「毘沙門天」さんへ。神様の取り替えは「神想観」を意味ないものにしないかと予見します… (12326) |
- 日時:2020年07月04日 (土) 18時02分
名前:破邪顕正
「毘沙門天」さんがご紹介くださっている、尊師の2つのご文章。
私も、大変、重要であると思って紹介させていただきました。
〈尊師いませば現総裁は“義絶”されるに違いないと私が確信する、その理由を書いておきます… (12240) 日時:2020年06月21日 (日)〉
〈何故、宗教的奇蹟が生まれるか、必ずその背後に宗祖の人格を中心とする一群の護法の守護神≠フ活躍がある。宗祖の人格の感化がうすれ≠驍ニその奇蹟がなくなる… (11995) 日時:2020年05月20日 (水)〉
私は、今回の総裁のやった、神様の取り替えは、まず「神想観」を意味ないものにするのではないかと畏れます。
多分、総裁は、いずれ、招神歌の四首目「生長の家大神守りませ」の生長の家大神とは造化の三神だと説明するでしょう。
そうしないと、今回、神様を取り替えたことの意味がなくなるからです…。
では、造化の三神が果たして具体的に「守りませ」、お守りするというお働きをなさるでしょうか。
造化の三神は、絶対神であって、具体的なお働きをなさる神ではありません。
もうそこからして論理が破綻しています。
そもそも、「神想観」というのは、尊師が本住吉神社において、住吉大神から神授せられたものであるわけです。
その歴史的事実は絶対に覆すことはできません。
私は、今回の総裁のやったことは尊師の神観を根底から覆すものであり、生長の家を否定する以外のなにものでもないと思っています。
その思いを、これからも言いつづけていかなくてはならないと思っています。
投稿、誠にありがとうございました。
|
|