《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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整然たる日本国家の構造に回帰せよ。日本政策研究センター代表・伊藤哲夫氏の「五箇条の御誓文」論に学ぶ。(後半) (11672)
日時:2020年02月23日 (日) 00時20分
名前:一愛国者

【昭和天皇が戦後の詔書で伝えようとされたこと】

ここで伊藤氏は前半と後半にわけて重要なことを語っている。後半も重要なのだが、氏は前半できわめて重要なことを語っておられるのである。

>新政府は…「明治憲法」の制定…さらに御誓文の精神の下、身分制度の撤廃や職業選択、居住移転の自由など、リベラルともいえる政策を次々に打ち出し、国民を封建制度の縛りから解放したのです。

>(しかも)「五箇条の御誓文」を重んじたのは政府だけではありません。…反政府側も民間も、一見対立関係のように見えながら実は「五箇条の御誓文」という一点でお互いに繋がっていた…(これ)は実に興味深いことではないでしょうか。

この氏の発言はきわめて重要なことを示唆している。

それは明治以降の日本人の政治に関する考え方(少し固い表現だが、以下「政治思想」と呼ぶ)が欧米の政治思想をのり越えたということである。なぜならば、「五箇条の御誓文」は王様に権力を与える「王権神授説」の長所と、国民に権力を与える「社会契約説」の二つの長所をとりいれて生かしているからである。

ここから少しむずかしいことを申し上げるが読者には我慢していただく。伊藤氏には御本意と異なっているならば再び「変なやつに誤読された」と思ってあきらめていただく。そもそも複数の人間がいるときには自然とリーダーや指導者が生まれる。たとえば班に班長があり、国に総理大臣や大統領が選ばれ、EUには欧州大統領(欧州理事会議長)が存在する。

だから集団にはリーダー役の中心が欠かせない。この事実を過度に強調した政治思想が西欧の「王権神授説」である。この「王権神授説」の欠点は「神」を大義名分として国民の権利や自発性を圧殺することである。しかし長所は集団の中心を明確に位置付けることである(もしリーダーがいなければ集団はバラバラになって混沌と争いの連鎖に陥る)。

その一方で、集団が安定的につづくためには集団の一人一人の努力や自発性が必要である。もし一人一人が無気力ならば集団は沈滞して消滅し、別の集団から不当になぐられても殴られっぱなしでおわってしまう。この一人一人の努力や自発性を過度に強調した政治思想が「社会契約説」である。この「社会契約説」の欠点は、一人一人の努力や自発性を強調するあまり一人一人が勝手気ままに主張して集団が壊れてしまうことである。しかし長所は一人一人の努力や自発性を自由に発揮させることである。

周知のように欧米の近代史は「王権神授説」と「社会契約説」が対立して、最終的に「社会契約説」が勝利した。その結果、フランスの革命宣言も世界人権宣言も共産党宣言も中心を喪失してしまい、今も全体がバラバラになることを止める求心力をもたない。

もっとも、共産党宣言は言葉のうえでは「理想の共産主義社会」という中心をもっていた。だが共産主義そのものが信用されなくなった。また、現在のEUは「多様性における統一」というヨーロッパ古来の伝統的思想を中心にすえている。だが、本来ヨーロッパの「多様性における統一」は「神」の権威があって成立するものであった。その「神」をぬいた(あるいは否定した)「多様性における統一」はきわめて安定性に欠けている。だからイギリスがEU離脱を決定した。これからEU内部でドイツとフランスの主導権争いが発生することもないことではない。

さて、日本の「五箇条の御誓文」は伊藤氏が語ったように、

>新政府は…「明治憲法」の制定…さらに御誓文の精神の下、身分制度の撤廃や職業選択、居住移転の自由など、リベラルともいえる政策を次々に打ち出し

それによって国民一人一人の努力と自発性を自由に発揮させた。これは「社会契約説」の長所である。

しかも氏がいうように、

>反政府側も民間も、一見(政府と)対立関係のように見えながら実は「五箇条の御誓文」という一点でお互いに繋がっていた

のであった。実際に、死ぬまで明治政府を批判した田中正造は最後まで「政府は御誓文を守れ」と明治政府に注文をつけて、「日本は天皇を神奉する神国である」と主張して譲らなかった。これは「五箇条の御誓文」が日本の中心として天皇を明確に位置づけ(王権神授説の長所)、国民一人一人の努力と自発性を発揮させながら国家全体を維持・発展しつづけていたということである。

だから伊藤氏が、

>(これ)は実に興味深いことではないでしょうか。

との感慨をもらしたのは当然であろう。

「五箇条の御誓文」は西洋の「王権神授説」と「社会契約説」の両方の長所を生かして、現実に有効に機能した。明治36年に明治天皇がお詠みになった御製「ちはやふる神のひらきし道をまた ひらくは人の力なりけり」は、欧米諸国が「王権神授説(国王)」と「社会契約説(人民)」に分裂してしまったことにたいして日本国が「神」をあおぎながら「天皇(国王)」と「人民」が共に協力しつつ発展したことを喜び感謝する明治天皇の感慨を示している。

だから現代の世界に政治宣言や人権宣言は多くあれども「五箇条の御誓文」ほどみごとに機能して個と全体を生かした宣言はない。それは「五箇条の御誓文」によって政治機能としての「神」と「天皇(国王)」と「国民」が所をえて整然と発展したからである。この意味で伊藤哲夫氏が「五箇条の御誓文にかえれ」とおっしゃるのは必然であり当然である。




【いまの日本人に強固な意志はあるのか】

これが最終部である。ここで伊藤氏は日本の民主主義の淵源について触れて、さらに憲法改正その他の国家的課題について語っている。

>いまの日本の現状はどうだろうか、と考えると寒心に堪えません。戦後七十年以上経ったいまなお憲法改正ひとつまともに進まない現実は、国家としての意志がいかにぼやけているかを如実に物語っています。

まったく氏のいうとおりである。

ということは、日本人は「帝国憲法復元改正」はおろか「九条改正」も「緊急事態条項の追加」も実現できなかったということである(ここで一愛国者は不満や責任を云々しているのではない)。だからこれから正当かつ正統な憲法改正を考える者は「復古的憲法改正」あるいは「維新的憲法改正」を考えるべきだと思う。

具体的には「九条改正」や「緊急事態条項の追加」などの政務的・実務的な改正を行い、それと同時に国家理念として、「日本国は国民一人一人の努力と自由を拡大し、歴史的に一貫して天皇を中心と仰ぐ君民共治の国である」というような内容に「前文」や天皇条項を修正することを目指すのである。たとえ百年かかっても二百年かかってもこれを実現する……というように覚悟を固めるべきである。

……と、なぜこのようなことを突然のべるかというと、生前の谷口雅春先生が「帝国憲法復元改正」を訴え、それを承けて「帝国憲法復元改正」の実現に尽力した人たちのなかには「帝国憲法に復元しないのならば九条改正も緊急事態条項の追加も行うべきでない。もし行ったら現在の憲法を承認することになってしまう」という意見があるためである。

しかしこの意見にしたがうと、これから日本国は国防や緊急事態(大地震や流行病)などの国家危機をのりこえることが全くできなくなる。だからこの意見は(悪意はないものの)「帝国憲法復元」を大義名分にして日本国が前進しようとするときに足かせを加えるようなものである。

日本国が破滅しては元も子もない。だから誤解と反感を招くかもしれぬが、正当かつ着実な日本国のありようを模索する者は、「帝国憲法」をも乗り越えるような「復古的憲法改正」あるいは「維新的憲法改正」を模索するべきだと思う。

その模索の中心軸が「五箇条の御誓文」である。なぜならば「五箇条の御誓文」は近代日本国の「理想」であり、それに対して新旧両憲法を含む今日までの近代日本国は「事実」にすぎないからである。「理想」を中心軸として模索するのか、「事実」を中心軸として模索するのか…。あまり軽薄なことは言えないが、今の日本は「理想」を中心軸として過去の「事実」を飛び越えることが必要な新時代にすでに突入している。

たとえば上皇陛下が平成28年の8月にビデオ録画で「おことば」を表明して「生前のご譲位」を国民に訴えになられた。これは…恐れ多いことを言うようであるが…憲法を逸脱する発言であるだけでなく、旧皇室典範にもとづく「現皇室典範」の規定をも逸脱する御発言であった。だから当時は思想の左右を問わず強い違和感を表明する者が少なくなかった。たとえば日本会議にきわめて近い活動家や憲法学者が「陛下のお言葉に反対」を表明し、護憲さらに反天皇制を信念とする活動家や憲法学者も「反対」を表明した。

しかしほとんどの世論調査の90%は「陛下の希望を実現させたい」を示した。さらに本来ならば「天皇の違憲行為に強く抗議・反対する」と徹底抗戦するはずの日本共産党や民進党の一部国会議員も国会で政府と争うことを回避してしまった。

つまりこの大事件は当時の天皇の発言が現行憲法(つまり戦後日本)の権威を上回ったということを示すだけでなく、旧皇室典範(つまり明治時代)の命令をも陛下が明確に拒否して、それに国民が従ったということなのではないだろうか。今や正当かつ正統かつ着実な日本国のありようを模索する者は、明治時代と帝国憲法をも乗り越えるような「復古的憲法改正」あるいは「維新的憲法改正」を模索するべきである。




(付言)

伊藤氏は最後に、日本の少子化問題に警鐘を鳴らしておられる。「新生児の数は年々減少し、令和元年には八十七万人を割り、明治の統計開始から最少の数字となった。この傾向は一層加速するだろう。日本はいずれ自然消滅する。このような危機の現実を一体どれだけの日本人が認識しているのか」と。

本来、このような少子化問題などは政府や役所が取り組むものである。と、ふつうの人は思うだろう。しかし伊藤氏や氏が代表をつとめる「日本政策研究センター」は本気でこの問題に取り組んでいる。だから同センターが編集・発行している「明日への選択」誌2月号の「オピニオン」の表題はなんと、「結婚する方が幸せになれる!注目すべき結婚の多くのメリット」である。

「結婚する方が幸せになれる!注目すべき結婚の多くのメリット」などという表題は『ゼクシィ』など商業結婚情報誌のうたい文句ではないか。私はこの表題をはじめて見たときに「伊藤さんはついに結婚相談所を開設したのだ」と誤解して驚いた。「日本政策研究センター」はここまで日本と日本国民のことを考えてくださっているのだ。ありがたいことである。読者諸賢には本気で日本と日本国民のことを考えている「明日への選択」誌を定期購読されることをお願い申し上げる。


『致知』誌3月号
https://www.chichi.co.jp/info/month/

日本政策研究センター
http://www.seisaku-center.net/






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