個人的な怨恨、敵対感情の前に、総裁のリベラル≠フ考え方があった! (11429) |
- 日時:2019年10月25日 (金) 10時56分
名前:破邪顕正
私が申し上げたいことを附記しておきたいと思います。
私は、総裁が、特定の人を憎み、敵対感情を抱いていたということを決して否定するものではありません。
確かに、総裁の中に、そういう感情はあったでしょうし、だからこそ『日本会議の研究』を聖典扱いにもしたのだと思います。
しかし、本質的な問題は、どうして、総裁がそういう感情を抱くに到ったのか、そこにこそあると思うのです。
全ては、総裁のリベラル≠ネ思想傾向がもたらしたものであるということ、それが私の最も申し上げたいことなのです。
安倍自民党に対する、あの異常なまでの嫌悪の情を見れば、それはもはや否定しがたいものがあると言わざるをえません。
同様の感情が、かつては『理想世界』誌100万運動を担った青年局(旧青年局)や正統憲法実現を掲げた生長の家政治連合(生政連)に向けられたということなのです。
ですから、それに連なる人に対して、次から次と、所払い(左遷・辞職等)の人事異動が発令されたわけです。
リベラル≠フ考え方の総裁にとって、そういう人達は目障りで仕方がなかった、そういうことなのです。
どうして、今、そのことを私が事改めて重要視するのか。
一見、それは旧青年局や生政連等の排除のように見えて、本質的には、生長の家教団から尊師・谷口雅春先生そのものを排除する、そういうことだったと思うからです。
リベラル≠ニ尊師の教えとは相容れない!
『聖典』を事実上の絶版に処したのも、原宿本部会館を解体し、本部移転をはかったのも、更には総本山のご祭神を変えたのも、全ては、そこに起因する!
だからこそ、私は総裁の、個人的な感情次元で問題を矮小化してはならないと申し上げているのです。
リベラル≠フ総裁が、愛国運動の柱であった生長の家を完全支配してしまった!
それこそが、今日の教団の悲劇≠フ始まりであると私は思っています。
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