《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「通りすがり」さんへ。「推定無罪」とまで仰るのであれば、「通りすがり」ですまさず、これまでの様々な投稿を精査されて投稿なさってほしい! (11067)
日時:2019年06月22日 (土) 08時05分
名前:破邪顕正

<愛国本流掲示板>に、「通りすがり」と仰る方が、このような投稿をなされています。

………………………………………

風さんの投稿に良識を感じて (27160)
日時:2019年06月22日 (土) 00時15分
名前:通りすがり
>>裁判が結審しないと無理かも知れませんので、結審後には、今回、名誉棄損だと認められた5箇所の、正しいこと、どの様に違っていたかを詳しく説明頂きたく思います。
一つは、現在の部下の方が公表されているのでよくわかりました。
教団在職中に、当時の教団の方針とは異なる政治的活動を秘密裏にされていたというのは間違いで、在職中は教団における教団の職務に忠実にあたられていた由。
あとの4箇所、結審まで待っています。よろしくお願いします。

 現在の部下とは学ぶ会の破邪氏であるかと思いますが、教団の職務に忠実に行いながら裏で何をしていたのかは様々な推測がある事は事実です。だから総裁はスリーパーヘルと彼等を指摘したのでしょう。事実かどうかは本人たちにしかわからないと思います。
つまり、推定無罪。

 鈴木邦男氏を追い落とした件について、事実かどうかは鈴木邦男氏自身が証言台で語れば逆転する可能性はありますが、彼はしないと思います。

 証拠不足の推定無罪であるからこそ、あの本は出版停止にまでならなかったのだと思います。

………………………………………

「日本会議の研究」に関して、何かモノを申すというのであれば(一審とは言え、名誉毀損の判決が出た直後なのです。それをしも「推定無罪」とまで仰るのであれば)、きちんとこれまでの投稿を読んでほしかったと思います。

「通りすがり」というハンドルネームだからと言って、「通りすがり」で何か言わせて貰うという姿勢は如何なものかなと思うのです。

しかも、その投稿内容が、関係者からすれば、今さら、何を仰っておられるのか、というようなものであってみれば、当然、反論したくもなろうというもの。

とりあえず、鈴木氏の件については、ここできちんと反論しておくことにいたします。

かつて投稿したことを紹介して、「通りすがり」さんに対する反証とさせていただきます。

………………………………………

《速報!》菅野氏がウラ≠とらず書いたのがハッキリしました! (1646)
日時:2016年05月26日 (木) 14時33分
名前:破邪顕正
表題は、以下のユーチューブ動画を視聴しての実感です!

「週刊 金曜日」で、鈴木邦男氏がインタビューに応じています。

特集「日本会議」鈴木邦男さんにきく日本会議 (前編)

https://www.youtube.com/watch?v=mee80F5tWXM&feature=share

この最後のところで、こんなやりとりが出てきます。

《聞き手 ちょっとお聞きしたいんですが(中略)ハニートラップが…

鈴木 そんなものありました?

聞き手 安東の仕掛けた罠にまんまとひっかかった

鈴木 それはないでしょ。それは誤解だと思いますよ。

聞き手 誤解ですか?

鈴木 彼らは彼らなりに正々堂々と戦って、…こいつは無能だからって…最初にお前らダメだと言われたときに、すぐにやめればよかったんですが…何か意地になって…》

以上のやりとりから、安東巖先生がハニーとラップをしかけて鈴木氏を追い出したというような菅野氏の記述が如何に“デタラメ”“ウソっぱち”であったかが、ハッキリとなりました。

鈴木氏は、こうしてインタビューに応じて語っているわけですから、菅野氏もきちんとその“証言”の「ウラ」をとるべく取材したら良かったのです。

しかし、なぜ、それをしなかったのでしょうか?

結局、“安東黒幕説”をでっち上げることこそが、菅野氏の一番のネライであって、それで「日本会議」を叩く。

そういう思惑、戦略がまずあって、それがためにライターとして当然把持すべき“良心”すらをも失わしめたということではないでしょうか。

相手を叩くためだったら、匿名の証言だろうと何だろうと悪用する!

そんなことがまかり通っていいのでしょうか。

それをしも「言論の自由」ということで野放しにしていいのでしょうか。

もし、それが許されるとしたならば、ペンの力で一人の人格を徹底的に貶めるということもまた可能となってしまいます。

菅野氏のやったことは、本当に許される行為なのでしょうか。

今後の動きに注視してまいりたいと思っております。

………………………………………

今回の裁判でも、当然、このことが争点の一つとなりました。

そして、名誉毀損という判決が出たわけです。

「通りすがり」さんは、それでも、証拠不足≠ニ仰いますか?



反応ありましたが (11070)
日時:2019年06月24日 (月) 11時53分
名前:愛国掲示板より


説明不足でした (27171)
日時:2019年06月22日 (土) 11時37分
名前:通りすがり
>証拠不足の推定無罪であるからこそ、あの本は出版停止にまでならなかったのだと思います。

と書き込んだのは誤解を招く表現でした。

推定であり事実の証拠が出されていないので安東氏は無罪であると言いたかったわけです。しかし、のちに関係者の新たな証言が出てくればわからないので、出版停止にまでならなかったのではないですか・・・という事です。

破邪さんがムキになって食いつきましたが、誤解を招いたようです。しかし・・・ハニートラップ(笑)に絞り込んで反論されたのには、ごめんなさい笑っていしまいました。
親分を必死で護ろうとする姿。わかりやすく美しいですね。








風: (27177)
日時:2019年06月22日 (土) 16時29分
名前:志恩
新・トキ掲示板より
━−━−━−━−━−━−━−━−━−━−━−━━−━−━−━−━−
(14314)
日時:2019年06月22日 (土) 13時42分
名前:風

通りすがりさんに彼方から返信きてます。
師弟愛の美しさと、解りやすくて良い意味の直情型の破邪顕正様には、私も好感を持っていなくはありません。
ご感想有難う御座いました。


「通りすがり」さんへ。名誉毀損がかかった裁判結果に対して、冷やかし≠フような対応をなされたことに、心底、ガッカリしています! (11071)
日時:2019年06月25日 (火) 11時13分
名前:破邪顕正

掲示板は殆どが匿名です。

しかし、匿名だからこそ、その投稿内容には、却って意を尽くさないといけない、私はそう思っております。

小馬鹿にしたり、茶化したり、冷笑を浴びせたり…、そういうことのないようにと自らを戒めつつ、投稿させていただいているつもりです。

ところが、今回、「通りすがり」さんは、こういう投稿をなされました。

〈破邪さんがムキになって食いつきましたが、誤解を招いたようです。

しかし・・・ハニートラップ(笑)に絞り込んで反論されたのには、ごめんなさい笑っていしまいました。

親分を必死で護ろうとする姿。

わかりやすく美しいですね。〉

「文は人なり」という言葉があります。

匿名だからと言って、何を言っても許されるからと言って、こういう表現をなさる方を、果たして、心から尊敬しますでしょうか。

こういう表現をなさる方を、果たして、中心者として仰ぎたいと思うでしょうか。

どこどこまでもついていく、そういう忠誠心が芽生えますでしょうか。

如何に「通りすがり」であろうとも、今回の裁判が名誉毀損が争点となったことはご存じのはずです。

そして、その一つがハニートラップ≠ノありました。

名誉毀損という争点としては、これは実に分かりやすいし、しかも、それについては当事者である鈴木氏自身のインタビューが行われていて、それが事実でないと明らかにされていたが故に、そう思えばこそ、私はそれをご紹介させていただいたのでした。

ところが、「通りすがり」さんは、笑って≠オまいました、という表現をなされたわけです。

如何に何でもハニートラップ(笑)=c

ここに(笑)を入れますか?

「通りすがり」さんに、もしハニートラップ≠フ嫌疑がかかったとしたら、どう思われますか?

笑ってすまされる話でしょうか?

「通りすがり」さんは、菅野氏がこのあたりのことを「日本会議の研究」の中で、どう書いていたか、ご存じですか?

〈鈴木はこのハニートラップをはじめとする安東の仕掛けた罠にまんまと引っかかる…

ここまで材料が揃えば、あとは安東の思う壷だ。〉

なぜ、この本を書いたか、菅野氏の意図、目的はここに明らかではありませんか、

そして、これが事実≠ノ反するという、その決め手となったのが、当時、副委員長であった吉村和裕氏の証言だったのです。

〈鈴木の解任の理由について、鈴木の活動や態度が、第一線の大学において真摯に運動に取り組んでいる者からみて、委員長として相応しくなかったことによる〉

今回の判決の中で、重要なのは、菅野氏が、原告のほか当時副委員長であった吉村、井脇ノブ子(元国会議員)及び各中央委員の誰からも取材していなかった事実を指摘していることなのです。

相手を貶める材料だけ集め、本来ならば、それが本当に真実かどうか、それを明らめるために、当事者を含め、その周辺にいた人に直に当たるべきなのに、その取材を管野氏は怠っていたのです。

その怠慢(それは意図されたものと私は見ていますが)こそが、今回の裁判で裁かれたのです。

私には、そのフィクションぶりが裁かれたのだと思っていますが…。

こういうと、「通りすがり」さんは、またハニートラップ(笑)≠フことかと仰られそうなので、今回の裁判は、その他でも名誉毀損が争そわれましたので、それについては、また稿を改めて書くことにいたします。


「通りすがり」氏の「推定無罪」は法的に重大な誤用です! (11072)
日時:2019年06月25日 (火) 12時14分
名前:護法の天使

「愛国本流掲示版」の投稿(27160)で、ハンドルネーム「通りすがり」氏は、次のように「推定無罪」を2回繰り返して使用しています。

>>教団の職務に忠実に行いながら裏で何をしていたのかは様々な推測がある事は事実です。だから総裁はスリーパーヘルと彼等を指摘したのでしょう。事実かどうかは本人たちにしかわからないと思います。
つまり、推定無罪。<<

>>証拠不足の推定無罪であるからこそ、あの本は出版停止にまでならなかったのだと思います。<<

しかしながら、「通りすがり」氏の上記投稿における「推定無罪」は法的に重大な誤用です。

また、「証拠不足」で、出版差止が認められなかったとは考えられません。何故ならば、出版差止は、憲法上の検閲禁止条項との関係で要件が別であり、刑事上、有罪となっても、出版差止となるとはかぎりません。

今回の判決で「名誉毀損」に該当し、かつ、「真実性も真実相当性も認められない」と認定され、報道機関によって全国に報道されたことは重大であり、「公知」の状態になったと認識すべきです。

第1に、「推定無罪」とは、刑事訴訟での考え方であり、民事訴訟とは関係ありません。

刑事訴訟法第336条は、次のように定めており、これがいわゆる「推定無罪」の根拠とされます。

(無罪の判決)
第336条 被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。

民事訴訟法では、このような規定は存在しません。

すなわち、「通りすがり」氏は、刑事事件の考え方を、無理矢理、民事事件を持ち込んでおり、重大な誤用です。

第2に、仮に、刑事事件であっても、共同正犯や、幇助犯については、「推定無罪」はまったくなりたちません。

確定判決で主犯の有罪が確定する迄は、共同正犯や幇助犯とはならないなどということはありません。

確定判決があろうがなかろうが、幇助行為等を行えば、犯罪です。

弁護士さんにお聞きしたところによりますと、

名誉毀損事件において、情を知って、名誉毀損の情報を伝播した者は、共同正犯に該当するとのことです。

具体的には、名誉毀損の判決が出たことを知っても、継続して当該書籍の頒布活動を継続している場合は、名誉毀損罪の共同正犯に該当するといえるとのことでした。

また、名誉毀損事件の時効は、頒布が継続されていれば、成立しないとのことです。

このことは、現教団及び練成道場、教化部等にとって、重大な問題です。

私達が心配するのは、知らずして、犯罪(名誉毀損罪)の共同正犯等に、教化部の主管や職員が該当することです。

名誉毀損罪は、3年以下の懲役もしくは禁固または50万円以下の罰金が科される可能性があります。(刑法第230条)

敬愛する教化部長先生方がそのような目にあうことのないよう、老婆心から、生長の家社会事業団では、「緊急速報」を全国の教化部・道場宛にお送りさせていただきました。

『理想世界』誌百万運動で自殺者が出たという件の名誉毀損について (11076)
日時:2019年06月26日 (水) 09時03分
名前:破邪顕正

標題にふれる前に、先に「文は人なり」と申しましたことについて、少しく書いておきたいと思います。

今回の裁判結果について、実に真摯に向き合っていただいていると感心したのは、「トキ」さんの投稿です。

もとより、こういう掲示板では匿名で何を書いても自由だとは思いますが、せめて「トキ」さんのような受け止め方、事の本質を穿つような投稿をしていただければ本当に有り難いと思う次第です。

………………………………………

「日本会議の研究」の裁判の一審判決が出たみたいです (14246)
日時:2019年06月19日 (水) 20時29分
名前:トキ

どうやら、「日本会議の研究」の裁判の一審判決が出たみたいです。

一審では、安東 巌さんの勝訴です。

この結果自体は、本を読んだ時に感じた感想から、驚きはしませんでした。

百万運動にしろ、生長の家政治連合にしろ、いつかは語られるべき事象だと思っていましたが、この本の内容には失望そしていました。

ただ、この本について、少し思う点を書かせていただきます。

この本と教団との関係は不明ですが、教団がこの本を推薦したと言うことは、安東さんや百万運動、日本会議について教団が思っていることと、この本の内容が相当程度、重なると言うことでしょう。

だから、教団は系列団体である世界聖典普及協会にこの本を取り扱わせたと思います。

ここに、少し引っかかる点があります。

百万運動とか生長の家政治連合は、別に安東さんが個人で好き勝手にしたものではありません。

あくまでも教団の方針で実施されたものです。

部外者である菅野さん、あるいは会員が個人として、安東さんや百万運動について語るのは、基本的に自由だと思います。

しかし、宗教法人 生長の家総裁である谷口雅宣総裁は、立場が違うと思います。

百万運動、あるいは生長の家政治連合の評価はここではしませんが、それがもし「間違い」だったと言うのなら、現在の教団の指導者である総裁は、公式に関係者に謝罪するべきです。

これは総裁個人の考えとは関係なく、組織の指導者としての筋だと思います。

さらに言うならば、組織は自らの手で検証をするべきだったと思います。

それが、当時、あの運動に関係した人たちへの誠意だと思います。

おそらく、教団側は、今回の判決については、知らぬ存ぜぬで通すとは思いますが、やはり、対応はきちんとして欲しいと思います。

………………………………………

ここで「トキ」さんが指摘している通り、百万運動があり得たのは、そもそも生長の家教団が運動方針としてそれを認めたからこそなのです。

私の記憶によれば、百万運動は昭和47年に提唱され(良本峯夫・青年会長、森田征史・中央執行委員長のとき)、昭和51年1月8日に百万の目標を達成。

その後、更に目標が120万部にあげられ、「理想世界」誌の拡大運動は昭和56〜57年頃まで続いていたのではなかったかと思います。

つまり、この運動は、10年もの長きにわたって展開された運動だったわけです。

そこのところをよーく腑に落としこんでおかなければならないのです。

で、その運動に安東先生が、直接、大きく関わったのは、百万部を達成するまでであったのです。

にも関わらず、菅野氏は、百万運動が安東先生によって一貫して牽引されていたかのように描き、そして、こう言っているのです。

菅野氏は、まず、百万運動は実に過酷で、そのために自殺者が出たと言います。

ところが、そういう犠牲者が出たにもかかわらず

〈そんなことは安東には馬耳東風であった。〉

そして、ガムシャラに、無理やり、目標突破を果たし、その功績によって出世の道を歩んだかのように描いたのです。

当然、裁判では、本当に自殺者が出たのかということが争われました。

そして、裁判所は、こう判断したのです。

百万運動に中心的に関わった人たちが、自殺者が出たという話しを聞いたことがないと一様に証言している。

その上、ここでも菅野氏は、原告のみならず、百万運動を推進した当時の良本峯夫青年会長や森田征史・中央執行委員長、その他の中央執行委員らに何ら取材していない。

しかも、菅野氏が指摘する自殺者が出たということについて、文献によって裏付けるものは何もなかった…。

だからこそ、裁判所は、これは名誉毀損に当たると判断したのです。

しかし、はっきり言って、この裁判所の指摘を待つまでもなく、これは常識で考えても分かりきった話なのです。

よし、百万運動で自殺者が出たという事実があったとしましょう。

そういう犠牲者が出た運動を、果たして、生長の家教団がそのまま黙認、容認するでしょうか?

ここにきて「トキ」さんの指摘が俄然、意味をもつのです。

百万運動は、何も、安東先生が個人で好き勝手にしたもの≠ナはない、これです。

百万運動は、あくまでも、当時の教団の承認のもとに展開されたものなのです。

そして、ここが肝要なのですが、本当に自殺者が出ていたら、そんなことをずっと隠しおおせるはずもないのです。

第一、遺族が黙ってはいないでしょうし、しかも当時から、百万運動を批判する向きはそこここに存在していました。

実際、運動方針を決定する場で、当時、それに反対する教化部長たちもいました。

そういう人たちが、ここぞとばかりに、この問題で当時の青年会執行部をつきあげるということもあり得たはずなのです。

どう考えても、自殺者云々という話は、無理筋もいいところなのです。

そもそも、百万運動のことを問題視するのであれば、それを容認した当時の執行部全員の問題としなければならないのではありませんか。

それはそれとして、ここで私が不思議に思うのは、菅野氏のこの表現なのです。

自殺者が出たにもかかわらず、〈そんなことは安東には馬耳東風であった。〉

こんなふうに書けるには、百万運動の最中、安東先生のよほどの近くにいた人からの証言を得なければありえません。

ところが、それについての情報源については、一貫して、秘匿の一点張り。

こんなことが罷り通るのならば、人を貶めようとすれば、なんだって出来てしまうことになります。

だって、菅野氏は、ここで、明らかに、安東先生のことを、人間性のかけらもない、まるで鬼であるかのような人物に仕立て上げようとしているのですから…。

何で、菅野氏は、ここまで書かなくてはならなかったのでしょうか。

それについては、また、稿を改めて考えてみたいと思っています。



学術論文を書いているわけでもない 取材倫理をクソ食らえと思っている(菅野氏) (11078)
日時:2019年06月27日 (木) 18時39分
名前:破邪顕正

菅野氏は、ツイッターでこう述べています。

〈僕は物を書くために書いているつもりは一切ないし、学術論文を書いているわけでもない。

取材倫理をクソ食らえと思っている〉

そこまで言うのだったら、どうして『日本会議の研究』などという、如何にも研究書≠轤オい、それと見紛うような、紛らわしい、思わせぶりなタイトルをつけたのだろうかと思ってしまいます。

著者の本心そのままに『フィクション−日本会議を貶める』とでもすれば良かったのにと思ってしまいます。

そう揶揄したくなるほど、この本は、所謂「トンデモ本」の一種なのです。

それだからこそ、名誉毀損にも問われたわけです。

それでは、どうして、そんな本を、菅野氏は出版したのでしょうか。

それを知る手がかりが、この本の出版時期にあります。

この本の発売日は、平成28年4月30日です。

ちょうど3年前です。

その年、何があったか?

そうです、参議院選挙があったのです。

この選挙で、もし、安倍首相が勝てば、改憲の動きが一気に盛り上がる。

左翼・護憲派としては、それを何としても阻止したい。

どうしたらいいか。

そこで、菅野氏が目を付けたのが「日本会議」の存在でした。

何故、こんなにも憲法改正の運動が盛り上がっているのか。

その鍵は「日本会議」にこそある。

「日本会議」を潰せば、改憲運動の芽を摘むことができるのではないのか。

これまでの右側の愛国運動と「日本会議」のそれとの根本的な違いは、後者が国民運動≠志向しているところにある。

そして、その淵源を辿れば、学園正常化運動に行き着く。

そこに、安東巖という存在が浮かび上がってきた。

「日本会議」を裏で操っているのは、この安東である。

この安東こそが黒幕である。

どの世界でも、黒幕はワル≠フイメージがある。

そのワル≠フイメージそのままに描き出せば、そういう人物に操られた「日本会議」は実に胡散臭いということになり、大きなダメージを与えることができるのではないのか。

つまり、菅野氏は、憲法改正を阻止するために、「日本会議」を叩くことを念頭に、安東黒幕説≠でっち上げたというわけです。

ここで、そのでっち上げぶりのひどさにも言及しておきましょう。

菅野氏は、安東先生の黒幕ぶりをこう描写しました。

安東の自宅では、毎月ミーティングが行われ、そこで、いろいろと愛国運動の指示を出していた、そういう描き方をしたのです。

ところが、安東先生は、ご周知のように、生政連が解散した後、本部を追われ、徳島、岡山の教化部長として赴任しておられたのです。

毎月、集まることなど有り得なかったのです。

しかも、その一人、高橋史朗先生に到っては、平成28年8月、月刊誌『WiLL』誌上において、安東先生の自宅を訪れたことは一度もなく、また自宅そのものも知らないとの発言をされているのです。

そして、ここでも肝心なのですが、そういう関係者に、これまた菅野氏は、少しも取材、つまり裏を取るという、基本的なことを怠っていたのです。

それが決定的な事由となって、今回の名誉毀損の判決となったわけです。

しかし、菅野氏という人にとって、そんな取材倫理などクソ食らえ≠ネのです。

でっち上げだろうとなんだろうと一向に構わない。

とにかく、「日本会議」を潰すためなら、何だっていい、そういうことだったのです。

だって、学術論文でも何でもないのですから!

で、ここに、見事に菅野氏と利害関係の一致する人がいました。

そうです、それが谷口雅宣総裁なのです。

ここで、あの問題の「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」の徹底、および『日本会議の研究』の配布について」の本部通達の日付が極めて重要になってくるのです。

平成28年6月10日付け

となっています。

『日本会議の研究』が発売されたのが、平成28年4月30日。

そして、本部通達が、平成28年6月10日。

この間、わずか1ヵ月ですよ。

谷口雅宣総裁と菅野氏との間に、やはり事前の打ち合わせ、すり合わせがあったと見られても致し方ないのではないでしょうか。

来る参議院選挙に向け、何としても、安倍政権を打倒し、憲法改正を阻止する。

そのために「日本会議」を叩く。

ここにおいて、両者の思惑は完全に一致したからこそ、だから、一も二もなく、総裁は『日本会議の研究』を聖典∴オいにまでして、支援したのではなかったか。

この私の推測は、当たらずとも遠からずではないかと思っております。

総裁は、どうして、このような名誉毀損に当たることに荷担したのか、稿を改めて書きたいと思います。




総裁は、なぜ、ブログで名誉毀損に荷担するようなことを書いたのか? (11079)
日時:2019年06月29日 (土) 17時48分
名前:破邪顕正

名誉毀損で争われた今回の裁判。

「日本会議」の黒幕が安東先生であるかのような印象操作が行われたことはご存じの通りです。

そのために、菅野氏としては、安東先生が、一貫して、政治に関わってきたということを指摘する必要がありました。

生長の家は、昭和58年8月、生長の家政治連合の活動を停止して政治活動を行わない方針を決定しました。

それに伴い、安東先生も、本部を離れ、その後は、徳島、岡山、神奈川、千葉教区の教化部長を歴任されました。

本部方針に従い、政治活動とは無縁の、教化活動に専念され、どの教区でも、講習会をはじめ、目覚ましい成果をあげていかれました。

その間、安東先生が、本部方針に反して、政治活動に関わっていれば、そのことはどこかで信徒の知るところとなり、本部にも漏れ伝わったに相違ありません。

何しろ、安東先生が教化部長に専念されたのは、四半世紀もの長きにわたるのですから…。

普通に考えて、四半世紀もの長きに渡って、そのことを隠しおおせ、伏せ続けることが、果たしてできるでありましょうか…。

そもそも、総裁自身が、そのことで安東先生を告発し得なかった、そのことが何よりの証左ではないかと私などは思っています。

総裁は教団に乗り込んできたその当初から、安東先生のことを目の仇のように嫌悪し、排除しにかかっていました。

それは、まさに、知る人ぞ知る話でありました。

実際、こういうことがありました。

それは、政治云々とは全く別のことではありましたが、教化部内の不祥事が告発され、それに安東先生が深く関与しているとの疑いがもたれました。

結果的に、その不祥事は安東先生とは全く無関係で、いわば安東先生は濡れ衣を着せられたような事件でありました。

しかし、それでも、安東先生は、教化部長としての監督不行届という名目で罰せられてしまったのです。

同じ様な不祥事は、他教区でもありましたが、それらはすべてお咎めなし。

お咎めなしどころか、その後、大いに出世なされた御仁もいました。

何故か、安東先生だけが、責めを負わせられたのです。

兎に角、総裁という人は、ことほど左様に、一旦、敵≠ニみなせば、「レ・ミゼラブル」のジャベール刑事の如く、執拗なまでに追求してやまない人なのです。

しかし、そういう総裁でも、政治問題に関与したということで、安東先生を排除することはでき得なかった…。

そして、ご存じのように、安東先生は定年までつとめあげられたわけです。

つまり、さすがの総裁の偵察網をもってしても、安東先生がそれにひっかかることはなかったのです。

この事実だけを見ても、安東先生が、どれだけ政治の世界とは一線を画すよう気遣いをされていたか、思い半ばにすぎるものがありましょう。

しかし、今にして思えば、それが却って、総裁にとっては、案外、屈辱であったのかもしれませんね。

結局、自分の手で首を切ることができ得なかったわけですから…。

だからこそ、総裁は、長年の鬱憤を晴らすかのように、溜飲を下げるかのように、2016年6月 1日 (水)『日本会議の研究』について≠ナこう書いたのではなかったか。

〈表面は本部の方針に従う振りをしながら、陰では従来通りの政治活動をしたり、政治運動との接触を続けていた者もいたのである。〉

総裁としては、やはり自分の睨んでいた通り(名指しこそしてはいませんが、これが誰を指すかは、読む人にはわかったはずです)「安東は裏で政治に関与していたのだ、自分の見立ては決して間違ってはいなかったのだ」そう言いたかったのだろうと思うのです。

で、実際、このブログ記事、それから『日本会議の研究』を読んで、安東先生と距離をおくようになった信徒は幾人も出ました。

そういう証拠がいくつも出されたからこそ、今回、これが、名誉毀損に当たると認定されたわけです。

『日本会議の研究』もさることながら、私は、総裁のこのブログ記事もまた、安東先生の名誉を毀損する上で、甚だ大きく手を貸したと思う者であります。



「出版停止と謝罪を求めたが却下された」事実があるではないかと仰る向きに (11085)
日時:2019年06月30日 (日) 08時26分
名前:破邪顕正


「護法の天使」さんが、「推定無罪」の誤用についてご説明くださいました。

しかし、それでも、標題のようなことを仰る向きがあるようです。

私は、今回の裁判は、名誉毀損≠アそが最大の争点であったという認識で、これまで、自らの思うことをいろいろと述べてまいりました。

もちろん、その結果として、出版停止や謝罪広告の請求が勝ち取れれば、無論、それに越したことはありません。

しかし、今の憲法状況下で、果たして、それが可能でしょうか。

よし、『日本会議の研究』が、こちらの請求通り、出版停止となったといたしましょう。

その途端、一体、どういうことが起きるか。

思想・意見を図書や雑誌などに印刷し、出版・発表する自由。

つまり、現行憲法第21条で保障されている、表現の自由に対する、これは明らかなる挑戦、明確な憲法違反であるとして、左翼マスコミ等は、ここぞとばかりに大騒ぎしたことは火を見るよりも明らかではないでしょうか。

何を申し上げたいか。

それほど、今の憲法下で、「出版停止」を勝ち取るのは、容易なことではない。

それほどまでに、そのハードルは高いのだと言いたいのです。

そういうことは、当然、予想し得ていましたから、とにかく、名誉毀損を勝ち取ることに全力を尽くす、そういうことで臨んだ裁判ではなかったか。

それをもって『日本会議の研究』が如何にいかがわしい書であるか、それを世間に知らしめることができたらいい。

と同時に、そのようなシロモノを聖典∴オいにした総裁、並びに教団の不明を明らかにしていくことができたら、それで良し…。

今回の裁判は、あくまでも、名誉毀損こそが争点の本丸であった、そう申し上げておきたいと思う次第です。


「トキ」さんの誤解を解く−「出版停止」が如何にハードルが高いかを知るべし! (11089)
日時:2019年07月01日 (月) 08時17分
名前:破邪顕正

今回の『日本会議の研究』をめぐる裁判において、名誉毀損の判決が下されたにもかかわらず、それを恰も軽視するかのような、勝手な思い込みの投稿が散見されます。

それが如何に誤解に満ちたものか、「護法の天使」さんの一連の投稿をお読みいただければご理解いただけるものと思います。

それを前提にして、今回は、「トキ」さんまで誤解されているようなので、それについて書いておきたいと思います。

………………………………………

雑感 (14515)
日時:2019年06月30日 (日) 16時00分
名前:トキ

「日本会議の研究」は、裁判の途中で改訂版が出ております。

内容は裁判で名誉毀損が争点になった部分が改定されていたはずです。

おそらく、出版社側は弁護士と協議し、敗訴の色が濃厚なので、先に改訂版を出しておいたのではないか、と想像をしています。

出版の差し止めが認められなかったのは、そのためだと思われます。

また、慰謝料については、3000万円という額が「吹っかけ」ですから、相場としては、そのぐらいのものかもしれません。

普通は、裁判上の和解で解決するものですが、何か理由があって和解できない理由があるのかもしれません。

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何処が、誤解なのか。

インターネットで検索したら、こういうことが記されています。

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『日本会議の研究』(扶桑社)の出版差し止め仮処分決定について
2017年5月11日改訂版掲載

概略

2016年4月28日 菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社、2016年5月発売)について、日本会議が扶桑社に出版停止を申入れ

5月 発売直後からベストセラーとなる

5月4日 生長の家の元幹部安東氏、扶桑社に対して同書により名誉を傷つけられたとして販売停止を求める仮処分を東京地方裁判所に申し立て

〔月日不明〕 安東氏、著者に対して同書の出版差止等・謝罪広告の掲載及び損害賠償を求めて東京地裁に提訴

2017年1月6日 東京地裁、同書の販売差し止め仮処分を決定

同日 扶桑社、在庫の出荷を停止、書店や取次会社からの回収はしない方針を表明

1月14日 扶桑社、指摘個所36文字を黒塗り(伏せ字)した修正版を販売

1月16日 日本出版者協議会が抗議声明

1月18日 扶桑社、仮処分決定を不服として東京地裁に保全異議と執行停止を申立て

1月24日 東京地裁、仮処分の執行停止申立てを却下

1月27日 一般社団法人日本書籍出版協会と一般社団法人日本雑誌協会が抗議声明

3月31日 東京地裁、扶桑社の保全異議申し立てに対して、仮処分決定を取消

同日 安東氏、決定を不服として東京高等裁判所に保全抗告を行う旨を表明

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確かに、『日本会議の研究』は販売差し止め仮処分≠フ決定を受けて、一旦は、扶桑社、指摘個所36文字を黒塗り(伏せ字)した修正版を販売≠キることになりました。

しかし、それに対して、猛烈な抗議の声が上がります。

それによって、東京地裁は、仮処分の執行停止申立てを却下≠キることになります。

この結果、『日本会議の研究』は、伏せ字された36文字が、再び、そのまま復活して出版されることになったのです。

そのまま「伏せ字」のままであれば、今回の裁判にはならなかったはずです。

そして、その「伏せ字」された部分が、改めて、今回、名誉毀損に当たるということになったということなのです。

出版直後の、販売差し止め仮処分≠ナも、結局は、却下されることになったわけです。

出版から既に3年の月日が流れています。

それにもかかわらず、ここで「出版停止」の判決を下せるでしょうか。

「日本出版者協議会」「一般社団法人日本書籍出版協会」「一般社団法人日本雑誌協会」等の抗議声明は、やはり、裁判所も無視しえない存在としてあったのではないでしょうか。

今の憲法の第九条を見たら、如何に、それを改正するのが大変か、思い半ばに過ぎるものがあります。

第九条の文言は、そのまま、一切、変えないで、ただ、そこに自衛隊の存在を明記するという「加憲」ですら、まともに議論さえしようとしないのですよ。

護憲の壁の厚さを思い知るべきなのです。

ましてや、「表現の自由」に関わる出版停止を、今の裁判所が容認するのには、よほどのことがないと誠に厳しいと言うべきではないでしょうか。

それこそ、「護法の天使」さんが指摘しているように、

今迄の訴訟実務で例外的に出版後の差止が認められているのは、いわゆる同和地区の所在場所を特定して掲載した『地名総覧』など、重大な人権侵害の原因となることが明白である書籍等に限られています。

所謂、「左翼」の人達が挙って声をあげるような案件であれば、なるほど、出版停止も可能かもしれませんが、今度のは『日本会議の研究』が対象なのです。

「日本会議」のことを叩いてくれた本を出版停止にするとなったら、いったい、彼らがどんな抗議運動を巻き起こすか。

裁判所も、当然、そういうことを想定して、判決を下したのではないかと思います。

そういう中にあって、なおかつ、今回、名誉毀損が勝ち取られたわけですから、これは実に大きな意味をもつと思う次第です。



菅野氏が『週刊SPA!』の「巻頭コラム」から外されたことに思う (11090)
日時:2019年07月02日 (火) 10時07分
名前:破邪顕正


こういう記事が目に留まりました。

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『日本会議の研究』(扶桑社新書)の著者でもある菅野完が、『週刊SPA!』で約3年続けてきた連載コラムが突然終了した件について24日付で「note」に書いている。

タイトルは「広告主である高須克弥の名前を原稿に書くなとのことでしたので、『週刊SPA!』巻頭コラムを降りることとしました。」。

具体的には菅野が5月21日発売号の原稿中、例の映画『空母いぶき』に総理大臣役で出演した佐藤浩市がインタビューでの発言(総理大臣がストレスに弱くて腹をすぐ壊す設定にしてもらった、云々)について、「百田尚樹だの高須克弥だののいつもの連中がコメントし、『炎上』したのだという…」と書いた部分が「週刊spa!編集長の犬飼氏の目に止まり。

『高須さんからは広告をもらってるのにこんなこと載せるわけにいかない』ということになった」のだとか。…

菅野はこのやり取りの後、『週刊SPA!』に対して「高須克弥」の名前を引っ込める代わりに原稿料(連載開始当初から据え置きだったとか)の値上げ要求を『週刊SPA!』側に仄めかして一旦は実現させたとも報告するなど、したたかなところを見せている。

だが、最終的には「金で筆を曲げるなんて、書き屋失格ではありませんか」と翻意。

翌週24日には以下のような原稿を編集部に送り、自ら連載から降りることを宣言した。…

さっそくこの一件はネット上でも拡散されたが、さすがに高須克弥は黙っていなかった。

その日のうちには菅野の上記エントリを引用しつつTwitter上で以下のように反論した。

《僕はスポンサーとして編集部に圧力をかけるようなセコい人間ではありません。

僕は週刊SPA!に広告出していません。》…

菅野がトラブルの理由に挙げた「広告出稿」を当の高須自身が否定したことから、Twitter上では菅野へのバックラッシュが湧き起こる。

村西とおるは、菅野が7年前の強制わいせつ未遂の疑いで警視庁に先ごろ書類送検された件も引き合いにしながら《高須克弥院長の名前を書いたから編集長にクビにされた、の大嘘》と批判している。

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これは、私の感想ですが、やはり、『週刊SPA!』は菅野氏の「強制わいせつ未遂の疑い」を重く見たのだと思います。

当然、読者から、そういう人間に、「巻頭コラム」を書かせていいのかという批判が編集部に寄せられていたのではないのか。

その読者の声を、さすがに無視しえなかったというところが、案外、ことの本質ではないかと、私は推量している次第です。

何故、これを取り上げたかといいますと、やはり菅野氏の醜聞はそれなりに無視してはならないことだと思うからです。

今回の名誉毀損の判決に際しても、菅野氏の人となりとは、陰に陽に影響を与えていたのではないのか。

言論人として、取材倫理をクソ食らえと思っている≠ニ言って憚らない人を、果たして、信用していいものか。

とにもかくにも、『週刊SPA!』は、菅野氏を「巻頭コラム」から外しました。

ところが、世界聖典普及協会は、いまだに聖典∴オいから除外していないのです。

この対応の違いをどう捉えるか。

そのことを心ある皆さまにお知らせして、ともに考えていただきたいと思う次第です。


でも知るのも怖い。 (11091)
日時:2019年07月02日 (火) 11時46分
名前:真実が知りたい。

生長の家教団と、菅野完氏の間には、何か深い関係がるのかも
しれないですね。

手を切りたい、でも切れない。

一部には取材無しで書いた訳ですから、何処かの誰かが情報を提供
したとも考えられます。

いわゆる入れ智恵。

そう、何所かの誰かが。

世界聖典普及協会は独自でかじ取りが出来ない状態
なのかなあ、と思ってしまいます。

総裁は何故名誉毀損≠ノ荷担するようなことをしたのか、その背景にあるものとは? (11097)
日時:2019年07月02日 (火) 17時57分
名前:破邪顕正

先に、総裁は、一貫して安東先生を目の仇のように考えていたと申しました。

しかし、それは、単に安東先生だけをターゲットにしたのではなく、すべては、生長の家教団から愛国派≠閉め出すための、一連の流れの中で捉えるべきではないのか。

それが、私の申し上げたいことであります。

今、「谷口雅春先生を学ぶ」誌7月号で、中島省治代表が伊藤陽夫氏について言及された文章が注目を集めています。

谷口雅春先生の秘書であり、龍宮住吉本宮宮司でもあられた伊藤氏が、なぜ辞職されなければならなかったのか。

そのときのことを中島代表は、簡潔に、こう記されています。

〈全く胸が痛む。理解に苦しむ〉

それに続いて、今度は、山口悌治理事長のことが出てまいります。

その小見出しの言葉はこうです。

〈板挟み 山口理事長の憔悴〉

その次ぎが、和田英雄・元理事長。

〈信を貫いた進退−最後の高弟〉との小見出しが、そこには附されています。

生政連解散や青年局解体の、その前段階として、教団を追われた人がいたということを申し上げておきたいのです(山口理事長の場合は亡くなられたわけですが…)。

そういう人は、尊師の高弟(中島代表)であり、信念をもった愛国者≠ナもあった…。

つまり、尊師に連なる愛国者の追放劇には、いわば「前史」ともいうべきものがあり、その一連の流れの中で、生政連解散(禅の大家であられた田中忠雄・生政連会長も追われました)も青年局の解体もあった…。

総裁が狙ったのは、とにかく、教団から尊師に連なる愛国派を追放することにあった…。

その最後の仕上げ、締めくくりとして安東先生のバッシングもあったということではないのか…。

総裁にとって、そのための、またとない、最高・最適・最大のテキストが『日本会議の研究』に他ならなかった…。

その尻馬に乗って、総裁は、公然と名誉毀損≠ノ手を貸すことをやってのけた…。

そのとき、既に、安東先生は定年退職されていたというのに…。

既に退職された人を、何故、そこまでして叩かないといけないのか…。

その必然性が、いったい、どこにあったというのか…。

そこに、この『日本会議の研究』が聖典∴オいされた、裏の、ホンネの理由があったのではないのか…。

そう考えれば、『日本会議の研究』に総裁が関わらなかった筈がないというのが、私にとっての当然の帰結となります。

直接、総裁自身が関わっていなくとも、少なくとも、教団関係者からの資料の提供があったことは疑いようがないのではないのか。

そこまで、教団がこの本の発刊に深く関与していたからこそ、発刊後、わずか一ヵ月余で、これを聖典∴オいにし、信徒に頒布するような指示まで出し得たのではないのか。

もとより、これらのことは、すべて状況証拠からの推定でしかありませんが、しかし、この推定は、決して、そう的外れでもないのではないのかと思っています。

教団に乗り込んできてからの、それこそ総裁の宿願ともいうべきもの、それは、如何にして生長の家教団から愛国派≠閉め出すか、それに尽きます。

いよいよ、この一連の投稿、『日本会議の研究』に名誉毀損の判決が下ったことについての〈まとめ〉を書くときがきたようです。

それについては、また稿を改めて書くことにいたします。


〈まとめ〉総裁は、生長の家教団から尊師・谷口雅春先生の痕跡を悉く無くし、雅宣教≠フ確立を目指した… (11098)
日時:2019年07月02日 (火) 20時35分
名前:破邪顕正


総裁にとって、心から尊師・谷口雅春先生を慕い、「天皇国日本」を思う信徒は、どうしても教団から排除したい人としてあった…。

自分の思い通りの教団に変えるには、それはどうしても避けては通れない道としてあった…。

その手始めとして、総裁が持ち込んだのが、所謂原理主義者≠ニいう、けったいなレッテル貼りでした。

その次に行ったのが、「鎮護国家」外しであります。

そして、そのハタラキの神様である「住吉大神」は、ご存じのように、言わば脇神さまとして追いやられることになりました。

原宿の本部会館は無くなりました。

相・白・青の三者組織も、今や、風前の灯火。

長崎・総本山も、御祭神が変えられました。

この総本山を、総裁は、聖地≠ニは呼ばせないとまで言いました。

総裁のこれまでやってきたことを点とし、それを線としてつないでいくと…。

その先に、いったい、どんな世界が見えてくるか…。

すべては、生長の家教団から、尊師・谷口雅春先生の痕跡を跡形もなく消し去りたい…。

そういう世界が見えてくるのです。

これを、人・物・事という別の角度から見てみましょう…。

まず「人」。

これが、ここで縷々述べてまいりましたように、尊師に連なる愛国者の追放ということになります。

次ぎに「物」。

その象徴が、原宿・本部会館の解体であり、総本山のご祭神の変更でありましょう。

続いて「事」。

次から次と尊師の『聖典』が事実上の絶版となり、運動方針から、『生命の實相』拝読や「日本国実相顕現」「鎮護国家」という価値が消し去られてしまいました。

そして、それに取って変わって出てきたのが、所謂雅宣教≠ニ言われる、今日の環境左翼・護憲路線≠ナあったということです。

その路線に切り替えるには、再度、申し上げますが、尊師に連なる愛国者は何としても排除しておかなくてはならなかった…。

換言すれば、谷口雅春先生の生長の家から谷口雅宣総裁の「生長の家」へと衣替えするには、それは必然のこととしてあったということなのです。

『日本会議の研究』は、そのためにこそ使われました。

安東先生は、尊師に連なる愛国者の、いわば最後のシンボル的存在であったからこそ、既に退職されているにも拘わらず、その名誉を大いに傷つけられることになったのです。

教団から愛国者を閉め出すということは、それは取りも直さず、谷口雅春先生を外すこと以外のなにものでもないというのが私の見方です。

だからこそ、今回の裁判で、名誉毀損の判決を勝ち得たことは、実に大きかったと思っているのです。

総裁のそのような一連の企み、目論みに少しでも傷手を与えることができたのですから。

名誉毀損の判決を受けるような書籍を聖典∴オいにしてまで信徒に頒布しようとしたことは、必ずや手痛いしっぺ返しとなって総裁、並びに教団の運命に跳ね返っていくのではないでしょうか。

神は罰せず。

しかし、法則そのものにて裁かれる。

改めて、谷口雅春先生の生長の家と雅宣教≠フ「生長の家」とでは和解≠フしようがない…。

それぞれの道を歩むのが一番いい。

必然的に、そういう結論になるしかないではないかということを申し上げて〈まとめ〉とさせていただきます。




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