《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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宗教の第一の使命は救い≠ナはないのか?現総裁は宗教家にあらず評論家なり! (11735)
日時:2020年03月22日 (日) 12時00分
名前:破邪顕正


知人から、総裁の最近のブログ「唐松模様」を見るように言われ、久しぶりに覗いてみました。

3月1日付け記事…〈すべての生物を礼拝・尊重する〉

3月11日付け記事…〈「生命の法則に随順する」とは?〉

一読して、まず思ったこと、それは、ここには救い≠ェないという一点につきます。

新型コロナウィルスに触れるのであれば、宗教家ならば、まずは「祈り」を言うべきでしょう。

「祈り」を言わない宗教団体というのが、果たして、あるでしょうか。

不安・恐怖を感じている信徒に対して、大安心を与える、それこそが「生長の家」の総裁としての、まずは第一の使命、責務ではないでしょうか。

ところが、総裁は、ここでも新型コロナウィルスの問題を通して、持論の「人間至上主義」の問題を吹聴するばかりなのです。

信徒は、「生長の家」の総裁に、そんな評論を果たして聞きたいと思っているのでしょうか。

因みに、宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」のホームページをご覧なってみてください。

3月6日付けで、〈新型コロナウィルスの拡大に恐怖の念が蔓延する中、今こそ、尊師が示された「宇宙浄化の祈り」を徹底して実修しましょう!〉と題して、こう記されています。

〈尊師・谷口雅春先生は、聖経『続 真理の吟唱』の「龍宮無量寿国に入る祈り」に、次のような祈りの言葉をお示しくださっています。

「…住吉大神、龍宮無量寿いのちの泉を汲み給いてわれに灌ぎ給うのである。

いのちの泉、五彩七彩の色を放ちてわれに灌がれ、淊々乎(とうとうこ)として光の波となって、わが全身に流れ亘り、…その光荘厳を極めて、如何なる悪しき微生物も病菌もヴィールスも近付くこと能わず、もし近づけば、光に近づく暗の如く消えてしまうのである。」(17頁)

新型コロナウィルスの感染が広がりを見せ、恐怖の念が蔓延しつつある中、私たちは、尊師・谷口雅春先生の弟子として、尊師があらゆる聖典等に示されているとおり、神は一切の創造主であり、神は善であるから、いかなる微生物といえども生命を有する限り神の子であり、いかなるヴィールスも、細菌も、真菌も、原虫も人間を侵害して病気を起こさしめることはあり得ない!という強い信念をもって、人類の潜在意識に蓄積されている迷妄を、「宇宙浄化の祈り」の徹底実修によって浄めていかねばならないと思います。



また、尊師は、『理想世界』昭和33年5月号に、「金剛不壊眞身観」(下記参照)を掲げられました。

この神想観で尊師は、全身の細胞ことごとく神様に全領(支配)され、全身の細胞すべて神氣が充満して光明燦然と輝き、どんな病菌もヴィールスも、どんな病気、迷いの霊も自分の全身のどこにも入り込む余地はないのであると繰返し念ずることをお示しくださいました。

金剛不壊眞身観

(静かに息を吸いながら、神が自分に流れ入ると観じて)

神われを全領(ぜんりょう)したまえり
寸分の隙間もなく、神われを全領したまえり
さればわれ金剛不壊の眞身を得たり

(と念ずる。眼の裏に自分の全身に神氣が充満して、光明燦然と輝いている全身の有様を瞑視する。
 次に静かに息を下腹部におとして、神光輝く自身を凝視しながら、)

四百兆の細胞、寸分の隙間もなく神が全領したまえるゆえ、
 どんな病菌もヴィールスも、どんな病気、迷いの霊も
 自分の全身の何ものにも存在の余地はないのである

 (と念ずる。また静かに息を吸いて前の思念を繰返す。)

 (最後に次の如く念じて思念を終る。)

あゝわれは健やかなるかな、霊々妙々たり、
 煌々(こうこう)たり、皎々(こうこう)たり、
 われ金剛不壊の眞身を得、一切の病悩を超えたり

私たちは、世界を取り巻く迷妄≠フ念を浄め、日本国内における感染拡大が沈静化し、6月21日に開催される「第8回全国大会」が大盛会裡に開催され、さらには東京オリンピックが予定通りに開催されるよう、「宇宙浄化の祈り」そして「金剛不壊眞身観」を日々実修して参りましょう。 〉

どちらが、今の信徒の求めに応えているでしょうか。

総裁の評論に満足できますか?

それとも、「宇宙浄化の祈り」「金剛不壊眞身観」の実修に励んでいかれませんか?

日々の生活の中で、どう真理を生きるか。

常に救い≠フある運動を実践していきたい。

私は、そういう思いで、救いの輪を大きく広げていきたいと念願しております。


こういう時代だからこそ、谷口雅春先生のみ教えに帰ろう! (11736)
日時:2020年03月22日 (日) 13時33分
名前:破邪顕正

私は、朝の行の中で、毎日、一章ずつ、『真理の吟唱』を拝読させていただいております。

まさしく、悟りのエッセンスが凝縮されているような聖典で、その一章、一章に毎日、感動、感激の連続です。

今回、猛威を振るっている新型コロナウィルスに関して、ぜひ、皆さんにご拝読いただきたいと思うのが、聖経『続 真理の吟唱』の「わが内奥秘密蔵の光を呼び出す祈り」です。

《わが全身の細胞悉く、神の輝く 生命に充ち満たされて、ひとつひとつの細胞ことごとく稀有の宝石の如く生命の霊光≠放っているのである。

その光眩しくして如何なる病原体もわが身体に近づくことなく、若し近づけば、生命の光に同化せられて、わが身体に栄養を与うる善良なる微生物となってわが健康を養うのである。》(191〜192頁)

ウィルスだって、わが身体に栄養を与うる善良なる微生物となってわが健康を養う≠ニは何というお言葉でありましょうか。

いたずらに恐怖することなかれ、ですね。
どうして、このような素晴らしい聖典があるのに、総裁はこのことを信徒に伝えようとはしないのでしょうか。

しかも、これは教団の著作物であるというのに。

聞くところによると、教団は今や『真理の吟唱』に取って代わって『日々の祈り』を拝読させているそうですね。

それならそれで、どうして『日々の祈り』を拝読して恐怖心を払いのけましょうと言わないのでしょうか。

それを言わないのは、『日々の祈り』に対して、心底、絶対の信頼を寄せてはいないから、そう難じられても仕方ないのではないでしょうか。

私は、自らの体験をもって、皆さんに、『真理の吟唱』は素晴らしいとお伝えしております。

本物であると信ずるがゆえに、です。

皆さん、ぜひ、『真理の吟唱』を日々、ご拝読ください。

無用な不安、心配、恐怖から解放されますよ!


現総裁の評論≠ノは何故か、中国批判の観点がないことに思う (11737)
日時:2020年03月22日 (日) 15時14分
名前:破邪顕正


総裁が「朝日新聞」のことを、日本のクオリティペーパーとして、信徒にその購読を勧めていることは周知の通りです。

その「朝日新聞」の「素粒子」(3月21日付け)にこういう記事が掲載されました。

〈人類の敵はウイルスだ。

なのにトランプ氏は「中国ウイルス」、麻生氏は「武漢ウイルス」と、敵は中国と言わんばかりに。

いまこそ世界の知見の結集が欠かせないのに。〉

事の発端はどう見たって、中国ではなかったのですか?

最初から、隠蔽などせずに、きちんと現状をありのままに報告し、全世界に警鐘を鳴らしていたら、もっと違った展開もあり得たのでは。

どうして、「朝日新聞」はこうも中国に肩入ればかりするのでしょうね。

それが心ある国民の不評を買って、購読部数の減少に歯止めがかからない理由になっているのではありませんか。

これをご紹介したのは他でもありません。

総裁の今回のブログ記事、その評論≠フどこにも、中国の問題点に関しての言及がないからです。

総裁は口を開けば人間至上主義≠フことを言いますが、中国には、その人間至上主義≠キらないのではありませんか。

総裁は「肉食」はいけないと言いますが、それを言うのならば、中国の肉食≠ヘどうなのですか。

それは全くのスルーですか。

総裁のお得意の環境問題にしても然りです。

世界で最も環境を汚しているのは中国と言われているではありませんか。

また、総裁は、反原発≠主張しますが、中国はどうですか。

中国は、原発をしていませんか?

そういうことに言及しないのでは、結局、総裁もまた「朝日新聞」と同様、中国に与しているとみられても致し方ないように思うのです。

安倍首相を批判するならするで結構です。

私だって、安倍首相に言いたいことはあります。

何で、中国の習近平を国賓待遇しなければならないのか。

世界には、習近平の存在を、ヒトラーと同じように見る向きだってないわけではないのです。

今や、アメリカをはじめ、中国には厳しい見方が広がっています。

そういう世界の眼をぜひ意識してほしい。

勿論、そのことを安倍首相一人の問題に帰せようとは思ってはいません。

政界も経済界もマスコミも親中国派に席巻せられているのを目の当たりにしていますから。

そういう親中派を意識しながらの政権の舵取りですから、様々な妥協を強いられる面もあろうかとは思います。

ですから、安倍首相には、身の回りの内ばかりを意識せず、世界が中国をどう見ているか、その視点も、ぜひ勘案していただければと念願する次第です。

総裁も、できうるならば、安倍首相を批判する、その返す刀で、中国に対してもきっちりと問題点を指摘していただきたい。

そういう評論≠ネらば、少しは耳を傾ける信徒も出てくるのではないかと思うのですが…。

しかし、総裁の本質は「朝日新聞」と同じですから、これもまた画餅に帰すしかないのでしょうね。

これまでがまさしくそうでしたから…。



聖経『続々甘露の法雨』をお守りした健康成就のお守り≠ナ「ウィルスシャットアウト」 (11738)
日時:2020年03月22日 (日) 16時09分
名前:破邪顕正


最近、ちょっといい話を耳にしました。

ある方が、家を出る際に、娘さんからお守りを首にかけてもらった…。

そのお守りというのが、健康成就のお守り=B

「マスクと一緒に健康成就のお守り≠ナウィルスもシャットアウト、お父さん、今日もお仕事、頑張って!」

娘さんからこう言われたら、否が応でも張り切りますよね。

新編『生命の實相』第38巻「質疑篇」にこうあります。

《ほとんど全ての病気は恐怖心で起ると言っても好いのであります。

恐怖するから活力が萎縮してしまって本来有っている病気を治す力が働かないのです。

心配とか取越し苦労とか憤怒とかいうものもどちらかというと恐怖心の変形であります。

恐れなければ心配もありませんし、取越苦労もない。》(118頁)

この恐怖心から解放させてくれるのが聖経『続々甘露の法雨』であります。

《されば汝らは金剛不壊の実相身にして、物質的寒冷も、暑熱も、気候風土も、黴菌も、汝を害すること能わず。》

これをお守りにした健康成就のお守り≠マスクと一緒に、愛する人に如何ですか。



総裁の文明批評≠謔闡ク師の教えの方にこそ真の救いはある! (11740)
日時:2020年03月23日 (月) 09時51分
名前:破邪顕正


現総裁が、今回の二つのブログ記事で言いたかった結論は、結局は次のことのようです。

〈私は、今回の新型ウイルスによる感染症の拡大は、私たちが人間至上主義によって、動物たちとの間にあった自然な距離を撤廃し、不自然な距離にまで近づいていることに対する“警鐘”だと感じるのであります。

自然を自然のままにしておかずに、欲望をもって引き寄せ、徹底的に利用する、あるいは利用しない部分は粗末にかなぐり棄てる。

そういう“古い文明”が進めてきた生き方をやめ、「生命を礼拝し生命の法則に随順して生活する」必要がある。〉

読んでいて痛感するのは、総裁の人間観の暗さ≠ナす。

人間とは悪い者、どうもそういう人間観が、総裁の奥底の心情には流れているような気がしてなりません。

同様の印象は、岡正章氏も感じているようで、最近の「近況心境」で次のように言及されています。

「548 光を復活せよ!『生長の家90年史』!」からご紹介させていただきます。

〈僕はここに、紙一重の差かも知れないが、総裁が生長の家の説く本来の教えから外れて行く第一歩があらわれていると思う。

つまり、「人間は神の子」 というのは実相のことであって、現象は神の子ではなく、「罪の子」 である。

「神の子」 になるには、努力が必要である。

だから、それをよくよく自覚して、「人間至上主義」 にならず、「倫理的生活」 を送るように努力しなければならない――となって行くのである。

つまり、「現象」 に重点をおき、「実相」 を覆い隠した出発になっているのである。

「現象」 は影であり、闇である。

光は 「実相」 にあるのに、「現象」 つまり闇に立脚して教えを説いているのである。

本来の、真の生長の家の教えは、「現象なし」 「実相・神の子 独在」 の教えである。〉

言うまでもなく、生長の家の教えの根本は、光明思想≠ノあるはずです。

それは、岡氏が指摘する通り、「実相・神の子 独在」 の教え≠ゥら来ているわけです。

ところが、総裁の文明批評≠ネるものは、それが現象論であるが故に、尊師の教えから、どんどん外れて行く≠オかないのです。

尊師の教えを紐解けば、そこには明るい、希望の光が見えてきます。

例えば、新編『生命の實相』第39巻「教育実践篇」にはこうあります。

《大雨も暴風も地震も悉く唯心の所現であり、業の流転所現でありますから、観音妙智力、即ち光明思想によって解脱してしまうことができるのであります。…

観音を念じるというのはただ観音さんどうぞ助けて下さいということではない。

観自在のその大自在の生命と吾が生命と一つであるということを知ることなのであります。

自分が観世音であり、自分が如来であり、自分が神と一体であると知る。

そして環境はただこの自在の生命が念によって自由に仮作した世界であると知る。

この大自覚を得て自由に環境を征服し得るようになった時、吾々は初めて「人格の自由」というものを得るのであります。》(173〜174頁)

「生長の家」の総裁であれば、まずは、創始者の教えをこそ徹底してお伝えすべきなのです。

ところが、総裁は、なるほど今回のブログ記事でもそうですが、一応『生命の實相』から引用はするのですが、如何せん、それを「人間至上主義」という持論へと無理無理引っ張っていくための援用として使うのです。

総裁の文章でいつも思うこと、それは尊師の教えを、勝手に、恣意的に、強引に、牽強付会、我田引水することを恬として恥じないことにあります。

有り体に言うならば、総裁は、尊師の教えに素直に学ばせていただこうという謙虚さに欠けているのです。

常に、持論ありき。

その持論が決して尊師の教えから外れたものではないことを証し立てするために、『生命の實相』等をつまみ食いして、恰も、尊師の教えを受け継いでいるかのような体裁だけは繕おうとするのです。

もうそれが見え見えなのです。

その本性を隠そうともしない現総裁に対して、それでは尊師の本当の教えは却って覆い眩まされてしまうとの危機感をもって起ちあがる人が出て来るのは当然の事なのではありませんか。

だって、現総裁の文明批評≠いくら学んでも、本当の救いがもたらされるとは到底、思い得ませんから。


尊師の教えと現総裁のそれとを併用≠キることに思う (11745)
日時:2020年03月24日 (火) 08時05分
名前:破邪顕正


宇治でも飛田給でも、尊師の『聖経』と総裁の「経本」とをどちらも読誦していると聞きます。

こういう併用≠ヘ、却って、危ないのではないのか。

同様に、「現象あり」の総裁の本も読めば、「現象なし」の尊師の『聖典』も読むというのも如何なものでしょうか。

それというのも、新編『生命の實相』第38巻「質疑篇」にこうあるからです。

《薬剤に併用禁忌の薬があります。

たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。

生長の家で「病気はない、老死はない、不幸はない、あるように見えても現象はない」と言い切るところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンが折角の「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、私はこれを避けたいと思っているのであります。

…私の処方した「言葉の鉄剤」に…茶々を入れられるとその人の心の中で、「無」字のバランスが毀れるので『生長の家』を読んで万事好転していた人が、その種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。

そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れて何となく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起らなかった歯痛が起ってきた人などもあります。…

言葉をよく調合せしめたるーー「無」字を巧みに調剤してある聖典『生命の實相』を幾度でも繰り返し読んで、少しでも一層深く悟りに入られるよう希望致します。》(45〜48頁)

今、総裁の「経本」を読む教団信徒の中に、体調を崩す人も出てきているという情報を耳にすることがあります。

そういう話を聞くにつけ、上のご文章は、まさしくその予言の書としてあったのではないのか。

総裁の書いているものは、尊師の教えに茶々を入れ≠驍烽フではないのか。

拝読するならば尊師の『聖典』のみを。

読誦するのであれば「聖経」のみを。

幾度でも繰り返し読≠゙のがいいのではないでしょうか。

教団に所属している以上は、どうしても、たとえ不本意であろうとも、仕方なく総裁の本を読まざるを得ない。

それで、体調を崩しては元も子もないではありませんか。

そもそも、それでは伝道する意欲なんか生まれはしないでしょう。

そんなにしてまでどうして教団に義理立てしなければならないの?

そんな鬱屈するような世界から抜け出て、自らの信ずる尊師の教えのみを学び、お伝えさせていただく…。

そういう信徒の皆さんのためにこそ、宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」は生まれたのです!


総裁の4月11日付けブログ記事「コロナウイルスは何を教える (2)」に思う (11802)
日時:2020年04月14日 (火) 08時55分
名前:破邪顕正


知人より、表題の記事のあることを教えていただき、読ませていただきました。

この度も、前に書いたことと全く同じ感想を持ちました。

あくまでも文明批評を論ずるのであれば、自然環境を護れと言いたいのであれば、何も「宗教団体」である必要はない。

新たに、「環境保護団体」に衣替えすればいいだけのことではないのか。

しかし、一向にそういうことをしようとはしない。

あくまでも「生長の家」の看板はそのままにしている…。

であれば、少なくとも、宗教団体として、当然の使命である救いと希望≠フ福音を宣べるべきではないでしょうか。

ともあれ、今回のブログ記事の結論部分だけを引かせていただきます。


〈今、世界の多くの人々ーーとりわけ都市で生きる大勢の人々が、自宅や自室から外に出られず、出ても自由に歩き回れず、買い物に制限を加えられ、娯楽や遊興が白眼視される風潮を感じていることだろう。

そんな時、他に依存せず、他から求めず、慣れないことも自ら行い、自ら学び、自ら製作し、他に与える生き方をしてみるのはどうだろう?

そう、これが「メンドー臭い生き方」である。

しかし、これが「過剰なスペシャリゼーション」から自由になる唯一の方法だと私は思う。〉


何でも、「森のオフィス」では、職員の一人が感染した恐れがあるとかで、事務所を閉鎖した由。

当然、それに伴い、すべての職員は自宅待機となったのでしょうが、果たしてそれが「メンドー臭い生き方」を推奨するだけで事足りるのでしょうか?

「生長の家」の総裁としてメッセージするのであれば、全世界に向けて、「真理」からのそれを発信すべきではないでしょうか。

もとより、現象処理はそれとして大切なことです。

ですから、感染の疑いが出たら、閉鎖したのも管理者としては当然の処置だと思いますし、「ノー3密(私は、ノー集・近・閉≠ニ申していますが)」の徹底も大事なことだと思います。

その一方で、宗教者としては、感染の恐怖がかくも大きく世界的に広がっている今、何かそこに救いがあるような、将来への希望が見いだせるような、そして一人のひとりが今即、実践できるようなことを宣べるべきではないかと思うのです。

「智慧の言葉」にこうあります。

《自己の内に神を観た者は恐怖を超える》(新編『生命の實相』第34巻「聖語篇」25頁)

今、人類に最も必要なこと、それは恐怖を超える道を指し示すことではないでしょうか。

それには「自己の内に神を観」るようにすることである!

尊師・谷口雅春先生は、そのために「神想観」の実修を教えてくださっています。

或いは、聖典拝読・聖経読誦の大切さもお説きくださっています。

「Stay Home」

これらのことは家にいて、できることです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」では、今、「金剛不壊眞身観」という神想観の実修に取り組んでいます。

「宇宙浄化の祈り」「世界平和の祈り」を徹底してやるようにしています。

勿論、聖経読誦にも力を入れています。

「百巻読誦」「千巻読誦」に励んでいる会員もいます。

或いは、感染の終息を祈願して、聖経『続真理の吟唱』の写経をはじめた会員もいます。

「メンドー臭い生き方」というような表現ではなくして、「生長の家」として大事にしてきた宗教的実践があるのですから、そういうことをこそ強調してほしい、そう思った次第です。

今回の感染の問題は、教団も「谷口雅春先生を学ぶ会」も関係ありはしません。

信徒一人ひとり、尊師より教えていただいたことを、本気になって今こそ実践すべきであると思うからです。

こういう不安と恐怖感が蔓延している時代だからこそ、大安心の真理を教えていただいた私達「生長の家」信徒の出番です。



総裁のブログ記事〈ボードゲーム「コロナバスターズ」について〉に思う… (11951)
日時:2020年05月13日 (水) 13時08分
名前:破邪顕正

表題は、2020年5月12日 (火)付けで書かれたものです。

私が最も注目したのは、最後の【参考文献】のところです。

〇西條政幸著『グローバル時代のウイルス感染症』(日本医事新報社、2019年)

〇デービッド・R・ハーパー著/下遠野邦忠、瀬谷司監訳『生命科学のためのウイルス学――感染と宿主応答のしくみ、医療への応用』(南江堂、2015年)

ここでも、総裁は、尊師の『聖典』を参考にしようとはしていないことが、はっきりとわかります。

やはり、総裁は、尊師の教えから学ぼうという気はないのでしょうね。

さて、今回の記事は、総裁の言い訳から始まっています。

〈このゲームは「新型コロナウイルス感染症」という面白くないことから生まれた。それなのに「面白い」ことを目的とするゲームにして遊ぶというのは、不謹慎だと感じられた人もいるだろう。…しかし…ゲームでは、ウイルスを自分の味方につけることで、感染拡大を防げることになっている。〉

本当に「不謹慎」だと思ったのであれば、やめたらいいだけのことなのです。

ところが、それをやめないどころか、逆に、信徒に推奨しているわけです。

このゲームで感染拡大を防げると言うのですから、教団信徒は、このゲームに取り組んだらいいのではないでしょうか。

次に、こういう文章があります。

〈ウイルス感染症の誕生と人間との関係をひと言でいえば、人間は自然界のすみずみに、そして自然の奥深くにまで手を伸ばし、自己本位の目的でそれを改変し、また無秩序に利用してきたことで、永年安定していた自然界のバランスを崩しているということだ。〉

どうも、総裁は、人間は悪いことをする、そういう人間観に立っているような気がしてなりません。

武漢ウイルス≠ェここまで世界に広がったのには、まずは中国共産党の一党独裁の体質が指摘されなければならないのではありませんか。

総裁は、どうして、そういうことには頬被りするのでしょうか。

総裁のこんな文章を読むよりかは、藤原正彦先生の

〈緊急提言 コロナ後の世界 今こそ読書文化で日本復活〉

こちらをお読みになることをお勧めします。

藤原先生は、冒頭、はっきりとこう言われています。

〈この全世界的な新型コロナウイルスの蔓延で、はっきりしてきた対立…一つは、中国の覇権主義とそれを警戒する国々との対立です。新型コロナの発生源である中国は、当初、人から人へ感染することを隠し、武漢における惨状も明らかにしませんでした。隠蔽に次ぐ隠蔽を重ねてきました。ウイルスをばらまいたことへの謝罪どころか、ある程度中国で収まってきたら、イタリアや東ヨーロッパ、アフリカなどにマスクや防護服、人工呼吸器を大量に送り、救世主顔をし始めました。それらは一帯一路の重要な国々ですから、狙いは明らかです。つまり、覇権主義を露わにしたわけです。〉

中国のことを「放火犯が消防士のフリをして火事場泥棒を働く」と揶揄する向きがありましたが、総裁には、こういう視点は皆無です。

総裁にないのは、こればかりではありません。

藤原先生の次のような視点もです。

先生は、この文章の最後をこう締めくくっています。

〈これからもっとも大事なことは、コロナを奇貨としてよりよい社会、よりよい国にするということです。

転んでもただで起きないことです。今、大切なのは楽観力です。有史以来、コロナよりはるかに悲惨な天災、疫病、飢饉、戦争をくぐり抜けてきた日本民族には、やさしさに加え不屈の精神があります。コロナ程度に負けるはずがないのです。〉

日本への信頼、それこそが今、私たちに必要なことなのではありませんか。

総裁には、どうして、そういう視点からの、信徒を励ますというようなことがないのでしょうか。

総裁と藤原先生との二つの文章を読んでみて、その余りの違いは、いったいどこに起因するのか、その点に思いを馳せないではいられませんでした。

心ある読者の皆さん、ぜひ、藤原先生の文章をお読みください。



度々の割り込み、ご容赦を。破邪顕正さんがおっしゃっている岡正章さんや総裁のブログはここにありま。す (11953)
日時:2020年05月13日 (水) 14時38分
名前:破邪顕正さんの愛読者です

上の11740で破邪顕正さんがおっしゃっている岡正章さんの「548 光を復活せよ!『生長の家90年史』!」は、
http://misumaru.o.oo7.jp/
の左側にある「541〜560」をクリックあるいはタッチすると見られます。


11802で破邪顕正さんがおっしゃっている総裁の4月11日付けブログ記事「コロナウイルスは何を教える (2)」は、
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2020/04/post-483763.html
です。


11951でおっしゃっている総裁のブログ記事「コロナウイルスは何を教える (2)」は
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2020/05/index.html
だろうと思います。



度々の割り込み、失礼します。破邪顕正さんがおっしゃっている岡正章さんや総裁のブログはここにあります。 (11954)
日時:2020年05月13日 (水) 14時41分
名前:破邪顕正さんの愛読者です。

上の11740で破邪顕正さんがおっしゃっている岡正章さんの「548 光を復活せよ!『生長の家90年史』!」は、
http://misumaru.o.oo7.jp/
の左側にある「541〜560」をクリックあるいはタッチすると見られます。


11802で破邪顕正さんがおっしゃっている総裁の4月11日付けブログ記事「コロナウイルスは何を教える (2)」は、
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2020/04/post-483763.html
です。


11951でおっしゃっている総裁のブログ記事「コロナウイルスは何を教える (2)」は
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2020/05/index.html
だろうと思います。





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