《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「日本会議」の淵源「日本を守る会」設立の背景には尊師・谷口雅春先生のお志が… (11532)
日時:2019年12月08日 (日) 16時23分
名前:破邪顕正


〈則天去私「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます〉という掲示板に、2019年12月07付けで「生長の家」の二つや三つぶっ潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためには、それもやむ得ない。……≠ニいう記事が掲載されています。

その中で、私が気になったのは、質問者・市川守様のこの文章です。

〈(前略)谷口雅春先生の『国の為にならなければ、生長の家の一つや二つ潰れても構わない』旨のご発言の件ですが、この事をある処で紹介したところ、ある方から指摘をいただきまして、『その出典はどこにありますか?不正確な情報を真実のように伝えては、信用を失います』との事でした。〉

言うまでもなく、私が気になったというのは、ある方≠ニいう人の、その物言いです。

出典を尋ねるのはいいのです。

そういう場合、普通は、こういう言い方になるのではないでしょうか。

〈尊師・谷口雅春先生のお志を知る上で、市川さんの今の話しは、とても大事な情報です。

ぜひ、その出典を教えてください。

それがわかれば、間違いない情報として、私も胸をはってお伝えできますから。〉

ところが、このある方≠ニいう人は、その真逆の言い様なのです。

おそらく、私が思うのに、このある方≠ニいう人は、尊師・谷口雅春先生が「日本を守る会」の設立に関わっていたということを快く思っていない。

谷口雅宣総裁支持者で、そういう情報を広められたら困るからこそ、

不正確な情報を真実のように伝えては、信用を失います

と、脅しまがいの物言いをしたのではないかと思うのです。

これについて、素晴らしい回答が紹介されています。

〈この件につき、現在『谷口雅春先生著作年譜一覧表』に掲載させて戴きたいと思って、参考にさせて戴いたのが『国民同胞』昭和60年11月10日です。…〉

詳細は、そちらに譲るとして、私からも、市川守様に情報提供させていただこうと思います。

「立派だった先賢の一言―日本を守る会誕生記」と題する、富岡八幡宮・澤渡盛房権宮司の文章です。

〈『生長の家の二つや三つぶっ潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためにはそれも止むを得ない、私たちはそのような覚悟と堅い決意で生長の家を拠点とした宗教活動に精進している。協力を惜しまないどころか、生長の家の活動そのものの目指すところはそこにある』という力強いことばが谷口総裁から迸り出たのであった。

まさに愛国者の箴言(しんげん)だった。

これに力を得た両大人(富岡盛彦・富岡八幡宮宮司、朝比奈宗源・鎌倉円覚寺派管長)はそれから手わけをして目指す有識者を説き廻って遂に昭和四十九年四月二日、明治記念館における「日本を守る会」の発足につながるわけであるが、翌昭和五十年には日本を守る会主催天皇陛下御在位五十年奉祝日本武道館大会、翌五十一年には奉祝大パレード、やがて元号法制化実現国民会議の結成とその成果としての元号法成立、更に憲法、防衛、教育の三本柱と取り組む「日本を守る国民会議」と「日本を守る各都道府県民会議」の結成とその活動、御在位六十年奉祝運動の展開と現成に思いを馳せる時に、谷口総裁、朝比奈管長、富岡宮司の劇的鼎談がいかにこの「日本を守る会」の結成とその活動そして今日の逼迫(ひつぱく)した日本の現状打開運動に大きな「弾み」をつけたかということがわかる。

鼎談三者は今はこの世にない、しかし、この三大人は幽界からこの活動を見守られ、支援を惜しまないであろうことは疑を容れない。

生き証人の一人として当時の回想を記す機会を得たことに感謝したい。〉

今日の「日本会議」の活躍を、尊師・谷口雅春先生は間違いなく、応援してくださっていると私は確信するものです。

にもかかわらず、『日本会議の研究』などというシロモノを聖典化して、その足を引っ張っているのが、他ならぬ現総裁であり、現教団であります。

いったい、どちらが、尊師のお志実現に尽力しているのか。

先の「国民祭典」や「祝賀パレード」の盛り上がりを見れば、一目瞭然ではないでしょうか。

市川守様のように、尊師のお志が何であったか、それを伝え抜く使命に、私も邁進してまいりたいと思っております。


谷口雅春先生のお言葉の出典の真実性を裏付ける文献があります! (11539)
日時:2019年12月10日 (火) 18時23分
名前:護法の天使

 破邪顕正さんが紹介された、谷口雅春先生のお言葉の出典である『国民同胞』ですが、これは、公益社団法人国民文化研究会が発行されている月刊誌です。

 公益社団法人国民文化研究会は、吉田松陰先生のご子孫にあたられる小田村寅二郎先生らによって設立された立派な団体です。

 さて、谷口雅春先生のこのお言葉について、出典である『国民同胞』の記事は、谷口雅春先生より直接にお言葉をお聞きになった方が記載されたものであり、詳細かつ具体的な内容です。

 そして、別の文献にも、短いですが、同趣旨の記述があり、上記の出典の真実性が裏付けられているといえます。

 その文献は、平成元年11月に、明治神宮崇敬会から出版された、副島廣之氏著の『私の歩んだ昭和史』の211ページに、出典と同趣旨のお言葉が引用されています。(同書奥付の画像を掲載しました。)

 以下、同書より、抜粋して紹介します。

206ページ〜211ページ

「日本を守る会の結成と活動の開始

 一、日本を守る会の結成

 昭和四十九年四月二日は、日本にとって画期的な日であり、またあらしめたいという発願の日である。なぜかといえば、それは日本を守る会の結成式が、明治憲法制定にゆかりの深い明治記念館で行われた日であるからだ。

(中略)

 なお当日推挙された役員は次の通り。

〔代表委員〕…谷口雅春(生長の家)、…

(中略)

 さて代表委員に就任された諸先生の日本を守る会に寄せる熱意は、今ここに言う必要もないが、特に朝比奈老師(注、鎌倉円覚寺の朝比奈宗源師)はお伊勢さまの御神託を受けたかのごとく、富岡宮司とともに熱情をこめて日本を守る会の結成に当たられた。

後日澤渡盛房氏(富岡八幡宮権宮司、日本を守る会事務次長)の語ったところによると、富岡宮司に随行して生長の家に谷口雅春総裁を訪問し、守る会結成の趣旨を述べて参加を進めたところ、
谷口総裁は直ちに賛意を表し、

「日本を守るためには教団の一つや二つ潰してもかまわない」

と大変な熱意で語られたという。」



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