《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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忘れられつつある御教え。『津波高潮流産児の涙』。ホームページを見て、衝撃を受けました。 (11226)
日時:2019年09月10日 (火) 13時55分
名前:真理伝道



このような事をずばりと説かれたのが谷口雅春先生でした。





師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。 (27771)


日時:2019年09月10日 (火) 11時21分
名前:東京第一宇治フアン



私はこのホームページを見て、衝撃を受けました。

谷口雅春先生の最大の御遺言と言われる「神命の書」を知らなかったことに、ショックを受けました。谷口雅春先生や、楠本加美野先生の講話や本を拝読しなおしています。



  ホームページの引用より。




師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。


https://internetdojo.wordpress.com/

『津波高潮流産児の涙』

昭和60年に帰幽された、師は『津波高潮流産児の涙』という 暗示的、霊的な言葉をこの世に残された。

昭和の30年代に、(後に私の奉職する)京都宇治の神社神域に、師は『8000万人童子の流産児慰霊塔』(当初は6千万人)を建てられた。あれから60年がたち、それでも、1億3千万人の童子が、身体をバラバラに切り刻まれて、流され、屠られた(惨殺された)。そして平成の最期の年。

日本人口は、不思議なこと《なぜか?》『1億2600万人で、ピタリと止まり。中絶数である 1億3千万人に 日本人口のピークは、行き着かなかった。しかも、急激に人口が激減し始めたのであるもう、この人口減の勢いは止まらないとも、言われている。』 師は何を言わんとしておられたか?

その弟子たちは、今、何をしておるのか





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「人間は 愛の体現者として、その実を失う時、生きながらも すでにもう死骸となっている。」(「生命の實相」 谷口雅春先生 第11巻p40より) (27772)
日時:2019年09月10日 (火) 11時40分
名前:三重の緑ウサギ



「人間は 愛の体現者として、その実を失う時、生きながらも すでにもう死骸となっている。」

(「生命の實相」 谷口雅春先生 第11巻p40より)

人の悪口、中傷。憶測を言ってはならない。

陰にて、大いに人をほめよ。大熊先生がいつも講話で語られています。

大熊先生が10月11月12月講演されるといいます。情報をお伝えします。もし、かってな情報流布のようでしたら、削除しますので申して下さいませ。



人を貶める言葉や「いのち」を委縮させる言葉は「病み(闇)」言葉である。本来ない「闇」に「迷い」を投影して「人生苦」が映し出されるのである。 (27773)
日時:2019年09月10日 (火) 11時52分
名前:栃木のママさん


私は、この御文章に感動しました。


引用

https://internetdojo.wordpress.com/





「言葉は大事である」

 言葉には「光の言葉」と「闇言葉」がある。愛ある言葉は「光の言葉」である。人を生かす言葉は「光の言葉」である。

逆に、人を貶める言葉や「いのち」を委縮させる言葉は「病み(闇)」言葉である。本来ない「闇」に「迷い」を投影して「人生苦」が映し出されるのである。

たちまち「報われない人生」となる。「報われない人生」の原因は、「忘恩」から来たる。「神のいのち」を、神に活かされている「大恩」を、導きの素晴らしさを忘れているからである。報いない人生は、報われない人生を生む。当然の帰結である。


「生命の實相」幸福篇下 谷口雅春先生 第38巻8月11日 P47

人間たちが互いに憎み合い、互いに悪口を言い合うのがわたしには不思議でたまらないのである。

憎みや悪口の中には地獄があり、愛と讃め言葉の中には天国浄土があるということを知っていながら、それらの人々は憎み、かつ悪口を言い合っているのである。

互いに排斥し合う者は「生長の家」の誌友ではないのである。

いわんや「生長の家」の講師ではない。

それは地獄の役員であり、閻魔の庁の衛丁(えいてい)ぐらいのところだろう。

「生長の家」のためにならないからといって、ある人を排斥するのはまちがっている。

「生長の家」はそんな小さなものではない。

生長の家のためにならない人間などは世の中にないのである。

毛虫でさえも世の中に何か貢献している。

いわんや毛虫に幾億倍優っている人間においておやである。

ある人間を毛虫のように思って排斥する人は、その排斥する方の人自身が毛虫のような心をもっているのである。

毛虫が人に嫌われるのは、自分を衛(まも)るために人の不快がる装いをして平気なことである。

自分を衛るために、人の迷惑になる悪口を言う人は毛虫の心である。


・・・・・・・・・・・・・



人生は、想像以上に素晴らしい。目前の現象には、思った以上に深くありがたい意味がある。大熊良樹拝



「堕胎は戦争の原因となる」 谷口雅春先生 (27774)
日時:2019年09月10日 (火) 12時06分
名前:長崎の主婦


勝手にすみません。

ご迷惑でしたら、削除します。




「百万人の赤ちゃんのいのちを救え!!」

   あれから6年・・・


「百万人の赤ちゃんのいのちを救え!!」  
 
  (昭和27年7月号「白鳩」) 谷口雅春先生

堕胎は戦争の原因となる

谷口雅春先生『理想世界』昭和35年7月号より

■ギリシャの古代哲学の時代から現代に至るまで、その哲学の流れは唯心論・唯物論の二つの流れがズッと続いていて、或る時代には唯心論が旺(さか)んであり、或る時代には唯物論が盛んであり、それを交互に繰返して来たのでありますが、現代の日本では唯物論が旺盛になっているのであります。そのために、民主主義と言って人間の基本的人権を尊重する主義でなければならないという時代であるのに、今ほど人間の生命の尊重せられない時代はないのであります。

■それは何故かというと、人間の生命を尊重すると言いましても、その根本になるところの「人間」そのものの捉え方が、唯物観でありますから、「人間」とは「物質の塊」であり、不幸にして物質が偶々複雑精緻に結合して、脳髄というような塊が出来上がったものだから、苦しいとか、痛いとか、辛いとか、悲しいとかいうことを感じて悩まなければならない。「心」というものは脳髄という物質の化学作用の一種だと考えるのが唯物論でありますから、その「心」が出なくなるように人間を手術すれば、人間は苦しまなくともよくなるとも考えられる訳で、その人間の手術とは、人体を破壊してしまえば、もうその人が苦しむことも、悲しむことも、悩むこともなくなるという訳であります。


■それほどハッキリと、「人を殺せば人間を苦痛から解除してやることができる」とは考えないにせよ、その人が、人間を単なる「物質的塊」に過ぎないと考えている限りに於いては、人間を尊重する気持ちが起らない。まかりまちがえば、最後の手段として人体を破壊してしまえば万事OKだというような考えが漠然として、殆ど全部の人間の人生観の背後にある。だから多くの人間は行き詰ったら他の人を殺すことによって、自分が逃れようとするか、自分が自殺するか、大人が生活上不便になったら、胎児でも何でも小さい者、弱い者は殺してしまえということになる。

■実際そうなっているのであって、これでは世界に戦争や闘争の絶えることはないということになるのであります。だから世界に平和と幸福とを持ち来すためには、人間自身の人生観・人間観・世界観を根本的に変革しなければならぬのであります。つまりその人の把持する哲学が変らなければならないのであります。殺した者が殺されるという原因結果の法則〃動・反動の法則〃は結局、循り環って戦争となり、多くの人が殺されることになるのであります。何故「殺したものが殺される」という因果の法則が、戦争の形をとって来るかと言いますと、そのような胎児虐殺の行為を敢えてする人の人生観の奥にあるのは、「この世界はどうせ弱肉強食の世界であって、相手を殺さねば自分が殺される」という哲学又は世界観があるからであります。

■世界の軍備拡大競争も、この弱肉強食の世界観・人生観が背後にあってそれを動かしているのであります。「或る個人又は団体が栄えるためには、誰かが犠牲にならなければならない」――このような世界観・人生観をもっている限り、自国の繁栄を画策するためには他国を侵略することを辞せないということになるのであります。

■世界に平和を持ち来たそうと思ったならば、このような弱肉強食の人生観、誰かの繁栄のためには犠牲必要とする如き人生観を排除して、調和のある人生観――この世界は神がつくった世界であるから、完全に調和していて、犠牲などを決して必要としない共存共栄の状態が実相である――という生長の家式の人生観・世界観を全世界に弘め、胎児暗殺の如き「殺害の業」を重ねる行為は即時停止するようにしなければならないのであります。


(生長の家創始者 谷口雅春先生御指導 )




皆さんの心の中には、生き方には、日常生活には「谷口雅春先生の最大の御遺言」がありますか?中絶は、先祖殺し、自分殺し、子孫殺し、神殺しであります。谷口雅春先生は「神への反逆である」といわれました。その深い意味を、忘れては成りません。


生長の家宇治別格本山内報「7月号」 平成25年6月1日(退職の辞)
「10年間ありがとうございました。」 祈願部 講師 大熊 良樹

▼かつて、1年間に公称30万人。闇中絶を入れると年間300万人の胎児が闇に葬られている・・と、谷口雅春先生は指摘し、全国に警鐘をならされました。そしてこのような言葉を残されています。

▼「悲しみに目を泣きつぶし」あまりに悲しいことが続くので、私の魂は泣き続けた。見たくない日本の現状なのである。「悲しみに目を泣きつぶし」という浄瑠璃のセリフがあるが、私の魂の悲しみや、私の見たくない心が、私の家内の肉体に影を投じて、急に家内の視力が衰えて来たのであった。<39年前:昭和49年10月号「理想世界」谷口雅春先生>

▼「この頃は悲しい事ばかり、憂うべき事ばかり、日本国内にも、国際的にもいろいろと起こって来るのである。もうこんな世界に生きていたくないと思う事すら時にある。」(42年前:昭和46年12月号「生長の家」)

▼近年、残酷な事件が世間を騒がせていますが、 お腹の中の子供を中絶する事は殺人であり、通常の殺人よりも、なお一層 ヒドイ殺人であるという事を師の言葉にて、あらためて思い知らされました。また、社会的に弱い立場の者を安易に「暗闇の淵」に立たせてしまう世の中こそ、じつはそのまま「こころの戦争」<修羅世界>であり、「平和」に最も遠い世界であることも知りました。そこで、目にしたのは60年近く前に書かれた、谷口雅春先生の「百万人の児童を救う運動を起こせ」<「白鳩」昭和27年12月号>という御文章でありました。

▼しかも、師は「悲しみに目が泣きつぶれる」という言葉を使っておられましたが、それを見たおり、私にとっては、「悲しみに目が泣きつぶれる」という表現が魂の奥底に迫って来ました。それは、東日本大震災の1か月前でした。

▼平成23年の2月。ブログにて「生命の尊厳」に関して書いた私の文章を見て、3人の赤ちゃんが「中絶」から救われたというお礼状が故郷(愛媛県)や近県(愛知・大阪)から、届いたのです。それからは、口コミで噂が全国に広がり、多くの方々の力添えによって3年間に27人の赤ちゃんが救われたとお礼状が届きました。

▼しかし、同時に「もっと早くこの記事を見ていたら中絶しなかったのに」というメールや書き込みが1年、2年、3年と年を重ねるごとに多く届くようになりました。

▼胸が痛み、眠れない夜が続きました。そんな時、谷口雅春先生の「光の言葉」を見たのです。

▼全宇宙に響きました。「100万の子供(児童)を救え。」その時、魂の奥底から・・湧いてきたのは、年間100万人の「胎児を」救う運動への「決意」でした。

▼10年間お世話になりました。生涯この御恩は忘れません。赤ちゃんを救うことで御恩返しの一片でもお返しできれば嬉しく思います。生長の家から戴いた尊い退職金を投じて、マザーテレサの家のような谷口雅春先生に喜んでいただける「赤ちゃんを救う施設を作りたい」と思います。私は本当に本当に「生長の家」と皆さんが大好きです。10年間ありがとうございました。ありがたく、喜びあふれる10年でした。


※大熊良樹 /

 連絡先 (080)5301−0041「大熊良樹拝」



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