こういうときだからこそ、「三正行」の大切さを心に銘記いたしましょう。 (11784) |
- 日時:2020年04月07日 (火) 11時26分
名前:破邪顕正
毎朝、拝読させていただいている聖経『続真理の吟唱』の中に「正しき神徠(インスピレーション)を感受する祈り」というのがあります。
その中に、このようなご文章があります(175〜176頁)
《神からわれわれに放送されている無数の善きアイディアは、われわれが霊(たましい)を浄め、神の放送に波長が合うように、心≠澄まして受信しなければ、それを完全に受けとることはできないのである。》
「人類意識の迷い」に流されず、神の放送に波長が合うように≠キるには、やはり、ここは「心≠澄ま」すことが何よりも重要のようです。
そのためにはどうしたらいいか。
次にこう記されています。
《そのためにわたし達は、常に過大の物質的執着に心を汚されることなく、人を憎むことなく、怒ることなく、呪うことなく、悲しむことなく、太陽のように常に明るき心をもって生活し、神は愛であるから、その愛に波長を合わすために、常に愛をもって人間及び一切の生物に対して接し、苟も生命尊重≠フ理想にたがうことを為さず、一日のうちには一つ以上の愛行は必ず行い、愛の実践に於いて神と一体になることを期し、更に真理≠フ聖典聖経を毎日必ず幾節かは読誦し、知≠ノ於いても神と一体なるところの神の子≠スる自己の実相を自覚することを期するのである。》
まずは、「太陽のように常に明るき心をもって生活」することを心がける必要があります。
ともすれば、自粛自粛で萎縮してしまいがちな昨今、心まで塞ぎがちではますます状況は悪化するばかりです。
こういうときだからこそ、明るい心が大切です。
『生長の家』誌「創刊号」には、人類への最初の福音が朗らかに笑って生きる≠ナあることが記されています。
今こそ、「創刊号」の精神に還るべきときでありましょう。
ところで、「絶望」の反対語は、普通は「希望」ですが、それをユーモア≠ニ答えた人がいます。
歌手の宇多田ヒカルさんです。
なるほど、ユーモアがあれば、一見、絶望と思えるところにも、希望の種があることに気づきます。
尊師も『希望を叶える365章』において、こうお諭しくださっています(242頁)。
《人から好かれるようになるには、心を明るくしなさい。
…時と処と場所とに応じて気軽な諧謔をとばせるように、落語や地口などを勉強なさい。
…ユーモアを話すのは宜しいが、人の悪口を話すのことはやめなさい。》
ユーモアの心を忘れないようにしたいものです。
続いて、「愛行」の重要性が謳われています。
不安、恐怖の念に駆られる毎日、それを打ち消すには聖経『続々甘露の法雨』が最適です。
それがお守りとなった健康成就のお守り≠お勧めする、これがまた素晴らしい「愛行」になるものと確信いたします。
更に、聖典聖経の読誦の大切さが説かれています。
最近、集中治療室から奇蹟的な生還を果たされた方のよろこびの報告を伺いました。
〈隣の人が、次から次と亡くなっていく…。
次は私の番なのかな、そんな恐怖心が脳裏をよぎるなか、病室に持ち込んだ『生命の實相』や『真理』の本を読むことで、それが消え、大安心の心境で過ごすことができました。
「谷口雅春先生を学ぶ会」に神癒祝福祈願も申し込んでいましたので、入院中、ずっと神様に護っていただいているという安らぎを覚えました。
これも「谷口雅春先生を学ぶ会」に入会させていただいたおかげです。
命拾いいたしました、本当にありがとうございました。〉
最後は涙声でありました。
その方のお話を伺って、改めて、真理の有り難さを痛感しました。
最後に挙げられているのは、「神と一体となるところの」神想観の大切さですね。
新編『生命の實相』第23巻には、「神とわれとは一体である」とは、まさに中心自覚≠ノ他ならないと次のように記されています(29〜34頁)。
《「神は愛なり」とは、神は万物の本源でありますから、「神はすべてのものを自己そのものとして観給う」−これが「神は愛なり」という意義であります。
…「われ神と一体である」との中心自覚が調わねば、神を愛しようと努力しても本当に神を愛することは出来ないのであります。
…本当に「神を愛する」ためには、「神とわれとは一体である」との中心自覚がなければならないのであります。》
この中心自覚が整えば、どういう世界が現出するか。
『人生の秘訣365章 』にはこう記されています(74頁)。
《ただ神のみを見、ただ神のみに倚り頼れ。
そして神を自己に浸潤させ、浸透させ、自己を神と一体ならしめるのである。
そのとき、あなたの過去の一切の業は拭い去られ、悪しき習慣は消え、性格が一変し、生活全体の雰囲気が変ってしまうのである。》
つまり、明るい心で「三正行」に励めば、神様に波長を合わすことができる。
そうすれば、今や猖獗を極める新型コロナウィルスの不安、恐怖からも解放されるということでありましょう。
つとに、「三正行」の重要性は指摘されてきたことではありますが、まさしく、こういうときだからこそ、御教えの原点に立ち還るつもりで、その実践にともに励んでまいりましょう。
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