《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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10月10日「いのちに感謝する日」のご報告がありました 素晴らしい日本救急救命士協会会長の鈴木哲司氏のお話と、衛藤晟一衆議院議員の講演をお読みください  (11396)
日時:2019年10月14日 (月) 14時11分
名前:コスモス

https://www.facebook.com/yosikio/posts/2510555745697867


速報より

令和元年10月10日「とつきとか」いのちに感謝する日。お母さん産んでくれてありがとうの日。


テレビドラマなどで「救急救命医療」や「救急救命士」が題材とされ、注目される中、関西テレビ「ミヤネ屋」に「救急救命」の専門家としてたびたび出演している、日本救急救命士協会会長の鈴木哲司氏を招いて、


キャンパスプラザ京都にて、午後7時より8時30分まで、「10月10日」(とつきとおか)いのちに感謝する日〜お母さん産んで生んでくれてありがとう〜の式典(主催:10月10日「いのちに感謝する日」実行委員会)が行われた。


当日は、1億総活躍大臣・少子化担当大臣の衛藤晟一衆議員より

「これから急速に人口が減少していく中で子供を産み、育てやすい社会を実現することは極めて重要」

「誰もが産んでくれてありがとうと思えるような社会を目指したい」

「皆さんのいのちを守る行動に感謝します。」とのメッセージが祝辞としてして披露された。


続いて「こうのとりのゆりかご」で知られる慈恵病院院長の蓮田太二氏から「いのちの尊さ」の学びをさらに進めてほしいと お祝いの動画メッセ―ジ。



日本航空大学校学長 浅川正人氏。

「優生保護法(現:母体保護法)」により、戦後8000万〜1億人の赤ちゃんが中絶されている。その一人、一人が、実は、多くの子や孫を授かるいのちだった。

もっと国は、「こうのとりのゆりかご」で奮闘されている蓮田先生のような活動や、妊婦さんを守る働きを強く支援していただきたいと、動画メッセ―ジ。


サプライズとして、愛知からご当地アイドルの「Ⅾuoゴジュウ〜」(村主真裕美・村岡千佳)さんが 駆けつけて歌を披露。多くの人が感動に涙していた。


また、京都の七田式教室の子供たちも「お父さんお母さん」に感謝して「手のひらを太陽に」を元気に披露。大きな拍手が巻き起こっていた。


総合司会の大熊良樹氏は、「今日は、いわゆる発進宣言の日。来年に向けて、十月十日(とつきとおか)、かけて『いのちを守る歩み』を更に進めてゆきます」と締めくくった。


岡山から駆けつけた、矢野浩二郎さんは「いのちの素晴らしさを改めて実感した。」


山口から参加した岩崎久美代さんは「来年はもっと多くの知人を誘いたい」と笑顔で語っていた。

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 「いのちに感謝し、いのちを守る」輪が、これからもっともっと大きくなって行く事をお祈りします。みんなで協力しましょう。


素晴らしかった「十月十日 いのちに感謝する日」の集い おめでとうございます 素晴らしい鈴木先生のお話をお読みください (11402)
日時:2019年10月16日 (水) 12時17分
名前:コスモス


https://www.facebook.com/yosikio/posts/2515972745156167

    大熊良樹

10月10日とつきとおか。いのちに感謝する日式典。


 鈴木哲司先生の講演で『臨死体験』の殆んどは人間は愛を現すために生まれてきたということを体験(実感)して帰ってくるという言葉がありました。


 日本救急救命士協会の会長様。いのちのピンチの最前線でご活躍の先生だからこそ、説得力がありましたし、衝撃的でした。


 私もそう(臨死体験)なので、先生の言葉に感動しました。先生のお話。来年も聞きたい。もっと聞きたい‼️もっともっと聞きたい‼️\(^-^)/

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 https://www.facebook.com/yosikio/posts/2515219305231511


 素晴らしい‼️ 鈴木先生の『祖我一如』について。ぜひお読みください。本当に素晴らしい。


 https://inochi-kataribe.com/2019/10/16/%e6%95%91%e6%80%a5%e5%8c%bb%e7%99%82%e3%81%a8%e6%ad%bb%e3%80%80%ef%bd%9e%e7%a5%96%e6%88%91%e4%b8%80%e5%a6%82%ef%bd%9e/

  

 2019.10.16

      救急医療と死 〜祖我一如〜



 救急医療のみならず医療を取り巻く世界では、必然的に数多くの死を目の当たりにすることになり、メディカルスタッフはときには仕事を離れてからも、死について考えることがあるのではないかと思います。


 少なくとも私自身はそうでしたし、学生服姿の自殺者などに接したときには、やるせない気持ちがしばらくの間心を離れませんでした。


 もちろん十代に限らず、神様から与えられた命を自ら絶ってしまう人はいますし、これまで一度もそんなことを考えたことがないからと言って、これからも絶対に「消えてしまいたい」などと思う日は来ない、とは言い切れません。


 人類の歴史が始まって以来、飢えや寒さ、さまざまな病気や災難を乗り超え、いくつもの時代をくぐり抜けてバトンリレーされ、今日まで連綿と受け継がれてきた私たちの生命力は限りなく強く、しかしまた繊細で弱いものでもあります。


 だからもしもいつか、あなたの人生に、あるいはあなたの近くにいる誰かの人生に、「消えてしまいたくなるほどに」辛い日が訪れたときには、ぜび思い出してほしいことが一つあります。


 それは「祖我一如(そがいちにょ)」ということばです。耳慣れない言葉かもしれませんが、祖我一如とは、「私は子孫であり、先祖である」という意味です。


 私は太古から連綿と続いてきた命の末裔(=子孫)であり、ここから未来へと続いて行く命の先祖となる者。遥かなときを超えてここまで運ばれ、手渡されたバトンを次の走者に渡す「命の継承者」である、ということなのです。


 私たちは「死」が、自分一人だけのものでないことを、よく知っています。「死」が、その当事者だけで完結することはほとんどなく、特に突発的な事故や自殺などによる死が、家族や周囲の人々の魂を深く傷つけ、深く悲しませることを知っています。しかしそれは、「目に見える世界」の話です。


 もちろん、それは真実です。自殺者の苦しみが終わった瞬間から、その人を愛する人々の悲しみや苦しみは始まり、いつ終わるともなく果てしなく続いていくからです。


 ではそのとき、「目に見えない世界」では、どんなことが起きているのでしょう? 若い自殺者の手から、一つの貴重なバトンがこぼれ落ち、消えていく。


 それは私たちがどうあがいても到達することのできない、遠い未来へと続いていくはずだった「命」が一つ失われた、ということなのです。

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 鈴木先生のお話をもう一つご紹介させてた頂きました。

 https://inochi-kataribe.com/2019/10/15/%e6%95%91%e6%80%a5%e5%8c%bb%e7%99%82%e3%81%a8%e8%98%87%e7%94%9f/


 2019.10.15

        救急医療と蘇生



 救急医療に携わっていれば、この蘇り(黄泉返り)を目にするのも珍しいことではありません。もちろん救命のプロフェッショナルたちが力を集結して心肺蘇生を行っているのですから、たくさんの人に蘇ってもらわなければ困ります。


 しかし私が救命救急センターに勤務していたとき、どう考えても死は避けられないと思われる状況にある人が蘇生し、反対にこの状況でこれだけやって、なぜ蘇生しないのか?と不思議に思う場合もあって、私には、そこに人智を超えた大いなる力が働いているように思えて仕方ありませんでした。


 二次救命処置は高度な医療技術であると同時に、人が人に対して施す究極の救済行為である、と私は考えます。


 救急医療は、今まさに生死の狭間のある人に対して、ごく短い時間で的確な観察と判断を行い、素早く診療の補助を行います。


 このときの「時間」は、まさに目の前に横たわる人間の「命」そのものです。


 患者に対して救命処置を実施している際は、ほとんど無我の境地で自分に与えられた使命を迅速に、的確に、そして最大限に果たすことに集中しているだろうと思います。


 この「無心」になってひたすら使命を果たしている瞬間を、神道では「神人合一」と呼んでいます。


 人が「我」を忘れて、神様と一体になる瞬間です。そしてその深い集中によって、ときには不可能と思えることも、自分の能力を超えたことも、可能になる場合があるのです。


 救急医療の技術をもった人間として、目の前で失われようとしている命があれば、私たちは無心になり、全力を尽くして救おうと試みます。


 しかしときには、助けることが果たしてよいことだったのかどうか思い悩み、心が痛むような事例もあります。ほんとうの意味で、人は人を救ったり、幸せにしたりすることができるのでしょうか?


 ちっぽけな私たちにできることと言えば、神様からいただいた使命を精一杯果たすこと、そして苦しむ人の心に寄り添ってあげることくらいです。


 そしてだからこそ、私はいつも「人を助けてやった」のではなく、「人を助けさせていただいている」「神様が人を助けるお手伝いをさせていただいている」と考えます。



  一度消えかかった命が、私たちの助けで再びつながることは確かにあります。


 しかしその命がもう一度輝き始めるのは、人の技術を超えた、その人がもつ生命力そのものの力ではないかと思うからです。


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 これからの「とつきとおか いのちに感謝する日」の集いが、ますます発展して、沢山の人が素直に「お母さん 産んでくれてありがとう」と言える社会になるよう祈っています。

 そして同時に、鈴木先生が言われるように、全ての人々の生命が大切にされる社会になりますように、胎児の生命の大切さに目覚める社会になりますようにと祈らずにいられません。

 素晴らしい大会、本当におめでとうございます。



1億総活躍大臣・少子化担当大臣の衛藤晟一衆議院議員の講演より (11404)
日時:2019年10月16日 (水) 15時58分
名前:コスモス


 https://www.facebook.com/yosikio/posts/2516641225089319

  
 少子化担当大臣 衛藤晟一先生講演会(6年前の御講演より)

 救命団体(「天使のほほえみ」)の研修会にて、6年前に講演された内容です。

 あまりに素晴らしい内容ですので主催された団体のご許可を戴いて、紹介させていただきます。

(京都いのちの教育センター 主幹 大熊良樹

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 「障害者救済から、生命尊重・母体保護法改正」

      参議院議員 衛藤晟一  先生
 
 優生保護に関しては、昭和15年「国民優生法」ができました。これは優性を維持するため、障害とかいろいろなものがあった時に断種させるというものです。


 昭和23年に「優生保護法」に改定され、14条に「経済的理由」がありこれが問題となっています。平成8年に「母胎保護法」となりました。


 私は25才の時に市議会議員となり、以来障害者問題を一生懸命にやらせて頂いています。


 「障害者は優生保護法が中絶してもよいと言うので、不完全なのだから抹殺しても良いのだ、この世の中で生きる権利はないんだ、この社会において障害者はいない方がいいんだ、断種して抹殺しても良いんだ」と捉えるのか、


 それとも、「障害者もすばらしい存在なんだ」と捉えるのか、実はこの所が一番大きな問題だと思います。


 日本では今障害者と言われている方々は、身体障害、視覚障害、聴覚障害の方が、全国で約360万人います。知的障害の方々が約60〜100万人、精神障害は約320万人です。


 さらに発達障害と言われる方々(自閉症、AD:注意欠陥、HD:多動性障害)は一種の脳機能障害によって生じたコミュニケーション能力不足であり、100万人とも200万人とも言われています。


 先日、児童養護施設の理事の方に「戦後間もなくの児童養護施設は、父母が戦争で亡くなった児、親の生活が極めて厳しくて預けられた児が大半で、ここでは衣食住を提供すれば事足れりと言われていた。


 しかし最近では約7割が虐待児であり、重複も含めて半数が発達障害と言われている。障害児問題は本当に大変な問題です。」と言われました。


 昭和15年の国民優生法はヒットラーの考えと同じ思想です。ヒットラーは「優秀なゲルマン民族、ドイツ民族を残す。そこへユダヤの血が入ってくる事はけしからんからユダヤの血は根絶やしにし、ゲルマンの優性を残してすばらしい民族を作り上げる。」という思想でした。


 同様の思想が日本にも入ってきて、「国民優生法」の形で障害者を断種しても良いのだという事になりました。


 しかし、障害者はどうしても出てきます。

 谷口雅春先生は「走るのが速いとか遅いとかと同じ様に、能力の差なんですよ。個性や能力の差であって、みんなすばらしい人間なんですよ」と仰いました。


 これを受けて「障害者の得意不得意の状況も一般の人との能力や個性の違いの一つとして認められなければならないのではないか。」これが私の障害者に対する考えになりました。又、そう考える様になるのに、沢山のお母さん方との出会いもありました。
 

 私は若い頃、障害児を持ったお母さん方に「皆さん、明るくていいですね」と声をかけたら、「本当にあなたはそれだけだと思っているの。そうじゃないのよ。ここにいるほとさんは、一度は子供と心中しようとしたのよ。でも思い直して、子供と生きて育てていく中で、『実は自分達はこの子に育てられているんだ』と思うようになった時、初めて元気になったのよ。」と言われました。


 ある本に障害に対する日本の言い伝えが書かれています。「日本では障害者を邪魔者として扱っていません。


『障害を持った子は徳を持った子、福子だ』と言っています。仏教の影響からかもしれないし、家族の業を背負って生まれて来てくれたと感謝したのかもしれないし、その子のお蔭で家族仲良く頑張れると思ったのかもしれない。


 いずれにしても「日本人は障害者を家族の中で大事にしてきた」と書いてありました。


 日本の社会は障害者をのけ者にしては来なかったのです。日本は本当にすばらしい国なんです。


 40から50年ぐらい前の障害者施策は、障害者がかわいそうだから山の中に30万坪とかの土地を求め、500人とか集めて衣食住を提供していました。


 でもそうではなくて、「障害を持った人も地域の中で、家庭の中で一緒に暮らせる社会を作る事の方がよっぽど暖かくて良い社会になる」と考えました。


 ところが、障害者団体の一部には、障害を持っているから憲法で保障された人権を戦い取るべきだという、マルクス主義に毒されている人達もいます。


 その人達は「障害者は当然の権利として、全て国が面倒を見ろ」と言っていましたが、私共は「皆すばらしい存在なんだから、地域の中で一緒に暮らせる様にする。それをバックアップするのが政治です」と主張しました。


 そして私達が頑張った結果、やっと地域で皆と一緒に暮しができるという切り替えができてきた所です。 


   優生保護法には3つの根があります。

@障害者やライ病者などを抹殺してもよい

A母体が大変危険な場合の母体保護と「経済的理由」により抹殺してもよい

B中絶するには本人の意思でよい



 このポイントで、日本の厚い壁の中で優生保護法の改正にどう取り組むべきかを考えました。


 宗教的に言ったら中絶は全面的に否定されるべきだが、現実生活においてどこまでギリギリ妥協されるべきかを考えた時、私は「中絶は妊娠の継続が危うい時や、暴行等により妊娠した時とかにのみ限定すべきではないか」と考えました。


 従って、「障害者は抹殺しても良い」という優生保護法の条文は「障害者を大人になってからでも殺してよい」という理屈になってしまうので、「優性保護法から障害者条項を削除しなければならない。」と決意しました。

 ですから、平成8年に改正した時に、「障害者条項を削れ」と言ったのは、私と障害者団体の一部が言い出した事です。


 しかしその時、「経済的理由」の削除に手を付けるのはジェンダフリー団体の反対で不可能に近い状態でした。


 そこで、障害者条項のみをカミソリで切った様に除くという事になり、その他は全部残ってしまいました。


 胎児は神の子さんなのに、親が勝手に苦しいからという理由によって、中絶できる法律が残ってしまいました。 


 今後はその部分について、「妊娠の継続が困難で、母体の胎児も危ういという時のみ以外は、何とか中絶をやめる」というようにして、「経済的理由」を削る事にするしかありません。

 

 又、「『経済的理由』を医者が判断できるのか」、ここが決定的な法の矛盾です。


 「経済的理由」は社会的問題なのに、「経済的理由」が本人と医者だけによって判断可能なのか。これはおかしい事です。


 もしまた、「経済的理由」の文言が削除できないのであれば、医者によって判断させるのではなくて、「ちゃんとした社会的な審議会を作り、『経済的にこの場合はどうしようもない』との結論が出た時のみ」にすることです。 


 次には、子供は母親だけの責任でなく、「父親の承諾も必要」というようにすべきです。 最後はこの「経済的理由」を完全にはずし、「本人だけの意思」も外さねばなりません。


 こういうふうに考えていますが、国会の中でなかなかそこまでいきません。


 そのため「皆さんの考えられている事をもっともっと拡大し、皆で協力して国民的な合意まで持っていかなければならない」と思います。


 法律はある意味で原因を作りますが、皆で考えている平均的な結果でもあります。


 だから、私共としてはコツコツとでも広げて改正できるという状況にしていく事が大切です。そして皆が「そうだね」となった時に法律は変わっていくのです。


 私も一生懸命努力してきて、第一歩として「障害者条項」を削除しましたが、その後が出来ていないので非常に心苦しく思っています。


 今後頑張って、「経済的理由」と「母親が殺してもいい」という条項だけは何としても削らないと、本当に大変なことになると思っています。


 今、虐待が大変増えています。


 大分のある産婦人科のお医者さんに「どうしてこう虐待が増えるのでしょうか」と聞いたら、「衛藤さん、これは30年かかって日本がやってきた事なんですよ。この虐待した親は子供の時、親に愛されて育たなかった。虐待されて育った。だから自分の子供の愛し方を知らない。だから自分の子供を虐待してしまうんです」と。



 私どもの家庭が、中絶を認める中でいつの間にか自分勝手になって、自分の事を最優先にすれば良いという事になって来た結果、親も生まれて来た子供を本当に愛さない。


 そして、その子供が親になった時、自分の子供の愛し方が分からない、育て方が分からないという、とんでもない国を私達は作ってきた様な気がします。


 発達障害の症状が出ている方の相当数が擬似発達障害と言われています。


 その症状は例えば、赤ちゃんにお乳を与えたり、あやす時に子供の目を見ることができない症状です。発達障害の子供はほとんど話すとき目を見て話せません。コミュニケーション障害です。


 母親がお乳をやっている時、携帯やテレビゲームなどをやっていたんだと思います。


 「子供がまだ言葉を話せない時に、言葉で話しかけ、目を見て話しかけるという事が実は子供を育てている」んです。


 それは昔から日本にある「いないいないばー」とか「高い高い」とか。私も長男を思い出します。子供をいくら高く持ち上げても、上で「キャッキャッ」と笑っています。


 あれだって親に対するものすごい信頼ですね。そういう事を経験してこなかった子供が発達障害になっていると言われています。



 今、私達は科学的に「発達障害や精神障害や虐待の問題」を分析し研究していますが、「その根っこにハッキリと中絶問題があります」。


 自分の都合によって子供の生命を殺しても良いのだという大変な思想ですから、これを止めさせないと子育て自体もそういう具合になってしまっています。



 私はその中から多くの問題が発生していると言うことを感じている所です。 私も皆さんと一緒にこの問題に頑張って取り組んでいきたいと思っている次第です。

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式典に参加された愛知の主婦さんからお聞きしました。 (11405)
日時:2019年10月17日 (木) 00時07分
名前:真理伝道



式典に参加された愛知の主婦さんからお聞きしました。

ご紹介の、鈴木先生は、神社庁に関係する方で大学教授だそうです。

1500人の救急救命士を育てた有名な先生であるそうですが、青年期に原宿本部に吸い寄せられるように引きつけられて、谷口雅春先生のお写真を拝見し、霊感に打たれて、滂沱として涙が止まらなかったそうです。

高級霊に導かれている、しかも、強い、霊感のある方のようです。

生長の家の組織信徒ではありませんが、谷口哲学を根本に、学問をされているようです。素晴らしい方がおられるものですね。



真理伝道さま 有難うございます (11406)
日時:2019年10月17日 (木) 01時00分
名前:コスモス


 鈴木先生のこと、参加者からお聞きになられて、詳しく教えて頂き、有難うございました。感謝申し上げます。


 創始者・谷口雅春先生の御教えは本当に素晴らしいですね。



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