《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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『谷口雅春先生のご日常』(栗原得二・著)を、ぜひ、ご購読ください… (12198)
日時:2020年06月16日 (火) 10時35分
名前:破邪顕正

(株)光明思想社から、待望の本が出版されました。

尊師の随行をなされていた栗原先生ならではのお話が満載です。

尊師の素晴らしいご人格に触れることができて、感激もひとしおです。

尊師と出合えて、本当に好かった。

“師合わせ”です。

この本の中に“曇らされた「實相」”という話が出てきます(198頁)。

《この「實相」の大軸が掛けられている部屋を称して「実相の間」と言われています。この実相の間で、先生と二人で仕事をしておった時、何かの用事で、先生が實相の軸の前におかれてある大聖典の所に行かれ、實相の軸をしばし眺めておいでになられて、
「實相の軸に、ネズミが小尿をひっかけたよ。すっかり汚れてしまったようだ。これこそ、実相がくもらされたと言うんだね……」
とおっしゃられました。
 近頃は、新しい「實相」が墨痕あざやかに掛っており、鼠が全然天井を走らなくなり、静謐清浄な客室になっているとの事であります。すべて吾々の心の影と言うべきであります。
 全く、実相がくもらされてはならないのであります。》

何故、ここを紹介させていただいたか?

そうです、今回の「通達」では、ご存じのように「實相」額の前に“モノ”を設置して、「實相」を隠そうとしています。

これでは、“実相がくもらされたと言う”も同然ではないかと思うのです。

「實相」を隠すことは、そのまま尊師のお心、本来の御教えを隠すも同然…。

だからこそ、今回の「通達」の非真理性を倦まず弛まず訴え続けていかなくてはならないと思っている次第です。

素晴らしいご本です。

尊師を知らない信徒も多くなっています。

そういう方に、ぜひ、尊師を身近に感じてほしい。

ご購読のほど、よろしくお願いいたします。


尊師の偉大さを知らないこと、それが今日の教団のすべての問題の根底にある… (12207)
日時:2020年06月17日 (水) 08時48分
名前:破邪顕正


『谷口雅春先生のご日常』から“御執筆について”の文章をご紹介させていただきます(14頁〜)。

ここは、こういう書き出しから始まります。

〈先生(谷口雅春先生)は、執筆に、口述筆記に、すべてインスピレーションに指導されておられるのであります。〉

それだからこそ、毎月、毎月、あれだけのご文章をお書きになることがおできなられたのだと私なりに得心いたしました。

そして、こういうことが紹介されています。

〈先生が口述をなされる部屋は、実相の間−実相の大軸が掛けられている八畳のお部屋のことを実相の間と通称しています−でございました。〉

ここを読んで、「実相の間」とインスピレーションとの間には深いつながり、関係がある、そう確信いたしました。

そう思えば、改めて「實相」を隠すことは、尊師の御心を踏みにじるもの、絶対にあってはならないことだと指摘しないわけにはいきません。

で、こう続きます。

〈私が先生の原稿を速記していました頃は、どんな寒中でも、実相の間には、火鉢が一つ置かれているだけであります。寒がり屋の先生は、手をもみもみ、或は手を火鉢にかざし、或はふところ手をして口述されるのであります。あらゆることがすらすらと先生の口から出るくらいすばらしいことはないのであります。〉

ここを読んだだけでも、尊師の偉大さがわかろうというものです。

それを前提にして、新編『生命の實相』第26巻「人生問答篇」にある、この御文章を読んでみてください(123頁)。

《特殊の宗教的天才とか、霊知霊覚者とか、又特異の人格を持っている人は、皆前世の善業が流転し出したものです。だから、キリストの肉体的年齢は三十歳であっても彼は善業を積み来った上からいえば非常の年長者なのです。彼は更生に更生を重ね、永き年月の中に高度にその念が浄化され、ほとんど実相生命そのままの完全な姿が現象界のスクリーンに映じ出された結果、三十歳の青年にして、かくの如き高貴の人間を顕したのです。釈迦も仏となって法を説くまでには驚くほど度々生れ変って業を浄化したことが『過去現在因果経』には説いてあります。》

尊師が、こうお書きになるということは、尊師もまたそうであるからこそだと私は信じています。

そういう尊師がお説きになられたことを、果たして消し去っていいものかどうか。

総裁の、並びに教団の最大の過ち、それは尊師のこの偉大さを知らないこと、それに尽きると私は思っております。


“神の番頭なり”を読んで「使命」「召命」「寿命」について思う… (12215)
日時:2020年06月18日 (木) 09時17分
名前:破邪顕正

表題は、『谷口雅春先生のご日常』の12頁にあります。

「お勤めによく御精がでますね…」

こう言われたことに対して、Kという方が、「給料を得るために働くのじゃない」と言って、こう言われたというのです。

〈神様の仕事をよろこんでさせてもらっているだけなんだ。私は人に使われていると思って仕事をするな、そこにはさもしい勤め人根性が出るのだとよく話している。…〉

このKさんの話を紹介されて、栗原先生は、最後をこう結ばれます。

〈神の一番番頭であるという自覚が起きて来なければならないのであります。吾、神の一番番頭なり。〉

仄聞するところによれば、今の職員は「本部に就職した…」そういう言い方をするそうですね。

まさしく、これこそは“勤め人根性”というべきものでありましょう。

そういう職員には、ぜひ、新編『生命の實相』第19巻「万教帰一篇」にある次のご文章を贈呈いたしたく思います(78〜79頁)。

《…私にしましても…以前「生長の家」を始めた当座は、実に多忙な会社生活を有ちながら、毎月、神誌を一冊ずつ書いて行き、それでいて夜晩くまで訪問客に接し、誌友の複雑な質問に長文の手紙で答え、その上霊的治療をしてあげたりなどしていて、睡眠時間は極々短いのでありますが、それで生来蒲柳の体質だといわれていた私の精力がともかくもつづいて行ったというのは、一つは「生長の家」の仕事が私の使命として楽しめるからでもあり、自分の生命は神の無限生命から連っていて、使っても使ってもいくらでも補給されるものだということを、幾分悟らせて頂いていたからであります。
この悟りの深い人ほどその人の仕事を為し得るエネルギーは多くなって来るのであります。》

結局は、そこに「使命」を感じているか否か、なのでしょうね。

「使命」とは“命を使う”と書きます。

今の本部職員がもし、「就職した」と思っているとすれば、それは職員に問題があるのではない、そこに「使命」を感じさせないでいる、その本部の体質こそが問われなければならない…、そう思います。

「使命」とは、一人ひとりに呼びかける神の招き「召命」に応える生き方であります。

まさに神に「召された」私の命(いのち)が、神によって「使われる」命になるということであります。

そういう「使命」を精一杯、生ききりたい…。

そうすれば、その“命”は必ずや寿がれていくに相違ありません…。

そうやって「寿命」を迎えたい、そう願っている次第です。



“御揮毫のこと”を読んで、改めて今回の「通達」の非道を思う… (12224)
日時:2020年06月19日 (金) 09時24分
名前:破邪顕正


表題は、『谷口雅春先生のご日常』の18頁にあります。

こういう書き出しです。

〈先生が御揮毫なされる際−
第一に、御揮毫に必要な墨汁を作ることが大変な仕事なのであります。
…二、三時間の中に大体百枚に及ぶ半折の軸、或は額がことごとく御揮毫なされてしまうのであります。
誰だって、こんな短時間に半折のものを百枚も揮毫することなど出来ないでありましょう。
これ神のなさしめ給うからであると思うのであります。〉

この時間と御揮毫なさる数、それだけを見ても、驚嘆というほかはありません…。

で、こう続くのです。

〈先生の御揮毫は、全く日常茶飯事と少しも遜色なく、筆と紙と墨汁と人との真の一体化を物語るものであります。
こんなにたくさん書かれても少しもおつかれのご様子は見受けられません。〉

そういう尊師の御揮毫なされた「實相」を隠す…。

隠すばかりか、その前に、総本山の一職員が書いた御神名をおいて、それを礼拝させる…。

こんな“非道い”話はないでしょう…。

尊師を冒涜するにもほどがあります…。

ある信徒さんは、この掲示板でも紹介された、「實相」額の前のモノ≠見て(イメージ写真ではありますが)涙をこぼされたそうです。

まだまだ、心ある信徒さんがいる、そう確信しました。

そういう信徒さんの涙を決して無駄にしてはならない…。

非道には真理をもって相対する、その思いで今後とも臨んでまいりたいと思っています。


“形をもたてる”(51頁〜)を読んで思う… (12230)
日時:2020年06月20日 (土) 10時23分
名前:破邪顕正


この中で、栗原先生がこう書いておられます。

〈偉大なる人物ともなれば成る程、敬虔な態度をおとりになられる。
この先生のためには、又、敬愛する先生が心身を打ちこんでおられるこの仕事−人類の光明化運動−のためには生命をなげだしても全く惜しくはない、と、しみじみ肝に銘じたことがあるのであります。
皆様は如何ですか。〉

この栗原先生の問いにどう答えるか。

信徒一人一人の生き方でそれを示していくしかないと自らに言い聞かせたことです。

“不惜身命”という言葉があります。

信仰とはまさしくそれなのだと改めて思います。

この“不惜身命”という言葉、新装新版『真理』第9巻「生活篇」の中に出てまいります。

《吾々は謙遜で柔和でなければなりません。
イエスは「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり」と言っています。
これは心の謙遜なものの事です。
またイエスは「幸福なるかな、柔和なる者、その人は地を嗣がん」と言っています。
謙遜にへりくだって、心やわらかく和やかなと云うことは、素直に逆らわずに、今与えられているすべてのものを感謝して受けることです。
するとそこに天国はあらわれ、地上に天国状態が出現するのであります。
併し、今与えられているものが如何に辛くとも、その使命遂行に如何に努力を要するとも、与えられたものを素直に受けて、それを完遂するには「義に飢えかわく」熱意と実行の勇気とが要るのであります。
だからイエスは「幸福なるかな、義に飢え渇く者」と言っています。
義―即ち正しき生活の在り方のためには不惜身命に勇気をもたねばなりません。》

“不惜身命”について、ここでは、こう説明してあります。

「正しいことのためにはいのちをおしまずにささげること」

これを今の教団に置き換えて考えてみましょう。

先の「通達」、そして今回の『“新しい文明”を築こう』、これに対してどういう姿勢で臨むか。

“素直に逆らわずに…感謝して受ける”か。

それとも

“「義に飢えかわく」熱意と実行の勇気”をもって事に処するか。

両者を分かつのは、それは“義に飢え渇く者”であるか否か、そこに尽きると思うものであります。

「通達」も『“新しい文明”を築こう』も、尊師の教えを破壊するものであって、そこに「義」はない…。

そう判断するのであれば、それこそ「義を見てせざるは勇無きなり」勇気をもって立つべきである…。

それが、今、今なのだと私は思っています。





“真の愛国者”(155頁〜)を読んで思う… (12251)
日時:2020年06月23日 (火) 08時15分
名前:破邪顕正

尊師が占領軍により執筆追放に遭われていた頃のことです。

栗原先生が輝子先生に、

「先生の天皇中心主義と、祖国愛とには、戦前戦後を通じてお変りはございませんでしょうか」と質問されます。

それに対して、輝子先生がこうお答えになられます。

「その点、先生のお考えは少しもお変りございませんのよ…」

それを聞いて、栗原先生がこう仰るのです。

《そのお言葉をおききしました時、いくらたたかれても、たたかれても尚その信念にお変りないそのすばらしい祖国愛の持主を師と仰ぐことの出来た自分達は、この上ない幸福感の法悦にみたされたのであります。》

ここを読ませていただいて、私ははっきりと確信いたしました。

総裁の言う「卵の黄身」とは、まさしくここを言うのだと…。

変えてはならない「卵の黄身」を、総裁は明らかに変えてしまった…。

これを変えてしまったら、「生長の家」が「生長の家」でなくなる…。

その危機感から、吾々は起ちあがったのだと…。

今、改めて、栗原先生のお言葉を伺い、尊師のお心に生きることのできる吾々は、“この上ない幸福感の法悦にみたされ”ていると思うものであります。

この道こそ、尊師へと繋がる道、そう確信いたしました。



“私の残したいもの”(168頁〜)を読んで思う… (12259)
日時:2020年06月24日 (水) 08時45分
名前:破邪顕正


尊師は大阪の中之島公会堂で度々、ご指導なさっています。

この中之島公会堂は岩本栄之助という人の寄付によって建てられたものです。

あるとき、尊師は、中之島公会堂での講演を終えられた際、こうおっゃったというのです。

「僕も建造物を残したいと思うな。造った人は亡びても建造物だけは残るからね…」

それを伺った栗原先生は、こうお書きになっておられます。

〈きっと、先生は、何かすばらしい美術的建造物をお建てになるに違いない。どんなものか早く出来ればいいがなと、当時考えたことであります。それが遂に出来上がったではありませんか。言うまでもなく「生長の家本部会館」であります。
 この建築の着手までには、三、四年の年月を費やしたのであります。〉

その「生長の家本部会館」は、ご存じのように、総裁によって破壊されてしまいました。

信徒がどんな思いで、この建設のために、挺身・致心・献資の誠心を献げていかれたか。

その思いをすべて、総裁は無に帰してしまったのです…。

しかし、形あるものはいつかは壊れる…。

建物はまた建てればいい…。

それ以上の問題は、総裁によって「生長の“家”」が破壊されたことなのだと私は思っています。

しかし、破壊されたのであれば、また「生長の“家”」を再建したらいい…。

その道が唯一、残されている…。

それは『生命の實相』という“神殿”が私たちにあることです。

この“神殿”さえあれば、「生長の“家”」の再建は必ずできる…。

その信念こそが、今の私たちを支えてくれる原動力なのです。



“発祥時代のなごり”(216頁〜)を読んで思う…  (12275)
日時:2020年06月26日 (金) 07時55分
名前:破邪顕正


題名にあるなごりとは、「生長の家」の扁額のことを指します。

この扁額は、尊師が住吉にお住まいの頃から玄関に掲げられ、それが東京に移転されてからも掲げられていました…。

で、栗原先生はこう仰るのです。

〈この額はそれこそいろいろの事件を、黙々としてみて来ているのであります。この額に口あらば、過ぎ去りし諸事について諸々の善悪について一言おききしてみたいものであります。〉

ここを読んで私も思いました。

「實相」の前にモノ≠おいて、それを隠蔽しようという今回の「通達」に対して、果たして「生長の家」の扁額は、何というだろうかと。

“諸々の善悪について”、少なくとも、これを「善」であるとは絶対に言われないと思います。

それこそ、それは「生長の家」の教えに逆行するものと厳しいまなざしをむけられるに相違ないと私は確信します。

立教90年にして、このようなことが起きるとは想像だにしなかった…と「生長の家」扁額は驚き、悲しみ、お怒りの言葉を発せられるのではないでしょうか。

そして、本当の「生長の家」を護って欲しい…。

その声が聞こえる者のみが、今の総裁、並びに教団に対して起ちあがっていくのだと私は思っております。


“報恩”(137頁〜)を読んで思う… (12349)
日時:2020年07月09日 (木) 14時29分
名前:破邪顕正

ここには、谷口雅春先生と輝子先生の媒酌人となられた今井楳軒先生のことが紹介されています。

今井先生の死去を旅先でお知りになられた尊師は、電文を打ってすべての手配をなさいます。

栗原先生は、それについてこう書いておられます。

〈故今井先生に対する御報恩のお心の現れの一端と拝察したのであります。…吾々も、吾々を導いて下さった先輩その他の方々に対して、絶対に報恩せねばならないことをお示しになっているのではありませんでしょうか。…恩とは「因(もと)の心」と書きます。根元をつちかわねば枝葉は繁るものではないのです。〉

尊師がどれほどの恩義を今井先生に感じておられたか。

新編『生命の實相』第33巻「自伝篇・聖詩篇」にはこうあります(45頁〜)。

《私は、心霊科学研究会の毎月の損失の一部を負担している有志の一人で同時に私の媒妁親である今井楳軒翁のところへ相談に往った。そしてともかく、会の仕事をあずからして頂くあいだは、吾々親子三人の生活も、会に預かって頂かなければとても板挟みで苦しくて堪らないということを話した。…そして今井翁は奥さんに紙幣を出させて、私にそれを渡した。会からその金を出すとはいうものの、本当は今井翁が黙って自分の貧しい私財を提供して、会へは公けにしないものであることは明らかであった。今井翁はそうした性格の老人であった。…私はこれ迄も今井翁から幾度も生活向きのことで助けられて来たことがあり、この老人から夥しい感化を受けていた。…震災当時、今井翁夫婦はすぐ上京して浅草じゅうを探し廻ってわたしの安否を気遣ってくれたほどの翁であった。…私はこの老人から時々供給された生活費などのことを長いあいだ養ってくれた養父母からの養育費などよりも深く感謝していた。金高にすれば四歳のときから私を大学に通わせるまでの額は今井翁の出した額とでは比べ物にならないほどであったろうが、今井翁の愛の純粋さは金高の相違や、実際子供を育てる上に要した労苦を超越しているかのように私の心を打つのだった。》

また、谷口輝子先生は、『こころの安らぎ』というご本で「感恩の心の美しさ」と題して、こう綴っておられます。

《私は貧しい人と結婚したが、神様の御用をしていたら、神様はどこからか手を廻して、私たち夫婦を養い給うとは信じていたが、それは今井楳軒先生であった。私たち夫婦が生きるに必要なだけの生活費は、毎月今井先生の手から渡された。それは二年間つづけられていた。私は肉親の恩はゆたかに受けて育ったが、他人からの恩恵は初めてであったので、ひどく感激し、今井先生への報恩は、生涯かけて果したいと心に誓った。
 夫が生長の家を創始せられ、人類光明化運動が年と共に発展の一途を辿るようになって来た頃、今井千代子夫人は咽喉の手術をされたため、清元の師匠としての職業は不可能となった。夫人の収入は、今から五十年前に五百円だったから、当時としては高額であった。その収入の道は断たれた。今井先生が痔の手術のために、一カ月神戸の痔の専門医院に入院された時、見舞に行った私は、病苦と同時に病院の支払いに心痛して居られることを察知した。その頃私は、千二百円の貯金があった。関東の大震災に遭って、着のみ着のままになった私たちは、夫が外国商社に就職しても、泥棒に二度もはいられて、衣類の新調に追われていたが、やっと一段落して貯金をはじめた頃であった。一旦家に帰り、貯金を引き出して病院に再び行き、七百円の支払を済ました時、病床の今井先生は私に頭を下げて涙された。私もその御姿を見て涙をこぼして喜んだ。
 御恩返しというものは、貰った金額だけ返したらよいというものではない。金融機関から借りたお金なら、借りた金額に利子をつけて返せばよい。彼等金融業者には、損をさせねばよいというだけである。しかし、恩というものは、単なる金銭取得ではなく、「愛」を受けたのであり「好意」を受けたのであって、金銭の損得を超越した高度なものであるから、いくら返しても返し切れない尊いものだと私は思っていた。
 その故に、私は二年間受けた送金を、今井先生御夫妻とも、この世を去られるまで送りつづけたのであった。今井先生は七十五歳で、夫人は七十二歳で昇天された。しかし私は、これで御恩返しが出来たとは思えない。何故なら、今井先生が私たち夫妻に与えられた「愛」は無限であったから、私たちの感謝もまた無限なのである。》

愛無限、感謝無限

何と素晴らしいお言葉でしょうか。

であれば、私どももまた報恩無限≠フ思いで、尊師に対して報恩感謝の誠を献げていかなければならないと思います。

何がそれに値するのか。

私は、結局、尊師の教えを護り伝えていくことしかない、そう思っております。

とりわけ、背教総裁によって、ここまで教えが眩まされてしまった以上、これ以上の報恩はない、そう思っております。

尊師もまたそう願っておられるに違いないと、私は確信しておりのます。


『谷口雅春先生のご日常』を教団信徒さんも絶賛しています… (12457)
日時:2020年07月30日 (木) 09時43分
名前:破邪顕正


尊師が神去られて35年。

当然、尊師の謦咳に直接、接した信徒も少なくなってきています。

だからこそ、逆に、尊師のことをお知らせする必要があります。

その意味で、『谷口雅春先生のご日常』は最適の本ではないでしょうか。

これを読んだ会員の方が、大変、感動されて、こういう本をこそ、教団信徒の皆さんにも読んで欲しい。

そう決意されて、心ある信徒にお声かけされた…。

すると、そんな本ならば是非、読みたい…。

4人の方からそういう声を聴くことができたと嬉しい報告をいただきました。

今、私たちのなすべき使命は、尊師の素晴らしさを徹底してお知らせすることにあります。

この会員の方のように、自分の感動を教団信徒の皆様にどんどんお伝えしてまいりましょう。

教団は会員必携として『“新しい文明”を築こう』を頒布しています。

それに対して、私たちは信徒必携として、この本をどんどん広げていこうではありませんか。

どちらの本が、信仰の喜びが沸き起こるか…。

興味ありますね、頑張りましょう。

“手相”(81頁〜)を読んで「神想観」の大切さを思う… (12481)
日時:2020年08月02日 (日) 11時43分
名前:破邪顕正

尊師の手相が如何にすばらしいものであったかが、ここに紹介されています。

手相では、横筋はよくないものとされます。

どうして、横筋が多くなるか。

尊師は、こうお諭しくださっています。

〈『常に手に汗する』ような恐怖の感じをいだいていたり、拳を固めて、人を叩きつけるような悩みや怒りの感じをいだいていると、拳をにぎったときに掌が横に折りたたまれるから、横筋が多くなる。神に心が向えば、心が縦に上方に向うから、縦の手の筋がふえる。…〉(『谷口雅春先生のご日常』81頁)

縦の手の筋を増やして、いい手相にするには、やはり「神想観」を実修するに如くはなし…。

『理想世界』誌・昭和44年2月1日号「十三日の法語 あなたは自分の運命を改造できる」でもこのようにお説きくださっています。

《…その人の運命はその人の手相にあらわれるといわれているが、手相そのものは固定したものでなく、その人の心の変化にしたがって、その心の状態を象徴する象(かたち)に変化して行くのである。私が早稲田大学を途中で飛び出して処(ところ)さだめず浮草のような放浪生活を送っていた頃、私の手の筋≠ノは一本も縦にのぼる線はなかった。そして横に走る手の筋≠熬キく一定に続いている線はなく、恰も漣(さざなみ)を略画したようなこんな短かい線がバラバラと点在しているのであった。私は自分のこのような手の筋を見ながら、私はこの漣に浮ぶ浮草のような運命を一生涯送ることになるのであろうと自分の運命の拙なさを歎いていたものである。その手の筋≠ヘ、その頃の私の心境を象徴したものであった。私は決して永久にそんな運の悪い星の下に生まれた訳ではなかったのである。関東大震災後、私は、ついに人間・神の子≠フ真理を悟ることになり、神想観を毎日実修して祈り、高き聖域を想像してその聖域より神霊が降下して縦に自分の体を上より下へと流れ入る有様を瞑想中に念ずることにしたとき、手の筋≠ェ一変したのである。今では私の左の掌には下部から上部に縦に貫き昇る線が運命線・太陽線等四本も昇っている手の筋≠ノなったのである。それに従って私の運命も改造せられて来たのである。あなたも自分の心を改造することによって運命を改造することができるのである。》

新編『生命の實相』第11巻「実証篇・精神分析篇」を拝読させていただいておりますと、立教当初、信徒が如何に熱心に「神想観」に励んでいたかが手に取るようにわかります。

例えば、尊師に直々に「神想観」のご指導をいただいた澤田聖人さん(その具体的なご指導の内容は新編『生命の實相』第20巻「万教帰一篇」57〜59頁にあります)のお話が出てきます(67頁)。

「第一回熊本誌友会」が開催された際の報告なのですが、初めての参加者がいるにもかかわらず、「神想観」が実修されていることは大いに注目すべきです。

《…私は携行の先生御筆「生命の實相」と「一切万事吾より発し吾に帰る」の二幅を床の間に掛け、…それから床の前に正座して深く「神想観」に入り、本日の誌友会が盛大に終りますよう、これを中心として熊本に、九州に、日本に、東洋に、全世界に、大宇宙の隅々迄光明遍満の神徳が輝きわたり、一切生類の上に平和あり、一切万物の上に平和備われよと祈りました。観中たちまち白衣清浄光明の神姿を拝し、次に雑色無量の御光り縦横に交走し、眼眩み魂飛ぶかと思う大振動的衝撃を感じましたが、やがて無限、静寂、深々、虚々、高ー大ー遠ー空ー。枕時計のチクタクを額の辺りに感じつつ只「生!」「生!」湧然起り来る歓喜の情(それはかって経験せざる無我の涙!)。…一先ず勢揃いが出来ましたので、開会する事に致しました。不肖先ず簡単に本日の趣旨と「生長の家」修養の眼目を述べ、次に初めての人の為に「神想観」の要点を説明しまして実修に移りました。姿勢に不慣れにて苦痛であられた方もありましたろうが、皆様熱心にお務め下さいましたので嬉しうございました。》

立教当初の「生長の家」の発展ぶりには、今の私どもが学ぶべき重要なことがたくさんあるように思います。

改めて、「神想観」の素晴らしさをお伝えすること、それが「谷口雅春先生を学ぶ会」の発展にも必要不可欠であると痛感した次第です。




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