和歌で読み解く日本の歴史 (11811) |
- 日時:2020年04月17日 (金) 13時12分
名前:明鏡
菊花紋章は、皇室儀制令 第12条(大正15年(1926年)10月21日 皇室令 第7号 同日付「官報」に掲載)により、御皇室の紋章と定められている。
http://gyouseinet.la.coocan.jp/kenpou/koushitsu/koushitsugiseirei.htm
菊の花は、本来、外来種である。 渡部昇一氏は、外来文化導入の姿勢を菊の紋章が象徴しているという。 ( ※ また、‟ 菊 ” は ‟ 聴く ” の言霊でもある。 )
以下、 『 日本史 百人一首 』 渡部昇一 著 育鵬社 平成20年・2008年11月11日 初版より。
【 天平文化と大仏建立 】
< 一五 青丹(あをに)よし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
小野老(おののおゆ)
歌意 = 奈良の都は 色あざやかに咲く花の匂いに包まれて、今が真っ盛りです。>
< 一六 ももしきに うつろひわたる 菊の花 にほひぞまさる 万世(よろづよ)の秋
聖武(しょうむ)天皇
歌意 = 宮中の庭にあって色を変えてゆく菊の花よ、秋が巡ってくるたびに ますます色あざやかに映えることだ。>
< 大仏建立に見る ‟ 本家越え ” の日本的発想 その天平(てんぴょう)文化の中心と なったのが 聖武(しょうむ)天皇(在位七二四〜七四九年)である。 >
< 菊の紋章が象徴する外来文化導入の姿勢
その大仏建立を進めた聖武天皇の代表的な歌が、ここにあげた「 ももしきに・・・・・」 である。実はこの歌にも、外国文化を取り入れて日本化してしまう日本人の一つの特徴が 見て取れる。
山上憶良(やまのうえのおくら)が言うように日本の歌は原則として ‟ やまとことば ” だけで 作っている。ところが、この歌には 例外がある。「 菊 」 である。
これは漢語で訓がなく、 「 きく 」 という音しかない。ところが面白いことに、この菊が 皇室の紋章のように使われるのである。土着の花なら 桜 を使うこともできたはずである。
なぜならば、神武天皇は木花咲耶姫(このはさくやひめ)と瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の 孫に当たり、「 木花 」 とは明らかに桜の花を指しているからである。
ところが、あえて桜ではなく菊の花を使ったというのは、「 日本の皇室は外来文化に門を 開きますよ 」 というメッセージになっているように思う。加えて、菊は 木の花ではなくて 草花である。
芭蕉(ばしょう)が「 菊の香や 奈良には古き 仏たち 」 という俳句を詠んだが、 この奈良(奈良仏教)・菊・皇室というものが三位一体となって、日本という国の 一つの中に交じり合っているように思われるのである。>
本日は、渡部昇一先生の祥月命日( 4月17日 ) である。 様々な書籍、特に、日本の歴史について多くの著述を遺されました。 御講演を拝聴した頃のことを偲びつつ、心から感謝の念を捧げるものである。
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