『谷口雅春先生を学ぶ』誌・8月号、中島代表の文章を読ませていただいて… (12315) |
- 日時:2020年07月02日 (木) 14時24分
名前:破邪顕正
今回、私の目に留まったのがこの文章です。
〈聖地の近くへ転居
『生命の實相』自伝篇(新編第33巻117頁)「(関東大震災後、)老人達と別れて住む方が好いので、阪神沿線の住吉村へ移転した」何軒目(?)かの近くに、本住吉神社があった。谷口雅春先生は毎朝、身を潔め、右神社に参られ、日本国の隆昌と皇室の弥栄を祈られ、住吉大神の霊感を戴かれた。皆さまご承知の通りである。〉
何故、これが大事なことなのか。
言うまでもなく、総裁が、今、「住吉大神」を外して「造化の三神」を礼拝するようにしたからにほかなりません。
代表は、「皆さまご承知の通りである」と書いておられますが、それを恰も無視するかのように、総裁は勝手に神様の取り替えを行ったのです。
総裁は、一体、何故、そういうことを強行したのでしょうか。
代表の文章を借りれば、総裁は、尊師が「右神社に参られ、日本国の隆昌と皇室の弥栄を祈られ、住吉大神の霊感を戴かれた」ことが、気に入らなかった…。
住吉大神を礼拝する以上は、常に、この「日本国の隆昌と皇室の弥栄を祈」るということが出てくる…。
総裁は、それを何としても無くしたかった…。
そう考える以外に、今回の神様の取り替えの説明がつかないのです。
代表は、こうも書いています。
〈小野泰博氏の評伝『谷口雅春とその時代』210頁には、大正14年1月、武庫郡住吉村梅ノ木、15年8月、御影町柳ノ川に転居。そこから右の日課≠ニある。ご両親の家から本住吉神社に近い藤棚の家に至る道すじの大きな図いは霊妙である。もとより初めから、右神社を目標(ゴール)として借家を探された意図は毛頭なく、自ずとそこへ定められたのである。住吉大神の遠大なる図いか。〉
つまり、尊師は、住吉大神に導かれるようにして本住吉神社の近くに転居なさったわけです。
それをもって、代表は「住吉大神の遠大なる図いか」と書いておられます。
この図い≠ェあって、昭和4年12月13日、尊師はご存じのように「今、起て」の神啓を受けられていくわけでしょう。
だったら、誰がどう考えてみても、この住吉大神を外すということは、絶対にあってはならない…。
それをやってしまったら、もはや生長の家は成り立たない…。
何度でも言いますが、それを総裁は敢えてやってしまったのです…。
「生長の家は死んだ」と言われても、これでは致し方ないのではありませんか。
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