《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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ある歴史学者の 「 皇室観 」 (11777)
日時:2020年04月04日 (土) 14時18分
名前:明鏡


< 「 日本が一(ひとつ)のものであり、実際に一(ひとつ)にまとめられなければならぬと
云ふ確信に、意識的 又(また)は 無意識的な根拠を与へたものは皇室の存在であった。

室町(むろまち)時代に入ってただでさへ 殆(ほと)んど政治の実権から離れてしまった朝廷が、
戦国の世となってから、経済的にも ますます苦しい境遇に陥(おちい)ったことは云ふまでもない。

公家(くげ)は 朝廷に仕(つか)へる身分と家柄とは 昔のままであっても、その生活を支(ささ)へる所領の大部分を失って困窮したのは勿論のこと、皇室の御料地(ごりょうち)も多く侵(おか)されて、御大葬や御即位の式の如(ごと)き大切な儀礼にも費用に苦しまれる有様(ありさま)となった。

幕府は その費用を献ずる力なく、わづかに志(こころざし)ある武士や僧侶の献金によって
辛(かろ)うじて その儀を行(おこな)はせらたことも一度や二度ではなかった。

後奈良(ごなら)天皇が 一般庶民に至るまでの願ひに応じ色紙に宸筆(しんぴつ)を染(そ)めて賜(たま)はり、その御礼として上(たてまつ)られる なにがしの金品によって御用度をまかなはれたと云ふ御はなしさへ伝はってゐる。

しかし皇室の御衰微(ごすいび)が、これによって今迄(いままで)雲の上に隔(へだ)てられて
ゐた皇室を 幕府や公家貴族のかきねを去って 直接ひろく国民と触(ふ)れ合はせる機会となった一面を伴ってゐることも重要と云はねばならぬ。

さうして天下統一を志(こころざ)す群雄は 何(いず)れも京に出て天皇を奉じ 将軍を擁(よう)して全国に号令することを夢みてゐたのである。

この夢をそのまま実現したのが織田信長(おだのぶなが)であり豊臣秀吉(とよとみひでよし)であったのであって、彼等(かれら)により国内の統一が成功したのも、全(まった)く日本の統一の中心としての天皇の存在に負(お)ふこと大であったのを忘れてはならないと思ふ。

天皇は、必ずしも政治上の実権を握って居られずとも、否(いな)むしろ政治上の実権は
他に委(ゆだ)ねられたことが多かったとしても、常に国民の統一の中心としてのはたらきを
されて来たのであり、ことにその統一の必要が痛感せられる毎(ごと)に、何時(いつ)も国民に
その確信を与へる精神上の源泉であった。

大化(たいか)の改新や明治維新に当(あた)り そのことが最もはっきりあらはれたが、
この時にもやはりそれと同様の現象が認められるのである。」>

『 新日本史 』 家永三郎著 冨山房 ( 昭和二十二年四月十日 )


<「 日本が一(ひとつ)のものであり、実際に一(ひとつ)にまとめられなければならぬと

云ふ確信に、意識的 又(また)は 無意識的な根拠を与へたものは皇室の存在であった。

・・・・・・

天皇は、必ずしも政治上の実権を握って居られずとも、否(いな)むしろ政治上の実権は

他に委(ゆだ)ねられたことが多かったとしても、常に国民の統一の中心としてのはたらきを

されて来たのであり、ことにその統一の必要が痛感せられる毎(ごと)に、何時(いつ)も

国民にその確信を与へる精神上の源泉であった。>


このような「 皇室観 」 は 渡部昇一氏(英語学者)や藤原正彦氏(数学者)の「 皇室観 」と
共通するものである。

家永三郎は 教科書訴訟でよく知られているが、その後、「 天皇制 」 排撃に転じ、
「 個人の独立、社会的平等の自覚が先進民主主義諸国に比べて弱い 」として、
わが国は「 遅れている 」 という考えに変わってゆくのである。
その背景にあったものは何か。やはり、占領政策によるものと思われる。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に
植えつけるための情報宣伝計画)は、「 新聞 」「 書籍 」「 雑誌 」「 ラジオ 」「 映画 」を
通して三段階に分けて実施された。

第一段階 昭和20年10月〜昭和21年6月 (東京裁判開廷以前)
第二段階 昭和21年6月〜昭和23年2月(東京裁判開廷期間中)
第三段階 昭和23年3月〜昭和23年11月(東京裁判判決まで)

主な内容として
・「太平洋戦争史」を連日掲載。日本軍残虐事件暴露シリーズが別仕立てで作られ掲載。
・ラジオを通して「眞相はこうだ・質問箱」「眞相箱」を41週続けて放送。
・映画「戦犯はだれだ」を上映。推定300万人の観客を動員。
・映画「民衆の敵一」 推定200万人の動員。
他10編以上の映画が、国民に贖罪意識を植え付けるために上映されている。


谷沢永一(たにざわえいいち)氏 は、次のように述べている。

< ・・・日本の歴史学者のほとんどは、・・・日本の歴史を罵(ののし)りはじめた。
過去の事実をいっせいに弾劾(だんがい)し、呪いの文句をつぎつぎと浴(あ)びせた。
日本の歴史を暗黒の一色に、塗りつぶす作業にひたすら努めた。
過去の日本人は、罪悪ばかり重ねてきたかのごとく強調された。・・・>

『 新日本史 』 家永三郎著 冨山房 は、 昭和二十二年四月十日 に発行されているが、
検閲の対象から漏れたのか、何か情報戦略があったのか、検証してみる価値はあると考える。

詳しくは、次の書籍を参考にされたい。

『 日本史から見た日本人 昭和編 』  渡部昇一著 祥伝社
『 日本人の誇り 』  藤原正彦著 文春新書
『 日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか 』 西尾幹二+路(みち)の会 徳間書店







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