「コスモス」さんの投稿にあった“異常繁殖したバッタ”のことで、尊師のご講話を思い出しました… (12263) |
- 日時:2020年06月24日 (水) 15時46分
名前:破邪顕正
いつも有益な投稿、誠にありがとうございます。
表題のことは、尊師の「大調和の神示講義A」に出てまいります。
30分前後の当たりで、尊師は、「イナゴ」の話をなされています。
何故、「イナゴ」が大量発生したのか。
それまではユダヤ民族は、神様に献げるということを大事にしていたので、豊かな富を得ることができていた。
ところが、あるときから、神様に献げるものを運用に廻したら、もっと儲かるではないかと考えるようになった…。
すると、突然、何億という「イナゴ」が大量発生して作物を食べ尽くして、その富を奪い取ってしまった…。
で、ユダヤ教の「マラキ書」には、神様からいただいているところの恵みを決して私してはならない…。
そこから、什一献金が始まった、そういう話なのであります。
如何に「天の倉に徳を積む」ということが大事なのかを教えてくれています。
この話で思い出すのが、山岡鉄舟のことです。
山岡鉄舟と言えば、幕末期、勝海舟とともに、江戸無血開城を成功させた幕府側の功労者の一人として、明治になってからは明治天皇の侍従となったことで知られますが、その鉄舟に死期が迫ります。
それを知った家人が「何か遺言でも残して欲しい」と頼みます。
すると、鉄舟は司馬温公の遺訓を記します。
〈子孫にお金を残しても、子孫は必ずしもこれを良いことには使わない。子孫に書を残しても、子孫は必ずしもそれを読まないだろう。陰徳を積んで、それを子孫に残すに如くものはない。〉
自分の業は自分の運命を決めます。
しかし、自分に関係しているすべての人の運にも影響を与えます…。
「陰徳を積めば陽報あり」を知らなければなりません。
『霊供養入門』にもこうあります(42〜44頁)。
《昔から「積善の家に余慶あり」という諺がある。…私にとって直系ではないが、祖母の弟で、谷口福松という人があった。彼は黒住教の深い信仰をもって…人を助けてあるいていた。…彼はいつも貧しい服装をしていても平気であった。寒い冬でも身すぼらしい薄着をして羽織も着ずにいるので、多少裕福な信者が福松先生を気の毒に思って、「先生、この羽織をお召し下さい」といって、一枚の紬の紋付羽織を差し上げて着せてあげたのであった。福松先生はその時は大変悦んで感謝を述べてその羽織を着て行かれたが、翌日、先生の姿を見ると、もうその羽織をお召しになっていられないので、それを差し上げた信者が、「先生、どうして昨日の羽織をお召しになりませんのですか?」とお訊きすると、「ああ、すまん、すまん。あの羽織はね、わしよりズッと気の毒な貧しい人が病気で寒そうにしているので、その人に着せてあげたんや」と答えたということである。 こういう陰徳の人が私の祖先にあった。そういう積善の陰徳が余慶として子孫に報いてくるのである。》
「積善の家に余慶あり」その反対が「積悪の家に余殃あり」
これは一個人の人生だけでなく、国家の運命をも導くと考えます。
「コスモス」さんの投稿で、中国共産党は、まさしく、今“余殃”を招いていると感じた次第です。
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