《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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今回の「通達」がもたらす深刻な問題は、教団の拠り所としてあった「人類光明化運動指針」の「第九条」を自ら否定してしまい神意≠ネき教団にしてしまったことにある… (11971)
日時:2020年05月15日 (金) 16時21分
名前:破邪顕正

《生長の家大神−総裁・副総裁−御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である》(『菩薩は何を為すべきか』52頁)

教団は、どうして、この箇所を持ち出しては総裁への「中心帰一」を信徒に強要できたのでしょうか。

その先にこうあるからです(53〜54頁)。

《総裁と云うのは一体何かと言いますと…総裁・副総裁を通して生長の家大神の御教えが流れ出ている其のパイプ的役割が総裁・副総裁であります。》

つまり、「生長の家大神の御教え」は総裁・谷口雅宣先生にしか天降っていかない…。

だから、総裁の説かれることが神意≠ナある…。

そういう大前提があったからこそなのです。

ところが、実は、その先に、総裁も教団も多分、見逃しているであろう、重大なご文章があるのです。

《この運動は宇宙の創造神に在しますところの生長の家大神が或る時期に住吉大神と顕れてコトバの力によって御禊祓をなしたまうところの運動であります。》

このご文章の重大な意味がおわかりになりますか?

そうです、「宇宙の創造神に在します」即ち、第一義の神(幽の幽なる神=本源神)は具体的に教えを天降らすことはない…。

第二義の神(幽の顕なる神=応化神)、即ち住吉大神にしてはじめて教えを天降らすことができる…。

つまり、冒頭に掲げた

《生長の家大神−総裁・副総裁−御教》

この「第九条」の本当の意味は、

《住吉大神−総裁・副総裁−御教》

ということを指し示していたのです。

お察しの好い方はもうお分かりになったかと思いますが、今回の「通達」では、その住吉大神に取って替わって、第一義の神であられる“造化の三神”をもってきたわけです。

即ち、「第九条」が 

《“造化の三神”−総裁・副総裁−御教》

このように取り替えられてしまったのです。

そこで、質問です。

《“造化の三神”−総裁》

果たして、この棒線≠ヘ成り立つのかということなのです。

『前掲書』には、はっきりとこう記されています。

《此の棒は教えが其の本源から流れて通過して出るパイプの系列を示している》(53頁)

第一義の神であられる“造化の三神”からは、教えが流れ出ることはないというのが、尊師の教えですから、

《“造化の三神”−総裁》

つまり、ここでの棒線は成立しないということになるのです。

今回の「通達」の致命的な問題…。

神様を取り替えたことによって、もはや総裁には、どこからも教えが流れ入っていかない、天降るということはない…。

即ち神意≠ェ顕れないということになってしまったのです。

それを、総裁自らがやってしまったのです。

「第九条」をもって信徒に「中心帰一」を要請してきた教団は、その「第九条」によって却って、足下を掬われることになってしまった…。

今回の、神様の取り替えは、教団にとって、それこそ取り返しのつかないような事態を招くことになってしまった…。

「第九条」転じて大窮状≠ニなる…。

それが、今回の「通達」の意味するものであると私は見ています。

全ては、住吉大神を“造化の三神”に取って替えるという、尊師の教えに従えば、絶対にやってはならないことをやってしまったからこそです。

総裁の言うこと、やること、それが今後は、一切神意≠ニはならない…。

宗教団体といいながら、そこに神意≠ェない。

神意≠ネき教団の行く末がどうなるか。

それを、今後、私たちは見せつけられることになるだろうと思っています。



現在の教団の実態を「第九条」で表現すれば《総裁−御教》としかならない。これでは神様なき谷口雅宣個人崇拝=カルト教団≠ニいうほかはない… (11978)
日時:2020年05月16日 (土) 12時43分
名前:破邪顕正


「第九条」について、改めて検証してみたいと思います。

尊師が創始された「生長の家」の運動とは何であったのか?

《この運動は宇宙の創造神に在しますところの生長の家大神が或る時期に住吉大神と顕れてコトバの力によって御禊祓をなしたまうところの運動であります。》

さればこそ、尊師は総本山ご造営に当たって、こう宣言なされたわけです。

《わたしはちかいうちに、九州別格本山の八十万坪の聖地に、護国の神霊住吉大神の神殿を建立する準備のために移住する》(『理想世界』誌・昭和49年12月号)

そして、そのご神体として「護国の神剣」が奉納されたわけです。

総裁は、この全てを否定したい…。

「国」とか「日本」とか「護国」とか、そういうことを強調するのでは、自らの推し進める「国際平和信仰運動」の足を引っ張ることにしかならない…。

グローバリズム、国際化の流れに逆行してしまう…。

だから、そのためには何としても御祭神の住吉大神を替えなければならない…。

そこで、総裁が考え出したのが、新たに“造化の三神”を合祀するということにして、住吉大神を脇神にし、時間をかけて無化するという手だったのです。

そして、いよいよ機熟せり、ということで、総本山での神様の取り替えを、今度は教団全体にまで及ぼそうとはかって、今回の「通達」を出すという仕儀となった…、こういうことだろうと思います。

ところが、ここで、この住吉大神外しが思わぬ問題を惹起した。

即ち、総裁に天降るはずの神様≠ェいなくなってしまったのです。

これを「第九条」で表現すれば、《総裁−御教》ということになってしまったのです。

これは何を意味するか。

そうです、「総裁」が神≠ニなってしまったのです。

「総裁=神」として、これからは「総裁先生の言われることが、すべて神意です」それでしのぐ、やっていくしかないということになってしまったのです。

これが、如何に面妖であるか。

尊師・谷口雅春先生のお言葉を思い出したら、それがよーくわかります。

例えば『實相と現象』という聖典の「はしがき」を見てください。

《このような文章−神の言に接する毎に、私は畏れ平伏すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些かの悔いることなく尽し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。》

尊師のこのご姿勢は、常に神様の御声を聴く、それに貫かれたご生涯であったればこそでありましょう。

ところが、総裁は自らが「神」となってしまったわけですから、神様の御声を聴くなどということは、一切必要ないのです。

自分の言いたいこと、やりたいことが、そのまま「御教」となり、神意≠ニいうことになるのですから、誰もそこに疑義を差し挟む余地などあろうはずもありません。

神意≠フ前に、信徒はただ平伏すのみだからです。

これは、実にオソロシイ世界です。

これこそが、個人崇拝であり、カルトの世界の、大いなる特徴そのものであるからです。

今回の「通達」は、「生長の家」をそういう宗教団体へと変えてしまう、本当に恐るべき「通達」であるということを、ぜひ、心ある信徒の皆さんには知ってほしいと思います。





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