総裁の、聖なるものを破壊したい願望は、かつて天皇というご存在にも向けられたことがある。これでも「天皇国・日本」の思いは現教団から消えていないと言えるのか… (12015) |
- 日時:2020年05月23日 (土) 11時06分
名前:破邪顕正
思い込みの怖さは、そう思い込んでいるものにとって都合のいいものばかりしか眼に入ってこない…。
それとは異なるものは、すべて捨象されてしまう…。
だから、事の本質がわからないままになってしまう…。
いわば、思い込みとは偏見≠ニいうことであります。
だから、「八正道」では正見≠ェいの一番にあげられている…。
それだけ、物事を正しく見る、ということがなかなか出来ない、ということなのでしょう。
さて、表題のことです。
総裁という人の実像≠知るに当たって、このことは決して忘れてはならないことだと私は思っています。
だからこそ、私はかつてこういう投稿をさせていただいたわけです。
〈谷口雅宣総裁の天皇陛下を侮辱する発言に我慢できず辞めました… 日時:2016年01月06日 (水) 09時23分 名前:破邪顕正
表題は、ある教化部職員の言葉です。
この職員は、谷口雅宣総裁が環境問題に走るのまでは納得していたようです。
しかし、谷口雅宣総裁の天皇陛下を侮辱する発言を聞いて、もはや我慢も限界ということで職を辞したということでした。
また、ある組織会員も、谷口雅宣総裁のこの発言を目の当たりにして、お先真っ暗になったと言って、苦悶の胸中を赤裸々に訴えてこられました。
それでは、その侮辱発言とは何を指すのでしょうか。
私も、そのことをネットで知ってはいましたが、それを直接、聞いたわけではありませんでしたので、これまでそれについては言及しないできました。
しかし、今回、それを直かに聞いたという人からの相談を受けて、ネット情報は事実であったと確信することができましたので、ここに紹介する次第です。
でも、とてもそれをそのままここに書けるようなものではありません。
私自身が、耐えられない思いであるからです。
伏字にするしかないことを、予めご容赦ください。
谷口雅宣総裁はこう言ったそうです。
…天皇陛下だって、ウ○チもすればオ○ッコもするんです
私は、「組織」に残る信徒に対しては、これからはハッキリとこう言おうと思います。
…こういう総裁に「中心帰一」するのが、谷口雅春先生の教えなのですか?!
民主党を支持し、「朝日新聞」を推奨し、「占領憲法」を擁護し、あまつさえ天皇陛下をこのように侮辱する。
そういう総裁が、本当に「生長の家総裁」でいいのですか?
これは、「環境問題は大事だと思うから」という理由で「組織」に残る人にぜひ、問いかけたいことでもあります。
だって、冒頭に紹介した職員は、この一点で職を辞したのですから!
それほどの重大な問題がここにはあるのです。
相談者の方は、こう言われました。
…どうして、総裁先生はあんなことを言われたのか、未だに理解できないでいるのですが。
それで、私はこう答えることにしました。
谷口雅宣総裁のあの侮辱発言は、「日教組」の先生がよく言ったものと同工異曲です。
天皇陛下を「現人神」とする日本人の心情を小ばかにするときに、よく、こういう言い方を用います。
世の中に、「サユリスト」という人がいます。
私の知人にもそれがいましたから、以前、何をもって「サユリスト」と言うのかと聞いたことがあるのです。
そのときに、その知人が答えた言葉が未だに忘れられません。
「吉永小百合はご飯も食べなければ、ウ○チもしない。オ○ッコもしない。そう信じている人のことをサユリストと言う」
そうです、所謂、偶像崇拝なのです。
谷口雅宣総裁は、とにかく、この偶像崇拝が大嫌いなのです。
谷口雅春先生を神様のように思う信徒がいることも大嫌いです。
だから、「谷口雅春先生だって間違うんです」と言ってしまうのです。
『聖典』という言葉も嫌い。
「神癒」というのも嫌。
同様の論理で、天皇陛下を神様のように思う信徒がいるのが我慢ならないのです。
つまり、谷口雅宣総裁は、生長の家が天皇信仰であるということが耐えられない。
だから、それを何とかして壊したい。
それが谷口雅宣総裁のホンネなのです。
そうとでも考えなければ、谷口雅宣総裁がなぜ天皇陛下をあのような言葉で侮辱しなければならなかったのか、その心理が解き明かせません。
ザックリ言ってしまえば、「天皇信仰の生長の家」を根本的に破壊し、まずは更地にして、その上で自分の「生長の家」を打ち立てる!
それこそが谷口雅宣総裁がこの30年間で考え、やってきたことだと言うことです。
谷口雅宣総裁がこの30年間でやってきたことの点と点とを結んでいけば、自ずとそれがクッキリと浮かび上がってきます。
そうとわかれば、今のSNI教団≠ノいることが、谷口雅春先生の教えに合うことなのかどうか、自ずと結論は見えてくるのではないでしょうか。
「組織」に残っている信徒の皆さん。
ぜひ、ここに紹介した私なりの見方を一つの参考にして、今後の出処進退をどうするか、ご検討いただきたくお願い申し上げる次第です。〉
このとき、私は、いみじくも偶像崇拝という言葉を使用していました。
総裁にしてみれば、所謂、原理主義者とは天皇信仰∞尊師信仰≠ノ立つ者であって、それは偶像崇拝に他ならない、そうものを壊したかったのだと思うのです。
そういう総裁が、「天皇国・日本」への思いは消えてはいない、などとどうして言い得ましょう。
「思い込み」とは、実に怖いものです。
ところで、今回の「通達」は、本来、偶像崇拝を嫌っているはずの総裁が、こともあろうに、それを今度は信徒に強要しようとしているわけです。
おそらく、総裁は、「實相」を礼拝することが尊師の御揮毫であるがゆえに尊師信仰≠ノつながると見たのではないでしょうか。
即ち、「實相」礼拝も、総裁にしてみれば、偶像崇拝にほかならない。
だったら、偶像崇拝には、偶像崇拝をもって相対せしめる…。
そういうことではなかったかと私は今、考えています。
そうとでも考えなければ、どうして「實相」額の前にモノ≠設置するのか…。
そこに、よほどの思いがなければ、とてもこんなことは想像だにできないことであります。
立教以来、90年もの長きにわたって「實相」礼拝できたわけですから…。
この「生長の家」の歴史、伝統、文化の重みを、総裁は一気に壊しにかかった…。
そこに今回の「通達」の深刻さがあるのだと思う次第です。
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