《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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なんと、谷口雅宣総裁は菅野完氏と面会していた。菅野完氏の思想と総裁のご本心。 (11022)
日時:2019年06月08日 (土) 15時41分
名前:すごい内容みたい

オリジナルは、
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


菅野完氏は裁判の本人尋問の場で、
「『日本会議の研究』を出版後、生長の家教団の国際本部で総裁夫妻に直々にお会いした」
と、誇らかに証言したらしい。
裁判当日に裁判を傍聴した人たちから聞いた。



なるほど総裁が自分のブログ「唐松模様」2016年6月 1日の記事、「『日本会議の研究』について」
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016/06/post-1b99.html
のなかで、同誌の写真をつけて、

>私は大阪で行われた生長の家講習会では、菅野氏の著書を紹介し、興味ある参加者に一読を勧めたのだった。本欄の読者にも、同じことをお勧めする

と、同誌を信徒たちに推薦するはずである。

また、「世界聖典普及協会」
https://www.ssfk.or.jp/p/a/407476.htm
も『日本会議の研究』を「聖典・書籍」に指定するはずである。同協会は今も同書を販売している。





ひょっとすると、総裁夫妻が菅野完氏と面会したときに、「よくやった。『日本会議の研究』の販売はまかせなさい」と、激励したのかもしれない。

おそらくそうなのだ。

なぜならば、総裁は同記事「『日本会議の研究』について」のなかで非常に不思議なことを述べているからだ。

>第二代総裁の谷口清超先生は、昭和58年に生政連の活動停止を決断されたのだった。ところが、この決定を好ましく思わない人、納得しない人、さらには反対する人も教団内には少なからずいた。それらの人々の中には……表面は本部の方針に従う振りをしながら、陰では従来通りの政治活動をしたり、政治運動との接触を続けていた者もいた……教化部長や、本部の理事(現在は参議)の中にも、このようにして本心を隠したり、“二股を掛ける”生き方を続けてきた人がいた……。 

>そういう人々が具体的にどんな種類の人であり、宗教の陰でどんな政治活動を続け、何を目標としてきたかは、本部の側からは判然としなかった。ところが最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。菅野完氏が書いた『日本会議の研究』(扶桑社新書)が、それである。この本には……私より年齢が高く、かつ当時の生長の家の運動に関わっていた人々にとっては“懐かしい”話も出てくるが、当時隠されていた“驚くべき”話もある。とにかく、最初は門外漢であったはずの著者が、ここまでよく調べ、よく書いたと感心する。……書かれた内容……のすべてが正しいとは言えないが、大きな流れは事実に沿っていると思う。

なぜ、これが非常に不思議な言葉であるか…。

総裁ここにて言う、

教化部長や本部の理事の中に、本心を隠している者がいた。
そういう人々がどんな政治活動を続けてきたか、本部の側からは判然としなかった。

だったら、長らく本部にしか居なかった総裁が、「本心を隠していた教化部長や本部理事がどんな政治活動を続けてきたか」わかるはずがない。それなのに、総裁は、「『日本会議の研究』の内容は…大きな流れは事実に沿っている」と述べている。

これはオカシイ。

これは不思議だ。

なぜ本部にしか居なかった総裁が、本部の側から見えない教化部長や本部理事の行動について「事実に沿っている」と言えるのか。とても言えるはずがないのに…。

その理由は一つしかない。

総裁自身が『日本会議の研究』の著者である菅野完氏に情報やヒントを与えて、菅野完氏に自分の言いたいことを書かせたからだ。それ以外に合理的な理由はない。





しかも総裁はこの記事のなかで、「『日本会議の研究』には当時隠されていた“驚くべき”話もある」と断言している。

これはオカシイではないか。

なぜ、総裁が「当時隠されていた話」を知っているのか。

総裁が「当時隠されていた話」を知っているはずがないのに……。

しかも総裁は、それが「驚くべき話」だと断言しているのだ。
なぜ総裁が「当時隠されていた話」が驚くべき内容だと分かるのか。これもオカシイ。





よく考えたら分かる。

総裁が菅野完氏に情報やヒントを与えたのだ。
総裁が部下に命令して情報を与えさせた可能性もある。
そして菅野完氏に自分の言いたいことを、思う存分書かせたのだ。

それ以外に、以上の「オカシイ」を合理的に説明する結論はない。





それにしても、総裁は正直に、
「私が菅野完氏に情報を与えました。みなさん。安東巌氏は悪い人です」
と、信徒たちに言えば良かったのだ。

それなのに、総裁はこのような小細工を施さなければならなかった。そこには総裁の安東巌先生に対する無意識の劣等感が現われている。

総裁は安東巌先生と違って奇跡的な神癒を一つも起こすことができなかった。総裁本人もそれを意識していることだろう。

だが、だからといって以上のような卑劣な手法を用いることが許されるものではない。総裁は霊的に幼稚である。総裁の霊的境位は菅野氏の霊的境位と違わない。次に、菅野完氏の発言と行動がきわめて幼稚であり、それが総裁の霊的レベルと同レベルであることを見ていく。





菅野完氏の思想と、谷口雅宣総裁の本心。3分の1回目。 (11023)
日時:2019年06月08日 (土) 15時45分
名前:すごい内容みたい

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


菅野完氏は少なくとも二冊の本を出版している。
『日本会議の研究』と『保守の本分』(ともに扶桑社)である。

その『保守の本分』のなかで氏は自分を「保守主義者」であると何度も述べている。ところが、この氏の「保守主義」は、「個人生活のために日本は侵略されろ」という、仰天するような主張である。

まず、

菅野氏は自分を「保守主義者」であり「右翼」であると規定している。

たとえば『保守の本分』p.14で、「右翼であり保守主義者である私……」と述べている。

それでは氏の言う「保守主義」とは、どのような思想か。氏は「保守主義」を「自分と他人の生活を守ろうとする主義」(注1)だと定義する。

これは簡単にいえば「生活第一主義」である。

この氏の定義は通常の「保守主義」の定義と大きく異なっている。

たしかに通常の「保守主義」にも、氏が言うように政治思想(イデオロギー)よりも日常的利益や生活を維持しようという意識が強い。

これは世界各国の「保守主義」に共通している。これを名づけるならば「生活に関する保守主義」である。

しかしその一方で、通常の「保守主義」は国家や国民意識の連続性を重視する。これも世界中の「保守主義」に共通する。これを名づけるならば「国家に関する保守主義」である。





しかし不思議なことであるが、菅野氏は『保守の本分』のなかで「生活に関する保守主義」を何度も強調しながら、「国家に関する保守主義」はまったく主張しない。

それどころか所々で「国家に関する保守主義」を否定する主張を何度も主張している。

たとえば、氏は『保守の本分』の19ページで、「中国や韓国に対抗することによって何かが守られ、それをもって保守思想とする発想は間違いだ」(注2)と断言している。

この意見によれば、たとえば「北方領土で漁業中に旧ソ連の警備隊から銃撃された日本漁民の生活や、竹島近辺で漁ができない日本人の生活を守れ」と訴えることは「間違い」なのである。

さらに「今、南シナ海に人工島を作って軍事基地を建設している中国が、近い将来、日本人の石油輸送路を遮断して日本人の生活を危機的状況に陥れようとしている。だから中国の暴挙を止めさせろ」と主張することも「間違い」なのである。

それではなぜ「間違い」なのか。菅野氏は「間違い」とする論理的な理由を二冊の本のなかで述べていない。だた「間違いだ」と決めつけるだけである。

その菅野完氏が書いた『日本会議の研究』を、総裁は「世界聖典普及協会」から販売させた。
今も販売している。
また、『日本会議の研究』が出版されたあとに菅野完氏と直接面会した。総裁は菅野完氏の意見を承認・推薦した。





総裁も菅野氏と同じように、「北方領土で漁業中に旧ソ連の警備隊から銃撃された日本漁民の生活や、竹島近辺で漁ができない日本人の生活を守れ」と訴えることを「間違いだ」と、考えているのである。

さらに、南シナ海に人工島を作って軍事基地を建設して、近い将来、日本への石油輸送路を遮断して日本人の生活を危機的状況に陥れようとしている中国の暴挙を止めさせるように主張することも「間違いだ」と、考えているのである。

その証拠に、総裁は今まで一度も、「北方領土で漁業中に旧ソ連の警備隊から銃撃された日本漁民」のことや、「南シナ海に人工島を作って軍事基地を建設して、近い将来、日本への石油輸送路を遮断して日本人の生活を危機的状況に陥れようとしている中国の暴挙」について語らなかったではないか。





(注1)
保守主義的な態度とは……まずは今の自分の生活を守る、そしてその目的を達成するために、他人の生活も守る必要があるのだ、という考え方だと思います。ドラスティックな改革の進め方を拒みつつ、自分の周り半径数十メートルの生活圏内のメンテナンスを、驕らずたかぶらず取り組み続ける人々を、私は保守主義者と定義しているのです。
(『保守の本分』p.54)

(注2)
ネット右翼の諸君が日頃主張しているように、中韓に反抗することによって何かが守られ、それをもって保守思想とする精神は極めて間違いである…と言わざるを得ません。
(『保守の本分』p.19)






菅野完氏の思想と、谷口雅宣総裁の本心。3分の2回目。 (11024)
日時:2019年06月08日 (土) 15時48分
名前:すごい内容みたい

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


菅野完氏の思想については、まだ重要なことがある。

菅野氏は『保守の本分』のなかで奇妙なことを述べている。

菅野氏は、

「1931年の満州事変から日本敗戦の1945年8月15日にかけての日本国内には戦争遂行の気運が強かったが、もしそれが保守思想の祖国イギリスの出来事だったならば狭義のジェントルマンたちが保守思想を背景にして戦争を阻止していたはずだ」
(p.73)

と、空想のようなことを述べているのである。

菅野氏が空想を語るのは氏の自由である。

しかし、氏が言う「第二次世界大戦のころのイギリスの保守主義者」の代表者はウィンストン・チャーチルであろう。

チャーチルはイギリスの「保守党」で40年以上活躍した。

そして第二次世界大戦の終了後になってもなおアジア植民地(インドやビルマ)の開放に猛烈に反対した。

当時のアメリカ合衆国の大統領と派手な口論を行った。

そのことをイギリスの歴史家クリストファー・ソーンは『太平洋戦争とは何だったのか』(市川洋一訳。草思社)のなかで「インドやビルマを支配していたイギリスのチャーチルは、大英帝国を解体するいかなる提案も激しく拒否した」(p.233)と実証・断言している。

菅野氏は『保守の本分』のなかで、「私はイギリスの保守主義者を理想とする」と何度も断言している。……ということは、菅野氏は太平洋戦争(大東亜戦争)によって、多くのアジア植民地が独立できたことを「激しく拒否」するのである。





その菅野完氏の『日本会議の研究』を、谷口雅宣総裁は「聖典・書籍」に位置づけて「世界聖典普及協会」から『日本会議の研究』を販売させた。今も販売している。

また、『日本会議の研究』が出版されたあとに菅野完氏と直接面会した。総裁は菅野完氏の意見を承認・推薦した。

だから総裁は昔、『理想世界』誌上で、「太平洋戦争は日本の侵略戦争だった」としつこく主張していたのである。

菅野完氏と面会した総裁は、菅野氏と同じようにアジア植民地の独立を「激しく拒否」する本心を持っているのである。総裁がアジア植民地独立の原因について語ったことなど、今までに一度もないではないか。





菅野完氏の思想と、谷口雅宣総裁の本心。3分の3回目。  (11025)
日時:2019年06月08日 (土) 15時51分
名前:すごい内容みたい

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


菅野氏の言葉はつねに西洋中心主義である。

氏は自分を「保守主義者」と自己規定し、その「保守主義」の代表をエドマンド・バークなどのイギリス保守主義者に見ている。

しかし、それは本質的に左翼・反日である菅野完氏が自分を「保守主義者」だと述べて、自分の西洋中心主義(しかも左翼・反日)を隠すためのごまかしにすぎない。

…と、ここまで読んだ勘の良い読者のなかには、「総裁と同じだ」と気づいた人もおられるだろう。

そうなのだ。

総裁と同じである。

ただ、前半は菅野氏の思想について、である。

菅野氏の『保守の本分』のなかには、氏のごまかしが無理を呼び、その結果、誰が見ても「これは異常だ」と言わざるをえないことを菅野氏が気づかずに書きこんでしまっている箇所がある。

菅野氏は、なんと、「イギリス人は心の修行を積んで自分の心を天皇の心に近づけろ。そもそも天皇の心が最高なのだから、それによってイギリス人の心が高まれば、必ずイギリスの王道楽土が実現する〜」と主張しているのである。





菅野氏は『保守の本分』の第二章で、北一輝と安岡正篤(日本の保守的思想家)を比較して、それぞれの長短を論じている。

まず菅野氏は北一輝を社会主義者であるという。
この断言は、北を「国家社会主義者」と見なす通常の認識に近い断言であろう。

ところが氏は、なぜか陽明学者である安岡正篤を「西欧的な意味での保守主義者である」(注1)という。

氏は、陽明学者を突然「西欧正統保守主義者だ」と断言するのである。

氏は、そのように断言する合理的な理由を示さない。ただ勝手に断言して論を進めるのである。

それでは、

その菅野氏は安岡正篤の思想をどのように理解しているのか。

氏は『保守の本分』のなかで、

「安岡正篤は、『人間の内面は天皇の内面と同一である。天皇の心が聖なる最高存在であるから、日本人ひとりひとりが修養を積んで天皇の心に近づくものが増えれば、王道楽土に到達できる』と考えていました」(注2)

と、丁寧に解説している。

ふたたび確認する。

菅野氏は「安岡正篤は、極めて正統的な保守、つまり西欧的な意味での保守主義者なのです」と断言している。

したがって菅野完氏によれば、バークやチャーチルに代表されるイギリス保守主義者たちは、

「イギリス人の心(内面)は天皇の心と同一であり、天皇は聖なるが故に天皇の心こそ最高存在である。イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する」

と考えていた、ということである。





これは物凄い意見である。

今までの世界の歴史研究のなかで一度も言われたことがなく、考えられたこともない意見である。

まともに扱うのも馬鹿馬鹿しい。

一度イギリス人をつかまえて、

「貴国のエドマンド・バーク以来の保守主義者たちは過去何百年も、イギリス人の心は天皇の心と同一であり、天皇の心こそ最高存在であるから、イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する……そのように考えてきたのか?」

と尋ねてみたいものである。

さらに菅野完氏を推薦する総裁にも尋ねたいものである。

「総裁。イギリス人は過去何百年も、『イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する』と考えてきたのですか。

あなたが推薦する菅野完氏は、そのように言っていますよ。これは貴方の嫌いな日本主義なのではありませんか。

一体、あなたは菅野完氏の思想を知ったうえで氏と面会したのですか。あなたは氏を利用するためだけの理由で氏と面会したのではありませんか」と。





(注1)
安岡正篤は、極めて正統的な保守、つまり西欧的な意味での保守主義者なのです。一方の北一輝は…社会主義者でした……。
(『保守の本分』p.59)

(注2)
安岡は、その「自己の内面」はすなわち「天皇の内面」と同一であり、天皇は聖なるが故に「天皇の内面こそ最高存在」としていました。さらに、「臣下ひとりひとりが修養を積み内面を陶冶することで、臣下一人一人の内面が、天皇の内面に近づく」「一人でも多く、天皇の内面に近づくものが増えれば、王道楽土に到達できる」というのが、安岡としての状況改善のプランでした。
(『保守の本分』p.57)





3分の3回目。菅野完氏の思想と、谷口雅宣総裁の本心。  (11026)
日時:2019年06月08日 (土) 15時53分
名前:すごい内容みたいです。

もとは、http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981
です。

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


菅野氏の言葉はつねに西洋中心主義である。

氏は自分を「保守主義者」と自己規定し、その「保守主義」の代表をエドマンド・バークなどのイギリス保守主義者に見ている。

しかし、それは本質的に左翼・反日である菅野完氏が自分を「保守主義者」だと述べて、自分の西洋中心主義(しかも左翼・反日)を隠すためのごまかしにすぎない。

…と、ここまで読んだ勘の良い読者のなかには、「総裁と同じだ」と気づいた人もおられるだろう。

そうなのだ。

総裁と同じである。

ただ、前半は菅野氏の思想について、である。

菅野氏の『保守の本分』のなかには、氏のごまかしが無理を呼び、その結果、誰が見ても「これは異常だ」と言わざるをえないことを菅野氏が気づかずに書きこんでしまっている箇所がある。

菅野氏は、なんと、「イギリス人は心の修行を積んで自分の心を天皇の心に近づけろ。そもそも天皇の心が最高なのだから、それによってイギリス人の心が高まれば、必ずイギリスの王道楽土が実現する〜」と主張しているのである。





菅野氏は『保守の本分』の第二章で、北一輝と安岡正篤(日本の保守的思想家)を比較して、それぞれの長短を論じている。

まず菅野氏は北一輝を社会主義者であるという。
この断言は、北を「国家社会主義者」と見なす通常の認識に近い断言であろう。

ところが氏は、なぜか陽明学者である安岡正篤を「西欧的な意味での保守主義者である」(注1)という。

氏は、陽明学者を突然「西欧正統保守主義者だ」と断言するのである。

氏は、そのように断言する合理的な理由を示さない。ただ勝手に断言して論を進めるのである。

それでは、

その菅野氏は安岡正篤の思想をどのように理解しているのか。

氏は『保守の本分』のなかで、

「安岡正篤は、『人間の内面は天皇の内面と同一である。天皇の心が聖なる最高存在であるから、日本人ひとりひとりが修養を積んで天皇の心に近づくものが増えれば、王道楽土に到達できる』と考えていました」(注2)

と、丁寧に解説している。

ふたたび確認する。

菅野氏は「安岡正篤は、極めて正統的な保守、つまり西欧的な意味での保守主義者なのです」と断言している。

したがって菅野完氏によれば、バークやチャーチルに代表されるイギリス保守主義者たちは、

「イギリス人の心(内面)は天皇の心と同一であり、天皇は聖なるが故に天皇の心こそ最高存在である。イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する」

と考えていた、ということである。





これは物凄い意見である。

今までの世界の歴史研究のなかで一度も言われたことがなく、考えられたこともない意見である。

まともに扱うのも馬鹿馬鹿しい。

一度イギリス人をつかまえて、

「貴国のエドマンド・バーク以来の保守主義者たちは過去何百年も、イギリス人の心は天皇の心と同一であり、天皇の心こそ最高存在であるから、イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する……そのように考えてきたのか?」

と尋ねてみたいものである。

さらに菅野完氏を推薦する総裁にも尋ねたいものである。

「総裁。イギリス人は過去何百年も、『イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する』と考えてきたのですか。

あなたが推薦する菅野完氏は、そのように言っていますよ。これは貴方の嫌いな日本主義なのではありませんか。

一体、あなたは菅野完氏の思想を知ったうえで氏と面会したのですか。あなたは氏を利用するためだけの理由で氏と面会したのではありませんか」と。





(注1)
安岡正篤は、極めて正統的な保守、つまり西欧的な意味での保守主義者なのです。一方の北一輝は…社会主義者でした……。
(『保守の本分』p.59)

(注2)
安岡は、その「自己の内面」はすなわち「天皇の内面」と同一であり、天皇は聖なるが故に「天皇の内面こそ最高存在」としていました。さらに、「臣下ひとりひとりが修養を積み内面を陶冶することで、臣下一人一人の内面が、天皇の内面に近づく」「一人でも多く、天皇の内面に近づくものが増えれば、王道楽土に到達できる」というのが、安岡としての状況改善のプランでした。
(『保守の本分』p.57)





菅野完氏の思想と、谷口雅宣総裁の本心。最後。 (11027)
日時:2019年06月08日 (土) 15時55分
名前:すごい内容みたいです。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


なぜか分からないが、菅野氏の発想はつねに西洋中心主義である。

氏は自分を「保守主義者」と自己規定し、その「保守主義」の代表をエドマンド・バークなどのイギリス保守主義者に見ている。

しかし、それは本質的に左翼・反日である菅野完氏が自分を「保守主義者」だと述べて、自分の西洋中心主義(しかも左翼・反日)を隠すためのごまかしにすぎない。

…と、ここまで読んだ勘の良い読者のなかには、「総裁と同じだ」と気づいた人もおられるだろう。

そうなのだ。

総裁と同じである。

ただ、前半は菅野氏の思想について、である。

菅野氏の『保守の本分』のなかには、氏のごまかしが無理を呼び、その結果、誰が見ても「これは異常だ」と言わざるをえないことを菅野氏が気づかずに書きこんでしまっている箇所がある。

菅野氏は、なんと、「イギリス人は心の修行を積んで自分の心を天皇の心に近づけろ。そもそも天皇の心が最高なのだから、それによってイギリス人の心が高まれば、必ずイギリスの王道楽土が実現する〜」と主張しているのである。





菅野氏は『保守の本分』の第二章で、北一輝と安岡正篤(日本の保守的思想家)を比較して、それぞれの長短を論じている。

まず菅野氏は北一輝を社会主義者であるという。
この断言は、北を「国家社会主義者」と見なす通常の認識に近い断言であろう。

ところが氏は、なぜか陽明学者である安岡正篤を「西欧的な意味での保守主義者である」(注1)という。

氏は、陽明学者を突然「西欧正統保守主義者だ」と断言するのである。

氏は、そのように断言する合理的な理由を示さない。ただ勝手に断言して論を進めるのである。

それでは、

その菅野氏は安岡正篤の思想をどのように理解しているのか。

氏は『保守の本分』のなかで、

「安岡正篤は、『人間の内面は天皇の内面と同一である。天皇の心が聖なる最高存在であるから、日本人ひとりひとりが修養を積んで天皇の心に近づくものが増えれば、王道楽土に到達できる』と考えていました」(注2)

と、丁寧に解説している。

ふたたび確認する。

菅野氏は「安岡正篤は、極めて正統的な保守、つまり西欧的な意味での保守主義者なのです」と断言している。

したがって菅野完氏によれば、バークやチャーチルに代表されるイギリス保守主義者たちは、

「イギリス人の心(内面)は天皇の心と同一であり、天皇は聖なるが故に天皇の心こそ最高存在である。イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する」

と考えていた、ということである。





これは物凄い意見である。

今までの世界の歴史研究のなかで一度も言われたことがなく、考えられたこともない意見である。

まともに扱うのも馬鹿馬鹿しい。

一度イギリス人をつかまえて、

「貴国のエドマンド・バーク以来の保守主義者たちは過去何百年も、イギリス人の心は天皇の心と同一であり、天皇の心こそ最高存在であるから、イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する……そのように考えてきたのか?」

と尋ねてみたいものである。

さらに菅野完氏を推薦する総裁にも尋ねたいものである。

「総裁。イギリス人は過去何百年も、『イギリス人ひとりひとりが修養を積んで自分の心を天皇の心に近づけることによってイギリスの王道楽土が実現する』と考えてきたのですか。

あなたが推薦する菅野完氏は、そのように言っていますよ。これは貴方の嫌いな日本主義なのではありませんか。

一体、あなたは菅野完氏の思想を知ったうえで氏と面会したのですか。あなたは氏を利用するためだけの理由で氏と面会したのではありませんか」と。





(注1)
安岡正篤は、極めて正統的な保守、つまり西欧的な意味での保守主義者なのです。一方の北一輝は…社会主義者でした……。
(『保守の本分』p.59)

(注2)
安岡は、その「自己の内面」はすなわち「天皇の内面」と同一であり、天皇は聖なるが故に「天皇の内面こそ最高存在」としていました。さらに、「臣下ひとりひとりが修養を積み内面を陶冶することで、臣下一人一人の内面が、天皇の内面に近づく」「一人でも多く、天皇の内面に近づくものが増えれば、王道楽土に到達できる」というのが、安岡としての状況改善のプランでした。
(『保守の本分』p.57)





今となっては、誰も菅野完氏と谷口雅宣総裁の言葉を信用しない。 (11028)
日時:2019年06月08日 (土) 15時57分
名前:すごい内容みたいです。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:菅野完氏と谷口雅宣総裁研究会


菅野完氏は『保守の本分』の第五章「保守主義者としての歴史認識」のなかで奇妙なことを述べている。

簡単にいうと、電車の中で男が女性に「さわられた。この人、痴漢です!」と言われたら、

男は触ったかどうかに関係なく、被害者がいるのだから女性の言い分をみとめて、「たいへん申しわけございませんでした」と謝罪しろというのである。

もう少し正確にいうと菅野氏は、

「日本と韓国が『日韓基本条約』によって手打ちを済ませたあとに問題となった慰安婦問題について、日本人と日本政府は慰安婦や韓国政府の言い分を丸のみして、『たいへん申しわけございませんでした』と謝罪しろ」

と言うのである。

それでは、なぜ日本が「丸のみ」して謝罪しなければならないのか。

その理由を菅野氏は二つ提出している。

一つめの理由は、「謝罪することが日本人の美徳に合致するから」(注1)という氏の日本文化論である。

よって氏によれば、電車の中で「あなたが触った」と女性に名指しされた男は、その場で、「たいへん申しわけございませんでした」と謝罪しなければならない。それが日本の美なのである。

この「謝罪することが日本人の美徳に合致する」という短文によって、

日本人と日本政府は韓国の人たちから「日本軍は朝鮮半島の女性を強制的に慰安婦にした」と非難されたならば、

相手の言い分を丸呑みして「たいへん申しわけございませんでした」と謝罪しなければならないことになった。

また、日本の男は電車のなかで痴漢行為を行っていなくても、女性から「痴漢だ」と言われたら「たいへん申しわけございませんでした」と頭を下げなければならないことになったのである。





さて、菅野氏は日本人が相手の言い分を「丸のみ」して謝罪しなければならない二つめの理由を提示している。

それは「その事実があったかなかったかではなく、実際に傷んでいる人がいるから」(注2)である。

……これは「超」が付く問題発言であろう。

なんと、氏によれば、事実はどうでもよいのである。

被害を訴えている人がいる。それだけで非難された者は謝罪しなければならない。菅野氏は上の引用文のすぐあとで次のように続けている。

「そう言われる隙を与えたのは日本なのです。そうなっている以上、各国から寄せられる非難の声に、しっかりと向き合う覚悟は、絶対に持っておかなければならない…。」

この引用文によれば、非難される「隙」を与えた日本が悪いのである。「隙」に付け込んで非難するほうに問題はない。

これをたとえて言うならば、人混みを歩いて財布をすられた者が悪い。すった者に罪はない。

あるいは、電車の中で性格の悪そうな女の横に立った男が悪い。女が男を痴漢に仕立てあげても、女にお咎めはない。

しかも、この氏の意見にしたがうならば、

かりに(あくまでも仮の話である)日本軍によって強制的にトラックに押しこめられて従軍慰安婦にされた朝鮮半島の女性がいたならば、それは日本軍に隙をみせた女性と朝鮮半島の人々が悪く、隙につけこんだ日本軍に罪はないはずである。

ところが、

ところである、

優しい菅野完氏は財布をすった者の罪を認めない。
さらに電車の中で隣の男を痴漢にしたてた女をとがめない。
さらにまた日本軍に隙を見せた朝鮮半島の人たちの落ち度を見ても認めない。

菅野氏によれば、つねに日本人と日本国が悪いのである。

日本人はすべての罪を背負い、あらゆる他人の落ち度もあがわなわなければならない。

これはもはや菅野氏の宗教的境地である。菅野完氏いわく、「日本人と日本政府よ。汝らはイエスが為し給うたごとく、全人類の罪と落ち度を背負いて十字架に上れ」と。

ところが…

ところが、である、

最近のインターネット上のニュースによると、

ある女性が「菅野完という男に乱暴され、心身を傷つけられた」として200万円の損害賠償を東京地裁に提訴されたそうである。

もちろんのことだが、裁判に訴えられた菅野完という男は女性から非難されたのだから、

『保守の本分』の論理にしたがって、実際に傷をつけたかどうかと関係なく、女性の意向を丸呑みして謝罪し、200万円の賠償金を支払い、

さらに、「そう非難される隙を与えたのは僕なのです。僕は女性からの非難の声に向き合う覚悟を持っています」と言わなければならない。

ところが、

この菅野完という男は、こともあろうに東京地裁の判決後に、

「(性的暴行の)回数が1回で短時間」
「性的自由侵害の程度が高い部位には触れていない」
「事件報道で社会的制裁を受けたのである〜〜〜〜〜〜」

と主張して、「慰謝料は5万円を超えることはない」と言い、
なんと慰謝料100万円の減額のために控訴したということである。

そのあと、どうなったか。

東京高裁の阿部潤裁判長は女性側の主張をほぼ認めた一審「東京地裁判決」を支持した。

そして、「慰謝料100万円は高額ではない」「不当な社会制裁ではない」「被害者の苦痛は慰労されていない」として菅野側の控訴を棄却した。

また、被害者の女性は、高裁による控訴棄却判決のあとで、

「菅野から心からの反省の言葉が得られないことで、より傷つきます」

と述べたということである(以上、ウィキペディア「菅野完」)。

どうも裁判に訴えられた菅野完という男は、まだ本心から女性に謝罪していないらしい。まことにけしからん男である。ぜひ宗教家・菅野完氏が、訴えられた菅野完という男をつかまえて厳しく説教することを望む。

ところが、

よく調べると、

『保守の本分』の著者・菅野完氏と女性に訴えられた菅野完という男は同一人物である。





ということは、菅野完氏は『保守の本分』のなかで、自分ができもしないことを美しく純粋そうな論理を展開し、あげくのはてには「日本人の美徳」まで引っ張り出して日本人に無理難題を背負わせていただけにすぎない。

なんと菅野完氏は日本人と日本政府にむかって「すべての罪を背負って十字架に上れ」と命じ、いざ自分がそれを実行する段になると十字架に近づきもせず、さっさと逃げていったのである。そのような言葉が詰めこんであるだけの『保守の本分』や『日本会議の研究』を誰が信用するだろうか。だれも信用しない。





さて、

次は、総裁の出番である。

総裁は自分のブログ「唐松模様」の記事、「『日本会議の研究』について 2」
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016/06/2-1512.html" target="_blank">http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016/06/2-1512.html" target="_blank">http://web.archive.org/web/20190428061744/http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016/06/2-1512.html
のなかで

>簡単に国民を欺く人物が、わが国の首相であることを私は容認することができない

と、偉そうに安部総理を断罪している。

だが、総裁は菅野のように綺麗ごとを言って読者を欺く人物の本を推薦し、面会まで行った。

しかも菅野は一度も安東巌先生にインタビューしていなかったのに、あたかも安東巌先生に会って裏を取ったと読めるように『日本会議の研究』を書いている。

総裁は『簡単に国民を欺く人物が、わが国の首相であることを容認することができない』と偉そうに言っている。

しかし、菅野完のように本のなかで綺麗ごとを言って簡単に読者を欺き、何度も性的暴行を働き、さらに、しばき隊のカンパ金を着服したとも言われている者が生長の家の『聖典・書籍』の著者になることは容認しているではないか。

そんなことならば、今日から総裁は、刑務所に入っている人たちに安東巌先生の悪口を書かせれば完璧である。総裁が三十年かけて行なったことは、所詮その程度のことにすぎないのである。




(注1)
確かに、一部の補償問題については日韓基本条約や日中平和友好条約によって解決済みだとも言えますが、条約締結当時には詳らかになっていなかった戦争犯罪が後からいくつも出ることもあります。慰安婦問題しかり、軍票問題しかり。手打ちをした後に発覚した不始末についても、きっちりと認めて、向こうの意向を丸呑みして、「たいへん申し訳ございませんでした」と謝るべきなのではないでしょうか。これは自虐でもなんでもなく、かえってそれが日本人の美徳にも合致するのではないでしょうか。
(『保守の本分』p.150)

(注2)
その事実があったかなかったかではなく、実際に傷んでいる人がいる。「慰安婦なんてウソをついているに決まっている」と喚いたところで、そう言われる隙を与えたのは日本なのです。そうなっている以上、各国から寄せられる非難の声に、しっかりと向き合う覚悟は、絶対に持っておかなければならないことだと思います。
(同p.150)





『日本会議の研究』は興味深い本 (11029)
日時:2019年06月08日 (土) 16時01分
名前:すごい内容みたいです。(アクエリアンさんも賛同のようです。私はアクエリアンさんではありません)

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8981&submitlog=8981

名前:アクエリアン


菅野完氏の『日本会議の研究』は菅野氏の思想が分かり、そしてそれに共鳴した雅宣総裁の思想が分かる貴重な本だと思います。

日本会議ブームを作った本の代表的なものでしょう。

かなり妄想が含まれており、妄想をかけられた生長の家関係者にとっては、このような妄想本が出版されるのは本人の名誉信用にもかかわることであり、到底出版が許されてはならないと出版差し止め請求を裁判所に訴えるのは当然のことだと思います。

生長の家の天皇信仰を、「極めてファナティックで特殊な思想」として斬り捨ててしまうあたり、まさに、雅宣総裁の思想そのものでしょう。







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