《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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後世の史家は、2020年をもって世界の大転換の年というのでは。「香港が死んだ」そして本来の「生長の家も死んだ」。住吉大神から造化の三神を礼拝する教団へと様変わりしたのですから…。 (12313)
日時:2020年07月02日 (木) 09時07分
名前:破邪顕正


7月1日の産経新聞一面「香港は死んだ」は実に衝撃的でした。

大量の逮捕者が出たことを見て、もはやそれは現実、決して誇張ではないと思うに到りました。

2020年は、まだ半年しか経過していませんが、武漢コロナ≠フ発生といい、何か世界大転換の年となりそうな予感を抱いています。

その年に、教団は住吉大神から造化の三神を礼拝する教団へと大きく舵を切ったわけです。

それを見て、私は「生長の家も死んだ」と思いました。

「死んだ」とは思えない人のために、「四馬の譬え」という話をご紹介します。

一番目の馬は、騎手が鞭を振りかざしたその影を見て走り出す馬で、もっとも良い馬。

二番目の馬は、毛の先に鞭が触れて走り出す馬。

三番目は鞭が肉に触れてから走り出す馬。

四番目は鞭を何度打っても気付かず肉を裂き、骨に達してやっと走り出す馬。

お釈迦様はこの「四馬の譬え」で何をお伝えなさろうとしたのでしょうか。

そうです、「死」についての心構えでした。

第一の馬は、他の村や町で死人が出たと伝え聞いて、自分の死のことを考え、うかうかしてはおれんと求道の心をおこす人を意味しています。

第二の馬は、隣村じゃなくて自分の村に死人が出たと聞き、これを我がこととして目覚め行動する人のことです。

三番目の馬というのは、自分の愛する親族や親しい友人が亡くなって自分も死ぬのだと自覚し行動する人。

それでは、四番目の、幾ら打っても走らない馬は何に喩えられているのか。

そうです、自分自身に、いよいよ死期が迫って、それでようやく死を自覚する人のことです。

しかし、その段階で如何に求道の心を起こしても、もはや手遅れ…。

すなわち、いつ目覚めるか、それがとても大事なことなのだと、この四馬の喩えをもってお諭しくださっているのです。

何を申し上げたいか。

今の香港を見て、これは明日の台湾だ、沖縄だ、そして日本だ…。

そう感じきれるかどうか、それが問われているということです。

同様に、今回の教団の神様の取り替えを見て、その先に何を感じきれるか…。

私は、一貫して、総裁は確信犯≠ナあり、背教の徒≠ナあると申し上げて参りました。

しかし、なかなか同感してくれる人はそうはありませんでした。

しかし、今回の神様の取り替えを見て、これは尊師の教えとは違う、真っ向から反している…。

やはり、言われていたように背教¢麹ルだ…。

そう受け止めてくれた人がチラホラ出てきたことは本当に有難い限りです。

しかし、まだまだ、そこまで捉えきれている信徒は少ないのが現状でしょう…。

だからこそ、「四馬の譬え」の話をご紹介させていただいた次第です。

2020年、立教90年をもって、尊師の創始なされた「生長の家」は終わりを告げました。

終わるのもあれば、その一方に、新たに生まれるものもある…。

そうです、ちょうどこの年に、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、宗教法人を取得して、新たな宗教団体として生まれ更わったのです。

この2020年、令和2年、すべてはここから始まった…。

後世の史家が、こう青史に刻み込んでくれるよう、その大いなる希望を抱いて前進してまいりたいと思っております。



『谷口雅春先生を学ぶ』誌・8月号、中島代表の文章を読ませていただいて… (12315)
日時:2020年07月02日 (木) 14時24分
名前:破邪顕正


今回、私の目に留まったのがこの文章です。

〈聖地の近くへ転居

『生命の實相』自伝篇(新編第33巻117頁)「(関東大震災後、)老人達と別れて住む方が好いので、阪神沿線の住吉村へ移転した」何軒目(?)かの近くに、本住吉神社があった。谷口雅春先生は毎朝、身を潔め、右神社に参られ、日本国の隆昌と皇室の弥栄を祈られ、住吉大神の霊感を戴かれた。皆さまご承知の通りである。〉

何故、これが大事なことなのか。

言うまでもなく、総裁が、今、「住吉大神」を外して「造化の三神」を礼拝するようにしたからにほかなりません。

代表は、「皆さまご承知の通りである」と書いておられますが、それを恰も無視するかのように、総裁は勝手に神様の取り替えを行ったのです。

総裁は、一体、何故、そういうことを強行したのでしょうか。

代表の文章を借りれば、総裁は、尊師が「右神社に参られ、日本国の隆昌と皇室の弥栄を祈られ、住吉大神の霊感を戴かれた」ことが、気に入らなかった…。

住吉大神を礼拝する以上は、常に、この「日本国の隆昌と皇室の弥栄を祈」るということが出てくる…。

総裁は、それを何としても無くしたかった…。

そう考える以外に、今回の神様の取り替えの説明がつかないのです。

代表は、こうも書いています。

〈小野泰博氏の評伝『谷口雅春とその時代』210頁には、大正14年1月、武庫郡住吉村梅ノ木、15年8月、御影町柳ノ川に転居。そこから右の日課≠ニある。ご両親の家から本住吉神社に近い藤棚の家に至る道すじの大きな図いは霊妙である。もとより初めから、右神社を目標(ゴール)として借家を探された意図は毛頭なく、自ずとそこへ定められたのである。住吉大神の遠大なる図いか。〉

つまり、尊師は、住吉大神に導かれるようにして本住吉神社の近くに転居なさったわけです。

それをもって、代表は「住吉大神の遠大なる図いか」と書いておられます。

この図い≠ェあって、昭和4年12月13日、尊師はご存じのように「今、起て」の神啓を受けられていくわけでしょう。

だったら、誰がどう考えてみても、この住吉大神を外すということは、絶対にあってはならない…。

それをやってしまったら、もはや生長の家は成り立たない…。

何度でも言いますが、それを総裁は敢えてやってしまったのです…。

「生長の家は死んだ」と言われても、これでは致し方ないのではありませんか。



神様を取り替えたことで、総裁は法燈破壊者≠ニなってしまったのだという認識をなすべきです… (12319)
日時:2020年07月03日 (金) 15時23分
名前:破邪顕正


総裁は、なるほど「日時計主義」等の教えを説いてはいます。

しかし、それは、尊師が立教されたあとの世界に他なりません。

大事なことは、その立教に到るまでの物語、そこにあるのではないでしょうか。

尊師がどんな求道の果てにホンモノの神を見出されたか…。

尊師はどのようにして住吉大神に導かれたのか…。

尊師に「神想観」が天降ったのはどういう経緯からか…。

尊師に「神示」が天降ったときには、どういうドラマがあったのか…。

そして、「今、起て」の神啓が天降ったとき、尊師はそれをどう受け止められたのか…、等々。

それこそ、一つ一つが大きなドラマであり、それがあるからこそ、また立教そのものが実に劇的であり、際立っているのです。

ところが、総裁は、そういう世界を全て捨象してしまっている…。

思うに、その世界に立ち入ったら、尊師の偉大さが際立ち、信徒の尊師に対する憧れが強まり、尊師への帰依する心が高まっていく…。

そのこと自体を総裁は畏れた、嫌がったからだと思うのです。

それより何より、立教までの世界に踏み込めば、絶対に住吉大神を外すことなどできなくなってしまう…。

それは何としても避けなければならないことである…

だからこそ、総裁は立教までのことには立ち入らない、言及しない、否、言及しえないのだと私は見ています。

さて、中島代表は、今回の文章の最後をこう締めくくっておられます。

〈最も旧い本社

『神の真義とその理解』第3篇第3章「住吉大神の出現の由来因縁」208頁に、全国5千社と言われる住吉神社のご宗社は、通説の元官幣大社・住吉大社(摂津国一宮・ご神殿が国宝)ではなく、本住吉神社である由緒が記紀や風土記など幾多の資料で克明に書かれている。神功皇后による御創始(皇紀862年)で最も旧い故の本≠ナある。尊師が世間的に有名な大社でなく、歴史的に正統な本住吉神社に神縁を得られた事は「天爵(てんしゃく)とも申すべき御仁徳とご炯眼」(前掲書209頁)とある。
 生長の家はこのようにして成り、龍宮住吉本宮に住吉大神を顕斎されるに到ったのである。〉

代表の文章を読んで、改めて「本住吉神社に神縁を得られた事」の深い意味を感じざるをえませんでした。

そして、尊師は、この世での最後のご使命を「龍宮住吉本宮に住吉大神を顕斎される」ことで果たしていかれたわけです。

にもかかわらず、総裁は、そのご祭神を住吉大神から造化の三神に替えてしまったのです。

尊師の御思いを何と心得ているのだろう…。

よく、そんなことができるものだと、心底、驚き、悲しみ、怒りを覚えたものであります。

そして、とうとう、今度は、教団の神様を住吉大神から造化の三神へと取り替えたわけです。

もはや、ことここに到っては、尊師の創始せられた「生長の家」を完全に破壊するものというほかはありません。

「法燈」の継承者というのは、真っ赤な偽り。

その実態は法燈破壊者≠ネり。

それが総裁に呈したい名称であります。


「生長の家は死んだ」という私の思いは奈辺からきているか… (12332)
日時:2020年07月05日 (日) 14時32分
名前:破邪顕正

この度の神様の取り替えは、生長の家そのものを根本から変える、立教以来の最大の事件であり、最大の危機であると私は認識しております。

つまり、立教90年を境界として、生長の家は全く別物の団体に変わった…。

住吉大神を礼拝してきた90年、それに対してこれからは造化の三神を礼拝するようになったからです…。

当然、これからの教団は、造化の三神を礼拝することに前のめりになることでしょう。

それがどんな問題を引き起こすか。

@まず、教団内では、「神想観」が重きをなさないと予見します。

『神と偕に生きる真理365章』の中に「住吉大神の由来について」と題してこうあるからです(298頁)。

《古事記によると、日子穂穂出見尊が海辺に立って泣いていられるところへ来て、塩椎神さまは、その泣きいたまう理由をおたずねになり、「目無堅間の小船」をつくって、龍宮海に御案内申し上げたら、龍宮海は、失われるもの≠フない世界であるから、その鈎は直ちに見つかったのである。
 この古事記神話に示されている「目無堅間の小船に乗る」というのは、神想観を実修して無時間無空間の「無」の関門を突破して、超次元の世界≠ノ入るということである。そして超次元の世界(龍宮海)に達したならば、そこは一切の失われものはない、本源の世界であるから、「相食む者なく、病む者なく、悲しむ者なく、乏しき者なき世界」なのである。そして、そこは全く住みよき世界即ち、住吉の世界≠ナある。それゆえに、この実相世界の塩椎の大神の別名を住吉大神と申し上げる。古訓では「すみのえのおおかみ」と読むのである。》

ここにありますように、「神想観」を導きたまうたのが住吉大神であるわけです。

その住吉大神を外すわけですから、当然、「神想観」の意味も分からなくなる…。

造化の三神を教団の神様としたら、「神想観」がなぜ生まれたのか、その説明がつきませんから、必然的に、「神想観」の位置づけも低くなると私は見ます。

A続いて、「全く住みよき世界即ち、住吉の世界=vを実現するという使命感が無くなるということも大きな問題です。

教団は、今後、ますます単なる環境保護団体になっていきます。

それがどういう結果を生み出すか。

環境保護では、後継者が育たない、それが一番の問題となります。

もし、私が今の教団と出会って、環境保護に人生を賭けるかといったら、とてもそんな気にはならなかった…。

それだけは断言できます。

だって、環境問題に本気で取り組んでいるところは、ほかにもたくさんありますから…。

つまり、何もそれは生長の家でなければならないという必然性がない、それこそが一番の問題なのです。

しかも、それがサヨク運動の流れにあるとなっては、正直、興ざめです。

B更に、宗教的救いがなくなるという致命的な問題も指摘しておかなければなりません。

宗教の使命とは、はっきり言って、救いにあると言っても過言ではありません。

ところが、今の教団では、その根本的救いがもたらされない。

聖典『生命の實相』を失い、「聖経」もない、その上「實相」額も必要ない…。

そして「神想観」も重要視されないとなれば、一体、何によって救われるというのですか…。

環境保護の運動では、信徒も本気になって伝道しようともしないでしょう。

子や孫に御教えを伝えるということもしないでしょう。

自分だけの信仰でいい…。

こういう信仰の利己主義者ばかりの教団となってしまっては、教勢を盛り返すなどということは、とても考えられない…。

教団はもはや坂道を転がり落ちていくような感じで教勢を落としていくでしょう。

尊師が残された巨大な資産を食い潰していくだけになるでしょう。

それがはっきりと予見されるからこそ、尊師の御教えをお護りする私たちの使命が大きいのです。

宗教法人を取得できたということは、神様からその使命を託されたということです。

その責任を自覚して、教団の受け皿として確固たる存在へと生長、発展していかなくてはならないと思っている次第です。




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