《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

Página de Português/ポル語ページ
 

 

「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」を見てきました。 (11754)
日時:2020年03月28日 (土) 14時42分
名前:破邪顕正


最初から最後まで、スクリーンに釘付けとなって魅入ってしまいました。

かつて、その討論が本になっていましたから、読んではいました。

しかし、これが映像のもつ力なのでしょうね、実に新鮮で、最初から最後まで引き込まれてしまいました。

若い人が「三島由紀夫に対する怖いイメージが変わった。あの笑顔に引き込まれた」と言っていたのも頷けます。

上映中、私が考えていたことは、この討論会場となった東大駒場キャンパスの900番教室を成り立たせていたものは何であったのか、ということでした。

右と左、普通に考えれば相交わることのない両者がどうして同じ土俵に上がることができたのか。

その土俵とは何だったのか?

ある識者は、それを反米愛国≠ニ見ました。

なるほど、そう見ることも可能でしょう、一理あるとは思います。

しかし、私は、それでは事の本質を見抜けないように思いました。

今回の映画を見て、私なりに確信したのは、この同じ土俵を成り立たしめていたのは、戦後≠ニいう時代そのものが胚胎していた欺瞞、偽善、それに対する嫌悪感ではなかったかと思うのです。

それを象徴的に物語っていたのが、全共闘が丸山眞男を殴ったという事件です。

丸山眞男と言えば、東大教授で、戦後≠代表する進歩的文化人でした。

それを殴るというのは、まさしく、戦後≠ニいう時代、その思想そのものを殴りつけたのでなかったか。

三島先生も、そのことを高く評価してもいました。

ですから、両者を同じ土俵に乗せているのは、反戦後=戦後という時代への怒り≠ナはなかったかと思ったのです。

もう一つ、今回、初めて知った事実は、全共闘が、もしかしたらこの討論会は潰されるかもしれないと恐れていた、ということでした。

一体、だれが潰そうとしていたのか。

日本共産党・民主青年同盟だったのです。

当時、東大教養学部の自治会は、民青の天下でありました。

まさしく日共・民青そのものが、キャンパス内では体制¢、だったのです。

映画の中で、三島先生が、学生の暴動を抑え込むために、反暴力の国会決議を自民党と共産党とが手を組んでやろうとしている、それに嫌悪感を覚えると言われていた話が出てきます。

自民党とも手を握る共産党、それを成り立たせるのもまた戦後=B

そういう戦後≠そのまま、まるごと、肯定していていいのか。

そういう問題意識が、両者の間において共鳴、共感、共振しあったのではないのか。

司会役の木村修氏が思わず三島先生≠ニ言ってしまう場面が出てきます。

何故、先生と言ってしまったか、弁明するところが何とも微笑ましいのですが、そういうことがあり得たのも、両者の間に、何か響き合うものがあったからだと思うのです。

一方、三島先生自身も、集まった学生とは20歳以上も違うのに、終始、丁寧な言葉遣いに徹しておられます。

互いが互いを認め、そこに敬意を表する、それがまた同じ土俵をつくりあげた一つの要因にもなっていたと思います。

もとより、同じ土俵ではあっても、両者を決定的に分けるものがありました。

それが「天皇」でした。

全共闘も何だかんだ言っても、結局は、戦後教育の申し子なのです。

「天皇」を受け入れることはできなかった、だから、三島先生が「天皇」を持ち出されたとき、失笑で返すしかなかったのです。

戦後教育≠否定し得ずして、それに乗っかって、果たして戦後≠撃てるのか。

それに対して、三島先生は、「時間」ということを提起されます。

日本の悠久の歴史、伝統、文化の「時間」を入れて初めて、戦後≠ニいう時代を相対化し、その欺瞞、偽善を剔抉し得て、根本的な視座から撃つことができる。

その象徴をこそ「天皇」に求められたのではなかったか。

スクリーンから伝わってくる三島先生の得も言えぬ魅力、50年の時空を超えて、ひしひしと直に迫ってまいりました。

最後は感激の涙でいっぱいになりました。

この三島先生が、最後に会いたいなあと言われたのが尊師・谷口雅春先生でありました。

稿を改めて、尊師と三島先生とをつなぐ糸について、思うところを書いてみたいと思います。


嬉しいお言葉です! (11757)
日時:2020年03月29日 (日) 02時46分
名前:聖地巡拝参加者

昭和45年11月25日のことは忘れも致しません。

あの日の深い衝撃、驚きは今もまざまざと蘇って参ります。

「どうしてこんなことが・・・」

という疑問とともに、三島氏の文學そのもの、政治的主張等々、

あれこれと渉猟致しますうちに、

雅春先生の『愛国は生と死を超えて』にたどり着いたのでした。

50年が過ぎて、三島氏への評価も時代とともに薄れゆくのか、と

いささか危惧致す日々でしたが、具眼の士は多くご健在です。

先ごろも、御年95歳の方と歓談の際、

「三島さんほどに、自分の信念を見事に貫いた方を、

正当に評価できないなんて、世の中がおかしいですね」との

話で意気投合、雅春先生の『愛国は』の御本と、

『生命の實相』をお貸ししたところでした。

「占領憲法に体当たり」された三島氏の御遺徳を、

末永く顕彰しつづけたく思います。

その意味でも、「谷口雅春先生を学ぶ会」が晴れて宗教法人格を

取得されましたことを、心より慶賀致す毎日です。

合掌

日本人は何をめざしてきたのか <知の巨人たち> 第7回 「昭和の虚無を駆け抜ける 〜文学者・三島由紀夫 〜」/NHK・戦後史証言プロジェクト (11759)
日時:2020年03月29日 (日) 12時41分
名前:アクエリアン

三島由紀夫ファン必見の非常にレベルの高い動画です

三島さんは、祖母の影響で、生長の家の書籍を読まれていて、戦後、妹さんの病気見舞いに病院を訪れたとき、「甘露の法雨」を読まれたそうです。

2015年1月24日に放送された、NHK・戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか <知の巨人たち> 第7回 「昭和の虚無を駆け抜ける 〜三島由紀夫 〜」を紹介します。
(所要時間:約1時間30分)
https://www.youtube.com/watch?v=f6jh6xeqDnA

戦後の日本を代表する文学者としてノーベル賞候補にもなった三島由紀夫。2015年に生誕90年・没後45年を迎える。
三島は、太平洋戦争と戦後復興を経験し、大学紛争に揺れる激動の時代を生きながら、話題作・問題作を次々に発表した。そして昭和45年、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹し命を絶つ。

三島は昭和という時代に何を見たのか。親しく交流したドナルド・キーンさんや美輪明宏さん、三島が結成した“楯の会”会員や、三島と激論をかわした東大全共闘メンバーなど、様々な証言からその思索に迫る。

さらに、近年、研究が進む創作ノートからは、遺作『豊饒の海』の幻のラストシーンの構想が明らかになった。三島は、遺作の結末をどのように書き変えたのか。

文学者・三島由紀夫が残したメッセージを戦後史の中で考える。

貴重な情報ありがとうございます。 (11760)
日時:2020年03月29日 (日) 13時53分
名前:聖地巡拝参加者

アクエリアン様

いつもながらの高度な情報収集力に敬意を表します。

素晴らしい情報、ありがとうございます。

早速、視聴させて頂きます。

三島氏が『甘露の法雨』を読誦されたとは驚きです。

雅春先生と三島氏との精神的類縁について、

もっと深く考えなければならないと思っています。

合掌

谷口雅春先生の『愛国は生と死を超えて《三島由紀夫の行動の哲学》』「はしがき」より (11761)
日時:2020年03月29日 (日) 20時56分
名前:下総の野人

谷口雅春著『愛国は生と死を超えて《三島由紀夫の行動の哲学》』(日本教文社、昭和四十六年十一月十五日)

「三島由紀夫氏の靈に献ぐ」と献辞のある本書。

その「はしがき」より少し引用紹介させていただきます。

〈近いうちに三島由紀夫氏が市ヶ谷の自衛隊総監室で壮烈な自決を遂げてから一周忌の日がめぐって来るのである。わたしはこの三島氏が自決せずにいられなかった突き詰めた氏の精神の分析*狽ヘ心の評伝≠ニでもいうべきものを世に出すのは、その一周忌にあたって、氏の霊に献げる供花のつもりでもあるのである。〉

〈わたしは、三島氏とは別にその生存中に交友関係があった訳ではない。しかし、あの死の決行には、「日本を毒しつつある現行の占領者の押しつけ憲法に体当り」するために三島氏にいのちを托して決行を伴にした四人の青年がある。そのうちの古賀浩靖君と小賀正義君とは生長の家の若い信徒であって、三島氏は、あの自刃の数日前に、これら決行を伴にする青年に「ただひとり谷口先生だけは自分たちの行為の意義を知ってくれると思う」といわれたということを、私は、生き残ったうちの二人の青年から後に聞いたのである。そしてあの自刃の数日前の十一月二十二日、三島氏は、私に会いたい≠ニいって私に対して電話をかけて来たのだったが、その日の午前は、生長の家の秋季大祭の行事があり、午後は私の金婚式を多勢が祝ってくれるためにホテルオークラに集まる予定になっていたので、電話口に取次ぎに出た者が、会う時間がない由を告げて軽く断ってしまったのであった。その夜おそく三島氏は今からでも、谷口邸へ直接出掛けて行ったら、面会できるかも知れないから、失礼だが押しかけて行こうか≠ニかもうお眠(やす)みになっているし、面識が今までにないから矢張り面会を断られるだろう≠ニか、青年たちと色々協議せられたそうだが、ついに遠慮して訪問して来られなかったので、私はまことに残念なことをしたと思っている。もうこの世で逢う機会のない人で、あれだけ会いたがっていた人に会えないで惜しいことをした、と私は今も歎いているのである。〉

〈私はこの三島氏の自決≠決して犬死に終らせてはならないと思うのである。私がこの書を氏の一周忌に際し公刊して世に問うのも、三島氏の自決の真の意義を伝えて、今や誤まれる民主主義の美酒に陶酔して、一方には生活の頽廃を来しつつあり、他方には内乱的様相を呈して自己崩壊を来たさんとしつつある我が国に祖国愛の精神を復活せしめて、危機に面するわが国を救わんがためであるのである。
  昭和四十六年十一月三日 
                         谷口雅春〉

改めて拝読、感動しました。 (11764)
日時:2020年03月29日 (日) 22時41分
名前:聖地巡拝参加者

下総の野人 様

転記頂きました記事を改めて拝読し、感動致しました。

ありがとうございました。

本は何度も読了して分かった積りでしたが、

やはり雅春先生のご文章は深い味わいがあります。

雅春先生、三島氏ともども、天界にて、この国を

深く憂いておられるやも、と思いました。

現象に流されてしまいそうな昨今ですが、精神の支柱たる

信仰を把持し直さねばとも思いました。

「気付き」の機会を頂き、心より感謝申し上げます。


合掌

三島先生と尊師とをつなぐ糸とは? (11770)
日時:2020年04月02日 (木) 09時56分
名前:破邪顕正


表題に対する答え、それもまた戦後≠ノ対しての捉え方に相通ずるものがあったということを指摘しておきたいと思います。

尊師・谷口雅春先生が戦後≠ニいう時代をどう見ておられたか。

それを知る手かがりとして好個の材料となるのが『生長の家』誌・昭和21年七月号です(『大和の国日本』所収)。

これを見れば、尊師が敗戦直後の日本の、そのあまりの変わりように、如何に、悲嘆、慨嘆、愁嘆せられていたかがわかります。

《日本人自身が、兵隊と云えば、その全体が悉く特攻くずれであり、侵略くずれであり、全てが強盗や姦淫や惨殺の協力者であったと、一概に差別なく侮辱するような人が多いのに傷ましく限りなき悲しみを感ずる》(143頁)

《米さえくれそうだったら昨日まで国を売る者として嫌悪した共産主義に対してでも、云うがまま尾を振りつつ『一たび廻ってワンと云え』と云われれば、その通り行って恥じない、人間でありながら犬の様な節操のない群衆的雷同性は、一体どこから生じたものだろうか。

私は此のような人たちが日本の同胞にも沢山あらわれている事実を目撃し、敗戦と云う事実は、こんなにも国民を堕落させるものであろうかとうたた悲しく感ずるのである。》(146〜147頁)

《日本人でありながら日本を敗戦に導くべく懸命の努力をつくした人々が凱旋将軍のように迎えられて、五十万の群衆が彼を先頭にデモンストレーションを行う日があったりしたのである。》(149〜150頁)

ここに示されているように、戦後≠ニいう時代は、敗戦ショックによる一億総懺悔、実に皮相な「戦前=悪、戦後=善」という能天気な、戦前の手のひら返しから始まったと言って過言ではありません。

《ただひたせまり来る四方の敵の大軍の圧制下に、危いと見える同胞をまもるために、愛するために死のうと決意していた》(『前掲書』145頁)軍人さんを、特攻くずれであり、侵略くずれ≠ニさげすんで出発したのが戦後≠セったのです。

国体破壊を目指す共産党を凱旋将軍のように迎え≠スのが戦後≠セったのです。

犬の様な節操のない群衆的雷同性≠露わにしたのが戦後≠セったのです。

尊師は、敗戦後の、この日本の姿を見て、既に昭和21年の段階で、傷ましく限りなき悲しみを感ずる∞こんなにも国民を堕落させるものであろうかとうたた悲しく感ずる≠ニ表されたのです。

国民を堕落されるもの≠サれが尊師にとっては戦後≠セったのです。

その共感が三島先生にはあった…。

だからこそ、三島先生は『占領憲法下の日本』に「本書に寄せる」と題して寄稿されたのではなかったでしょうか。

文中、とりわけ、私が注目したのがこの文章です。

〈現代に政治を語る者は多い。

政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。

厖大なデータを整理し、情報を蒐集し、これを理論化体系化しようとする人は多い。

しかもその悉くが、現実の上つ面を撫でるだけの、究極的にはニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に堕するのは何故であらうか。〉

戦後≠生き、戦後≠ノ生きていくと、究極的にはニヒリズムに陥る=c。

尊師の慧眼には、それが堕落≠ニ見えたのだと思います。

それがくっきりと見えるのは、信仰者だけである。

だから、三島先生は、更に語を継いでこう記されたのだと私は思います。

〈このごろ特に私の痛感するところであるが、この複雑多岐な、矛盾にみちた苦悶の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな不毛の現代世界に於て、真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか?〉

何ものをも生まぬやうな不毛の現代世界¢ヲち、戦後≠ニいう時代に、もはやこれ以上は生きていけないと思う自らの心情を、谷口先生であればご理解くださるのではないのか。

だからこそ、決起直前、「お会いしたい」と言われたのではなかったか…。

ともあれ、ここに紹介させていただいた尊師のご文章も、三島先生のそれも、少しも古びた印象を受けません。

それどころか、却って、本質を鋭く穿っていて、実に新鮮な感動すら覚えます。

敗戦から75年を経たというのに、本質的な問題は今も厳然として存在しているし、何も変わっていないし、何の解決も見てはいない…。

その象徴が、今日の「占領憲法」でありましょう。

占領下に押しつけられた憲法の、その一字一句すら、いまだ変わってはいないのですから。

三島先生が最後に、命を賭してその問題を絶叫され、尊師もまた一貫して占領憲法の非なることを訴え続けてこられました。

今回の映画を視聴して、改めて両先生にもっともっと学んでいきたいと思った次第です。


とてつもなく広大な慈悲 (11772)
日時:2020年04月03日 (金) 21時43分
名前:聖地巡拝参加者

雅春先生と三島氏とを繋いだものが何であったのか?

極めて本質的な問題について示唆頂きましたこと、

誠にありがたく思います。

「戦後」の世相に対する共通の想いをお持ちであったこと、

充分に首肯できるお話かと存じます。

私自身もそうですが、いわゆる「戦後教育」を受けた

世代にとりまして、敗戦直後の世相と、それに対する良識ある方々の

想い、といったものは何とか想像し、辛うじて理解はできても、

実感としては感じ取れていないのかも知れません。

そうした意味で、私自身は『愛国は生と死を超えて』の

御著書一冊に全ては尽くされているように思って参りました。

その中でとくに氏の自伝的小説『仮面の告白』について、

糞尿汲取人への「自己同一化」の願望、精神を語られる部分に、

雅春先生ご自身の想いをも重ねられているように感じてきました。

『聖道へ』の全ての生類へのあの烈しくも慈悲深いお心は、

「生長の家」として見事な結実を見ました。

三島氏の場合は、生涯に亘る天才としての文学活動と、

その仕上げの「行動者」としての主張と行為によって

完成されたのでしょう。

後の世の私たちは、遺された言葉や行為の意味を

より深く理解し、継承すべく努めなければならないと思います。

慈悲と時期 (11775)
日時:2020年04月04日 (土) 06時37分
名前:聖地巡拝参加者

(11772)に追加させて下さい。

「広大な慈悲」ということでは、雅春先生の

「聖使命菩薩讃偈」には

「掛巻くも畏き宇宙の大神、人類の苦悩を見そなはし、〜

広大の慈門を開き給へり、名づけて生長の家といふ」とあります。

三島氏もまた、その慈愛深い人格において、当時の日本の状況を

目の当たりにしながら、何もせずにはいられなかったのだと思います。

あれだけの業績を残された方が、後の人生を仮に無為のまま

過ごされたとしても、それなりに生き得たはずです。

それを擲ってでもあの行為に到られたのは、

「日本の人類の苦悩を見そなは」されたのではないでしょうか。

あと、「時期の問題」ではないか、と思います。

昭和45年11月25日・・・

安保闘争や学園紛争などの無秩序が収束し、戦後社会が安定的に

発展していくように見えたその時期にこそ、

あの行為が重大な意味を持ち得た・・・

ということではないでしょうか。

「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」のパンフレットに思う (11781)
日時:2020年04月06日 (月) 11時17分
名前:破邪顕正

感動を再度、確認したくて、初めて、映画パンフを購入しました。

店頭で伺ったら、このパンフがよく売れているとのことでした。

このパンフの中で、特に惹かれたのが、内田樹氏の文章でした。

〈…彼は自分が単独者であることを少しも気にかけなかった。

それは彼が「三島由紀夫以外の誰によっても代替し得ないミッション」をすでに見出しており、それをどのようなかたちであれ実践する決意を持っていたからである。

自分の個人的実践が日本の国のかたちを変え、歴史の歯車を動かすことができると信じていたからである。

そして、実際に(三島が期待していた通りかどうかはわからないけれど)、彼の生き方と死に方によって、日本と日本人は不可逆的な変化をこうむったのである。〉

私がこの文章になぜ、共感を覚えたのか。

それは、三島先生のミッション≠ノついて述べていたからです。

三島先生なればこそ、日本の国のかたちを変え、歴史の歯車を動かすこと≠なしえたのではなかったでしょうか。

確かに、三島先生の肉体は滅びましたが、しかし、その言霊≠ヘ今なお、生きて、鳴り響いています。

内田氏は「彼の生き方と死に方によって、日本と日本人は不可逆的な変化をこうむった」と表しましたが、私も三島先生と出合っていなければ、今の人生を歩むことはなかった、それだけば断言できます。

個人的なことで恐縮ですが、私が三島先生に深く傾倒していったのは学生時代でした。

卒業後の人生をどう歩むか、そのとき、私の背中を押してくれたもの、それが三島先生でした。

三島先生と一緒に決起した方の中に「生長の家」の信徒がおられたことは、誠に衝撃的でした。

「後に続く者あるを信ず」

三島先生のこの言葉がずっとこだまし続けました。

そして、三島先生のように命を捧げることはできなくとも、この人生を献げることはできる…。

御教えを生かして社会で成功する人生よりも、この御教えを広める人生をこそ目指していこう。

そう心定めすることができたのでした。

今、私は、三島先生のミッション≠自らのそれに置き換えて、これからの人生に臨みたいと思っております。

日本の国のかたちを変え、歴史の歯車を動かすこと

それを、私は

生長の家のかたちを変え、歴史の歯車を動かすこと

に置き換えていきたいと思います。

現総裁の作り上げた生長の家のかたちを、尊師の創始せられた生長の家のかたちへと変えていく…。

三島先生は、最後、全共闘に対してこう呼びかけられます。

他のものはいっさい信じないとしても、諸君の熱情は信じます

この「熱情」とは、まさしく歴史の歯車を動かす<Gネルギーのことでありましょう。

一人ひとりには、そのエネルギーがある。

吾れ祈れば天地応え 
 吾れ動けば宇宙動く

「実相を観ずる歌」にあるこの精神を奮い立たすこと、それが今、私達に何よりも求められているのだと信じます。

そして、その熱情≠もって事に当たれば、「歴史の歯車を動かすこと」は可能である…。

その成果が、今回の「宗教法人」の取得ではなかったでしょうか。

内田氏の表現を借りれば、それによって「生長の家と信徒は不可逆的な変化をこうむった」と言い得ると思うからです。

尊師・谷口雅春先生のもとから、二つの教団が生まれたこと、それはもはや不可逆≠フこととなってしまったのです。

これから先のことは、すべて、それを前提として考えていかなくてはならなくなったのです。

尊師の教えを決して消し去ってはならないという、心ある信徒の熱情≠ェ、この新しい時代の地平を切り拓いたのです。

立教90周年を契機として新しい時代への挑戦が始まります。

この挑戦に人生を捧げることのできるよろこびを、多くの方にお分かちしていきたい。

今度は、その熱情≠ナ大いに前進してまいります。


三島先生のことを書いていただき、ありがとうございました (11803)
日時:2020年04月14日 (火) 13時16分
名前:破邪顕正


表題は、ある会員の方のお言葉です。

その方は、ある大教区の幹部でありましたが、あるとき、三島先生のことを話したら、「そんな怖い人のことは言わないで」と言下に口止めされたそうなのです。

三島先生のことを怖い人≠フ一言で片付け、タブー視する…。

果たして、それでいいのでしょうか。

だって、尊師・谷口雅春先生は三島先生の義挙に関して『愛国は生と死を超えて』を著され、三島先生も『占領憲法下の日本』にご寄稿されているのですよ…。

この事実からしても、タブー視することの方がよほどおかしい…

そうするのは、やはり、教団が明らかに思想的に変質しているからではないのか。

だから、双方の著書とも、事実上の絶版に処せられている…。

一つの不信は、次の不信を呼び…というような感じになって、この方は遂には退会を決断され、そのまま「谷口雅春先生を学ぶ会」に入会されました。

で、今回、尊師と三島先生とのことについて私が投稿したことを、大変、よろこんでくださったのでした。

現教団ではタブー視されたことも、「谷口雅春先生を学ぶ会」では、尊師の教えを理解する上で非常に大切なことだとして、きちんと取り扱い、言及してくださる…。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に入会して本当に好かったです…。

このような、よろこびのお声に接しますと、投稿冥利につきると言いますか、心ある会員の方のお役に立てて本当に好かったと思った次第です。

ところで、両書とも、今でも、アマゾンで購入できます。

調べてみましたら、『占領憲法下の日本』は品質の良いもので2,000円ほど。

『愛国は生と死を超えて』にいたっては、何と13,200円とありました(因みに、これは、尊師のご著書を手がけていることで知られる「永井古書店」での値段です)。

三島義挙には、「生長の家」の信徒2名が加わり、決起の前、三島先生は「ただ一人、谷口先生だけは自分達の行為の意義を知ってくれると思う」と遺言を残されたと言います。

であれば、これをタブー視することは決してあってはならないことだと思います。

なお、この『占領憲法下の日本』への序文を直に三島先生にお会いして依頼されたのが、中島代表であります。

そういう経緯からしても、尊師と三島先生のつながりについて、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、今後とも教団に代わって語り継いでいく使命があると思っています。




名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板