『観世音菩薩讃歌』異見 ー言霊の幸ふ國(ことだまのさきはふくに) ー (10998) |
- 日時:2019年05月24日 (金) 01時48分
名前:立葵
合掌 最近、『観世音菩薩讃歌』が聖経『甘露の法雨』と同じリズムだといふ御意見を仄聞しました。
「讃歌」への宗教的見地からの反証は、既に沢山の先生方や先輩方によってなされてをり、私もそこから一層学び且つ只管行ずる人生であり続けたいと希ふ者です。
ここでは、私にとって、この「詩」が断じて聖経と同格だとは思へない由縁を申し述べます。
まづもって、「リズム」ではありません。
神様から天降った啓示を谷口雅春先生が國語の格調高い文語文で書き記された聖経『甘露の法雨』の功徳は、その「韻律」「しらべ」「響き」「ことだま(言霊)」と申すべき言葉の力が朗誦する者に顕現するのでありませう。
翻って「讃歌」は、果して表面上は文語文(古典文法による韻文や散文)でありましても、原文は文語文と不可分の歴史的仮名遣で書き記されたのでせうか?
古文の勉強をした時に、何故わざわざ慣れない歴史的仮名遣を覚えなければならなかったのでせうか。それは、古典の言葉は、現代仮名遣では表記できないものだからに他なりません。
現在、そのやうな文語文であっても読者の便宜を図って現代仮名遣に改めることはあります。聖経も現代仮名遣版となりつつあるのも、雅春先生の御心中を拝察申し上げるのも畏れ多いのみですが、ある意味で致し方なかったのではないかと思ひます。 さうでありましても変はらない聖経の功徳は、原文の文語文が正統な歴史的仮名遣で書かれたものであったからこそに他ならないと思ひます。
『生命の實相』新修特製版、豪華版の見返しを美しい画で飾って下さり、また山口悌治先生著『万葉の世界と精神』下巻に感動的な序文を寄せられた林武画伯は、御著書『国語の建設』(昭和46年、講談社)の中で、歴史的仮名遣のことを「正かなづかひ」と呼ばれました。 歴史的といふよりも、正しい仮名遣なのだといふことに気付かされました。
ともかく、文語文を発表なさるのなら、まづは歴史的仮名遣で書くところから始まって初めて、古来「言霊の幸ふ國(ことだまのさきはふくに)」と讃へられてきた我が日の本の國語から生きた生命が通ふのであると考へてをります。
もしもそれが今の読者に読みにくいと思はれたなら、後から現代仮名遣に改めればよろしいかと思ひます。
文法的に相容れない文語文と現代仮名遣の組合せで作られた詩であったとしましたら、それは、うはべだけをなぞったものに過ぎないと私は思ひます。
最後に、もしもこの「讃歌」が初めは歴史的仮名遣で書かれてゐたのを現代仮名遣に改めただけだったのでしたら、非礼をお詫び申し上げます。
不一 再拝
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