教えに基づかず、総裁の考えで祭祀する…。

それではもはや、本来の「生長の家」の教えとは申せません。

明らかに別教団、雅宣教団、“造化の三神”教団というほかはありません。

それを前提として、今回、申し上げたいのは、何故、神棚に神鏡を置くのか…。

この(中巻)には、その宗教上の重大な意味が少しもわかってはいないということなのです…。

例えば、『秘められたる神示』の「實相金剛身の神示」において、尊師はこうお説きになっておられます(92〜93頁)。

《私が皇位の神聖性≠ニ書いたのは天皇家の神聖性≠ニ言うよりも、もっと深い意味をもっているのであります。それは『日本書紀』にあるところの天孫降臨の神勅―
「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、これ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ、行矣。宝祚の隆えまさんこと。当に天壌と窮りなかるべし。」
及び齋鏡の神勅―
「吾が児、この宝鏡を視まさむこと、まさに吾を視るが如くすべし」
によって、日本の皇位なるものは、三種の神器の授受によって、其処にその連綿性を象徴されることになっているのであって、南朝北朝の争いのあったときにも皇位の授受には必ず神器の授受によってその連綿性が授受されていたので、如何に皇族であっても、神器を授からない者は天皇になることはできなかった―此処に、皇位なるものは単なる血脈のみによるものでなく更に高次のみくらい≠フ天授がありて、皇位の一貫性・連綿性・神聖性が完全に護持され来ったのであります。》

ここにある、皇位の一貫性・連綿性・神聖性≠ノついて、思いが及ばない人が、安易に「女系天皇」に賛同するのではないでしょうか。

だって、この「女系天皇」とは、言うなれば、皇統とは別の“ちち系”に皇位が移り、初代の神武天皇以来、万世一系、護持されてきた皇統が断絶されてしまうことを意味するわけですから。

そういうことに現総裁は賛同しているわけでしょ。

なるほど、“神鏡は置きません”と平然と言ってのけるような人であれば、そうなるのも無理はないと妙に納得した次第です。

こういうところにも、“背教総裁”と言われても致し方ない面があると思った次第です。




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