《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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『生長の家創始者・谷口雅春先生を学ぶ』誌に掲載された体験談に学ぶ。(体験談2番目)。93歳の男性が梅の木から落下して首の骨にひび。医者は「明日死んでもおかしくない」と。本人が「痛くて死にたい。目の難病で失明の妻を連れて死のう」と。しかし二年後に老人は畑仕事や車を運転するようになった。老人に何があったのであろうか。 (11683)
日時:2020年02月27日 (木) 16時32分
名前:『谷口雅春先生を学ぶ』誌に学ぶ

現在、老人や病人を介護するためのレベルとして「要介護1」から「要介護5」までがある。「要介護5」が最も高度な介護を必要とする段階である。今回の老人は大怪我を負ってなんとか助かった時点で「要介護5」であった。しかし二年後には「要介護」がとれてしまい、畑仕事や車の運転を一人で行うようになったのである。



【瀕死の老人が神想観の言葉で生き返る】

この体験談を発表したのは老人の娘(発表時に千葉県八千代市在住の65歳)である。

娘さんが体験談を発表した2年前に93歳の父親(佐賀県嬉野市在住)が梅の木から落ちて、首の骨にひびが入る大けがを負った。老人はドクターヘリで病院に運ばれた。医者は、「明日死んでもおかしくない状態です。覚悟してください」と言った。老人は何とか一命をとりとめたが、寝ても起きても全身が痛くてとても耐えられない。老人は「死にたい」と言い出した。しかも、「一人では死ねない。目の難病で失明になっている妻を連れて死のう」と考えているようであった。

そんな中の秋のお彼岸を過ぎたころである。老人が娘に、「つらくて苦しくて寝られない。寝られない時はどうしているのか」とたずねた。娘は「神想観をしているよ」と言って、基本的神想観の言葉を大きく紙に書いて、病室の壁に貼り出した。そして、耳が遠くなった父の耳元で、一緒に念ずる言葉を唱えた。すると老人が招神歌を見たとき、「分かった!」と言った。

実は、老人はそれまで親鸞の教えを学ぶ集まりに行っていたが、阿弥陀如来について質問しても釈然としなかったのであった。ところが招神歌の「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」という言葉をみたときに老人は画然と悟った。老人は、「『生きとし生けるものを生かし給える御祖神』こそ阿弥陀如来さまだ!」と言って喜んだ。

老人はそれから毎日神想観をするようになった。日に日に元気を取り戻して、「死にたい」と言わなくなった。その年の11月にリハビリの病院に転院することになり、翌年の3月に退院してしまった。以前老人が入院していた病院の看護師や近所の人たちは、老人が生きて帰宅したことに驚愕した。



【「要介護」なしに】

老人は、九州練成会が翌年2月に2泊3日で開催されることを知って、「どうしても行きたい」と言い出した。それを聞いた娘は、「1日だけで良いだろう」と思っていたが、老人は「全期参加する」と言う。それで娘が一緒に全期間参加した。

老人はそのころ「要介護5」であった。しかし練成会の自己紹介のときに老人は杖を忘れて立ち上がり、そのまま演壇まで歩いて自己紹介をはじめた。その姿をみた娘が驚いた。老人はそれから元気に練成会を受講した。それはどう考えても「要介護5」の姿ではない。そのような老人の姿を見た娘のほうが改めて御教えの素晴らしさを実感して、心から父親の老人に感謝したという。

その練成会がおわったあと、老人の車の免許更新のときがきた。老人は畑仕事を楽しみにしていたので、「運転免許を更新する」と言い出した。94歳の自動車運転である。娘は老人と兄の家族と話し合い、「自宅と畑を往復するときだけ車を利用する」という条件で免許を更新した。妥当な判断だろう。このようにして老人はいつの間にか「要介護」もなくなって完全に社会復帰した。94歳の社会復帰である。

さて老人は佐賀県の在住だから再び九州練成会に参加した。娘もいっしょに全期間参加した。ますます元気になった老人は毎朝かならず神想観を実修して、聖経『甘露の法雨』を読誦し、『谷口雅春先生を学ぶ』誌を仏壇の前で読んでいる。老人は顔色もよく足どりもよく、いつも心が生き生きと躍動して96歳(発表時)の年齢を無視しているということである。

               『生長の家創始者・谷口雅春先生を学ぶ』誌
                           平成29年(2017)12月号



さて再び確認すると、老人は招神歌の言葉を知ったときに画然と悟ったのであった。老人は、「『生きとし生けるものを生かし給える御祖神』こそ阿弥陀如来さまだ」と言って喜び、その日から神想観を行うようになり、日に日に元気を取り戻して近所の人たちが驚くほど回復した。

これと似たできごとが昔の「生長の家教団」草創期のころにあった。のちに数多くの奇蹟的な治癒を引き起こしたことで有名な服部仁郎氏が若き日に肋膜炎と肺炎を患って死にそうになったとき、知人から招神歌を教えられてハッと真理を悟った。そのときに肋膜炎と肺炎が一瞬のうちに消えてしまった出来事である。

現在、新型コロナウィールスによる肺炎が話題になっているが、この服部氏の話をご存知ない若者や忘れてしまったご老人がおられるかもしれないので、参考までに『新版・今を生きる。服部仁郎氏と生長の家』(光明思想社)から引用・紹介する。

服部仁郎氏は明治28年(1895)徳島県生れ。上野の美術学校(現在の東京芸大)に学んで帝展の特選に入ってから帝展の無鑑査出品者になり、39歳のときに出品作である裸婦像「心の影」を制作中に肋膜炎と肺炎を併発した。そのために服部仁郎氏は呼吸困難を起して医師が手の放しようのない状態におちいってしまった。ついに服部仁郎氏は遺言を書いた。

ところがそこに彫刻界の友人である片岡環氏が見舞に来た。片岡氏は 『人間本来神の子・病気本来なし』 の真理を服部氏に語つて、生長の家の招神歌四首の書き写したものを示した。服部仁郎氏は片岡氏が帰つてから、寝ながらその招神歌を見つめてゐるうちに、その第二首の、「わが生くるはわが力ならず天地を貫きて生くるみおやの生命(いのち)」という聖歌の語句の意味する真理に非常に打たれた。

谷口雅春先生はこのときの服部氏の心境をつぎのように解説しておられる。

>今まで“自分で何とか生きよう”“自分で何とかして治ろう”と思っていたのだったけれども、自分の生命は自分の生命ではないのだ、“今ここ”に神の生命が生きているのであって、自分がどうしなければならないということは決して無いのだ、神が生かしているのである。神の生命に病気があるはずがないのだと気がついたのであつた。

>その瞬間、本当に『病気が無い』と氏は知ったのだった。すると忽然!!今まで胸に重圧感がして呼吸困難であったが、胸が軽く、呼吸がきわめて楽になっているのであった。服部氏は起き上ると既に従前の健康体であって、制作なかばにして病気のため中止していた“心の影”と題する彫刻を完成しえて、帝展に出品する間に合ったのであった。

服部仁郎氏が招神歌の第二首、「わが生くるはわが力ならず天地を貫きて生くるみおやの生命」という聖歌に打たれて肺炎が消えてしまったことと、今回の老人が同じ招神歌を見て、『生きとし生けるものを生かし給える御祖神』こそ阿弥陀如来さまだ!」と言って、そのまま回復したことは同じ悟りを示している。それは谷口雅春先生の上の解説、

>今まで“自分で何とか生きよう”“自分で何とかして治ろう”と思っていたのだったけれども、自分の生命は自分の生命ではないのだ、“今ここ”に神(阿弥陀如来)の生命が生きているのであって、自分がどうしなければならないということは決して無いのだ、神(阿弥陀如来)が生かしているのである。神の生命(阿弥陀如来)に病気があるはずがないのだと気がついた…

ということである。

このあと服部仁郎氏は多くの人々に生長の家の真理を伝えて、数えきれないほどの奇蹟的治癒をひき起こした。その具体的な実例は『新版・今を生きる。服部仁郎氏と生長の家』(光明思想社)に掲載されているが、そのあまりの異常さ(?)を怪しんだ当時の目白警察署が「無届の療術行為」として摘発し、服部氏をよび出して氏をとり調べた。警察署が注目したほどであるから氏がひき起こした奇蹟的治癒の質と量がいかほど著しいものであったかが想像できるというものである。

それに対する服部氏の抗弁はじつに素晴らしいものであった。

氏は、「私は治すのではない。私の話をきけば向うの方でかってに治るのであり、私は謝礼も取らぬから絶対に療術行為ではない」と言った。たしかに向こう(病人)のほうが勝手に治るのである。服部氏は病気を治そうと思っていない。病気はないと思っている。だから「病気はない」と語った。その話を聞いた人の病気が勝手に消えるのである。

法律上の「療術行為」は病気があることを前提としているが、服部氏は病気がないことを前提している。警察署と服部氏の意見はかみ合わなかった。服部氏は、「いっそ届を出して、大手をふって行うほうが人のためになる」と思い直して届書を出した。その文書はいたって簡単なものであったという。

>生長の家の生命の実相を語る。背後より光明思念を送ることあり。

警察署に怪しまれたほどの異常な奇蹟的治癒をひき起こした原因は、「人間は病気など持っていない」と語ることだけだったのである。



月刊『生長の家創始者・谷口雅春先生を学ぶ』
http://komyoushisousha.co.jp/blog/1867/

『新版・今を生きる。服部仁郎氏と生長の家』(光明思想社)
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/1505/






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