《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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現在の教団を辞めない人に共通することは何か、考えてみました (12273)
日時:2020年06月25日 (木) 17時36分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 今日の地方の一末端信徒さまの質問に対して、護法の天使さまのお答えを拝見して、非常に勉強になりました事を、お二人に心から感謝申し上げます。

 思いますのに、私の周りの一般信徒さんを見ますと、既に教団を辞した人もありますが、未だに毎月教団の指導通りに誌友会を開催している方もあり、色々な事を考えさせられます。

 私も子供たちが小さい頃から地元の白鳩会の皆さんと共に、誌友会を中心に、お世話を続けて参りましたので、その内容は解っておりましたが、ある時期から、中身がすっかり変わって来たことを知りました。

 中学、高校、生学連と活動を続け、結婚後は昭和60年から支部長を拝命し、地区長まで務めましたが、谷口雅宜氏の日本侵略論が発表されてからは、「これから生長の家はどうなって行くのだろうか」と心が痛み、ろくに安眠できませんでした。

 平成五年頃には、仕事で地方の生長の家の信徒さんにお会いする事もありましたが、「一般の人には言えないが、今の生長の家はおかしい」と大変心を痛めていらっしゃる方も少なからずありました。

 ある白鳩会の幹部の方は、「何かオカシイ、オカシイと思うんですよ」と、胸の中をお話になり、互いに共鳴して参りました。

 そのような中で、谷口雅春先生の著書が絶版になるなどとても信じられない事が次々と起こりました。

 「原宿の本部が壊されると知っていますか?」と聞かされた時は、目の前が真っ暗になりました。

 そしてついに「谷口雅春先生を学ぶ会」が創られ、贈られて来た本を読んで、心から救われた思いがしたものです。

 以後は、学ぶ会と共に行動して来ましたが、私が教団にいる人達に「いかに今の教団がおかしいか」をお話しても、「それは谷口家の内輪もめの話だから関係ない」と言う方もあり驚きました。なかなか問題の大きさを理解して貰えませんでした。

 彼らを観ていると、毎月の誌友会や『甘露の法雨』の読誦や母親教室もやっているから、そんなに変わりはないのではという思いだったようですし、何より、皆が長年の友人でもあるので、その縁を切れないという思いもあったのだと思います。

 しかし頭も良く、話せば解る人であるはずなのに、雅宜氏の政治的な話で徐々に洗脳されて行った人もあることが解りました。また環境問題が何しろ大切ということで煽られて、そちらに力を注いでいった人もありました。

 このように色々彼らの辞めない理由はありますが、しかし共通しているのは、生長の家の教えの根本、天皇陛下の実相と、日本国の実相と、自分自身の実相が三位一体であるという事が、解っていないということです。

 
 白鳩会では、家庭内の人間関係や、病気の治癒や親子夫婦の人間関係、経済的な問題などが中心になりますので、三位一体の信念を持つに至る事はなかなか難しいかもしれません。

 ですが、無学であろうと何であろうと、山新田のおかかと呼ばれた方のように、教えの「人間は神の子である」という事を本当に解って強い信念となっていれば、自らも人をも次々と救う事が出来る訳ですし、教えが信念となりますので、容易く理論すり替えには騙されないと思うのです。

 振り返れば、私が教えを伝道して人を救えた原点は、飛田給の夏の練成会から帰って来た中学1年生の秋、熱意冷めやらず、毎日一所懸命生長の家素晴らしさを子供らしく学友や先生に話していたからだと思いますが、

 家庭科の先生が、「なかなか子供が生まれないのよ」と話されたのです。私は翌日「白鳩」誌を持って行き、「先生、この本を読まれたら必ず赤ちゃんが生まれます」と、熱意を込めて語ったのです。

 すると間もなく、「ありがとう。赤ちゃんが出来たのよ」と、非常に喜ばれたのです。これが伝道して人が救われた体験第一号でした。

 高校1年生の頃は、昭和35年、安保闘争などで揺れていましたが、私は教室の小さな本箱に、纏めて「理想世界」誌を置きました。担任の先生は、「誰が置いた!」と激怒されましたが、「私です」と手を挙げたら睨まれましたが、そのまま置いてあり、何人かの誌友を作りました。また社会科の先生に、「先生、この本を読んで下さい」と、『我ら日本人として』をお渡しした事もありました。

 つまり自分の信仰は自分自身が作るもので、本気であれば、自然と神様ご先祖様に導かれて、大切な本を読み、話を聴き、自ら大切な体験をして、自然と培われて行くものだと思いますが、

 雅宜氏が総裁になられてからは、誤った環境問題理論や、左翼政治理論で信徒を目晦まし続けて来たので、もうすっかり変質してしまい、誰も救われる人はいなくなったのだと思います。

 それでもだらだらと付いて行った人達も、今回の実相のお額隠しで、法的に裁かれる事になりそうです。


 しかしそうなれば、大変な驚きと共に、初めて皆さん目が覚めるのではないかと思っております。総裁ではなく、日頃よく知っている五者が全国で裁かれるとなれば、そのショックは大変なものになると思っております。

 ニセモノはどこまで行ってもニセモノでしかありません。教団は自ら、聖経と『生命の實相』を初めとする数々の聖典を無くし、今や実相軸まで手放そうとしています。

 絶壁に通じる道を歩き続けたら、最後は谷底に落ちるしかないと思います。すべてを正しく生かすためにある宇宙の法則は、愛深くもありますが、極めて厳正ですから、常に神様の道に沿う生き方をしなければならないと思います。うまくまとまらず申し訳ありません。有難うございます。 再拝


環境問題は教団の“ポリコレ”である。サヨク総裁が教団乗っ取りに利用した仕掛けがこの環境問題であった… (12276)
日時:2020年06月26日 (金) 08時34分
名前:破邪顕正


「コスモス」さん、投稿ありがとうございました。

今回の投稿に刺激されて、かねてから思っていたことを書いておきたいと思います。

表題の“ポリコレ:ポリティカル・コレクトネス(political correctness)”とは、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指します。

ザックリ言わせていただけば、誰もが反対できないような言葉…。

それを言われたら、もう首肯するしかない、黙って受け入れざるをえない、そういう種類のものだと私は認識しています。

で、私は、総裁が持ち出した「環境問題」も、まさしくこれに当たるのではないのか、そう見ています。

「コスモス」さんの投稿にもこうありますね。

〈環境問題が何しろ大切ということで煽られて、そちらに力を注いでいった人もありました。〉

これについては、私も身近に体験したことがあります。

〈総裁先生について色々と言う方があるけど、「環境問題」を提起されたことは素晴らしいでしょ。〉

そう言われると、つい、こちらもこう言ってしまうわけです。

〈確かに「環境問題」は大事だということはわかるけど…〉

つまり、正面切って、「環境問題」に反対することはできないような空気が教団内に生まれてしまった、まさしく、これぞ“ポリコレ”…。

そう思うのです。

で、これが、今思えば、総裁の思うつぼだったのです。

この「環境問題」こそ、教団を左旋回させる引き金になったのです。

それについては、私なりに当初から危惧していました。

これも歴史的な文書として、ここに引用させていただきます。

………………………………
〈本流宣言掲示板〉
「今の教え」は左翼の「教え」なり?! (2769)
日時:2011年06月14日 (火) 17時15分
名前:破邪顕正

合掌 ありがとうございます。

谷口雅宣総裁の学生時代、当時の青山学院大学で幅をきかせていたのが第四インター(通称、四トロと言われる新左翼の一派)。
谷口雅宣総裁が、そこの活動家としてヘルメットをかぶっていたというのは、どうも事実のようですね。
その目撃証言もありますし、公安筋からの情報にもあるようですから。
つまり、谷口雅宣総裁の思想の根っこには厳然として左翼思想がまとわりついているということです!

このことは、谷口雅宣総裁の著作を見てもよくわかります。
私からすれば、赤い朝日新聞としか見えないそれを「クオリティペーパー」などということ自体、信じられない思いですが、谷口雅宣総裁の著作に引用されている学者がこれまた左翼が多いんですよ。

よく知られた話ですが、『今こそ自然から学ぼう』に出てくる加藤尚武の『環境倫理学』は、現在、「環境」問題を通して、「革命」を志向する新左翼各派の理論的支柱ともなっている書物であります。
それとも知らずに、N教化部長などは、得々として、こう書くのですから、本当におめでたいというか。

…環境倫理三原則という言葉がある。それは、@個人を超える価値の問題である。多数の個人が自分たちの代表として少数の人間を選び出してその代表者が国政を決めるという現在の「個人を至上の価値とする民主主義の考え方」では解決の道を見いだせないとしている。これから生を受けるであろう未来世代の人々のことも考えていかなければならないということである。これを「世代間倫理の視点」というのだそうだ。二つ目は、国家を超える価値である。「地球に国境はない」という言葉があるが、まさにその通りのようだ。気候にしても経済にしても、すべてはグローバル化している結果のようだ。(中略)三つ目は、人間を超える価値である。人間はすべての生物の連鎖の中で生かされているという、地球の一部に過ぎないという考え方に立つ必要がある。人間中心主義をヒューマニズムというが、その考え方では不完全である。ヒューマニズムから脱皮する必要がある。自然と共に栄える。自然と共に生きるという生き方が求められている。それは生物多様性を破壊しない生き方である。

読めばすぐに分かるように、これはまさしく谷口雅宣総裁の本の焼き写しなのですが、こういう考え方が、一方では、新たな「国家否定」「新しいマルクス主義」「環境ファシズム」として非難を受けているわけですよ。
そういう多分に危険な思想を孕んだものを、今は、講師試験の問題として出したりするわけでしょ。
受験者は、合格したい一心で、わけもわからず(何でこんな勉強をしなくてはいけないのかと思いつつという意味で)、ただ丸暗記するようにして勉強するわけです。
こうして、丸暗記という名の洗脳≠ェ完成するという仕組みです。

ここのどこに谷口雅春先生がおられますか!
これでは、加藤尚武の門徒をつくろうとしているのと何ら変わりないではありませんか?
こういうのを「今の教え」というのであれば、それは決して谷口雅春先生の「教え」ではない!
そうはっきりというべきなのです!

谷口雅春先生の「教え」を今の時代に合うように説いたのでも何でもない、「今の教え」とは、新たな左翼勢力の「教え」であるのです!
つまり、教祖は谷口雅春先生でもなんでもない、いわば加藤尚武なのですよ!

そういうことが分かっていて、それでもなお「中心帰一しなさい」と強制するのであれば、断固としてそれを拒否する!
それが谷口雅春先生に中心帰一する道であると信ずるものであります。

再拝

……………………………………

これを書いたのは9年前です。

教団は、危惧したとおりにサヨク教団に堕してしまいました。

改めて、その刷り込みが、この「環境問題」にあったのだと思います。

「環境問題」が教団をサヨク化させる“洗脳”手段として用いられた…。

総裁の実に用意周到なる仕掛けであったのだと私は捉えている次第です。



環境問題について、補足させていただきます… (12278)
日時:2020年06月26日 (金) 13時30分
名前:破邪顕正


私は、総裁が持ち出してきた「環境保護運動」も、総裁は決して本気≠ナはなかったと見ています。

あくまでも、それは愛国運動を潰すための“手段”でしかなかった…。

よし、総裁が、“本気”であったならば、どうして、教団あげて、長年月をかけて取り組んできた「環境保護運動」が、「家庭菜園」「自転車漕ぎ」「クラフト」のようなところに収束していくのですか。

いったい、この運動から、何が生まれたというのですか。

ただ、教勢を落とした、そして“人財”もいなくなった…。

そういうことではありませんか。

結局、総裁の言う「環境保護運動」は唯物論のサヨク運動としてあったということが、一番の問題だったのです。

このことについても、以前、私はこういう投稿をしています。

……………………………………

環境問題を言うのならば、こういう観点から言ってほしかった! (10158)
日時:2018年09月06日 (木) 09時24分
名前:破邪顕正
尊師・谷口雅春先生は、『美しき日本の再建』の中でこう書いておられます。

《吾々日本人は、お米でも、御飯でも、あるいは野菜の一枚の葉でも、悉くこれは物体じゃないんだ≠ニ、神様の生命がここに姿を現しているのであるから大切にしなければならないという精神でもったいない≠ニ言ったのであります。…

谷口輝子先生の本に『いのちを拝む』というのがありますが、この物体ない≠ニいう気持で一切のものに接する事が生命を拝む≠ニいう事なんであります。

すべてのものがただの物質だったら、いのちを拝むということはないわけです。

物質じゃない。物体(もったい)ないんだ≠ニ、「これは物質じゃない、物体じゃない、神様の生命が、そこに現れているのである」というのが、古(いにしえ)から伝承して来た日本人の思想である。》(10〜12頁)

ここに言われる日本人の思想≠広めることが、今日の環境問題においてもとても重要です。

こういう観点から、環境問題を取り上げていたら、もっと違った展開を見せていたのではないでしょうか。

現に、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんは、それを世界に発信したわけですから…。

マータイさんは、こう言いました。

環境 3R + Respect = もったいない

Reduce(ゴミ削減)、Reuse(再利用)、Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく、かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉が「もったいない」。

マータイさんはこの美しい日本語を環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱したわけです。

ところが、教団は、何故か、この「MOTTAINAI」を広めるような活動には実に消極的でした。

今にして思います。

日本人の思想≠ェ嫌だったんだと…。

鎮護国家≠外したことを見ても、それは明らかではないでしょうか。

環境路線は、結局、それまでの愛国運動を否定する為の、まさしく為にする路線≠ニしてあったと私が考える所以がそこにあります。

……………………………………

これまた、一字一句、訂正しようとは思いません。

尊師の教えを本気で受け継いでいこうとしなかった、それどころか、その教えを消し去ろうとした…。

総裁の、そして今の教団のすべての問題がそこに起因するということです。



「現在の教団を辞めない人に共通することは何か」それに関して思うこと… (12280)
日時:2020年06月26日 (金) 15時59分
名前:破邪顕正

始めから片親の中で育った子は、それが当たり前と思っているので、片親であることをさして大きな問題とは感じません。

しかし、両親のもとで育って、そののち片親だけになると、その喪失感が痛手になることがあると言われます。

どうして、このような話を持ち出したかというと、同じような心理が、教団を辞めない人の中にもあるような気がしてならないからです。

つまり、最初から、今の総裁の世界で生きて来た信徒にとっては、それが当たり前になっているから、何があってもそれを問題とは感じきれない…。

「コスモス」さんにしろ、私にしろ、尊師の時代を知っている者からすれば、今の総裁となってからというもの、どうしようもない“喪失感”というものがある…。

それが、教団から離れさせた大きな理由ともなっている…。

ところが、教団信徒には、そもそも、その“喪失感”というものがない…。

その違いは、吾々が考えている以上に大きいのではないのか。

私の言う“喪失感”とは、次の3つの喜びを失ったことを指します。

@真理によって救われた喜び

A日本に生まれた喜び、天皇国・日本の実相顕現に生きる喜び

B尊師の大いなる御愛に生かされた喜び

まず、@のことで言えば、とにかく『生命の實相』と出会い、その教えに取り憑かれた喜びというものがあったと思うのです。

そして、それによって、人生が救われた…。

だから、『生命の實相』をテキストにした誌友会が禁止されるということは許されることではないし、またあってはならない…。

もう、そこからして、得も言えぬ総裁への反発感情が生ずるわけです。

でも、今の信徒さんはどうでしょう…。

『生命の實相』がなくても一向に構わない、喪失感というものがないように思うのです。

それだけ、尊師の教えを深く学ぶことがなかった…。

これは実に大きな差であり、吾々との違いだと思います。

A「コスモス」さんも私も日教組の洗脳教育のただ中で育ったわけです。

ですから、尊師の愛国の思想は、本当に目から鱗が落ちるような衝撃を受け、感動を覚えたわけです。

高校生の頃、私も「コスモス」さんと同じく、堂々と校内で伝道もしました。

そのときの級友が今も同志として一緒に活動してくれています。

改めて、戦後“洗脳”教育のただ中で、それと立ち向かう、その勇気と自信とを与えてくれたのが、他ならぬ尊師の愛国思想であったと思います。

とろこが、総裁によって、一切、そういう教育がなされないままにきたわけです。

当然、そういう信徒にしてみれば、総裁のサヨク思想に大して違和感を感ずることもない、そのまま戦後思想の延長線上にあるものとして、スッと受け入れてしまう、そういうことだろうと思うのです。

Bこれがまた決定的なのかもしれませんが、尊師を身近に感ずることがなかった、それは実に大きいと思うのです。

尊師と出合えて“師合わせ”という感情が私どもにはありました。

今でも忘れません。

尊師の謦咳に接して、思わず滂沱として涙を流したことを。

そういう体験があるのとないのとでは、全然、違うと思います。

こういうと、尊師が神去られて35年、今後ますます尊師を知らない世代が増えていくわけだから、そう言われても、もはやどうしようもないではないか、という反論が返ってきそうです。

それはそうなのですが、そう言ったら、キリスト教徒、仏教徒はどうなる…。

つまり、日々、身近に尊師を感ずる、尊師の愛を、ぬくもりを実感する…。

そうです、尊師の真理にどっぷりと浸る、そういうことを怠ってきたこと、それが一番の問題なのだと言いたいのです。

総裁は、それが分かっていたからこそ、『聖典』絶版という荒療治をしかけてきたのではないでしょうか。

しかし、そういう中で、私たちには『生命の實相』があります、「聖経」があります。

これを梃子として、尊師を取り戻す…。

それによって、一人一人の信徒から“喪失感”を引き出していく。

それが今後の吾々の使命なのだと思っている次第です。




新教団の下で、堂々と伝道して参りましょう (12282)
日時:2020年06月26日 (金) 18時13分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。
 本日はよんどころない事で外出していましたので、投稿が遅れましたことをお詫びいたします。

 全く、破邪顕正さまのおっしゃる通りだと思います。正統生長の家を全く知らない人にとっては、雅宜総裁の「今の教え」に賛成も反対もなく、すんなりと受け入れて付いて来たのでしょうから、これは例外としても、

 永年谷口雅春先生の教えに触れて来ながら、辞めないまま今日まで来た人は、おおよそ、破邪顕正さまが詳しく分析された通りだと思います。本当に残念であり、勿体ない事であると思います。

 破邪顕正さまが述べていらっしゃる通り、総裁の環境問題の取り上げ方は、どこまで行っても、物質的な側面からのものでした。

 特に、CO2が全ての原因と言う、現在では誤りと言われている理論をかざして信徒をミスリードして来たことは、大きな汚点となりました。

 日本において環境問題を取り上げるならば、まず天皇陛下が日頃どの様な生活を為されているかをよく知れば、そこに答えはあると思います。

 まさにモッタイナイ 「MOTTAINAI」そのままのご生活であったと思います。

 しかし総裁がいわゆる反日の思想の持ち主であったために、天皇陛下のご生活や、同じく谷口雅春先生のご生活、その教えに全く触れることなく、唯物論に終始して来られました。

 それでもその理論がよく解らない人も多かったと思いますし、破邪顕正さまが書いておられますように、



 《表題の“ポリコレ:ポリティカル・コレクトネス(political correctness)”とは、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指します。

ザックリ言わせていただけば、誰もが反対できないような言葉…。

それを言われたら、もう首肯するしかない、黙って受け入れざるをえない、そういう種類のものだと私は認識しています。


  〈総裁先生について色々と言う方があるけど、「環境問題」を提起されたことは素晴らしいでしょ。〉

そう言われると、つい、こちらもこう言ってしまうわけです。

〈確かに「環境問題」は大事だということはわかるけど…〉

つまり、正面切って、「環境問題」に反対することはできないような空気が教団内に生まれてしまった、まさしく、これぞ“ポリコレ”…。》



 その通りでした。誰も正面切って反対し得ない事になってしまい、左翼的環境問題に取り組まされたのでした。

 現在では、総裁ご自身の思想を隠すことなく、堂々と左翼学者の理論を掲げておられます。


 大東亜戦争は日本からの侵略。

 CO2が全ての原因だから、極力それを無くせ。その為の記録をつけるよう白鳩会は取り組まされた。

 自転車を漕ぎ、菜園に取り組み、お絵描きやクラフトが誌友会でも「実現せよ」と力説され、それは毎月発行される雑誌に大きく取り上げられて、あたかも教えの中心であるかのように捉えた人もありました。

 谷口雅宜・純子夫妻を観ていて思うことは、ちっぽけなプライドと大いなる劣等感に支配されて、間違った左翼思想で染め上げた「今の教え」で信徒を支配した雅宜総裁と、

 その夫に付いて行った純子白鳩会総裁は、良心の麻痺した方であり、決して頭の良い人ではなかった、と言えると思います。

 しかしここに、正統生長の家が、新教団として誕生しました。今後はあらゆる通信手段を駆使して、多くの方々に本当の教えをお伝えし、本当の救いをもたらして、幸せに満ちた人類光明化運動を起こして行かなければならないと思います。

 幸い、本当の教えを知っていて人を救える人々が集まり来りていますし、皇室にも認められた団体です。胸を張って堂々と伝道して行きたいと思います。 有難うございます。


信徒に「喪失感」がないのは、正しい情報と正しい教育がなされなかった結果です… (12288)
日時:2020年06月29日 (月) 08時42分
名前:破邪顕正


表題のことは、北方領土や竹島、そして尖閣の問題を念頭において考えたことです。

尖閣のことで言えば、私には忘れられない出来事があります。

それは、ある人から「中国が攻めてくるわけがないだろう。そんなものは杞憂だ」と言われたことでした。

攻めてくるか、攻めてこないかは、日本が決めることではありません。

中国共産党自身が決めることです。

「日本が戦争を放棄しても、戦争が日本を放棄してくれるわけではない」

この至極、当たり前のことがどうして戦後日本では通じないのか。

京都大学の名誉教授であられた田中美知太郎先生の言葉を私はよく思い出します。

〈…平和というものは、われわれが平和の歌を歌っていれば、それで守られるというようなものではない。いわゆる平和憲法だけで平和が保証されるなら、ついでに台風の襲来も、憲法で禁止しておいた方がよかったかも知れない。…〉

そして今日、とうとう「尖閣なんかは無人島だし、欲しけりゃ、中国にくれてやったらいい」そういうことを、恥ずかしげも無く堂々と言い募る人まであらわれてしまいました。

その延長線上には果たして何があるか。

もう、いっそのこと、まるごと、中国共産党の傘下にはいり、14億もの巨大市場のもとで経済発展を目指したが好い…。

私は、現総裁を含めて護憲派≠ニいうのは容共派(共産主義を容認する)≠ナあり、親中派≠ノほかならないと見ています。

そういう思いもあって、以前、こういう投稿をしたのでした。

………………………………

「護憲派の声を聴け」 (1374)
日時:2016年05月05日 (木) 11時03分
名前:破邪顕正

表題は、中国外務省からの要請です。

>中国外務省の洪磊副報道官は4日の定例記者会見で、日本各地で憲法記念日の3日に護憲派が集会を開いたことについて「日本政府が歴史の教訓をくみ取って民意に耳を傾け、平和的発展を堅持するよう望む」と述べた。<

“平和的発展”とは、よくも言ってくれますね。

これは暗に「中国の属国になりなさい」ということを言っているにほかなりません。

同様のことを言ったのが、彼の丹羽前中国大使。

伊藤忠商事役員時代の発言をご紹介します。

「将来は大中華圏の時代が到来します。日本は中国の属国として生きていけばいいのです。それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」。

結局、護憲派と言われる人は、こういうことを本気で考えているのではないでしょうか。

「憲法を守る」ということが、如何に中国にとって都合のいいことか。

これで明らかでありましょう。

「護憲派=中国の御用聞き・利敵行為」

私はそんな目で見ています。

つまり、護憲派というのは、日本のことを本気で護ろうという気概がないのです。

国家・国民の生命、財産を本気で護ろうという“愛国心”が著しく欠落しているのです。

そもそも、自分たちの国の憲法を自分たちの手でつくろうという思いがないのですから、そう難じられてもも致し方ないのではありませんか。

「第18回公開憲法フォーラム」に参加させていただき、国を思う心ある人々の熱意にとても感銘を覚えた次第です。

…………………………………………

どうして、こういうことになってしまうのか。

結局、表題に書いたように、正しい情報が知らされていない。

何でも、サヨクマスコミの間では、中国共産党の悪口は言えない、そういう協定があるそうではありませんか。

しかも、その上で、正しい教育もなされていない。

だから、日本の領土でありながら、それを奪われているというのに、国民の意識裡に「喪失感」というものがない…。

同様のことが、今の教団にも起きている…。

尊師の正しい教え、正しい教育というものがないのですから、どこがどのように間違っているか、判断しようにも判断できなくなってしまっている…。

本来ならば、尊師のもとで、それを受けた古き世代が起ちあがっていけばいいのですが、もうお年を召されたということもあるのでしょうか、なかなか起ちあがろうとはなされない…。

その勇気がない…。

起ちあがって仲間から浮き上がってしまう、その孤立を異常に畏れておられる…。

そういう方々に、尊師に救われた信徒としてこのままでいいのですか…。

大変、失礼ながら、その最後の報恩行をなさいませんか…。

尊師にお会いしたとき、きちんとご挨拶できる、その生き方をお示しになりませんか…。

そう問いかけていきたいと思っています。

その呼び水になることができたら、そんな思いで、日々、思いを綴っているという次第です。

この拙文が、起ちあがる勇気と励ましになることができたらとそればかりを願っております。


この二つは大きいようです (12290)
日時:2020年06月29日 (月) 11時07分
名前:コスモス


 破邪顕正さま 有難うございます。

 最近教団内の方が今どの様な気持で総裁に付いて行かれているのか知りたくて、ある方に訊いてみました。すると、


 《尊師の正しい教え、正しい教育というものがないのですから、どこがどのように間違っているか、判断しようにも判断できなくなってしまっている…。》


 《起ちあがって仲間から浮き上がってしまう、その孤立を異常に畏れておられる…。》

 これがまさしく教団内の古参の方々の今の状況でした。高齢者でない方々はもっと割り切って、

 

 「以前に、天皇国日本のお話も聞いたけれども、そんなのは今の時代にお話してもなかなか通じない。それよりも、環境問題を話した方がすんなりと判ってくれるからその方がいい」

 と言うので、せっせと総裁のおすすめの菜園や物の再生の方法などに励んでいる、という次第でした。その原因は、前に戻りますが、まさしく、


  《尊師の正しい教え、正しい教育というものがないのですから、どこがどのように間違っているか、判断しようにも判断できなくなってしまっている…。》

 だから水が安きに流れるように、総裁の命令一下、それに従って行く事が楽であり、別に間違っていないのだからという訳で、メダカの学校状態になっているのだと判りました。

 内心、「どこかおかしい。こんな事でいいのだろうか?」という葛藤を抱えながらしぶしぶ付いて行っているのではと思っていましたが、現状はそんな甘いものではありませんでした。

 結局、信徒さん達は、「ゆでガエル状態」となって総裁について行っているのだという事がよく解りました。

 であれば、これからは今まで生長の家のせの字も知らなかった人達に心機一転、明るく伝道して行く方が、それこそ効率が良いのではないかと思った次第です。


 勿論、縁ある方はどなたでも大歓迎ではありますが、同情していて損したという(笑)、想いです。でも内情を知って良かったとつくづく思いました。有難うございます。


「コスモス」さんへ、希望の光が見えてきました… (12294)
日時:2020年06月30日 (火) 08時49分
名前:破邪顕正

嬉しい、有難い、よろこびのニュースが飛び込んできました。

この掲示板をご覧になられた信徒さんが、教団を退会する決意を固められたというのです。

その方は、尊師によって救われ、教団でも長年、活躍してこられた方でした。

その方が、この掲示板を覗くようになり、今まで何となくオカシイと思っていたことの全ての謎がはっきりと分かった…。

分かった以上は、もはや教団に留まることはできない…。

そう覚悟して、退会届けを提出されたのだそうです。

それを知った教区幹部が、1時間にもわたって退会を留まるよう説得してきた…。

曰く、谷口雅宣先生は本当に素晴らしい…。

曰く、谷口雅春先生と全く同じ教えを説いて下さっている…。

こう言われたら、これまでだったら怯んでいたかもしれない。

しかし、この掲示板で、しっかり事の本質を教えて貰っていたから、何等動揺することもなく、「もう、決めたことですから」と相手の説得を退けられたそうであります。

結局、教団側の説得というのは、まさしく“洗脳”された言葉であって、その一つ一つはすべて「事実」をもって反論できることばかりなのです。

要は、その「事実」を知らない、というよりかは、知らされていない…。

まさしく、正しい情報が知らされていない、

正しい教育がなされていない、それに尽きるのです。

だからこそ、この掲示板の価値がある…。

この掲示板から、一人でもこういう方が生まれたということ、私は、それだけでも投稿し続けてきて好かった…、その甲斐があった…。

そう思ったことであります。

「コスモス」さん、一人でもいいのです。

こちらの思いがわかってくだとる方が、必ず、あります。

それを光として、ともに前進してまいりましょう。



希望の光が燦々と輝くように明るく伝道して行きたいと思います (12297)
日時:2020年06月30日 (火) 10時42分
名前:コスモス


 「嬉しい、有難い、よろこびのニュースが飛び込んできました」
 
 六月の終りに明るいニュースがもたらされた事を心から感謝致します。有難うございます。

 明日から7月。恐らく来月からは、教団内の動きも大きくなってくると思われます。

 私はまず身近な友人、知人、親戚から伝道しようと思って始めました。それぞれ悩みを抱えていることが解りますし、新しい『甘露の法雨』などがそれぞれの家庭に入ったことを有難く嬉しく思っていますし、事実、喜んで貰いました。

 後期高齢者である私に残された時間は、神様と共に、心ある同志と共に、谷口雅春先生が始められた「人類光明化運動」に立ち戻って、初心を忘れず、明るく楽しく伝道して行きたいと思っております。有難うございます。




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