竹田恒泰先生は『正論』誌6月号で嵯峨天皇の写経の心と作法を紹介 (11912) |
- 日時:2020年05月05日 (火) 10時19分
名前:謙信
竹田恒泰先生は月刊『正論』誌6月号(最新刊)の「君は日本を誇れるかー 疫病防除を祈った歴代天皇 ー」と題して書かれた論文の中に、疫病流行に対して歴代陛下が疫病退散消滅を祈念されて写経されたことを紹介されています。 その内の一つ。 「…平安時代の第五十二代嵯峨天皇も、全国に疫病が蔓延した弘仁九年(818)、「朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん」と思し召しになり、離宮の嵯峨院にお移りになって、質素倹約をに努めたと伝えられる。 嵯峨天皇は弘法大師の勧めにより、三日にわたり般若心経に帰依して読誦転経し、紺紙に金泥(きんでい)で一字三礼の誠を尽くして般若心経を書写なさったという。この嵯峨天皇の宸筆の般若心経は、大覚寺が所蔵している。「一字三礼」とは一字写す度に仏を三度拝む作法である。約三百字の写経をこの作法でなさるのは大変なご苦労であったと思う。その他にもべき病に当たって祈りをお捧げになった歴代天皇は枚挙に遑(いとま)がない。 天皇陛下は、このように疫病退散の祈りを重ねた歴代天皇に深く思いを向けていらっしゃる。…」と。 この度自分も一字三礼をならおうとしましたが、大調和の神示、題字と年月日含むと715文字、とても大変と思い、一字合掌して「大調和の神示」の書写をさせていただきました。 もとより比ぶべくもありませんが、嵯峨天皇の御心は如何に深くあらせられたかの少しは察せられました。合掌
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