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- 日時:2020年02月03日 (月) 19時59分
名前:明鏡
「 歴史は虹である 」 という言葉は、渡部昇一氏や清水馨八郎(けいはちろう)氏の著書に 出てきます。思えば、さかのぼること、学生の頃、ちょうど、天皇陛下御在位50年奉祝行事が 行われていた頃、渡部昇一氏の著書で、初めて読んだ記憶があります。
「 水玉 」「 角度と距離 」 は引用で、「 太陽 」は 私の所感です。
( 以下「 」部分は、後記記載の書籍から )
渡部氏によると、オーウェン・バーフィールドという言語学者の書いたエッセイの中に 「 歴史というものは虹のようなものである。それは近くに寄って、くわしく見れば 見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉にすぎない 」 という趣旨の文章から
「 虹は、見る人から一定の距離と角度を置いた時に初めて、明瞭に見える。逆に言えば、 その距離と角度が適当でなければ虹は見えない、ということなのである。 」
「 歴史における水玉というのは、個々の歴史資料や個々の歴史的事実といったものであろう。 だが、こういった歴史的事実を集めてみても、その観察者の立っている場所が悪ければ、 歴史の実像は いっこうに見えてはこないのである。 」
「・・・ある距離を隔(へだ)てて、ある視点にたったとき、はっきりと見える、・・・ では、日本という名の虹 を見るのに適当な距離とは、どのぐらいのものであろうか。
それは時間的に言って、500年前、すなわち世界史においてはコロンブスがアメリカ大陸を 発見したころから始めるのが適切なのではないと思う。そして、虹のもう一方の端を、 私は二十二世紀から二十三世紀に置いてみたい。・・・ 少なくともこの程度の時間的規模で見なければ、歴史という大きな虹は見えてこない・・・」
つまり < 日本という名の虹 > が、あと100年以上の先に見えてくるというのだが、 私は、生長の家の人類光明化・日本国実相顕現の運動次第であると思うのである。
『 かくて歴史は始まる ー 逆説の国・日本の文明が地球を包む 』 ( クレスト社、 三笠書房知的生き方文庫 )
( 現在は 『 渡部昇一の日本史快読! 』(改訂・改題) 渡部昇一 著 ワック株式会社 から 出版されている )
谷口雅春先生のご著書で、 『 古事記と日本国の世界的使命 甦る『 生命の實相 』 神道篇 』 ( 光明思想社 )がありますが、その中に、「 歴史を研究する目的 」 「 歴史研究の意義 」 の 項目があります。
以下 < > 部分引用
「 歴史を研究する目的 」から
< 実相が迷(まよい)を通して輝き出るときの波動紋理(はどうもんり )というものを 把(つか)み出さなければならない。換言(かんげん)すれば、吾々日本人が如何に実相を生き、 如何に自壊作用と闘(たたこ)うて来たか、いうことの記録が、この『 古事記 』 に現れている のであります。>
「 歴史研究の意義 」から
< 歴史というものは 実在の生命が、『 無 』の世界を征服して進軍する結果として 現象界に現れる作用 > 例えば、大東亜戦争後における人種差別の撤廃や植民地からの解放が あげれらるのではないかと思う。
今、近現代史を中心に読み込んでおりますが、個々の歴史的事実についても、伝聞なのか、 情報宣伝戦なのか、虚偽なのか、様々な歴史的資料が出て来ていますので、 「 日本という名の虹 」 が、たとえ100年先といえども、見える時は日々近づいていると思うものである。
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