《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《速報》“造化の三神”を祀るのは何も教化部だけではなかった。各家庭でもそれを祀らないといけないようなりました… (12295)
日時:2020年06月30日 (火) 09時05分
名前:破邪顕正


ある知人を通じて、7月1日付けの教区機関紙「大愛知」が手に入りました。

その2面には、「造化の三神≠祭祀しよう」というタイトルのもとに、こういう文章が記されています。

それについての、私なりの感想を(※)で記して、ご紹介します。

〈三柱の神霊符(お札)は、総本山の神官が一枚一枚真心を込めて神名を墨書しています。〉

(※確かに、神官は真心を込めて墨書しているでしょう。しかし、その本心は、自分なんかが書いて本当にいいのか…。実際、そういう苦しい胸中を吐露している職員がいることもまた事実なのです。それはそうでしょう。もし、私に「神名を墨書せよ」と命ぜられて、果たして、悦んで引き受けられるものでしょうか。出来うるものならば、お断りしたい。しかし、業務命令だから断れない…。そういう心の“葛藤”“迷い”を抱えつつ職員は、致し方なく墨書しているのです。そういう職員の墨書した神名に果たして宗教的、信仰的な功徳を期待できるものでしょうか。それより何より、これは、第一義の神は祀ってはならないという尊師の教えに真っ向から反しているわけです。教えに反し、職員も必ずしも悦んで墨書しているとはいえない…そういう神霊符を拝むよう強要される信徒のことを思えば、実に気の毒としか思えません。)

〈家庭に神霊符をまつり、家族が日々造化の三神≠礼拝することは、日常生活における大事な行事です。〉

(※そんなに大事な行事というのであれば、総裁自ら神名を墨書してはどうですか。現に、尊師はそうなさってこられたではありませんか。本気で造化の三神をお祀りするというのであれば、総裁がその覚悟を見せるべきなのです。職員に墨書させているという段階で、この祭祀もまた総裁は本気ではない、私はそう思っています。中心者が本気でないのに、信徒が本気で大事な行事として日々、礼拝するでしょうか。私は甚だ疑問に思っています。)

私が、この「大愛知」の機関紙を読んで、こんな誤魔化しは許されないと思ったのは、この文章です。

〈これは、生長の家が立教当初から目指してきた、「信仰による世界平和」の実現を祭祀の中で明確化するものです。〉

それを言うのであれば、「信仰による世界平和」の実現は、総裁がはじめた「国際平和信仰運動」からの話であって、立教当初から目指してきたのは「人類光明化=日本国実相顕現運動」にほかならない…。

勝手に歴史をねじ曲げ、改竄することは許されない、そう思うものであります。

そのことを尊師のお言葉で押さえておくことにいたします。

『實相研鑽』第一集「生長の家の神観」のところに、こうあります(249頁)。

《生長の家の神様の出現ということは…この時、この日本という場所に於いて、またこの日本人という民族に於いて、現われなければならないという、そういう時と場所と人との三相応に於いて、出現して来たというのが、生長の家の人類光明化運動である。そして住吉大神となり、あるいは塩椎大神として出現せられる場合に、それは「全てを生み出す」「生みの底」(海の底)の大神という働きになっている。》

はっきりと、ここに、生長の家の運動とは、人類光明化運動であり、それは住吉大神のお導きによると記されているではありませんか。

造化の三神という話は、ここのどこにも出てはきませんよ。

そういう誤魔化しを平気でやってのける…。

総裁は「ウソはいけない」とよく言います。

その言葉、そっくりそのまま総裁にお返ししたい…。

それが、今回の「通達」や『“新しい文明”を築こう』を読んでの私の偽らざる、率直な感想です。



福岡教区の機関紙「大光明」を読んで思ったこと… (12300)
日時:2020年07月01日 (水) 08時45分
名前:破邪顕正


私が注目したのは、これでした。

「教区内六つの地方道場における七重塔、お社の設置」

こう書いてあります。

〈福岡教化部の4階・大道場の實相額の前に設置された、七重塔並びに“造化の三神”が納められた三社造りのお社を、写真撮影して拡大した写真を額縁に納め、福岡県南部教化道場、行橋道場、門司道場、北九州道場、久留米道場、福岡市サービスセンターの實相額の前に設置することを考えました。〉

この字義通りだと、「實相」額の前に、額縁を置くということになりますね。

何で、そんな写真の額縁を置かないといけないのか。

いやはや、福岡教区は教化部長が参議長経験者であるが故に、本部に絶対忠誠を尽くしていますね。

そうでなくちゃいけません。

「礼拝する際の言葉」も、しっかりと本部の通達のままです。

「實相」額を通して、などいう言葉を付け加えたりもしていません。

果たして、これを見た信徒がどう思うか。

福岡教区の信徒の皆さん、「實相」が隠され、「實相」額も必要ない、そういう生長の家に、それでもついていきますか。


割り込み、失礼します。上の12300で破邪顕正さんがおっしゃっている福岡教区の機関紙「大光明」の当該記事は、ここにあります。 (12302)
日時:2020年07月01日 (水) 11時03分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

福岡教区の機関紙「大光明」の当該記事は、
https://www.ssfk.or.jp/sni-fukuoka/daikoumyou.html#nana

少し下へ下がったところにあります。









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