「トキ」さんへ。いつから、誰によって宗教的愛のない教団になってしまったのか、ご存じですか…。 (12312) |
- 日時:2020年07月01日 (水) 18時13分
名前:破邪顕正
これは「トキ」さんも書いていたことだったと記憶していますが、森田征史・元理事の葬儀も教団は実に冷たい対応でした。
教団に、あれだけの貢献をもたらした森田先生でありましたのに、教団幹部の参列はありませんでした。
何でも、参列してはならない“空気”が支配していたようです。
「村八分」というのがあります。
村落などの閉ざされた共同体内で行われた制裁の一種で、共同体の秩序を乱した者とその家族に対し、それ以外の共同体全員が申し合わせて、十種類のコミニュケーションのうち葬式と火災の二つを除いて絶交するというもの。
つまり、「村八分」はしても、葬儀と火事だけは別…。
ところが、教団は、その葬儀において絶好させようというのですから、「村八分」よりも酷い…。
そういう冷たい、宗教的愛のない教団となったのは、実は「生政連」会長であられた玉置和郎先生の葬儀のときが最初でした。
今の総裁が、その葬儀に参列してはなにらない…そういう雰囲気をつくっていったのです。
だから、玉置先生の葬儀に参列した方は、当時、ばれたら首になってもいい、そのくらいの覚悟で参列したと言います。
生前、お世話になった、大恩ある方の葬儀であれば、万難を排して参列する、それが日本人の魂(こころ)というものでありましょう。
ところが、総裁はそれを許さない…。
思えば、あの尊師のご葬儀に際しては、大本教からも代表者が参列なさっていました。
大本教を脱退した尊師であるにもかかわらず…です。
因みに、大本教から、当時、尊師はどう見られていたか。
『大調和』(有留弘泰・著)には、こうあります(72頁)。
〈谷口先生は大本時代、青年講師のピカ一で、ことに若い求道者の憧れの的であった。頭はとびきりよく、霊感もあり、大道場の講師でもあり機関誌にもよく執筆されていたので、私も当時一青年として好んでお話を聞き教えられるところ多く、したがって衷心から尊敬を払っていた。ただ第一次の弾圧前後に去ってしまわれたので、当時の大本人からの評判はあまり香しくなかった。〉
それでも、大本教は代表者を送られたのです。
それが宗教的愛というものでありましょう。
それが、総裁によって全く消失してしまい、「トキ」さんがいうように、
「あの方は退会されたのですから、葬儀に行く必要はありません。」
こういう言葉が堂々と罷り通るような教団になってしまった…。
そういう冷たい組織に、教団に、どうして、そこまで我慢して残る必要があるのでしょうか。
「葬式が寂しくなるから」という方には、こう問い返したい…。
それを言うのならば、次の境涯で、尊師にお会いしたときに、何とご挨拶するのですか?
そちらの方が、信仰者としては、よほど大事なことなのではありませんか。
それとも、死んだら終わり、尊師とお会いすることはないとでも思っているんですか?
もとより、そういうことを申し上げても詮ないことだとは思っているのです。
大事なのは、この世であって、何とか孤立せず、人と人のつながりを保っておきたい…。
それが人情というもの、私なりに充分に理解しております。
だからこそ、そういうことも含めて、大事なことは、「谷口雅春先生を学ぶ会」の真理の仲間作りに全力をあげることなのだと思っています。
人は仲間の多い方についていく…。
それが現実だと思っていますから…。
そのために、今、考えている具体案を提起させていだたきます。
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