「経本」ができた背景には、総裁の迷い≠フ心があるように思えてなりません… (12105) |
- 日時:2020年06月05日 (金) 13時45分
名前:破邪顕正
表題のことは、新編『生命の實相』第19巻「万教帰一篇」を読んでいて思ったことです(105頁)。
《自己自身をそのままで完全な人間だという自覚を有たないで、自分は何か他物によって補われなければ完全になれないものだと思っている。 この何か他物によって補われる必要があるという渇欲(まよい)がある。 この渇欲があるために、その渇欲を充たすために、これを食べたらどうだと誘惑すべく蛇によって差出されたのがこの知恵の果実であります。》
勿論、ここは、イブが蛇の誘惑にそそのかされて知恵の果実を食した、あの有名な場面での話なのですが、私にはそれがどうしても「経本」が生まれた背景とダブって仕方がないのであります。
それをご理解いただくために、次のように読み替えてみることにいたします。
《「聖経」をそのままで完全な神様の御言葉だという自覚を有たないで、「聖経」は何か他物によって補われなければ完全になれないものだと思っている。 この何か他物によって補われる必要があるという渇欲(まよい)がある。 この渇欲があるために、その渇欲を充たすために、地球環境を保護するための言葉がここに入らないといけないのだと誘惑すべく迷霊によって差出されたのがこの「経本」であります。》
「聖経」は補強≠ウれなければならないと言った総裁の背後には、何か、ここに言われる渇欲(まよい)≠ェあったのではないのか。
その渇欲(まよい)≠ェ迷霊をして「経本」をつくらしめたのではないのか…。
そんな気がしてなりません。
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