よその掲示板の一部をつまみ出すのは卑怯ではないですか (10847) |
- 日時:2019年04月09日 (火) 23時51分
名前:通行人
日時:2019年04月06日 (土) 10時57分 名前:トキ 賛成するか、どうかは別にして、宗教法人が開祖の教えをないがしろにして教義を歪曲したら、脱退して独自の活動をする人が出てくるのは理解の範囲内かもしません。しかし、私個人の「筋」では、谷口雅春先生の教えを信奉すると標榜する以上は、教団側も、いわゆる本流復活派側も「和解」については前向きな姿勢を向けるべきだと思っています。特に、一連の争いの結果、聖典や聖経が入手困難になり、信徒が難儀しているのは、見ているのも辛いです。
最近、一部の宗教者が「宗教的人格権」という権利を主張しています。平穏に信仰生活を送る権利らしいです。ただし、最高裁はこの権利は認めてはいません。国家がこれを認めなくても、宗教団体は、少なくとも、構成員に対して、平穏な信仰生活を送る権利を認めるべきです。
ところが、現実には、両者とも頑固に自説に固執しています。もちろん、信仰ですから、自説を大事にすることはとても素晴らしいことですが、それでも争いを収めるために、お互いに譲り合い、どこかで折り合いをつける姿勢は必要ではないかと思います。
和解というと、何か「降伏」というような印象を受ける人もいるかもしれませんが、そうではなく、大局的な視点で、共存共栄をするという発想に転換するのも大事だと思います。
感想 (11962) 日時:2019年04月06日 (土) 11時12分 名前:風 ≻そういうところにあって、「和解」を目指さないのは、生長の家を名乗る資格がないなどと言う人がいるから、そして、それを何か「谷口雅春先生を学ぶ会」にだけ向けて言い募る雰囲気があるから、それはちょっと違うのではありませんか。
それをしも、「和解」という、ただ一つのモノサシだけで、裁く、断罪するというのは、それは余りにもやりすぎではありませんか。≻≻
「和解」というただ一つのモノサシ.....ですか...。
感謝し難きに全身全霊で感謝を、赦し難きを全生命をもって赦す。 それが可能なのが教えであり、そう講話されていませんでしたか。 雅春先生に辞令を頂いた本部講師も地方講師も。
(11965) 日時:2019年04月06日 (土) 11時25分 名前:風 比較できるものでは無いとは思いますし希望的観測ですが 破邪顕正さんの超一本気が大転向すれば、わけわからない雅宣氏より、それは可能性無限大だと思います。
風さんに同意します (11966) 日時:2019年04月06日 (土) 15時52分 名前:KEA_mitrier
>>>感謝し難きに全身全霊で感謝を、赦し難きを全生命をもって赦す。 それが可能なのが教えであり、そう講話されていませんでしたか。 雅春先生に辞令を頂いた本部講師も地方講師も。>>>
同意見です!!
訊けさんも述べてましたが、父母が和解出来ない場合、子供は和解しなくていいのか?です。
谷口家が分裂してても「学ぶ会は和解できていますか?」なんです。 問題はここだと思います。
風さん、KEA_mitrierさんは (11967) 日時:2019年04月06日 (土) 17時17分 名前:生長の家の教えでは無理なのでは? わけわからない雅宣氏 に対し
>感謝し難きに全身全霊で感謝を、赦し難きを全生命をもって赦す。 それが可能なのが教えであり、そう講話されていませんでしたか。 雅春先生に辞令を頂いた本部講師も地方講師も。<
の実践はどのようにされているのですか?
「わけわからない雅宣」と云う様な感情持たずに教団にいる人幾らもいますよ。
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