《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「ほ」といふ字 ー 『生命の實相』「經典篇 聖經『天使の言葉』講義」で楠本由吉さんに浮んだ字は? (11973)
日時:2020年05月15日 (金) 19時00分
名前:立葵

合掌
今年は終戦後75年を迎へ、私も生まれた時から「現代かなづかい」の中で育ちましたので、「現代かなづかい」が一番慣れて読み易くて安心感があったのでした。
歴史的仮名遣は古典の授業に出てくるものであり、日常生活とは別のものといふ感覚でした。

その「現代かなづかい」こそがかけがへのない國語の伝統の破壊を招来し、先人の遺された文章を読めなくさせ、祖國の縦の生命のつながりを絶つといふ憂念を示されて考へる端緒となりましたのは、何と申しましても谷口雅春先生の御文章でした。

さて、『生命の實相』「經典篇 聖經『天使の言葉』講義」は、谷口雅春先生に天降りました神様の御言葉についてお説きいただいた、とりわけ言霊の祝福に満ち溢れた一巻と仰ぎます。

その巻の中の文字表記を云々することは畏れ多く、本義ではないとの危惧もありますが、谷口雅春先生の御執筆当初の歴史的仮名遣を「現代かなづかい」(頭注版)、「現代仮名遣い」(新編)に改めたことによって看過できない(スルーしたくない)矛盾が生じてしまった一文字について、敢て申し述べさせていただきます。

それは、満洲の新聞社に勤務してをられた楠本由吉さんが住吉の「生長の家」を訪れ、谷口雅春先生が直接読んで聞かせて下さった聖經『天使の言葉』によって「病、本来なし」と悟られたお話です。
(新編第36巻108〜112頁、頭注版第23巻101〜103頁、愛蔵版第12巻117〜120頁)
(愛蔵版は新編の底本であり、歴史的仮名遣を保持した聖典の一例として参照しました)

(謹要約)楠本さんが悟られた日の帰りの車中で瞑目してをられると、つぶった目の先に「なる」といふ大きな字がネオン・サインのやうにぽっと浮んで来た。
「な」と「る」の間に「ほ」といふ字が小さく浮き出てゐる。「(持病が)治る」ことらしいと、その時は思った。(それは違ってゐたと後から気付いた)


この「な」と「る」の間に小さく浮き出てゐた「ほ」といふ字の「ほ」が、愛蔵版と新編では「ほ」、頭注版では「お」です。

「ほ」または「お」といふ字に対応した漢字「治る」のルビが、新編と頭注版では「なおる」、愛蔵版では「なほる」です。
(厳密には送り仮名の「る」にはルビがありませんが、ここでは「治る」全体の読み方を仮にルビと称します)

頭注版…「お」という字 * 治る(なおる)
新編…「ほ」という字 * 治る(なおる)
愛蔵版…「ほ」といふ字 * 治る(なほる)

頭注版では「治る」のルビ「なおる」に一致させるために楠本さんの瞼の裏に浮かんだ字を「ほ」から「お」に書き換へたのではないかと思ひます。

新編では、つぶった目の先に浮かんだ「ほ」と「治る」のルビ「なおる」との不一致について、脚註に、

本書執筆当時、「なおる」は「なほる」と歴史的仮名遣で表記していた

と、一致しない理由が書かれてゐます。

各版の編集の形はそれぞれが読者への読む上での便宜を図る愛念による方針の現れであると思はれ、尊重します。
どれが良い悪いとあげつらふ者ではありませんが、この時の楠本さんに浮かんだ字は「お」ではなく「ほ」ではなかったかと私は思ひます。

「ほ」といふ字
歴史的仮名遣が、戦後の混乱の中で日常語としても廃されてゐなかったら生じなかった問題であったと思はずにはゐられない一文字でした。

再拝



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