《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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〈奉祝!〉今日(4月10日)は今上・皇后両陛下のご成婚記念日、60周年を迎えられました! (10849)
日時:2019年04月10日 (水) 17時49分
名前:破邪顕正


国立劇場では「天皇陛下御即位三十年 奉祝感謝の集い」が開催されました。

勿論、中島省治代表もご招待を受け、参列なさいました。

事前に、登壇者にサプライズがあると伺っておりましたので、それが誰か、楽しみにしておりましたが、北野武監督だったんですね。

祝辞の中で、感銘を覚えた箇所を引いておきます。

〈私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。

なぜか呼ばれた私に、両陛下は『交通事故の体の具合はどうですか』『あなたの監督した映画を見ています』『どうかお体を気をつけてください』『頑張ってください』と声を掛けていただきました。

この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました。…

国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちはひかれ、勇気と感動をいただきました。

あらためて、平成という時代に感謝いたします。

また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に、生を受けたことを、幸せに思います。

ありがとうございました。〉

個人的に言えば、それ以上のサプライズは、X JAPANのYOSHIKIでしたね。

どうして、本日、登壇したのか。

やはり、両陛下への感謝の思いが強くあったからだと思うのです。

昨年、YOSHIKIが、こういうことを語っています。

私が心惹かれた談話でもあります。

〈平成11年11月、東京・皇居前広場で開かれた「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」。

僕は、天皇皇后両陛下が見守られる中、自ら作曲したピアノ協奏曲を演奏しました。

陛下や国民の皆さまに、自分の持っているもの全てをささげたいという思いで臨んだはずなのに、結果的に音楽家として僕自身が救われるきっかけになりました。

祭典を主催する奉祝委員会から依頼をいただいたのは、「消えてしまいたい」と考えるほど、精神的にひどく落ち込んでいた時期でした。

リーダーを務めるロックバンド「XJAPAN」が9年12月に不本意な形で解散し、翌年5月には、メンバーの一人で、親友のHIDE(ヒデ)が他界しました。

もう、ステージに立ったり、表舞台で活動したりすることはできないのではと思い詰めていました。

そんな状態の自分に、奉祝曲を御前演奏する大役が務まるのか随分思い悩みましたが、音楽家として、作曲家としての自信は僕の中のどこかで生きていたんでしょうね。

自分に力が残されているのだとしたら振り絞って挑戦してみようと思い直したんです。

母の「光栄なことだからやってみてはどうですか」という言葉にも背中を押されました。

奉祝曲「Anniversary(アニバーサリー)」は、時代を映し出す感情の起伏を音楽として表現したいと考え、平成が始まってから10年間に起きた悲しみや喜び、喜怒哀楽をメロディーや演奏に込めました。

ただ、演奏中は、音楽と一体化して「無」になっていましたね。

もちろん陛下への思いや、両陛下が目前にいらっしゃることは十分過ぎるほど意識の中にはありましたが。

集まった観客から大歓声が聞こえるじゃないですか。

「僕の生きる場所はここなんだ」。

皇居前広場のステージに立って、そう再確認することができました。

自分のためでなく、自分をささげるつもりで臨んだのに、逆に自分が助けられたという気持ちが強いですね。

久しぶりにステージに立ち、歓声が聞こえる。

込みあげてくる感動がありました。

平成に入って、海外へ拠点を移して以降、日本という国を強く意識するようになりました。

日本を含め世界のために力を尽くせないかと考えはじめました。

僕は昭和、平成と、この世に生かしていただき、来年からは新しい時代が始まります。

その時代の音楽と寄り添って、国民の皆さまに音楽家としてお役に立てればと考えています。〉

両陛下への限りない感謝の思い、報恩の思い、それがあったからこそ、今日、登壇して挨拶してくれたのだと思いました。

今日、参列した方には、『平成の御代をことほぎて』という本が贈呈されました。

各界の著名人250名ほどの方が名を連ねて、両陛下への感謝の思いを綴っています。

もちろん、北野武監督もYOSHIKIも寄稿しています。

私が心打たれたのは、武田鉄矢の手記でした。

昭和34年、ご成婚がきっかけでわが家にテレビがやってきたという思い出が記され、父親のことが書いてあります。

武田鉄矢と言えば、母イクしゃんのことばかりが思い浮かびますが、決して母子家庭ではなかったのです。

〈父は感に堪えぬという顔で「鉄矢、見てみろ」と顎で画面をさします。

「美智子様は民間から皇后様になられるぞ」。…

そして父は今も忘れ得ぬ一言を呟きました。

あの不機嫌な父が今、思い返しても初めて呟いた明るい言葉でした。

「これから日本は良うなるぞ、きっと良うなる」

こぶしで頬をぬぐっておりましたので泣いていたのでしょう。〉

もうすぐ「令和」の御代が始まります。

武田鉄矢のお父さんのように、私たちも「これから日本は良うなるぞ、きっと良うなる」そう念じ続けていきたいと思います。


ブラジル・高校二年生の発表が本当に素晴らしかった! (10852)
日時:2019年04月11日 (木) 10時27分
名前:破邪顕正


ブラジル・サンパウロから来た高校二年生の宮崎真優さんの発表に、心洗われる思いがいたしました。

場内、割れんばかりの感動の拍手、しばし、それが鳴り止みませんでした。

あの北野武監督も目頭を押さえていたのではなかったかな?

登壇者の誰しもが原稿を読み上げる。

その中で、宮崎さんだけが、何の原稿ももたずに、身振り手振りを交えて語っていく。

それだけでも凄いのに、内容がまた実に素晴らしかった!

今回、登壇するきっかけとなったのは、今年の1月2日、皇居参賀の際、両陛下とお会いできたことにあります。

宮崎さんは、日本に行ったら、「両陛下とお会いしたい」という手紙を書いた。

まさか、本当にそれが叶うとは思ってもいなかったが、その手紙が奏功したのでしょう、両陛下がお会いして下さるということになった。

で、皇后陛下から「宮崎さんはどなたですか」と聞かれ、「ハイ」と返事をして、夢にまで見たご会釈が実現した。

宮崎さんによれば、ひいひいお爺ちゃんが日本からブラジルにわたった。

御飯に水をぶっかけ、つけものだけで生き抜いた。

娘とも生き別れとなったり、本当に苦労の連続だった。

そういう宮崎家の歴史を子供に語り続けている親御さんがまた素晴らしいと思いました。

日本語は難しい。

家の外に出ればポルトガル語。

外で通用しない日本語をなぜ覚えなくてはならないのか。

反発もあったようですが、日本語を覚えることを親御さんが徹底された。

だからでしょう、きれいな日本語で語ってくれました。

漢字には一つ一つに意味があり、日本語の素晴らしさに惹かれ、どんどん吸収していったようでした。

宮崎さんが言ったことばで最も心打たれたのがこれです。

扇子は、風を送ってくれます。

その扇子の要となっているのが天皇・皇后両陛下です。

その扇子でさわやかな風を送ってくれる日本が私は大好きです。

ブラジルも大好きです。

将来、医師となって、多くの人のお役に立ちたい。

そして大好きな日本とブラジルの架け橋になりたい!

その話を伺いながら、宮崎さんは、どこかで尊師・谷口雅春先生の教えを聞いているのではないかと思いました。

『真理入門25章』の中に「扇のかなめ≠ニ天皇国日本」という話が出て来るからです。

ご成婚60年を心からお祝いする、本当に素晴らしい「天皇陛下御即位三十年 奉祝感謝の集い」でありました。




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