《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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一筋の道(5) (11840)
日時:2020年04月22日 (水) 18時54分
名前:遠島流也

 4月16日,念願の「生長乃家参拾年史」を入手,19日に読了。破邪顕正氏の投稿文の中に「永井堂」という古本屋に言及している部分があり,この古本屋は前から知っていたがこれまで参拾年史の扱いはなかった。ただ,これを機会に新たにまた見てみようと思ってインターネットを開いて参拾年史を検索していたら「水明洞」という京都の古本屋が,1万9,800円で出していた。思えば,これまで古本市を巡り,各地の古本屋を巡り,探し求めてほぼ2年を経過しているのである。しかし,入手出来るときにはスッと手に入るものだなと感無量である。

 ところが読了したのに符節を合わす如く,破邪顕正氏が,現教団の本部通達なるものを19日の投稿で紹介していた。その本部通達によると,今後,実相額の前に実相を仏教的に表現した七重塔,実相の「ムスビ」の働きを表現した神道の造化の三神を祭祀するということらしい。ここで発祥時の生長の家は,宗教結社として文部省に提出した届出書に教義,主斎神・安置佛,教典等についてどのように記載したのかを紹介したいと思う。

 参拾年史には,その冒頭部分に「生長の家の本尊について」と題した一節があり,そこには宗教結社として認知された(昭和15年4月1日)際に文部省に提出した届出書の教義,本尊等についての記載がまずあり,それに続けてそのような記載となるについては文部省とどのような交渉経過があったのかを雅春先生が詳細にお話になっている御講話があり,まさに一宗一派の宗教を目指したものでない生長の家の面目が如実に分かるのものである。

 最初のグラビア部分が終わり,「発祥三十周年に方(あた)りて」との雅春先生の御文章に続いて,「生長の家の本尊について」の一節となる。

 最初に,「本尊たる生長の家大神の解説は「宗團法による宗教届解説(『生長の』誌第十一輯第十一號所載)」には次の如く示されております。」とあり,以下次の通りの記述となる。

宗教團體法第三十六条により宗教結社として届出(とどけいで)の生長の家の概略左の如し。

一 名称 教化団体生長の家
(以下原文は,旧漢字とカタカナ交じり文となっていますが,新漢字ひらがな交じりに変えて記載します・・遠島流也)

【教義ノ大要】

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明にし,各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ尽忠報国,忠孝一本の国民精神を昂揚し,悪平等を排して一切のものに人,時,所,相応の大調和を得せしめ,兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ,中心帰一,永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
その実行目標として次の『七つの光明宣言』あり。
(以下「七つの光明宣言」の記載ありますが省略します)

【儀式及び行事に関する事項】

冠婚葬祭等・・に『生長の家』特殊の儀式なく,誌友は祖先崇拝の美風を宣揚するため各自の祖先伝来の儀礼に則るものとす。祖先の無信仰等にして伝来せる宗教なき場合には臨終に際して慰霊するための引導文あり。『久遠いのちの歌』あり。又顕幽を問わず,人の霊魂の開悟のために聖教『甘露の法雨』『天使の言葉』等を読誦するあり。
観行・・座禅観法と祈りとを合併せるごとき精神統一的行事に神想観あり。(『生命の実相』観行篇詳細説明参照)
左の四種の招神歌(かみよびうた)を誦して後,宇宙大生命の生命自己に流れ入ると感じて精神統一に入るものとす。
(以下「招神歌」の記載ありますが省略します)

【奉斎主神,安置佛等の称号】

 道場又は集会室に特に顯斎せる主斎神又は安置佛なし。心に幽斎する主神としては宇宙大生命《ミオヤノカミ》(その幽の幽なる神として天之御中主神《アメノミナカヌシノカミ》,幽なる神として天照皇大神《アメテラススメラオオカミ》,現人神《アラヒトガミ》として天皇)を礼拝す。宇宙大生命《ミオヤノカミ》は広大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に,各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅に如何なる斎神又は安置佛を奉ずるも差し支えなし。宇宙大生命の道を顕揚し,日本国威を発揚し,皇威を顕揚する東道《ミチビキ》の神として心に幽斎する副神《フクシン》として生長の家の大神(古事記日本書紀に顕れたる住吉大神即ち後に鹽椎神《シオツチノカミ》,仏典に顕れたる釈迦,観世音菩薩及びその応化佛,基督教の黙示録第1章に顕れたる七つの灯台の点灯者)を礼拝す。
 宇宙大生命《ミオヤノカミ》は宇宙生命の根本実相にして,宗派に偏らざる哲学的表現を用ふれば『生命の実相』なり。この意味にて道場又は集会室に『生命の実相』または単に『実相』の掛軸を掲出することあり。

【教典,その衍義等】
 谷口雅春氏著『生命の実相』並びに光明思想普及協会発行の書籍雑誌等。
 その内容は,
 古今東西の哲学,宗教等の原典を引用解釈し,比較宗教哲学的にその中心真理と認むべきものを整理し,日本学的に体系づけられつつあるのが谷口雅春氏著『生命の実相』にして,今尚続々執筆されつつあり。
 毎月個人雑誌『生長の家』『行』『白鳩』『光の泉』等に発表され,それを結集して『生命の実相』全集となす。
 さればその哲学は一言にして尽し難きも概言すれば神国日本,天皇の絶対尊厳性を宣揚して臣民の道を中心《スメロギ》に帰一し奉るべきにあるを明らかにし,同時に生命なるものの本来性(実相)を究明せるものなり。即ち人間の本来性は肉体に非ずして,神(佛)より割《サ》き生《ハ》えられたるもの,神(佛)より恵まれ出でたる生命なれば本来神性(仏性)なるものにして神の絶対完全円満久遠不滅性を備ふるものなりとして,可壊無情の肉体そのままに金剛不壊の生命を把握せしむ。
 而して更に遡りて生命の本源なる,神なる宇宙大生命の親様がそのままに顕現ましませる方こそ天皇なりと仰ぎ奉り,我等人類各々を 天皇の赤子即ち『神の子』と称し,あらゆる世界の宗教を 天皇信仰に帰一せしめ,一君万民中心帰一の世界こそ生命界の実相なりと説く。

 以上が,届出書に記載された,生長の家の概略ということである。そして,そのような記載に至った文部省係官との交渉経過も含め,上記概略の意味を詳細に話した昭和15年4月9日,名古屋公会堂においての講演の速記が,続いて記されている。とりあえず,今回は,上記のみを紹介とさせていただきます。
昨年7月31日を最初にして,これまで4回にわたって「一筋の道」なる題で投稿してきましたが,「生長の家」教団からその真実の法灯を絶やそうとする三代目の一筋の道がいよいよ完成間近ということだろうか。

教団の驚愕通達 (11861)
日時:2020年04月27日 (月) 17時06分
名前:遠島流也

 昭和15年4月9日の名古屋公会堂における雅春先生の講演速記は,「昨年議会を通過しました宗教団体法がこの4月1日から実施されることになりまして,生長の家はこの宗教団体法によって,宗教であると認められ文部省の管轄に入ることになったのであります。」との言葉で始まる。
 以下,要約すると
 「初めは東京府に『教化団体生長の家』で届け出たが,東京府を通過して,文部省へ行くと,文部省見解では,生長の家は教化団体というよりも宗教団体であると見るということになり,本部副理事長の秋田子爵,係の中神学氏らと文部省の稲田宗務局長その他の係官が交渉することとなった。
 宗教団体法の届書には『教義』,『儀礼』,『奉斎神又は安置佛』を書く欄がある。しかし,生長の家は,一定の教義を持たず,儀礼をおこなわず,本尊がない,そうしてみんなの心を教化して修養せしめるものが生長の家だから教化団体であると主張したが,稲田宗務局長は『いや谷口先生は一定の終始一貫した教えを説いておられる』と秋田子爵に言ったという。
 文部省の係りの人は『生命の實相』を,確りと読んでいて,生命の實相は色々の教祖の教えを引用しているが,終始一貫した教義を説いて人を信仰的に引きずっていく力が強い,文章の力によって人の信念を強く一つに信仰的に人心を集中する力があるから宗教的運動と認めということになった。
 そして,新たに宗教団体としての届書を4月1日に間に合うように提出することとなった。しかし,届書の教義,儀式や行事の欄には,最初『なし』と書いたが,文部省側との交渉及び指示もあり,前記の記載となった。」
ということをご講話されている。

 そして,「奉斎主神又は安置佛の称号」の部について,
 「それから礼拝の本尊たるべき『奉斎主神又は安置佛の称号』という項には御覧の通り,実際何も祀っていないのであります。けれどもそれは形の方でありまして,心の中に奉斎している主神と云うことになるとまた相違してくるのであります。併し,心の中で祀るー即ち信仰ーと云うことは宗團法の取締りの範囲ではなく,信仰の自由は憲法に保障されているのでありますが,団体の動きとして取締りの参考にどんな本尊を心に描いているかを知りたいのが,宗團法で取締らるる係りの方の関心であると思いますので,心に祀る神を仮に本尊として書かせていただいたのであります。」
 とご講話なさっております。それに続いて「奉斎主神又は安置佛の名称」の欄に記載された主神,副神について詳細に言及なさっております。

「奉斎主神又は安置佛の称号」欄の記載をも一度上げます。

「奉斎主神又は安置佛等の称号」
 道場又は集会室に特に顯斎せる主斎神又は安置佛なし。心に幽斎する主神としては宇宙大生命《ミオヤノカミ》(その幽の幽なる神として天之御中主神《アメノミナカヌシノカミ》,幽なる神として天照皇大神《アメテラススメラオオカミ》,現人神《アラヒトガミ》として天皇)を礼拝す。宇宙大生命《ミオヤノカミ》は広大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に,各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅に如何なる斎神又は安置佛を奉ずるも差し支えなし。宇宙大生命の道を顕揚し,日本国威を発揚し,皇威を顕揚する東道《ミチビキ》の神として心に幽斎する副神《フクシン》として生長の家の大神(古事記日本書紀に顕れたる住吉大神即ち後に鹽椎神《シオツチノカミ》,仏典に顕れたる釈迦,観世音菩薩及びその応化佛,基督教の黙示録第1章に顕れたる七つの灯台の点灯者)を礼拝す。
 宇宙大生命《ミオヤノカミ》は宇宙生命の根本實相にして,宗派に偏らざる哲学的表現を用ふれば『生命の實相』なり。この意味にて道場又は集会室に『生命の實相』または単に『實相』の掛軸を掲出することあり。

 前記の内容に関しての私の思いを書きます。
 上記の通り,「奉斎主神,安置佛等の称号」欄にある通り,「道場又は集会室に特に顯斎せる主斎神又は安置佛なし。」が生長の家です。それは,心に幽斎する生長の家の主神ー宇宙大生命《ミオヤノカミ》は,広大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に,各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅に如何なる斎神又は安置佛を奉ずるも差し支えないからである。祖先伝来の宗教そのままにその神髄を明らかし,成就するのが生長の家であるから,生長の家の教えを信じたからと言って先祖代々の宗教に由来する安置佛,主神とは別のもの置く必要はない。というより生長の家を深く知れば先祖代々の宗教に由来する安置佛,主神をその神髄において祀ることになる。まさに一宗一派の既存の宗教とは違う万教帰一を説く生長の家の素晴らしさそのものである。
 しかしながら,生長の家の神想観,講話等の諸行事を行う道場又は集会室に『生命の實相』または単に『實相』の掛軸を掲出することが」あるのは,主神である宇宙大生命《ミオヤノカミ》を宗派に偏らざる哲学的表現を用ふれば『生命の實相』であるからである。
 私が,そもそも生長の家に惹かれたのは,万教帰一ということであった。雲の間から地上の若葉に日光が差し掛かる緑の表紙の「生長の家」誌を祖父母がとっており,それを見て,まさに万教帰一のその教えの素晴らしさに惹かれたのがはじめである。その後,生長の家の教えの通り,仏壇を備えて我が家の宗旨である曹洞宗の行事をなし,神棚を設け天照大御神・産土神のお札を祀り,毎朝の行事を行っている。
 その後,長崎の住吉本宮が出来てから以降のことであるが,同本宮に参拝した際に,5,000円を奉納し,谷口先生御揮毫の「實相」額を拝領し,仏壇裏の柱上部にかけている。
 神棚の前では,神棚拝詞(かみだなはいし)と大祓詞を唱えている。
 仏壇の前では仏壇の上方にある實相額を見て,「實相の御額を通し,宇宙の大生命に礼拝いたします」と唱えて礼拝し,次に「天地一切のものの造り主にましまし,わが生みの御親にますます神よ有難うございます。日本国の中心者にまします天皇陛下有難うございます。大恩教主本師釈迦牟尼仏,高祖承陽《ジョウヨウ》大師(道元のこと),太祖常済大師(曹洞宗三代目のこと)有難うございます。人間神の子・万教帰一の不滅の真理をお伝えくださいました谷口雅春大聖師有難うございます,・・・以下,家族,ご先祖,我を取り巻く一切のものへの有難うございます。」を唱え,次にCDで雅春先生ご朗読の真理の吟唱の一節を聞き,神想観をする。
 神想観の後,曹洞宗の朝の勤行様式に従い,諸種のお経をあげるのであるが,修証義,妙法蓮華経観世音普門品第二十五,生長の家三部経を日交代で読誦している。途中,三代目の言動で教団から心を離した一時期は,神想観をせずに座禅をしていたが,紆余曲折あって今は,上記のような次第で行っている。
 曹洞宗の坊さんの許可得ているわけでもないが,何ら違和感や抵抗がなくこのようなことができるのは当初から一宗一派でない万教帰一の生長の家の本来の面目があるからだと思うのである。
 「万教帰一の神示」には,
 「われにすがた形はない。われは霊の海である。大海原である。すべての宗派《おしえ》流れ来りて吾に入らん。吾は完成する者である。われは『七つの燈台』に光を点ずる者である。古道も,仏教も,キリスト教も,天理教も,金光教,黒住教も,大本教も,すべての教《おしえ》流れ入りて生命を得ん。」
とある。 
 「万教包容の神示」には,
 「本当の神は一つであり,他の神と対立するような小さな存在ではない。本当の古神道は自余の一切の教えを包括するものであり,本当の基督教は自余の一切の教えを包括するものであり,本当の仏教は自余の一切の教えを包括するものである。そして如何なる教えにてもあれ一切の教えを包括する本当の實相に到達したとき『生長の家』(たかあまはら)というのである。それは天爾の『家』であり『巣』であり『統』(す)であって教えではない。その家の中にあって色々の教えが生きるのである。本当の古神道は『生長の家』の内にあり,本当の『基督教』は『生長の家』の内にあり,本当の仏教は『生長の家』の内にあり,生命の實相の顕現する所,説かれる所,読まるる所,その悉くが世界の中心である。」
とある。

 生長の家の教えで,諸種の宗教の信者が救われている。それは一宗一派ではないからである。それは,万教帰一を説く宗教だからである。宗派を超越した宗教だからである(七つの光明宣言)。宗派を超越していることの社会的在り方として,「顯斎せる主斎神又は安置佛なし」との教えだからである。「實相」額は,宗派的偏りなき宇宙大生命の哲学的表現「生命の實相」の實相であり,顯斎せる主斎神又は安置佛ではない。
 自宅には,實相額があるが,もともと無くとも言いわけで,無かったとしたら,「實相の御額を通し」との言葉を省いて同じように行事するだけである。それで良いというのが万教帰一の生長の家の教えの無限の価値であると思うのである。ここで,もし,生長の家で「顯斎せる主斎神又は安置佛」として仏塔とか神霊符があるということになるとこれは全く違ってくる。現教団は,万教帰一の教えを「視覚的に現す」ためにこのようなことをするということらしい。五感の世界を去った万物調和の実相世界を理解しようとしない現教団らしい。東道《ミチビキ》の神である住吉大神を無視し,生長の家の無限の価値が分からなくなった現教団の遂に悩乱しての方針である。
 本当に現教団はこれから一体どういうことになっていくのか。

 参拾年史を読み始めて,教団の現状との関係で色々思うことがありましたが,読み終えたタイミングで,實相軸の前に仏塔とか神霊符を祭祀するという驚愕の現教団方針が出たとの報に接し,纏まりないまま思うところ記しました。

削除してお詫び申し上げます (11871)
日時:2020年04月28日 (火) 15時04分
名前:立葵

合掌
昨日「実相」と「實相」の用字について持論を展開してしまひましたが、このスレッドにて申し上げましては遠島流也様の御論旨の腰を折るものだったと思ひ、削除退出させていただきました。

大変失礼いたしました。
勝手ではございますが、御放念いただきまして、また続きをお書きいただけます日を楽しみにさせていただきます。

再拝

立葵様有難うございます。 (11874)
日時:2020年04月28日 (火) 17時38分
名前:遠島流也

 立葵様、ご指摘ありがとうございます。もっとものご指摘と思い、早速「実」を「實」に変更させていただきました。そういう点に思いを致さない私の軽さ、粗忽さを反省しています。
 
 早速変更だけし、時間の関係で上記文を後で投稿しようと思ったら、立葵様が、そのご指摘のご投稿を削除されておりました。申し訳ございませんでした。



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