《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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天皇陛下のお言葉「皆がなお一層心を一つにして力を合わせ」飢饉疫病に心を痛め国民のために祈られた歴代天皇の大御心 (11798)
日時:2020年04月11日 (土) 21時07分
名前:謙信

「心を一つに」
天皇皇后両陛下には、10日、尾身 茂 感染症対策専門家会議副座長からの進講を受けられて次のようなお言葉をお述べになられたという。
両陛下は進講に先だって冒頭、医療関係者の方たちに感謝され
「私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、
この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」と仰せになられた。そして
両陛下は、尾身氏の進講をメモを取りながら、どのようにしたら医療崩壊を防げるかなどお尋ねになり、
「国民が一丸となって乗り越えなければならないですね」
と仰られたという。
両陛下には3月、敬宮愛子内親王さまの高等科ご卒業に際して、文書でも
「我が国の国民、そして世界の多くの人々が直面している様々な困難や苦労に深く思いを致しています」とのご憂慮をお示しになられた。
 陛下の世界と日本の安寧をお祈りくださる大御心、平癒へのお祈りのお心、唯唯有難い。

かつて元弘元年(1331)8 月、京都に疫病が流行し、それをお嘆きになった後醍醐天皇が知恩寺に対し、疫病退散の祈願をお命じになり 善阿空円上人という方が、7日間不眠不休で念仏を唱えながら数珠を繰られて疫病が治まり、平穏が訪れた。後醍醐天皇は大層喜ばれ、上人に 「7日間で何遍念仏を唱えたか」と尋ねたところ、上人は「およそ百何遍」と答えたと伝えられる。
一条天皇の御代には、疱瘡が流行して、都中に死者が溢れ、「五位以上の官人」でも六十余人が死亡して遺骸は道に打ち捨てられたと云う。この時に天皇は「関白藤原道隆」に命じて全国の寺社に「奉幣使」を遣わされ「疫病退散」を祈らせられたと伝えられている。

宇宙、世界に蔓延する迷いの念が祓われるよう、宇宙浄化の祈り、健康顕現を祈りつつ、安倍首相の緊急事態宣言の後の諸方策を受けて、小さいことであってもそれをつとめて行い、いち早く終息に向かうことを願います。

飢饉疫病に心を痛め国民のために祈られた歴代天皇の大御心 (11818)
日時:2020年04月20日 (月) 14時54分
名前:謙信

平成29年2月21日当時、皇太子殿下でいらっしゃった天皇陛下は、飢饉や疫病の流行に心を痛め苦しむ人々のために祈りを捧げられた105代後奈良天皇をはじめ、歴代天皇の大御心を受け継いでいきたいと次のようにお述べになられました。

「昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中頃のことですが、洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。
 災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。
 私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。
私が、この後奈良天皇の宸翰(しんかん)を拝見したのは、8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが、図らずも,2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます」

このような陛下のお心を改めて拝しますと、今まさに日本のみならず世界にウィールスガ蔓延している状況の中で、陛下は歴代天皇陛下・上皇陛下と同じく、日々、一日も早い疫病終熄と国民の健康安全成就を深くお祈りくださっているに違いないと確信し、この度の尾身氏のご進講を受けられての御言葉の重さを感じ、有り難く感謝を捧げます。

谷口雅春先生が仰がれた清和天皇水害救恤(救済)の詔勅 (11831)
日時:2020年04月21日 (火) 14時09分
名前:謙信

第56代清和天皇(在位858年〜876年)の御代、貞観11年(869年)。この年、5月には貞観の大地震と呼ばれる震災が陸奥の国(青森県)起き、また10月には、台風が吹き暴れ、肥後の国(熊本県)に大洪水が起こり被害甚大であったと記録されています。
 肥後の国での大水害時の清和天皇の詔勅には次のように示されています。(以下概略口語訳)
「わざわいというものは決して偶然に起るものではなくそれには起るべき相当の 理由があって起るのである。政治そのよろしきを得なければ、必ず天地神明の咎(とが)めが、それに伴って起るものである。……この頃、肥後の国に 大雨が降り、河川が氾濫して、田や畠は荒らされ、村里は洗ひ流され、民は非常に困って居るということである。
民が一物でも失ふことは、結局、私の不徳の致すところであって、まことに不憫な次第である。このわざはいを聞くにつけても、或は朕の政治が悪くて、その徳が民に及ばず、或はまた官吏が民の福祉をはかる心を失ひ、教化よろしきを得なかった結果、かやうなことが起ったのではないかと疑はざるを得ないのである……」と。
そして、同年12月にはいくつもの災害や海賊による被害などが続いていたために、清和天皇は伊勢神宮に勅使を派遣され、わざわいを鎮め平安をもたらす奉幣をしたことが『三大実録』に記されています。

 谷口雅春先生は、このように清和天皇がいかに国民の痛みを共にされ、苦しみを除こうとされたかということを紹介され「これが日本天皇の民を思い給う心の表われである」と以下の通り讃えられました。

「清和天皇・水害救恤(きゅうじゅつ)の勅語」
(救恤(きゅうじゅつ)の意味:被災者などを救い、恵むこと。)

「……これが日本天皇の民を思い給う心の表われであり、自然の災害も、「自分の不徳の致すところである。」と常に反省せられるのが天皇であったのである。全学連が暴れようが、国家に危機が迫って来ようが、「私の不徳の致すところ」と深く顧る政治家が一人も、天皇政治が終ってから後に出ないことを私は遺憾に思うのである。」(『理想世界』誌昭和44年4月号より)

 このように谷口先生が御聖徳を讃えられ、御心を体しない戦後政治家の状況を憂慮されていたことを私たちは銘記し、歴代天皇の御心を伝えていかなければならないと感ずる次第です。



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