私がここに拉致問題を取り上げた理由について (12162) |
- 日時:2020年06月12日 (金) 19時30分
名前:コスモス
合掌 有難うございます。
先日、横田家の皆様が滋さまのご昇天に際して会見を開かれて、それぞれに思う所をお話しになりました。
そのご様子を拝見しながら、何と意志の強い、精神力の強い皆さまだろうかと、感じ入りました。素晴らしいご家族ですね。
その時に思い出されたのが、もう随分前の事になってしまいましたが、当時、生長の家白鳩会の総裁であった谷口純子氏は、拉致という事に対して非常に冷たい意見を当時の「白鳩」誌に書かれていました。
細かい事は忘れましたが、淡々と他人事のような思いを述べられた後、最後の締めくくりが、世の中が拉致にようやく気付いて、マスコミが一斉に取り上げた事を指して、「世の中は拉致一色となった」と、書かれたのです。
これが信仰者の、それも大きな組織の総裁ともあろう方が発する言葉だろうかと、私は本当に驚きと悲しみと、怒りで読みました。
何よりも彼女は母親です。三人の子供たちの母親であるならば、拉致被害者の皆様の悲しみや怒りがどれほどのものか、察して余りあるはずです。白鳩会の最高責任者の冷たい言葉に、どれほど拉致被害者の皆様は、傷つかれた事かと思い、本当に申し訳なく、恥ずかしい想いで一杯になりました
今にして思えば、現在皆さんが書かれているように、ご夫妻揃って左翼的言動を為されているので、反日的人々の思いと大差なかったのだろうと思います。
私自身も、拉致被害者の皆様には心を寄せながらも、事件そのものについては不勉強でしたので、知らない事が多々ありました。今回ご紹介したブログを読みながら、驚いたのは、京都の立命館大学が、拉致被害者が多く、その拠点の一つになっていたという事実です。本当に驚きました。
フェースブックでは、都内のある病院が、数十年もの大昔から、人さらいの拠点となっていて、まだ少女だったその人も、病院内で迷子になりかけて、恐怖に襲われながら、必死で家路を辿ったということです。その病院内には拉致した人を隠蔽する部屋があり、自分もその一人になってもおかしくなかったと書かれていますし、
またある人は、幼い娘たちが公園で遊んでいる時に、妹がいつの間にか、見知らぬ大人に囲まれてあわやという時に、姉娘が大声で妹の名を呼んだので、難を免れたと、その子供たちの母親が書かれています。「今にして思う度に、体が震える」とあります。
全国で拉致されたと思われる人々が900名近くに上るとは知りませんでした。本当に恐ろしい事です。
私は思うのですが、真面な生長の家教団であったならば、白鳩会などは率先して、白鳩会総裁が思いのこもる文章を書き、全国的に白鳩会員が心を合わせて、一日も早い帰還を願う祈りをずっとずっと続けられたのではないかと。
熱い想いで祈ることこそ、信仰者の使命ではないかと思うのです。まして日本という国の主権を踏みにじられて、何の罪のない人たちが人のいのちを何とも思わない恐ろしい北朝鮮に連れ去れ去られるということは、こんな悲しい事はありません。もし自分の家族がそのような目に遭ったと思うと、心が張り裂ける思いで安眠など不可能であろうと思います。
本当に残念であり、申し訳ない事です。 拉致だけでなく、日本にとって大切な事が、余りにも沢山置き去りにされ、何一つ救われるような祈りも行動もないままに過ぎた30数年でした。
過ぎ去った日々は二度と帰りません。今為されなければ救えない人々に手を差し伸べることなく、見殺しにしてきた月日でした。
谷口雅春先生は、胎内の子供の命を奪うことは、世界一の大泥棒だとおっしゃっています。何故なら、その人が生まれるべきその時代の、その所に生を享けることは、そこでしか学べない事を学ぶラストチャンス、今しかありえないチャンスなのです。
そのチャンスを奪うことは、金品を奪うどころではない、二度と取り返しのつかない犯罪であると述べられています。 雅宜総裁夫妻の為してこられたことは、それに匹敵する大犯罪であると、私は断じます。
人の肉体の命を奪う事も勿論大きな罪ですが、人の魂が求め続けてやっと救われるチャンスを手にして、生まれて来たというのに、その魂を救わないことは、人殺しよりも大きな罪だと私は信じます。
「人間は神の子である」という尊い教えを、「日本は天皇さまを戴く真理国家である」ことを、深く学ばせないという事は、本当に申し訳ない事だと思います。
勿論私自身も、微力のまま成しえない事がはるかに多かったのですが、たとえ小さな灯りでも、燈しつづけて行きます。
せめて私たちは、日々の祈りの時に、拉致被害者の皆さまに心を寄せて、一日も早い帰還が実現することを信じて、いえ、既に成ったと信じて、祈って行こうではありませんか。どうぞよろしくお願い致します。 再拝
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