《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「 生命の法則 」 と 「 自然の法則 」 ー 「 自然界の法則は 業の法則 」  (11691)
日時:2020年03月01日 (日) 17時11分
名前:明鏡


当初の表題は<「 生命の法則 」 と 「 自然の法則 」 は 別次元の異質のものである。>で

ありますが、上記表題の方が、後の投稿記事を含め、全容にふさわしいので、変更させて

いただきます。 3/11



生長の家立教91年( 90周年 )を心からお祝い申し上げます。

ライブ配信を聴いて、違和感を覚えたことを、以下に、述べたいと思います。


「 自然の法則に随順し 」 ( 『 今こそ自然から学ぼう 』 谷口雅宣 著 )


『 生長の家 』 創刊号( 昭和5年3月1日発行 ) 生長の家の宣言 には

一、吾等は生命を礼拝し 生命の法則に随順して生活せんことを期す。

と示されております。


谷口雅春先生は、「 生命の法則 」 について「 生きる、愛する、進歩する 」

おさとしになられました。


谷口雅宣総裁は、今回、引用した自らの著書において、「生命の法則に随順して」の部分を

「 自然の法則に随順し 」 と置き換えて述べられている。


「人間は自然の一部であり、自然に生かされているのだから・・・・・自然の法則に随順し

自らの内部にある ‟ 自然 ” を活性化することで道は開けるのである。」

( 『 今こそ自然から学ぼう 』はしがきF(7)頁 谷口雅宣 著 )


「 生命の法則 」 と 「 自然の法則 」は 別次元の異質のものである。


以前に、清流の民 様が、聖経『 甘露の法雨 』と『 観世音菩薩讃歌 』 の違いを

紹介されているように、神観が混在している『 観世音菩薩讃歌 』を読誦をすることは

好ましくない。

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=1612#


< 観世音菩薩讃歌は『聖経・甘露の法雨』と矛盾し、生長の家の根本である唯神実相論と矛盾し、

生長の家の神観と矛盾し、さらに雅宣総裁自説の「自然に対する四無量心」とも矛盾している。

全く支離滅裂のお経である。ニセ天使の欠陥経である。

こういう思想の混乱したお経を読んでいると、生活が混乱し、人生が混乱します。

ご先祖様も混乱して、迷います。 >



森林を伐採し、道路を作り、開発行為により、森の中にオフェスを設けていること自体が

自己矛盾であるのである。オフェスから 4km 離れた自宅の玄関のドアに大蛇が絡んでいた

ことからも、生態系を自ら破壊していることに気付かなければならない。


「 すべての生物、その所を得(え)て、相 侵(あいおか)さざるは 神の道なり 」 であります。

( 『 生命の實相 』 万教帰一篇 新編版 第21巻56頁、 頭注版 第12巻129頁)




「 七つの光明宣言 」 について (11701)
日時:2020年03月10日 (火) 12時22分
名前:明鏡


< 「 自然の法則 」 に随順して > についてが、どういうことであるか、ということよりも、

当たり前に思っていた「 生命の法則 」 を知ることで、より 「 自然の法則 」 との違いが判る

のではないかと思いました。


第一条には「 生命の法則に随順して生活する 」 ことが説かれております。

「 生命の法則 」 をよく理解することが、根本的な生き方になるわけです。


「 七つの光明宣言 」 の解説については、 『 生命の實相 』 第1巻と 『 實相と現象 』の中に

< 「 七つの光明宣言 」 解義 > が 書かれております。

重要なことは、この二つを繰り返し読むことであります。


「 生命の法則 」 について、谷口雅春先生が、どのように説かれているかを少し観てみましょう。


「 生命の法則 」 については、 「 七つの光明宣言 」 で述べられているように、

「 生命は生きとおし 」 であるということです。久遠に生きるということです。

そして、その生命は 「 無限生長 」 であるということです。


「 生命の法則 」 は 久遠に生きるということ、無限生長であるということです。

わかりやすく言うと、根本的な生き方として「 生きる、進歩する 」 法則に 随順した生活をする

ことであります。


「 生命 」 の対義語が 「 死 」 であることで、より鮮明になることでしょう。


次に、 「 神を愛するとは、神と一体である 」 との中心自覚であります。神を生きるとは

愛を生きるということであり 「 愛する 」 法則に随順した生活をすることが

「 七つの光明宣言 」< 解 義 > で述べられているのであります。


「 生命の法則に随順して生活する 」 とは、どのような生き方なのか、

今一度、「七つの光明宣言」を繰返し読むことで、より自覚した生き方ができるのでは

ないかと思います。( この三つが根本で、あとは副次的なものであります。)


谷口雅宣総裁が、生長の家で最も重要な、七つの光明宣言の 「 生命の法則に随順し 」 を

「 自然の法則に随順し 」 に変えても、違和感を覚えないくらい 「 生命の法則 」 が

わからなくなってしまっているように思います。


谷口雅宣総裁が、立教91年のお言葉でいま、新しい「 聖光録 」を作っていると

述べておりましたが、まさか、自然も生命も同じなので、時代に即して、

「自然の法則に随順し」に変えましたということはないと思いますが心配もしております。



次回に、「 自然の法則 」について、「 自然 」の対義語が 「 人工 」 「 人為 」で

ありますが、別の視点からも より深く浅く考えてみたいと思います。




自然界の法則は 業の法則 (11707)
日時:2020年03月11日 (水) 20時05分
名前:明鏡

 
谷口雅春 先生

『 生命の實相 』 倫理篇 新編版 第23巻( 157〜158頁 ) 頭注版 第13巻( 156〜157頁 )


「・・・自然界の法則は 「 不可不の法則 」 だなどと偉そうなことをいいますが、

‘ 本当にある ’ ものの法則ではないのであります。


何故(なぜ)自然界の法則が 善の法則に打勝つ如き状態を生ずるかと申しますと、

これは吾々人間が心の世界に 自然の法則を認めて、甘んじて自然の法則は善の法則よりも

強いものであると認めているから、それで その法則に勝手に負けているのです。


「 自然界の法則 」 が何故 「 善の法則 」 よりも弱いかと申しますと、自然界の法則とは、

業の法則であり、善の法則とは 「 本当にあるもの 」 の法則であるからです。 」


                              < 了 >






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