《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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洗礼を受けないのではキリスト教信徒とはいえません。ところが、生長の家では、洗礼を拒否した人が、その総裁となっている、その矛盾こそが教団変質の源です… (12296)
日時:2020年06月30日 (火) 09時45分
名前:破邪顕正


今日は6月30日、日本橋練成道場では、「晦大祓式」が執り行われます。

武漢ウイルス≠フ禍のみならず、神様を取り替えた生長の家現教団の迷い≠も吹き払う御祭りにしてまいりたいと思っております。

さて、表題のことは、『谷口雅春先生のご日常』にある「魂の洗礼」(176頁)を読んで思ったことです。

〈『生命の實相』によっていかに多くの人たちが救われ、浄められているかということはすでに衆知のことであります。『生命の實相』の中に先生がいらっしゃるのであり、先生のいのちのひびきや雰囲気が文章の調子となって躍動しているのであります。『生命の實相』をひもとくだけで、吾々は誰でもたやすく魂の洗礼をうけられるという幸せを与えられているということは唯々感謝の外はありません。〉

『生命の實相』を拝読することは「魂の洗礼」を受けることにほかならない…。

この言葉に得も言えぬ感動を覚えました。

確かに、尊師も同様のことを仰っておられます。

『實相と現象』の中にこのようなお言葉があるからです(25頁)。

《皆さんは『生命の實相』を読んで、そして人間は肉体に非ず、物質に非ず生命であるということを本当に知ったら、もう「霊によって生れ更った」のである。「自覚によって洗礼を行っている」という事になるのであります。》

何を申し上げたいか。

ご存じのように、総裁は、『生命の實相』は古いといい、それをテキストとした誌友会や勉強会を禁じました。

そのために、信徒が『生命の實相』を拝読していようものなら、教区幹部から「そういうものを読んでいると原理主義者になるわよ」と脅迫されたりもしたわけです。

また、地方講師の受験者に対しては、『生命の實相』を読んでいると尊師のにおいがするから合格できないというようなことを言って、教団内から、極力『生命の實相』を排除するような雰囲気まで生まれるにいたったわけです。

それが如何に異様な光景であるか。

キリスト教に置き換えれば、それがよく分かります。

だって、それは洗礼≠受けないでキリスト教信徒をつくるようなものなのですから…。

どうして、こういうことが平然と罷り通るような教団になってしまったのでしょうか。

それは一にかかって、洗礼≠拒否した者が、勝手に法燈継承者≠名乗り、「生長の家総裁」という立場に就いたからに他なりません。

『生命の實相』を無みすることは、「霊によって生れ更」ることを拒否し、「自覚によって洗礼を行」うことをも否定すること以外のなにものでもありはしません。

そういう人が総裁となったら、全てがおかしくなるのは火を見るよりも明らか…。

『生命の實相』の洗礼≠拒否した総裁のもとで、『生命の實相』の洗礼≠受けない信徒ばかりが生まれていく…。

これで、どうして宗教的な、信仰的な救いが生まれるでありましょうか。

まさしく洗礼≠ネき教団に救いなし…。

故・野村監督の「負けに不思議の負けなし」という名言を借りれば、「教勢の衰退に不思議の衰退なし」ということになりましょうか。

尊師の教えに返れ!

『生命の實相』の教えに返れ!

そして、『生命の實相』の洗礼≠受けよ!

その声を大にして『生命の實相』拝読の機運を盛り上げていきたいと念願しております。


総裁の唱えた「今の教え」は、今や時代に適応しえない「おかしな教え」に。“新しい文明を築こう”ではない「日本の文化を見直そう」ではないのか… (12301)
日時:2020年07月01日 (水) 09時18分
名前:破邪顕正


これまでは、「BC」とはキリスト誕生以前の「Before Christ」の謂いでしたが、これからは、「Before Corona」即ち、コロナ禍の前と後とでは、世界がガラリと変わる、そういうことが言われています。

私なりに思うのは、この武漢ウイルス≠ノよって、中国共産党に前のめりになっていた世界に警鐘を鳴らすきっかけになった…。

そして、グローバリズムへの反動が始まる…。

更には、米中対立が顕著になって、“冷戦終結”という話が過去のものとなった…。

何を申し上げたいか。

総裁の言う「今の教え」の前提は、その悉くが崩れたということです。

で、総裁が犯した最大の過ちは、言うまでもなく、神様を取り替えて住吉大神を外してしまったことにあります。

そのことを、「六月晦大祓式」で「禊祓祝詞」を唱え、「宇宙浄化の祈り」を実修させていただいて、改めて痛感いたしました。

もはや、教団ではその本当の意味が理解されない。

「禊祓祝詞」にある、「橘の小戸の阿波岐原」を理解するには「宇宙浄化の祈り」が不可欠…。

「ア・オ・ウ・エ・イ」

この音霊で、浄める…。

このコロナ禍を目の当たりにして、何よりも大事なのは、払い浄めでありましょう。

それを司っているのが住吉大神であるのに、それを総裁は外してしまったわけです。

時代感覚がズレ、その上、状況認識を、総裁は完全に間違ってしまいました。

更に、今回のコロナ禍で、神州清潔の民と呼ばれるほど、その浄めをことのほか大事にしてきた日本の文化、伝統、歴史が世界から見直されているというのに、それを否定するかのように、総裁は顕齋殿を土足履きにしてみせたわけです。

それがグローバルな世界の常識であるかのように言って…。

これなどは、まさしく時代に逆行している、最たるものと言わなければなりません。

“新しい文明を築こう”ではありません。

“日本の文化を蘇らせよう”、それこそが「ときの声」なのだと私は感じています。




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