《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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総裁や教団が菅野氏と面談したことを否定する見解は出せません−裁判所の尋問調書が存在しますから! (11033)
日時:2019年06月10日 (月) 12時12分
名前:破邪顕正


菅野氏自身が、法廷で、総裁夫妻との面談を誇らしげに供述したということが、裁判所の尋問調書に記載されているということを、関係者に伺って確認させていただいております。

決して、単なる憶測や噂話を信じ込んで投稿しているのではないということを申し上げておきたいと思います。

もちろん、菅野氏はウソツキで、ありもしない妄想≠騙った、そういうコメントを総裁や教団が出すという可能性は決してゼロとは言えないかもしれません。

あくまでも、本当にそれがウソだったら、という前提の話ですが…。

でも、おそらく、総裁も教団も、尋問調書にあることをウソとは言い切れないのではないでしょうか。

もし、それをやったら、今度は、攻守所を変えて、菅野氏と教団との争いになってしまいますからね…。

そうなったら、『日本会議の研究』に引用されている、教団関係者でなければ知り得ないような資料(実際は、教団関係者ですら困難なものです)を、なぜ、外部の人間でしかない菅野氏が入手し得たのか、その背景に何があったのか?

その内幕≠どんどん暴露するやもしれません…。

(私にしてみれば、そこが一番、関心のあるところですが…)。

それは総裁、教団にとって、自分で自分の首を絞めるような行為にも等しいことになりましょうから、おそらく、そういう愚行は決して犯さないだろうと思います。

結局、総裁も教団も、この件に関しては沈黙を守る、時の過ぎるのをひたすら待つほかはないだろうと私は見ています。

投稿者の中には、今さらそんなことはどうでもいいという意見もあるようですが、私の関心は、一貫して、「生長の家総裁」という人の思想性を浮き彫りにすることにあります。

かつての愛国の柱だった生長の家を左翼勢力≠ノ乗っ取られていいのか?!

いいわけないじゃありませんか。

だから、こうして、総裁や教団の変質ぶりを証し立てるようなことがあれば、いつでも、それを満天下に知らしめていく。

私の中に今さら≠ニいう言葉はありません。

いつも今から∞ここから∞自分から≠ニいう言葉しかありません。

かつての生長の家を何としても取り戻す!

ミッション、パッション、ハイテンション!

これをモットーに、全力を尽くすのみです。


菅野氏の本人尋問を傍聴した方のメモをご紹介します。 (11036)
日時:2019年06月11日 (火) 14時49分
名前:破邪顕正


菅野氏が総裁に面談した事実を示す、その続報です。

平成30年12月18日、菅野氏の本人尋問がありました。

それを傍聴した方のメモを拝見させていただくことができましたので、それをここに紹介させていただきます。

以下、菅野氏の陳述です。

〈この本(※筆者註『日本会議の研究』)が出た後、長野の山奥にあるエコな教団本部(※筆者註 実際は山梨県で菅野氏が勘違いしたようです)に行き、雅宣さんとその奥様にインタビューしたという事実はあります。〉

菅野氏は面談というより、インタビューをしていたんですね。

で、この後に重要な発言を菅野氏はしています。

〈世界聖典普及協会で売られるのは、公式な記録で残したいんですが、僕にとっては有りがた迷惑なんですよ、僕も雅宣さんが嫌いなんで〉

ここで、はっきりと菅野氏は総裁を嫌いだと言っています。

嫌いな人にインタビューした…。

しかも、そこに、白鳩会総裁までが同席していた…。

以上の陳述メモを読んでの、ここからは、私の勝手な憶測です。

よし、菅野氏の陳述通り、インタビューを申し込み、それを総裁が了承して会ったということにしましょう。

これまでにも、総裁がインタビューを受けたという雑誌の記事がありますから、それは大いにあり得る話ではあります。

しかし、今までのそれには、そこに白鳩会総裁が同席していたという話はなかったように思うのです。

何故、菅野氏のインタビューのときにだけ、白鳩会総裁が同席していたのか?

この辺り、どう見ても、インタビューというのはあくまでも名目で、実質上は、やはり総裁夫妻からのご招待≠ェあったからではないのか。

だから、白鳩会総裁も同席することになった…。

そう考えるのが、どうも自然なような気がします。

もう一つ、気になったのが菅野氏の冒頭の言葉です。

この本が出た後

つまり、総裁にインタビューしたのは、あくまでも、『日本会議の研究』が出版された後であるということ、そこに、えらく拘っている、気を遣っているように思えてならないのです。

その背景には、『日本会議の研究』が教団サイドからの資料提供があって執筆されたのではないのかという疑惑がつきまとっていたからに他なりません。

それを菅野氏自身が痛く気にしていたが故に、その疑惑を打ち消すために、出版後に会ったということを強調したかったのではないのか。

そう思えてなりません。

ともあれ、菅野氏という、実に曰く付きの人と総裁夫妻があったということは、菅野氏の陳述で、もはや動かしがたい事実≠ニなりました。

総裁のことを嫌いだと公言して憚らない人の書いたものを、教団は、いつまで、聖典∴オいしていくのでしょうか。

普通は、菅野氏のスキャンダルが発覚した段階で、すぐにでも聖典∴オいから外すはずです。

そうしないのは一体、何故なのでしょうか。

嫌い嫌いも好きのうち≠ニいう言葉もあります。

お互い、その思想性において、実に共感しあうものがあると感じた…。

だからこそではないのか、どうしてもそう感じてしまうのでした。





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