《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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不安、恐怖の「人類意識の迷い」に流されないよう、真理にどっぷりと浸る生活を! (11782)
日時:2020年04月06日 (月) 16時12分
名前:破邪顕正


私の大好きな英語のことわざの一つがこれです。

“Only dead fish go with the flow”「死んだ魚だけが川に流される」

あの大きな鯨でも、死んでしまえば海流に流されます。

一方、生きていれば、あの小さなメダカでさえも激流を遡ります。

流される生き方をするのは死んだも同然。

流れに逆らうのは生きている証し。

ご存じのように、毎日、毎日、新型コロナウィルスのニュースが滝のように流れ落ちてきます。

それによって、不安と恐怖とが「人類意識」を覆い尽くそうとしています。

しかも、連日、3密(@換気の悪い“密”閉空間、A多数が集まる“密”集場所、B間近で会話や発声をする“密”接場面)を避けるようにとの警告がそれに拍車をかけています。

このままでは、誰しもが、「人類意識」の圧倒的な流れに呑み込まれてしまいかねません。

新装新版『真理』第7巻「悟入篇」には、「人類意識の迷いに就いて」と題して、こう記されています。

《病気が吾々に「ある」と見える場合、それはだれが催眠術をかけているかと言いますと、宇宙意識又は人類意識であります。

これは精神科学の言葉ですが、人類意識と言うと、人類全体の「迷いの心」であります。》(98頁)

この「人類意識の迷いの心」に流されないように、私達は、今こそ、生きた信仰の証しを見せていかなくてはなりません。

緊急事態が宣言されれば、どうしても、家に引き籠もる、いわば巣ごもり(そう言えば、長野銘菓として有名な「巣ごもり」というお菓子がありますね!)の時間が多くなります。

そういうときにどんな時間の活かし方をするのか。

今、誌友会などの集いも開けない状態が続いています。

であれば、私達、一人ひとりが自覚して、自らの信仰を護り抜かなくてはなりません。

「転禍為福」(禍転じて福と為す)

時間はたっぷりとあります。

知人によれば、折角の時間、もったいないからと、ずっと尊師のCDを聞き流していると言います。

ぜひ、皆様も、真理にどっぷりと浸る生活を送っていただければと念願する次第です。


こういうときだからこそ、「三正行」の大切さを心に銘記いたしましょう。 (11784)
日時:2020年04月07日 (火) 11時26分
名前:破邪顕正


毎朝、拝読させていただいている聖経『続真理の吟唱』の中に「正しき神徠(インスピレーション)を感受する祈り」というのがあります。

その中に、このようなご文章があります(175〜176頁)

《神からわれわれに放送されている無数の善きアイディアは、われわれが霊(たましい)を浄め、神の放送に波長が合うように、心≠澄まして受信しなければ、それを完全に受けとることはできないのである。》

「人類意識の迷い」に流されず、神の放送に波長が合うように≠キるには、やはり、ここは「心≠澄ま」すことが何よりも重要のようです。

そのためにはどうしたらいいか。

次にこう記されています。

《そのためにわたし達は、常に過大の物質的執着に心を汚されることなく、人を憎むことなく、怒ることなく、呪うことなく、悲しむことなく、太陽のように常に明るき心をもって生活し、神は愛であるから、その愛に波長を合わすために、常に愛をもって人間及び一切の生物に対して接し、苟も生命尊重≠フ理想にたがうことを為さず、一日のうちには一つ以上の愛行は必ず行い、愛の実践に於いて神と一体になることを期し、更に真理≠フ聖典聖経を毎日必ず幾節かは読誦し、知≠ノ於いても神と一体なるところの神の子≠スる自己の実相を自覚することを期するのである。》

まずは、「太陽のように常に明るき心をもって生活」することを心がける必要があります。

ともすれば、自粛自粛で萎縮してしまいがちな昨今、心まで塞ぎがちではますます状況は悪化するばかりです。

こういうときだからこそ、明るい心が大切です。

『生長の家』誌「創刊号」には、人類への最初の福音が朗らかに笑って生きる≠ナあることが記されています。

今こそ、「創刊号」の精神に還るべきときでありましょう。

ところで、「絶望」の反対語は、普通は「希望」ですが、それをユーモア≠ニ答えた人がいます。

歌手の宇多田ヒカルさんです。

なるほど、ユーモアがあれば、一見、絶望と思えるところにも、希望の種があることに気づきます。

尊師も『希望を叶える365章』において、こうお諭しくださっています(242頁)。

《人から好かれるようになるには、心を明るくしなさい。

…時と処と場所とに応じて気軽な諧謔をとばせるように、落語や地口などを勉強なさい。

…ユーモアを話すのは宜しいが、人の悪口を話すのことはやめなさい。》

ユーモアの心を忘れないようにしたいものです。

続いて、「愛行」の重要性が謳われています。

不安、恐怖の念に駆られる毎日、それを打ち消すには聖経『続々甘露の法雨』が最適です。

それがお守りとなった健康成就のお守り≠お勧めする、これがまた素晴らしい「愛行」になるものと確信いたします。

更に、聖典聖経の読誦の大切さが説かれています。

最近、集中治療室から奇蹟的な生還を果たされた方のよろこびの報告を伺いました。

〈隣の人が、次から次と亡くなっていく…。

次は私の番なのかな、そんな恐怖心が脳裏をよぎるなか、病室に持ち込んだ『生命の實相』や『真理』の本を読むことで、それが消え、大安心の心境で過ごすことができました。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に神癒祝福祈願も申し込んでいましたので、入院中、ずっと神様に護っていただいているという安らぎを覚えました。

これも「谷口雅春先生を学ぶ会」に入会させていただいたおかげです。

命拾いいたしました、本当にありがとうございました。〉

最後は涙声でありました。

その方のお話を伺って、改めて、真理の有り難さを痛感しました。

最後に挙げられているのは、「神と一体となるところの」神想観の大切さですね。

新編『生命の實相』第23巻には、「神とわれとは一体である」とは、まさに中心自覚≠ノ他ならないと次のように記されています(29〜34頁)。

《「神は愛なり」とは、神は万物の本源でありますから、「神はすべてのものを自己そのものとして観給う」−これが「神は愛なり」という意義であります。

…「われ神と一体である」との中心自覚が調わねば、神を愛しようと努力しても本当に神を愛することは出来ないのであります。

…本当に「神を愛する」ためには、「神とわれとは一体である」との中心自覚がなければならないのであります。》

この中心自覚が整えば、どういう世界が現出するか。

『人生の秘訣365章 』にはこう記されています(74頁)。

《ただ神のみを見、ただ神のみに倚り頼れ。

そして神を自己に浸潤させ、浸透させ、自己を神と一体ならしめるのである。

そのとき、あなたの過去の一切の業は拭い去られ、悪しき習慣は消え、性格が一変し、生活全体の雰囲気が変ってしまうのである。》

つまり、明るい心で「三正行」に励めば、神様に波長を合わすことができる。

そうすれば、今や猖獗を極める新型コロナウィルスの不安、恐怖からも解放されるということでありましょう。

つとに、「三正行」の重要性は指摘されてきたことではありますが、まさしく、こういうときだからこそ、御教えの原点に立ち還るつもりで、その実践にともに励んでまいりましょう。


こういうときだからこそ「真理漬け」の生活を送ってみては… (11787)
日時:2020年04月08日 (水) 09時07分
名前:破邪顕正


あるおばあちゃんが、尋ねました。

「私はざる頭ですから、いくら真理の話を聞いても、右の耳から左の耳へと抜けていきます。どうしたらいいでしょう。」

これに対して、ある講師がこう答えました。

「ざるから水が抜けるのは、ざるをあげるからです。ざるを水の中に、ずっとつけておけば、ざるから水がこぼれることはありません。それが答えです。」

勘のいいおばあちゃんは、講師の言わんとすることがすぐにわかりました。

「先生、真理にどっぷりつかったら、私のようなざる頭でも救われる、ということですね。」

「はい、その通りですよ。」

最近、ある会員の方から、こんな声を聞きました。

〈新型コロナウィルスのおかげで、家に引き籠もって「真理漬け」の毎日を送らせていただいております。

積ん読≠セった聖典を、今、片っ端から拝読させていただいております。〉

こういうときだからこそ、この会員の方のように「真理漬け」の生活を送ってみては如何でしょうか。


笑う事も大切で、明るい心になれますね (11788)
日時:2020年04月08日 (水) 09時28分
名前:コスモス

 最近、今まで読んだ事もない漫画を置いて行った人があり、大いに笑いました。あまりおかしいので、人様の前では読まないようにという注意がありました。

 fbでは、こんな言葉がありました。

 レンホーさん達のように、何かにつけてキャンキャンと噛みついている彼女を称して、「狂犬病のチワワ」と書いた人があるかと思うと、

 「この人達は、絶えず何かを話していなければ死んでしまう病気なのですか?」という書き込みがありました。大いに笑いました。

 さらにこのままでは年金が云々と心配ばかりしている人がいますが、多分それを皮肉ったのではないかと思いますが、

 「もはや年金がどんぐりであっても驚きません」というのがありました。これも思い出しては笑いました。

 私は昔から思い出し笑いをするので、人前では要注意ですが、自宅では大いに笑っています。多分コロナも寄り付かないと思います。

 主に野党の(現象的には)どうしようもない議員さんなどをまともに非難していても疲れるだけなので、時にはこのように笑いに変えて留飲を下げるのも健康的でよろしいのではないかと思います。


「ノー3密」より「ノー集・近・閉」がお勧めです! (11790)
日時:2020年04月08日 (水) 11時24分
名前:破邪顕正


「コスモス」さん、投稿、ありがとうございました。

こういうときだからこそ、笑いが大事ということで、私もネット界隈で流行っているものをここにご紹介させていただきますね。

新型コロナウイルスが猛威を奮うようになって、「3密」を避けるような話が飛び交っております。

@換気の悪い“密”閉空間

A多数が集まる“密”集場所

B間近で会話や発声をする“密”接場面

昨日(4月7日)の安倍首相の緊急事態宣言の会見でも、このことについての言及がありましたが、そもそも今回の一番の問題は、発生源の中国≠ノあるわけです。

ですから、そこは、大いにユーモア精神を発揮して、表題にあるような忠告(ちゅうこく)≠ノ切り替えたらどうでしょうか。

@多数が集まる密集¥齒

A間近≠ナ会話や発声をする密接場面

B換気の悪い密閉°間

この三つを避けましょうということで、ノー集・近・閉

絶対、こちらの方が流行ると思いますがね。

でも、今日の親中派が跋扈する「左翼マスコミ」にかかれば、こういうことは、ヘイト≠ニして一蹴されるから、流行りそうもありませんかね。

「アベガー」「トランプガー」は許されているのに、それについては誰もヘイト≠ニは言わないのに、ノー集・近・閉≠ヘ許されない?

そういうマスコミ業界にも、いずれは厳しい淘汰の波がやってくると思って、ここは一つ、溜飲を下げることといたしましょう。



ステイホームウィーク≠フ機会を生かし、みんなで「大調和の神示」の写経奉納を! (11894)
日時:2020年05月02日 (土) 14時23分
名前:破邪顕正


『谷口雅春先生を学ぶ』誌・6月号に、全ての購読者に宛て、以下のような通達文が入っておりました。


《『谷口雅春先生を学ぶ』誌・購読者の皆様へ》

−新型コロナウィルスの終熄を祈念して「大調和の神示」の写経奉納を−

合掌、ありがとうございます。

皆様におかれましては、常々『谷口雅春先生を学ぶ』誌をご愛読いただき、心より感謝御礼を申し上げます。

さて、新型コロナウイルスの感染は、政府・自治体、そして医療関係者の献身的な努力にもかかわらず終熄の灯りがなかなか見えない状況が続いています。

かかる時にあたって、信仰者として何ができるかを考え、かつて第105代後奈良天皇が、疫病克服を願って「般若心経」を一字三礼の作法をもって写経された故事にならい、宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」の信徒一人一人に「大調和の神示」の写経奉納を行ってもらい、新型コロナウイルス禍の終熄を祈念することにいたしました。

つきましては、以下の一文をお読み頂き、日本と世界の国々の安寧に寄与する写経奉納を家族や友人・知人にも呼びかけ、ご推進くださるよう、お願い申し上げます。

〈「大調和の神示」の奉納写経のお願い〉

写経の功徳について、『光の泉』誌・昭和47年10月号には、このように示されています(23〜25頁)。

《経文(きょうもん)を書写(うつ)すのですから、それを書写しているうちに心が落着いてくる。

人間は心が落着けば、自己の内に宿っている神の力≠ェ出てくるということになるわけです。…

写経≠ニいって、お経を写すのでも…一字一字、感謝の念に心を集中しながら余念なく真理の言葉を写しながら、その深いところへ這入(はい)って往くと、人間・神の子、本来無限力≠ニいう文字と自分のいのちとが一体になり、人間無限力の意味が潜在意識の底の底まで自覚される…》

今回、皆様にお願いするのは「大調和の神示」の写経です。

新型コロナウィルスの終熄を祈願する上で、誰にでも貢献できるものとして最適ではないかと思った次第です。

聖経『真理の吟唱』「天下無敵となる祈り」の中に、こうあります(96〜97頁)。

《いかなる細菌も真菌もヴィールスも、すべて生≠るものは、神のいのちを宿してこの世に出現せるものであるから神の子≠ナある私を害することは決してないのである。

宇宙の一切の生命は、唯ひとつの神の生命に生かされ、唯ひとつの神の智慧に支配され、導かれているが故に、生き物たがいに相冒し合いて病いを起すなどということはあり得ないのである。

もし、細菌、真菌、ヴィールス等にて病いを起すことがあるならば、それは自分の心に何か不調和が存在し、天地一切のものと和解していない事があるのが影をあらしているに過ぎないのであって、決して如何なる生物も、実相においては自分を害するものはないのである。

それ故、私は常に如何なる微生物をも恐れることなく、常に自己の心を反省して天地一切のものと和解するのである。》

この写経を行うに当たっての心構えについては、「大聖師御講義『続々甘露の法雨』」の中で、次のように示されています(439頁)。

《写経の時の注意を言えば、一字毎に「ありがとうございます。この写経の功徳が一切衆生の悟りの因(たね)となりますように」というような気持になるか、その通り実際に心で唱えながら写経せられるがよいのであります。》

ぜひ、同封の「写経用紙」に写経していただき、写経が終わりましたら、同封の茶封筒にて本部までご送付くださいますよう、よろしくお願いします。

「谷口雅春先生を学ぶ会」本部で、住吉大神のご神前に奉納し、終熄祈念を執り行わせていただきます。

また、これを機に、まだまだ写経したいという方、或いは、光明思想社刊『ペン字用写経ノート』で写経したいという方がありましたら、本部までご一報くだされば、すぐに手配させていただきます。

何卒、よろしくお願いいたします。

末尾ながら、皆様のますますのご多幸、ご健勝を心より祈念申し上げます。再 拝


今回のゴールデンウィークはステイホームウィーク≠ネのだそうです。

家にいる時間を有効に活用して、ぜひ、この写経に取り組んでいきたいと思います。


武漢コロナ≠フ終熄を祈念して、霊界の迷霊を浄めるための「霊牌供養」に励みましょう! (11899)
日時:2020年05月03日 (日) 09時18分
名前:破邪顕正


「谷口雅春先生を学ぶ会」では、毎月、先祖供養を執り行っています。

先祖供養の功徳について、新編『生命の實相』第34巻「聖語篇」にはこうあります(204頁)

《親は子を生かそう生かそうと考えているのに、親の霊魂や先祖の霊魂が祟るはずがない、そんな事は信ぜられないという人がある。

親は子を生かそう生かそうと考えていても、親が真理を知らなければ、子の為め子の為めと思って子を毒している親もある。

先祖の霊魂が子孫を病気にしている場合はこれに当る。

先祖を供養して子孫の病気が治るのもこれに当る。

先祖の供養のうち物施といって物をお供えするよりも法施を第一とする。

法施とは真理を供養することである。

霊前で、『生命の實相』を読むのもその一方法である。》

先祖供養とは真理供養であります。

今日のコロナ禍の背景にも霊界の問題があるのではないのか。

『生長の家』誌・昭和30年12月号に、こうあります。

尊師は6日の法語で「ヴィールスの背後にある者」と題して、こうお説きになっておられます。

当時、小児マヒが大きな社会問題になっていて、尊師は、その原因は、迷える霊魂の念波が感応したからであると指摘されるのです。

これは、その理由について述べられたものです。

《黴菌とかヴィールスとか云う微生物が如何にして発生したかと云う問題になると、「生命の起源論」と云うよりも「生物の起源論」として重大な問題になるのである。

これは人間を構成している細胞が如何にして発生したかの問題とつながって考えられる問題である。

人間の細胞が発生し増殖して行くのは人間の「生命」と云う霊的実在がその背後にあって物質の分子・原子を其の適当な相にならべて「細胞」をつくり出すのである。

…同じ土壌や肥料成分を、朝顔の「生命」は朝顔の細胞の形にならべ、ダリヤの「生命」はダリヤの細胞の形に物質の原子分子をならべる。

それなら小児マヒ病原体ヴィールスの形に物質の原子分子をならべる霊的影響者がなければならない。

私はその霊的影響者を霊界に於ける迷霊だと説いたのである。》

これに従えば、今日の武漢ウィルス≠ノ関しても、当然、霊界に於ける迷霊≠フ関わりが認められなければなりません。

その意味で、霊界に於ける迷霊を浄めるための先祖供養が今、非常に重要なのです。

そのために、尊師がお示しくださった生長の家独特の「霊牌供養」を、一層盛んにする必要があります。

家にいる時間が増えた今、霊牌の一柱、一柱に感謝を込めて書き記し、家庭での先祖供養に励んでいきたいと思っています。


悪霊と共鳴するような悪精神波動を起さないように≠サのために真理漬けの日々を! (11903)
日時:2020年05月04日 (月) 09時52分
名前:破邪顕正


表題は、新編『生命の實相』第25巻「人生問答篇」にあります(121〜122頁)。

今回の武漢ウイルス≠ノついてもあてはまるのではないかと思い、ご紹介させていただきます。

誌友の大村さんが、尊師にこう問いかけます。

《大村−−或る霊学者の説によると病気のほとんど全部は、悪霊の災いで、黴菌や災難も皆な悪霊が武器として使うものだというじゃありませんか。》

それに対して、尊師は、こうお答えになられます。

《谷口−−それはなるほど、一面の真理であります。

医者は悪霊が武器として使った黴菌を征服する方法を考えています。…

「生長の家」ではその悪霊と共鳴するような悪精神波動を起さないようにして、悪霊がいても害をすることが出来ないようにするのです。

悪霊は魚みたいなものです。

迷いの精神波動はその魚の泳いで来る波のようなものです。

その波を干上らしてしまえば悪霊が禍いをしようと思っても水のない魚のように禍いが出来なくなるのです。

そうさせるのが生長の家の「神想観」であり、聖典の一章の毎日読誦であります。》

素晴らしい宗教家は、真理をわかりやすく、うまい例え話でもって諭していかれるとはよく言われることですが、尊師もまた本当にそうであります。

悪霊を魚に例えてのお話。

なるほどと大いに頷いたことでした。

コロナ禍の今、大事なのは、一人ひとりが、そういうウイルスと共鳴するような悪精神波動を起さない

そのために、真理研鑽に励むことでありましょう…。

本来ならば、その役割を担っているのが誌友会なのですが、この度の自粛要請を受け、「谷口雅春先生を学ぶ会」でも、なかなか開けない状態が続いています。

真理の仲間と会えないことが、こんなにも辛いものとは思っていなかった、そんな声も聞かれます。

「失って知る有り難さ」を、私を含め、多くの人が今、実感しているのではないでしょうか。

しかし、いずれ、必ず武漢ウイルス≠フ終熄のときがきます。

そのときには、待ちに待った誌友会、よろこびいっぱいで、開いてまいりましょう。

そして、今回、みんなが感じた誌友会の有り難さ、それを肝に銘じて、1回1回の誌友会に真心を込めて開催していくようにしましょう。

その日に向けて、今は、一人ひとりが自己の信仰深化に励むときと心得、尊師がお示しくださった三正行につとめてまいりたいと思います。

「大調和の神示」の写経奉納。

霊界を浄める霊牌供養。

ぜひ、心ある方にもお声かけして、一緒に、行じてまいりましょう。


にせものは皆ふき祓へ=u六月晦大祓式」に「大祓人型」を出して、一家家族は勿論、日本と世界とを浄めていきましょう (11913)
日時:2020年05月05日 (火) 10時44分
名前:破邪顕正


全世界で猛威を振るっている今回の武漢ウィルス≠ナすが、死者の数から見れば日本のそれは決して多いとは言えません。

その理由として、よく日本人の清潔好きが関係しているのではと指摘されています。

昔から、日本民族は神州清潔の民≠ニ言われてきましたが、それが今日にも生きているということではないでしょうか。

その象徴が、禊祓いに他なりません。

これに関して、新編『生命の實相』第21巻「万教帰一篇」にはこうあります(97頁)

《日本では古来からこの「言葉の力」によって一切の罪と穢を祓うということを実行して来たのであります。

コトバによって一切を浄めるのであります。

神道の祭典に常に用いられる御禊祓いの祝詞というのは、日本では太古からあるものであって、『古事記』の編纂などよりもずっと古い時期に作られたもので、コトバの力によって万物を浄めるのであります。》

『谷口雅春先生を学ぶ』誌・6月号に「六月晦(みなづきつごもり)大祓式」の案内が同封されていました。

その中に、尊師のお歌が紹介されています。

にせものは皆ふき祓へ大空の 無きこそもとの姿なりけり

にせものは皆ふき祓へ大空の 久遠すみきり極楽の世界ここにあり

どちらの歌にもにせものは皆ふき祓へ≠ニあります。

今回、教団が出した「通達」こそ、にせもの≠ナはないかと私には思えてなりません。

だって、生長の家総本山では、住吉大神を脇においやり、あまつさえ、その神名を隠すように、その上に造化の三神≠フご神符を重ね置くようにせよ、というのですからね。

これでは、住吉大神の浄めのお働きを押し込めようとしているも同然ではありませんか。

現に、総本山では「宇宙浄化の祈り」を実修していないと伺っています。

これでは、「龍宮住吉本宮」の名が泣こうというもの…。

尊師に何とお詫びしていいか…。

本当に本当に残念でなりません。

浄めもせずに、“造化の三神”で「ムスビ」の働きだけを強めたらどうなりますか?

浄まっていないものと「ムスビ」つけられる怖れなしとはしませんよ。

神社でもまずは手水舎で、まずは身を浄めてからお参りするではありませんか。

そのことをどう考えているのでしょうか。

とにかく、日本民族が、古来から大事にしてきたこの御禊祓い。

来る6月30日には、日本橋練成道場にて「六月晦(みなづきつごもり)大祓式」が執り行われます。

もちろん、現教団では禁ぜられている「宇宙浄化の祈り」を実修します。

今回は、表題にも掲げましたように、武漢ウイルス≠浄める意味合いも込めて、執り行いたいと考えております。

心ある方にもお声かけをしていただいて、ぜひ、この機会に、「大祓人型」をお出しいただければと思います。


日本橋練成道場では、早朝、6時半より、武漢ウイルス≠フ終熄を祈念して「神想観」の実修、聖経読誦を行っています。 (11940)
日時:2020年05月11日 (月) 08時36分
名前:破邪顕正


聖経「真理の吟唱」「金剛不壊身の祈り」の中に、こういうお言葉があります(130頁)。

《すべての病気は、肉体を「物質」だと見る迷妄から生ずるのである。その迷妄から「物質とは使えば消耗するもの、細菌の寄生し得るもの、古くなれば朽ち果てるもの」との連想から、肉体も疲労し、微生物に冒され、老衰し、死するという現象を生ずるのである。われわれはできる限りこの誤れる人類的迷妄から脱却するために、毎日一定時間を定めて一回または数回神想観を実修し、自己が神の子であり「霊身」であることを念ずるのである。》

幸い、感染者数が眼に見えて減少しています。

慢心はいけませんが、このまま終熄に向かうよう、祈りを深めていきたいと思っております。

色々と批判はありましょうが、世界の国々と比較して、我が国の死者数は決して多くはないわけです。

このことをどうしてもっと認めようとはしないのでしょうか。

かかる非常時にあって、何でも安倍首相批判に繋げよう、政争の具にしようという、あからさまな悪意に対しては、実に不快な思いしかありません。

ラグビーワールドカップで見せた、あの「ONE TEAM」の精神、今こそ、発揮すべきときなのではないかと思うばかりです。

そんな思いを共有しつつ、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」では、午前6時30分より、武漢ウイルス≠フ終熄祈願のための神想観・聖経読誦を実修しております。

心ある方々に、お知らせいただき、ともにこの時間に合わせて実修し、集団祈願の力を更に増幅させていくことができればと念願しております。

また、有難いことに、「大調和の神示」の写経奉納がどんどん広がってきております。

もっともっと多くの方に実践していただきますよう、お声かけしていただければと思います。

この「大調和の神示」について、『人間無病の原理』の中でこういうご説明がなされています(173〜175頁)。

《生長の家の神示には「神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ」と示されている。父母≠ニある中には父母のそのまた父母である祖先の霊をも含むのである。吾々が、ここに神の生を享けて地上に出現し得ているのは諸々の祖先≠含む父母を通してであるから、祖先及び「父母に感謝せぬものは神の心にかなわぬ」と神が示し給うているのは当然のことである。…病気が治らないことがあるのは、祖先及び父母に対する感謝行が足りないのである。ここに霊界にい給う祖先霊に対して報恩感謝のための供養をすることが必要なのである。》

「父母≠ニある中には父母のそのまた父母である祖先の霊をも含むのである」というお言葉は、極めて重要であります。

確かに、祖父、曽祖父、祖母、曽祖母とちゃんと父母が入っています。

「大調和の神示」の中に、既に先祖供養の大切さが説かれているのであるということに思いを致し、霊牌供養にも励んでまいりましょう。



〈感動のご報告〉「大調和の神示」の奉納写経でこんないい話が生まれました… (11967)
日時:2020年05月15日 (金) 13時56分
名前:破邪顕正

そのご夫人は、これまで、聖経「甘露の法雨」の写経ノートは実践してこられました。

そのときは、ただ無心に写経するだけだったそうです。

しかし、今回の写経では、一字礼拝の作法をもって、ただひたすら武漢ウイルス♀F空消滅、そのことだけを祈念して取り組まれたそうです。

すると、毎日、拝読している「大調和の神示」なのに、何か実に新鮮で、真理の御言葉、一つ一つが、心に染み入っていくようであった。

そして「夫」という字を書き始めたとき、フッとかつて聞いた話を思い出した。

〈この世で一#ヤ大≠ォいのが天=B

その、一番大きな天をも突き抜けているのが夫≠ナす。

ですから夫≠ヘ良い人に決まっているんです。

だから良人≠ニ書くのです。

その夫≠下からヨイショと支えるのが夫人=B

夫≠ネんて駄目と尻に敷いて上に立とうとしたら、それはもはや夫人ではありません、単なる人夫≠ナす。〉

うちは夫婦関係、うまくいっている…。

そう思ってきたけど、いつしか、自分のわがままな部分、我が顔を覗かせてはいなかったか。

そんな私をいつも夫は暖かい心で包んでくれている…。

そう思ったら、「夫」という字を書いていて目頭が熱くなった。

そのとき、フト、結婚式のことが思い出された。

神社で式をあげたとき、社殿の鏡を見たら、そこに夫の顔が映っていた。

これからは、この人を夫として、生涯、仕えさせていただくのだ…。

そう決意したときの、あの感動が、鮮やかに蘇ってきた…。

もう一度、あのときの心に帰ろう。

そう思うと、「夫」という字が輝いて見えた…。

こんな写経は初めてです。

本当に素晴らしい奉納写経を提案していただき、ありがとうございました。

嬉しい、嬉しいお話にこちらまで感動のお裾分けに預かりました。

今、この奉納写経のよろこびの輪がどんどん広がっています。

ぜひ、皆さんも、この輪にお入りください。





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