《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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現教団には、「住吉大神」がおられない。「神想観」を守護し給う神様を排除してしまいました。このことが何より重大な問題なのです… (12394)
日時:2020年07月21日 (火) 10時31分
名前:破邪顕正


『“新しい文明”を築こう』(中巻)には、神想観の第四首の説明がこう記されています(202頁)。

〈最後の部分は、「このような大生命が人格的に現われ、私たちに道を示してくださろうとしている生長の家の神様、お守りください」ということになります。〉

それでは、ここに言うところの“人格的に現われ”られた“生長の家の神様”とは、一体、具体的に何をさすのでしょうか。

それが、この文章では、一向に明らかにされてはいません。

否、明らかにはし得ない…。

それこそが、今の教団の最も重大な問題なのです。

そう思う所以を書いておきます。

まず、“人格的に現われ”とある以上は、絶対神である“造化の三神”を指さないことは論を俟ちません。

それでは、何を指すのか。

それを知るために、新編『生命の實相』第14巻「観行篇」から学ぶことにいたします。

《招神歌によって「神想観」を守護し給うべく顕れたまいし生長の家の神を招神し奉りて、不完全な止観(不完全な精神統一)の中途の状態に於て吾らに禍いせんとする陰魔、外魔、時魅等の魔障を防ぎて後方の障礙を全然断ち、同時に心をひたすら大生命なる親様に集中して、何の危なげもなく、親さまなる大実在と一体となる修行が出来るところに特長があるのであります。》(23〜24頁)

ここには、「招神歌」の大切さが記されています。

それによって様々な霊障にかかることなく、“何の危なげもなく、親さまなる大実在と一体となる修行が出来る”からです。

その大切な「招神歌」とは、“「神想観」を守護し給うべく顕れたまいし生長の家の神を招神し奉”ることであるわけです。

即ち、“生長の家の神”とは、“「神想観」を守護し給うべく顕れた”神様であるということがわかります。

更にこうも記されています。

《何でも好い、早く霊覚が欲しいとか、予言力がほしいとか、崇拝の対象がアヤフヤな念願では時として低級な霊魂が憑って来ます。それを防ぐために、吾らは「招神歌」と「祈り」とによって宇宙最高唯一神に心を馳せ、同時に「生長の家の大天使」を実修の指導者として招神し、その守護を仰ぐのであります。》(50頁)

ここで、具体的に、“「神想観」を守護し給うべく顕れ”、“実修の指導者として招神し、その守護を仰”ぎ奉るのは「生長の家の大天使」であるということが示されます。

この「大天使」について、こう説明されます。

《生長の家の「神想観」の指導は私の守護神がするのではなく、今度人類光明化の大運動を神界より人間に向けて始められた、唯一神の救いの霊波の人格化なる神界の大天使たる「生長の家の神」がせられるのであります。》(57頁)

ここにはっきりと「生長の家の神」とは、“人類光明化の大運動を神界より人間に向けて始められた、唯一神の救いの霊波の人格化なる神界の大天使”であると示されています。

で、ここからが今回、申し上げたいことなのですが、この「大天使」について、こう記されているのです。

《『生命の実相』に時々出て来る「某月某日神示」とあるのを妙にお考えになる方もありましょうが、この「生長の家の大天使」の黙示であります。》(57〜58頁)。

つまり、「神想観」を守護し、尊師に33もの神示を天降し給うて「生長の家」の立教へと導いたのは、まさしく「生長の家の大天使」に他ならないということなのです。

ご存じのように、この「神想観」は、尊師が、毎朝五時に開く“勇湯”という銭湯で身を浄められ、本住吉神社に参拝され、日本国の隆昌とご皇室の弥栄を祈念、そのあとご自宅で静座黙然の行を修めておられるときに神授せられたものであります。

即ち、「生長の家の大天使」とはまさしく“住吉大神”のことにほかならないのです。

ところが、現教団は

@生長の家の神様を、この“住吉大神”から“造化の三神”へと取り替えたのです。

A続いて、「實相」額の前に、「七重塔」と“造化の三神”を神霊符を納めたお社を設置して、それを礼拝するように強制してきました。

Bその上、礼拝の際の言葉を「實相の御額を通して宇宙の大生命に礼拝いたします」から「『七重塔』と“造化の三神”のお社を通して宇宙の大生命に礼拝いたします」に変更したのです。

つまり、これによって、現教団の神様は完全に「住吉大神」ではなくなったのです。

ということは、もはや、現教団に「住吉大神」はおられないということなのです。

このことが何より重大な問題なのです。

信徒が「神想観」を実修しても、それを守護し給う「住吉大神」がおられない以上、ご守護される保証がないということになるからです。

「神想観」が「神想観」でなくなる…。

神様を取り替えたことによる重大問題を、教団信徒は、これから先、否応も無く深刻に受け止めざるを得ないだろうと私は見ています。


毎朝の「聖使命菩薩讃偈」を拝読させていただいて思う… (12402)
日時:2020年07月22日 (水) 08時04分
名前:破邪顕正


宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」は、「聖使命菩薩会員」の皆様の尊い“挺身・致心・献資”の真心に支えられて運営されています。

そのことへの感謝の思いを込めて、毎朝、「聖使命菩薩讃偈」を読誦させていただいています。

その冒頭にこうあります。

《掛巻くも畏き宇宙の大神、人類の苦悩を見そなわし、応化して仮りに聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂う。》

つまり、「宇宙の大神」が“応化して仮りに聖姿を顕じ”給うたのが「生長の家」であるということなのです。

やはり、ここでも、「生長の家の大神」とは“応化神”に他ならない…。

即ち、、「生長の家の大神」とは「住吉大神」であると言って間違いはないということなのです。

その神様を“造化の三神”教団は、取り替えてしまったわけです。

それでは、「聖使命菩薩讃偈」も成り立たないのではないのか…。

「聖使命会員」が減少していくのも無理はないと思うものであります。




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