「三密」とは仏教の言葉 ー花まつりに寄せて御仏の御加護あらんことを (11786) |
- 日時:2020年04月08日 (水) 06時12分
名前:立葵
合掌 昨日は緊急事態宣言が発出され、今こそこの国難を皆の祈りと叡智によって乗り越えてゆくべき時であることを改めて思ひます。 罹患により御昇天なされた御霊の御冥福をお祈り申し上げますと共に、御療養中の方々に心より御見舞申し上げます。
さて、「三密」(3つの密)の語は今や切実な時事用語として定着しつつありますが、本来はみほとけの教への言葉でした。 「三密」の語を調べた時、本来義のみが示される日に還りますことを希ひます。
小学館『全文全訳古語辞典』より(改行引用者) 三密 《仏教語》 密教で、 身密(=手ニ印ヲ結ビ、威儀ヲ正ス)・ 口密(くみつ)(=口ニ真言ヲ唱エル)・ 意密(=心ニ本尊ヲ念ジル) の三つを総称していう語。
そして本日4月8日は「花まつり」です。
『12か月のきまりごと歳時記』(自由国民社『現代用語の基礎知識』2008年版付録) 灌仏会(かんぶつえ)/花祭り(はなまつり) 釈迦の誕生日(4月8日)を祝う法会。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)のほか、桜が満開の時期なので花祭りとも呼ばれる。関西では5月8日に行うところも。伝説によると、釈迦誕生の際には天から龍がやってきて甘露の雨を注いだ。それにならって日本では花で飾った花御堂を作り、その中の水盤に誕生仏を置いて、参拝客や僧侶が柄杓で甘茶をかけて祝う。この甘茶を飲むと厄除けになるという言い伝えもあり、持ち帰って家族みなで飲む習慣もある。
以前は子供達と近くのお寺を巡って誕生仏に甘茶をかけたり、甘茶をいただいたりしました。 今年は残念ながらそれも叶ひませんが、谷口雅春先生が随処でお説きくださるお釈迦様の御降誕の真理についての若干を謹掲し、生まれた時から既に尊い完全な生命であるとの自覚の下、御仏の御加護を祈念し奉ります。
新編『生命の實相』第23巻「倫理篇」上55頁
アダムの原罪(第一の神性隠蔽)以来、罪悪の観念は、すべての肉体人間の心の奥底に横たわっている観念であります。「吾れはそのまま罪なき者だ」との自覚に入った人間が古来、今に到るまでただ二人だけあったのであります。それは生れると直ぐ「天上天下唯我独尊」とみずから称して七歩を歩いたと伝えられる釈迦牟尼如来と、みずから「神のひとり子」だと称した耶蘇キリストであります。
『眞理』第七卷「悟入篇」第二章 「釋尊の自覺と生長の家」59頁(昭和39年11月1日改裝初版)(改行引用者)
釋尊も一遍肉體が自分だと云ふ自覺を抹殺してそして新たに生れられたのです。それが釋尊誕生の神話の形で佛典に書かれてをります。卽ち釋尊がお生れになつた時に、七歩お歩きになつて「我は天上天下唯我独尊である」と斯う仰しやつたとあります。 赤ん坊が生れるなり歩くと云ふことも、こんな難解な言語を話すこともありませぬ。これは、二度目の誕生卽ち一度「物質としての自己」を否定したときの「復活」卽ち「二度目の誕生」をしたとき「天上天下唯我独尊」ー「天上天下に自分こそ最も尊きいのちである、自分は決して物質が生きてゐるのではない。宇宙に充ちてゐる佛のいのちがここに生きてゐるのだ」 斯う宣言されたことが象徴的に描かれてゐるのであります。
再拝
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