《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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『聖典』を絶版にし、神様を勝手に取り替えし者が法燈′p承者という、何という自己矛盾か−中島代表のご文章に思う (11921)
日時:2020年05月07日 (木) 14時42分
名前:破邪顕正


『谷口雅春先生を学ぶ』誌・6月号を拝読させていただきました。

今回は、「祝 宗教法人取得」が特集となっています。

その中にある、中島代表のご文章から、色々と思うところがありました。

卒寿を超えて、今なお、矍鑠たる代表の強い思いが奈辺にあるか。

今回のご文章でよく分かりました。

〈法人代表(役員)として編集出身の小生の第一の大胆な提言は、谷口雅春先生の晩年の執筆で発行中断の『明窓淨机』の発行継続です。…尊師の『明窓淨机』は、信徒のみに非ず、谷口雅春先生を崇敬し、生長の家に関心を抱く各界有志も、尊師の国家観〜全相を窺い識る上で必須の著であり、一教団のみならず、宗教史上よりも、この出版を妨げる事は認められません。速やかなる解禁を熱望します。〉

私の記憶に間違いがなければ、この『明窓淨机』の発刊は立教50周年の企画として、尊師自ら提案されたものではなかったか。

それが、何故、『修練篇』(昭和32年〜昭和34年4月)をもって中断を余儀なくされたのか。

代表は、その理由をこう書いています。

〈本件の主因は、尊師の記述が、当時の雅宣氏が強引に推進する教団の運動〈今の教え〉に反するとの一点でした。〉

有り体に言えば、尊師のお考えと総裁のそれとは根本的に相容れない。

このまま『明窓淨机』が発刊され続ければ、それが露骨にわかってしまう…。

だから、総裁としては極めて都合が悪いと判断して、その後の発刊を阻止したということなのです。

ここで、歴史を振り返ってみましょう。

この『修練篇』の初版発行が昭和59年11月25日です。

その前の『新生篇』の初版発行が昭和59年2月1日です。

順調に行けば、昭和60年の前半には発刊される予定だったわけです。

ここで、一体、何があったのか。

『「生長の家」教団の平成30年史』を紐解いてみます。

まず、総裁は、昭和57年12月に世界聖典普及協会理事のまま、生長の家理事に就任しています。

そして、そういう背景もあったのでしょう、昭和58年7月6日、あの「生政連活動停止」の通達が出されます。

昭和59年に入ると、今度は、「日本を守る国民会議」からの脱退が決まります。

そして、その10月、総裁は、日本教文社の取締役に就任します。

文字通り、ここから、総裁の、聖典発行に対する取締役という名の取り締まり≠ェ始まったと見ていいのではないでしょうか。

つまり、中島代表の言う〈今の教え〉とは、徹底した愛国運動の否定に他ならず、そういうことに関する聖典は認めないということになったのです。

今となっては最後となった『明窓浄机』を見てください。

昭和34年の4月までのそれなのです。

当然、次の『明窓浄机』が発刊されていれば、あの昭和35年の60年安保闘争が出てまいります。

総裁にとっては、当時、尊師がどんな思いでいられたか、信徒には絶対、知られたくないことだったでしょう。

総裁の左翼思想≠ゥらは到底、受け入れられない、尊師の愛国の至情が次から次と迸り出ていたでしょうから。

代表が言われる尊師の国家観〜全相を窺い識る上で必須の著

あのまま『明窓浄机』が発刊されていたら、どういうご文章と出会えたか、その一端を、心ある読者の皆様にお届けしたいと思う次第です。

稿を改めて、書かせていただきます。



昭和34年5月号の「明窓浄机」より (11934)
日時:2020年05月08日 (金) 14時24分
名前:破邪顕正

家永三郎が仁徳天皇の仁慈は虚構であると断定したことへの、尊師の痛烈なご批判がここに掲載されています。

家永三郎と言えば、教科書裁判で知られます。

氏の声明文の中にこうあります。

〈憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としてもだまってこれをみのがすわけにはいきません。…昭和四〇年六月十二日〉

あれから既に半世紀が経過したわけですが、教科書問題は今なお尾を引いています。

それは一にかかって、戦後の歴史教育が、言うところの自虐史観≠ノ汚染されているからに他なりません。

この家永教科書裁判もまた、その一つの象徴的な出来事であったと言えましょう。

仁徳天皇の仁慈は虚構、そう言って憚らない人が教科書を書くのですから、それは明らかなる国体の否定というほかはありません。

尊師は、はっきりとこう言われます。

《仁徳天皇の三年免税のことを当然の事実として、歴史的にあったものであり、たとい一歩を譲ってそれが神話的なものであったにしても、日本書紀が編纂された年代から三百年も前に、(それは言い伝えであるにせよ)日本天皇の理想は「民のために生きる」ところの君民一体の理想であったのだと観ているのである。

この「民のために生きる」仁慈の精神が、終戦のときの御前会議で今上陛下が「国民を戦渦の中に苦しめるのは見るに忍びないから、自分の身はどうなってもよいから、ポツダム宣言を受諾して戦争をやめる」と仰せられたところの高き十字架精神となってあらわれたのである。》

仁徳天皇の御聖徳の、この箇所を『日本書紀』から引きます。

〈天皇…朕すでに富めり、豈に愁ふることあらむや。

皇后…何をか富めりと謂ひたまふか。

天皇…姻気(いんき 註・料理をすれば立ち上る気)国に満てり、百姓自ら富めるらし。

皇后…宮垣は壊れて修むることを得ず、殿屋は壊れて衣露を被る。何ぞ富めりと謂ふや(注・雨漏りて御着衣が濡れるほどであるのに、どうして「朕すでに富めりと仰せられるか」という皇后のお尋ねである)

天皇…それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、然らば則ち君は、百姓をもって本となす。是を以て、古への聖王は、一人飢寒すれば、顧みて身を責む。いま百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり、未だ百姓富みて、君貧しきことあらざるなり。〉

このようなご精神が126代にもわたって、受け継がれてきているということ、それこそが奇蹟でなくて何でありましょう。

尊師がお説き下さった「天皇国日本」の神髄がまさしくここにあるのだと改めて思う次第です。

こういう話をこそ、本来ならば、次代を担う子ども達に伝えていかなければならないのではないでしょうか。

しかし、総裁は、悲しいかな、この発刊を認めなかったのです…。



昭和34年9月号の「明窓浄机」より (11937)
日時:2020年05月09日 (土) 14時27分
名前:破邪顕正

この号では、日本と中国での「共産革命」を危惧される、尊師のお心が随所に見られます。

まず、国内では、当時、泣く子も黙ると怖れられた総評が共産党と手を組んだり、社会党も左旋回が甚だしく「階級政党」と表したり等、実に危うい雰囲気にあったことが分かります。

それ以上に脅威と映ったのが、中国共産党です。

「世界を共産化する」という理想のもとに、六億の人的資源が奴隷のような感じで立ち働いている。

それに比し、わが国はどうか。

尊師は、こう嘆かれます。

《日本人の大多数は「国家再建の理想」などはない、地下資源も少ないし、人的資源は百五十万人の胎児を虐殺して故意に減少せしめつつある。

そして国家存立の基礎をゆすぶるための定期ストである。

中国に対抗する強力なる何ものもない。

思って茲に涙滂沱たるものがある…早く『我ら日本人として』の自覚をひろめなければ》

如何に、尊師が「共産革命」に警鐘を鳴らされていたか。

総裁が「与党候補を支持せず」として、日本共産党から秋波を送られるような、今日の教団の有様を、もし尊師がご覧になられたら、何と仰るでしょうか。

それをよく知悉しているがゆえに、総裁は、尊師のかかるご文章を信徒の目に触れさせたくはなかった…。

今回の武漢ウイルス≠ノしてもそうですが、これまで、総裁が中国共産党の一党独裁体制への批判を展開したことがあったでしょうか。

今の安倍政権下での憲法改正を許したら、人権が蹂躙される…。

総裁は、そういう論をもって首相批判を繰り返していますが、だったら、中国はどうなんですか。

香港騒乱のとき、同じようなことを言いましたか。

総裁は、今のマスコミ左翼と全く同じ。

安倍首相批判はしても、同じ論をもって中国共産党の批判をしようとはしない。

よく、安倍首相は信頼できないといいます。

同じ日本人である首相を信頼できないというならば、だったら当然、中国人である習近平はもっと信頼できないでしょうに…。

それが普通の感覚というものなのではありませんか。

安倍首相を信頼できないという人ほど、私に言わせれば、中国共産党に信はおけない、何をしてくるか分からない、だからこそ、国の守りをしっかりとやろうと言うべきなのです。

ところが、見ていると、案外、安倍首相批判をする人ほど、尖閣諸島など中国は狙っていないなどと楽観論を言う。

日本という国は信頼しないが、外国は信頼する…ということでしょうか。

はっきり言って、ダブルスタンダードが眼に余るのです。

しかし、それもこれも、考えてみたら、すべては、今の占領憲法≠フ前文、並びに「第九条」の建前なのですから、それが戦後の新たな国体≠ニ化しているのかもしれません。

その戦後体制の本質を、誰よりもいち早く見抜いておられたのが尊師であったように思います。

「中国に対抗する強力なる何ものもない」

60年前の尊師のこのお言葉、決して古さを感じません。

それどころか、今もなおそのままに生きている、そんな思いで拝読させていただきました。




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