死んでもお礼に来る霊の話 (11365) |
- 日時:2019年10月07日 (月) 09時31分
名前:真理伝道
死んでもお礼に来る霊の話 (27911) 日時:2019年10月07日 (月) 08時44分 名前:光の泉
今日も、大熊講師のフェイスブックに素晴らしいお話が出ていました。私も、朝から涙が出ました。
本日のフェイスブックからの転載です。日本救急救命士協会 会長 鈴木哲司先生が紹介下さった『溺死者の霊』という不思議な話です。
元日本最高齢のライフセイバー。いのちを守る活動をされていた 最高齢のライフセイバー 故 本間綿一さんという方の、不思議な話です。
亡くなった方が、死んでも お礼に来るという話。
思い当たることがあり、私も、涙が出ました。
稲川淳二さんの本にも収録されたお話です。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
現役最高齢のライフセーバー・故本間錦一さんから聞いた実話を紹介します。
ライフセーバーもレスキュー隊もまだ存在しなかった昭和23年7月、素潜りが得意だった20代の本間さんが呼ばれて駆けつけ、最初に遭遇した水難事故者は、25歳の男性でした。水深8〜10mのところで発見したこの男性を、本間さんはロープを使って必死に引き上げたのですが、時すでに遅し。一週間後に結婚式を控えていたその男性は、帰らぬ人となってしまいました。
号泣する婚約者の痛々しい姿がまぶたから離れず、上手く寝つけずにいたその夜、本間さんの目の前に、まさにその日海から引き上げた男性が現れたのだそうです。声も出ないくらいの恐怖と衝撃で、本間さんは凍りつきました。
そしてそれ以来、遺体を引き上げるたびに必ず、本間さんのところへは溺死者の霊が現れるようになりました。いつまでこんなことが続くのか…。恐怖と不安に苛まれていたとき、本間さんは、漁師であったおじいいちゃんからおまじないを教わりました。
「人麻呂や まこと明石の浦ならば 我にも告げよ 人麻呂の塚」 この不思議なおまじないの和歌を西方に向かって3度唱えると、水死者の霊は出て来ないとのことで、北海道の漁師衆も知っているおまじないだそうです。本間さんは藁にもすがる思いで、遺体を引き上げたときには必ず、西に向かってそのおまじないを唱えることにしました。すると、それ以降ピタリと霊は出なくなったのです。
しかし面白いことに、本間さんは霊がまったく出て来なくなったことに、次第に物足りなさを感じるようになりました。よくよく思い返してみれば、自分が勝手に恐ろしがっていただけで、出会った霊たちは口々に「ありがとう」と礼を言い、笑顔で手やハンカチを振っていたからです。
「よし、こうなったら彼らの言い分をとことん聞いてやろうじゃないか」
そうして本間さんは、あるときからおまじないを唱えるのをやめ、お礼を言いに来る霊との会話を楽しむようになりました。
さらにこの話には、後日談もあります。今から15年ほど前、溺死者に接した2人のボランティア学生のうちの一人にだけ、本間さんはこっそりこのまじないを唱えるよう教え、もう一人にはわざと教えませんでした。
するとまじないを教えなかった学生の方にだけ、ちゃんと霊がやってきて、この学生を腰が抜けるほど怖がらせたのです。この話は後に、怖い話を集めた稲川淳二さんの本にも採用されました。
このおまじないは、和歌の言霊(ことだま)によって、水難事故で苦しむ御霊を鎮め救済する方法のひとつです。人麿呂とは、歌人・柿本人麻呂のことで一節によると人麻呂の死因は、水死だといわれています。
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光の泉さん。記事が一部、加筆されていました。 (27912) 日時:2019年10月07日 (月) 09時28分 名前:ひかりの子
光の泉さん。大熊先生の御文章、記事が一部、加筆されていました。
添付させていただきます。
本日のフェイスブックからの転載です。日本救急救命士協会 会長 鈴木哲司先生が紹介下さった『溺死者の霊』という不思議な話です。医療関係者は、科学者でありますから、その現場での霊的な体験というのは、まことに感慨深いですね。
元日本最高齢のライフセイバー。いのちを守る活動をされていた 最高齢のライフセイバー 故 本間綿一さんという方の、不思議な話です。
亡くなった方が、死んでも お礼に来るという話。 思い当たることがあり、私も、涙が出ました。
日本では年間公称16万人の赤ちゃんが堕胎されています。 (関係者の間では実数は3倍から5倍、多ければ100万とも)
1億3千万人の赤ちゃんが戦後 堕胎されているのです。
そんなことも思い出しながら、感慨深く拝読しました。
ちなみにこの話は、稲川淳二さんの本にも収録されたお話だそうです。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□
現役最高齢のライフセーバー・故本間錦一さんから聞いた実話を紹介します。
ライフセーバーもレスキュー隊もまだ存在しなかった昭和23年7月、素潜りが得意だった20代の本間さんが呼ばれて駆けつけ、最初に遭遇した水難事故者は、25歳の男性でした。水深8〜10mのところで発見したこの男性を、本間さんはロープを使って必死に引き上げたのですが、時すでに遅し。一週間後に結婚式を控えていたその男性は、帰らぬ人となってしまいました。
号泣する婚約者の痛々しい姿がまぶたから離れず、上手く寝つけずにいたその夜、本間さんの目の前に、まさにその日海から引き上げた男性が現れたのだそうです。声も出ないくらいの恐怖と衝撃で、本間さんは凍りつきました。
そしてそれ以来、遺体を引き上げるたびに必ず、本間さんのところへは溺死者の霊が現れるようになりました。いつまでこんなことが続くのか…。恐怖と不安に苛まれていたとき、本間さんは、漁師であったおじいいちゃんからおまじないを教わりました。
「人麻呂や まこと明石の浦ならば 我にも告げよ 人麻呂の塚」 この不思議なおまじないの和歌を西方に向かって3度唱えると、水死者の霊は出て来ないとのことで、北海道の漁師衆も知っているおまじないだそうです。本間さんは藁にもすがる思いで、遺体を引き上げたときには必ず、西に向かってそのおまじないを唱えることにしました。すると、それ以降ピタリと霊は出なくなったのです。
しかし面白いことに、本間さんは霊がまったく出て来なくなったことに、次第に物足りなさを感じるようになりました。よくよく思い返してみれば、自分が勝手に恐ろしがっていただけで、出会った霊たちは口々に「ありがとう」と礼を言い、笑顔で手やハンカチを振っていたからです。
「よし、こうなったら彼らの言い分をとことん聞いてやろうじゃないか」
そうして本間さんは、あるときからおまじないを唱えるのをやめ、お礼を言いに来る霊との会話を楽しむようになりました。 さらにこの話には、後日談もあります。今から15年ほど前、溺死者に接した2人のボランティア学生のうちの一人にだけ、本間さんはこっそりこのまじないを唱えるよう教え、もう一人にはわざと教えませんでした。
するとまじないを教えなかった学生の方にだけ、ちゃんと霊がやってきて、この学生を腰が抜けるほど怖がらせたのです。この話は後に、怖い話を集めた稲川淳二さんの本にも採用されました。 このおまじないは、和歌の言霊(ことだま)によって、水難事故で苦しむ御霊を鎮め救済する方法のひとつです。人麿呂とは、歌人・柿本人麻呂のことで一節によると人麻呂の死因は、水死だといわれています。
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