《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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〝和解派〟を名乗るのであれば、もっと「元職員のひとり」さんの投稿に注目すべきです! (10790)
日時:2019年03月30日 (土) 12時34分
名前:破邪顕正

最近の投稿の中で、最も私の関心を引いたのが、「元職員のひとり」さんの投稿です。

…………………………………………………………………………

事情通の方から聞いた話では (26079)
日時:2019年03月24日 (日) 21時32分
名前:元職員のひとり

恵美子先生は憲法改正を明言している当初の安倍総理を支持しておられましたが、その内容がその後加憲という事で失望されていると聞きました。

学ぶ会については、中島さんが作った別団体であるというご認識だそうです。

教団の変貌については、信じられないと失望されておられ、八ヶ岳移転と共に特に裁判になった著作権問題での争いには心を痛められてからお気持ちが離れておられると聞いています。

いずれにしましても、心を痛められおられることを両者とも知り和解の努力をすべきであると思います。

これらのことから学ぶ会は、谷口恵美子先生のお名前を利用して教団を批判する事は慎むべきだと思います。

…………………………………………………………………………

何故、これが注目に値するのか?

谷口恵美子先生が「心を痛められおられることを両者とも知り和解の努力をすべきである」と提言されているからなのです。

私は、正直「エッ」と思いました。

だって、これはどう考えても、「谷口雅春先生を学ぶ会」の話ではないと思ったからです!

まさしく、これこそは、谷口家で解決すべき話ではありませんか?!

そもそも、何で、生長の家が〝分裂〟したのですか?

谷口家が〝分裂〟したからでしょ。

それが全ての全て、始まりの始まりなのではありませんか。

谷口恵美子先生が心を痛めておられるのであれば、谷口家こそが〝和解〟に向け、尽力されるべき話なのだと私は思うのです。

〝和解派〟の皆さんは、どうして、その最も肝心なことを提起しないのでしょうか。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に向けて〝和解しろ、和解しろ〟というのであれば、それ以前に、谷口家に対してこそ、それをいうべきなのではありませんか。

「トキ」さんが「和解はやはり大事です (11132)」という投稿の中で、〝信徒の中には、教団と本流復活派の分裂を憂い、両者の和解を願う人は少なくありません〟ということを書いています。

でも「トキ」さんには悪いですが、谷口家が分裂したこと、信徒はそれをこそ最も嘆いているのではありませんか、違いますか?!

それなのに、その話を「谷口雅春先生を学ぶ会」の問題のようにすり替えている、私にはそう見えてならないのです。

「元職員のひとり」さんだって、耳にされているのではありませんか。

〝所詮は、兄弟ゲンカだよね〟っていう信徒の声を…。

そういう本質的な問題にはフタをし、〝和解〟を阻んでいるのは「谷口雅春先生を学ぶ会」のせいであるかのように、しかも「谷口雅春先生を学ぶ会」がさも悪いかのように印象操作をされる。

そういうことが、どれだけ心ある者の気持ちを逆撫でしているか…。

これは私一人の、決して個人的感情で申し上げているのではありません。

昨今の投稿傾向について、そこまで私の周りの人達は感じているのだということを知っていただきたいと思った次第です。


みんな遠慮して言わなかったけれども、分裂の根本原因は谷口家の方々の分裂でしょうね。 (10792)
日時:2019年03月30日 (土) 14時25分
名前:宗教おたく

上の10790で破邪顕正さんが引用なさっている「事情通の方から聞いた話では (26079) 」という記事は、
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=8739
の26079のことですね。

破邪顕正さんがおっしゃっているとおり、
「学ぶ会」ができたから分裂したのではありません。

谷口家のなかで意見が分裂して、そのあと、教団と「学ぶ会」が分裂したのです。

「学ぶ会」ができるまえに宮澤潔先生や谷口貴康先生は教団から追放されていますね。

分裂の根本原因は、言いにくいことであるけれども、谷口家にありますよ。

だから「和解してください」という声が教団と本流派に向けられるのも解かるけれども、本当は総裁を含む谷口家の方々に向けられる方が根本原因に合っているのですね。

「なんとかしてください。信徒は困っています」と谷口家の方々にお願いするべきでしょう。

それにしても、谷口家の方々は何を考えていらっしゃるのでしょうか。不可解です。




最重要問題!! (10793)
日時:2019年03月30日 (土) 17時20分
名前:そーれ!!

私の記憶が正しければ、著作権裁判には、谷口恵美子先生も裁判に参加

されていたと思います。私の勝手な憶測ですが、教団は、勝手に

恵美子先生の名前を使って裁判に臨んだのではないか?

恵美子先生を、お山に軟禁したのも、それを恵美子先生にひた隠しに

するため?

私が以前から、ずーと疑問に思っていた問題です。 大問題!!

勿論、私の憶測の域は超えませんが、

「元職員のひとり」様が、恵美子先生の御心境に詳しい方であれば、
(ひょっとして本部の大物)

洗いざらい、真相を発表されてはいかがでしょうか!!!

いいえ、是非、そするべきだと思います。

だって、恵美子先生は、裁判に心を痛めていたと、「元職さん」は、

おっしゃっているのですから!!!

「学ぶ会」は、谷口恵美子先生のお名前を利用して批判などしていないでしょう! (10795)
日時:2019年03月30日 (土) 19時10分
名前:ことは

私も著作権裁判に、谷口恵美子先生のお名前が利用されていたように記憶しています。

とてもお気の毒に思いました。

谷口家批判と言われるので、これまで口にできませんでした。

「トキ」さんのように和解を唱えるのなら、「学ぶ会」にではなく、まず、大元にでしょう。

大切な谷口恵美子先生を、苦しめ悲しませることになったのは、

誰のせいですか?

私たち信徒が、大好きな「生長の家」教団を脱会したのは、

何故ですか?

「谷口雅春先生を学ぶ会」が立ち上がったのは、み教えが変えられてしまったからですよ。

どうしてですか?


まず、大元が和解して頂けたら有難いです。

全信徒の心からの願いだと思います。


そして、責任のすり替えは、間違っています。




分裂の原因は雅宣氏から谷口家の責任にすり替えられたのか (10797)
日時:2019年03月31日 (日) 00時17分
名前:転載

>生長の家(教団)分裂の理由。 (10783)
日時:2019年03月29日 (金) 09時02分
名前:そーれ!!
雅宣さんが、谷口雅春先生の み教えを変え
鎮護国家も消し去り、変なお経を作り、
反日勢力になり下がったからです。
マトモな人達が退会する訳です。
あっさり退会する人、涙を呑んで退会する人、
色々おられます。
*************************

とうとう原因は谷口雅宣氏ではなく谷口家の責任との発言する

学ぶ会の代表者・破邪顕正氏の発言は学ぶ会の本音を開陳した記録に残る発言ですね。

原因は谷口家にありですか。

分裂?? 分かれて自説を説き始めた雅宣氏にそれは間違いであると指摘された他の谷口家の人まで批判するのが学ぶ会と言うことで
よろしいでしょうか。


光栄?にも、私の文章が転記されたので、もう少し。 (10798)
日時:2019年03月31日 (日) 02時05分
名前:そーれ!!

生長の家教団の分裂は、雅宣さんが、脱谷口雅春先生の路線に舵を
切った事と、ご家族を内紛に持ち込んだ事(私は雅宣さんに非が
あると思っています)両方だと思っています。勿論、因果関係が
あります。ときみつる会も出来ました。

谷口家の責任と言うのは、谷口雅宣氏の責任でしょう。

一連の出来事の元は、雅宣氏の考えからなのですから。

破邪さんは、恵美子先生や、貴康先生、宮澤先生を、

批判されていませんよ。

転載さんの、勇み足の様に思います。

転載さんは、谷口家の方々(雅宣さんを除く)を尊敬して
いるのですね。私も尊敬していますよ。勿論、雅宣さんを
除く・・・ですけどね。

それと、宗教おたくさんは、破邪さんじゃないと思いますよ。

やはり今回は、転載さんの勇み足だと思います。

あのぅ……。「宗教おたく」は破邪顕正さんではありません。 (10806)
日時:2019年03月31日 (日) 22時34分
名前:宗教おたく

10792を投稿した「宗教おたく」は破邪顕正さんではございません。

破邪顕正さんは今までに、
「『なんとかしてください。信徒は困っています』と谷口家の方々にお願いするべきだ」
などとおっしゃった事はないでしょう。

破邪さんは、どこまでも自分で道を切り開いて行く人で、他人をつかまえて「何とかしてください」と泣きつくようなタイプではありませんよ。


「谷口家の方々は何を考えていらっしゃるのでしょうか。不可解です」
と言った事も無いのはないでしょうか。



この投稿内容は事実とはかけ離れています (10814)
日時:2019年04月02日 (火) 23時54分
名前:転載

破邪顕正さんがおっしゃっているとおり、
「学ぶ会」ができたから分裂したのではありません。
谷口家のなかで意見が分裂して、そのあと、教団と「学ぶ会」が分裂したのです。
「学ぶ会」ができるまえに宮澤潔先生や谷口貴康先生は教団から追放されていますね。
********************************************
前後が完全に逆転していて事実ではないようです。

谷口家の中で意見が分裂しているのではなく、唯一谷口雅宣氏が
自説を説き始め清超先生を無視して教団を占有したということであり、他の皆様は教え親・谷口雅春先生を中心とされておられます。
谷口家が分裂してという表現は言い過ぎのようです。

宮澤先生と学ぶ会との関係性はなく、貴康先生の退職以前から学ぶ会は存在し、前後が事実と逆転しています。

このような明らかな事実誤認をなぜ訂正せずに放置するのでしょうか。

破邪顕正氏の見解を問います。


転載さん、あなたの本来の矛先は雅宣さんでしょ。 (10815)
日時:2019年04月03日 (水) 00時32分
名前:そーれ!!


あなたが、谷口家の人であれば、お気持ちも
解らないでもありませんが・・・。

身内のことを、あれこれ言われるのは
つらいものです。

「転載」さんに、敢えて、申し上げさせていただきます。 (10817)
日時:2019年04月03日 (水) 09時28分
名前:破邪顕正


まず、「転載」さんには、私は「破邪顕正」というハンドルネームでしか投稿していないことをご理解ください。

その上で、「破邪顕正氏の見解を問います」と仰るのであれば、私の名で投稿したことに関してのみ問われるべきであって、他の投稿者の内容とごちゃごちゃにして問われるのは心外であります。

それを前提として、私が投稿した真意を再度、申し上げさせていただきます。

ことの発端は、「元職員のひとり」さんの投稿にあります。

そこで、谷口恵美子先生のお話が出てきて、こう書いてあったわけです。

…………………………………………………………………………

学ぶ会については、中島さんが作った別団体であるというご認識だそうです。

教団の変貌については、信じられないと失望されておられ、八ヶ岳移転と共に特に裁判になった著作権問題での争いには心を痛められてからお気持ちが離れておられると聞いています。

いずれにしましても、心を痛められおられることを両者とも知り和解の努力をすべきであると思います。

…………………………………………………………………………

問題は、ここに言われている「両者」とは何か、なのです。

私は、この文脈、それから一連の「トキ」さんはじめ「和解派」と称せられる人達の言動から察して、この「両者」とは、教団と「谷口雅春先生を学ぶ会」であると解しました。

それが私の認識の前提です。

その上にたって、なぜ、「和解派」は、「谷口雅春先生を学ぶ会」にだけ、それを求めるのか。

しかも、「和解派」の中には、〝和解〟をしようとしないのは「生長の家」の信徒ではない!

或いは、「谷口雅春先生を学ぶ会」と称しながら、少しも谷口雅春先生の教えを学んではいない!

そこまで決め付ける人まで出て来る始末。

どうして、そこまで「谷口雅春先生を学ぶ会」だけが攻撃されなければならないのか。

そういうところに、「元職員のひとり」さんが谷口恵美子先生のお話まで持ち出されてきたわけです。

そこまで言われるのであれば、私も言わせていただきます、ということで先の投稿となったわけです。

前置きが長くなりました。

私が言いたいのは、ただ一つ。

私の言う〝分裂〟とは、「転載」さんの言葉を借りれば、

〈谷口家の中で意見が分裂しているのではなく、唯一谷口雅宣氏が自説を説き始め清超先生を無視して教団を占有したということであり、他の皆様は教え親・谷口雅春先生を中心とされておられます。〉

まさしく、そのことを指しております。

それを「転載」さんは

〈谷口家が分裂してという表現は言い過ぎのようです。〉

と仰っておられますが、言い過ぎかどうかは、見る人の違いであって、客観的にみれば、そういうことを〝分裂〟と表記しても決して不思議ではないと私は思うものであります。

だって、谷口雅宣総裁とその他のきょうだい、二つに分かれたのですから!

言うなれば、谷口雅宣派と谷口雅春先生を慕う派に谷口家が割れたということではありませんか。

で、更に、大事なことは、それについて、谷口恵美子先生が、こう思われているというところなのです。

〝教団の変貌については、信じられないと失望されておられ〟

そうなのです、信じられないことが起きてしまっているのです!

それなのに、その後に続いて、こう言われるわけです。

〝いずれにしましても、心を痛められおられることを両者とも知り和解の努力をすべきであると思います。〟

私が「エッ」と思ったのは、まさしく、ここなのです。

それならば、隗より始めよ、「谷口雅宣総裁とその他のきょうだい」で〝和解の努力をすべきである〟というのがスジではありませんか。

そう思ったという次第です。

それなのに、その矛先が、「谷口雅春先生を学ぶ会」に向けられるのはとても腑に落ちるものではないと申し上げたかったということです。

更に、「転載」さんは、

〝宮澤先生と学ぶ会との関係性はなく、貴康先生の退職以前から学ぶ会は存在し、前後が事実と逆転しています。

このような明らかな事実誤認をなぜ訂正せずに放置するのでしょうか。〟

と書いておられますが、「破邪顕正」の投稿をよく読んで見てください。

〝そもそも、何で、生長の家が〝分裂〟したのですか?

谷口家が〝分裂〟したからでしょ。

それが全ての全て、始まりの始まりなのではありませんか。〟

そのようにしか書いていません。

もしかしたら、その〝始まりの始まり〟という表現が、いろいろと疑義を呼んだのやもしれません。

そこで、きちんと整理するために、「谷口雅春先生を学ぶ会」の創立と、谷口家の〝分裂〟とを時系列でまとめておきたいと思います。

『「生長の家」教団の平成30年史』をご参照くだされば幸いです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」の創立は、平成14年9月27日です。

「大調和の神示」が天降った日に、「谷口雅春先生を学ぶ」誌の創刊号が発刊されました。

当時は、ただ、有志が月刊誌を発行していこうという段階で、組織的な活動が見られたわけではありません。

それを前提として、時系列で谷口家の〝分裂〟を見ることにいたします。

○平成11年11月21日…谷口雅宣副総裁が総裁代行に

○平成12年6月…谷口貴康氏が副理事長から外される。松下昭氏理事解任。

○平成14年1月…総裁に独裁権を与える

○平成14年9月27日…「谷口雅春先生を学ぶ会」創立

○平成14年10月…オーストラリア駐在本部講師の宮澤潔氏辞職。教団本部これを認めず、懲戒解雇とし、退職金を支払わず。

谷口貴康氏、松下昭氏、宮澤潔氏、次から次と重要ポストから外されていっているのが分かります。

そういうことをもって、信徒の中には〝きょうだい喧嘩〟と評するひとたちがいたということを私は申し上げたわけです。

いずれにしても、今日の教団の問題のすべては、「転載」さんが仰るように「谷口雅宣氏が自説を説き始め清超先生を無視して教団を占有したということ」に尽きます。

それで、どうして〝和解〟が成り立つのか?

それを言うのならば、谷口家が、私の言う〝分裂〟を如何にして〝和解〟へと持っていくのか。

そのことが問われるべきなのではありませんか。

そう申し上げたかったということです。

以上、私なりの回答です。





お返事に感謝、 (10818)
日時:2019年04月03日 (水) 09時47分
名前:転載

みんな遠慮して言わなかったけれども、分裂の根本原因は谷口家の方々の分裂でしょうね。 (10792)by宗教おたく

の投稿に対して何故その間違いを放置しているのかと言う問いかけです。

学ぶ会に対しての疑問や指摘が多く書き込まれるのは、本流で一番影響力がある団体だから仕方がないのではありませんか。
もう少し、こうあってほしい。という願望からではないですか。

何しろここは本流系主催の掲示板で特に学ぶ会の代表者が唯一
多数の投稿を書き込んでいるのですから、その人に対しての反応が多くなるのは当然でしょう。

それとも、俺の話を黙って聞きなさいと言う掲示板ですか。

事件の順番をまちがえて発言したので、読者と関係する方々にお詫びします。 (10821)
日時:2019年04月03日 (水) 21時24分
名前:宗教おたく

私は上の10792で、

>「学ぶ会」ができるまえに宮澤潔先生や谷口貴康先生は教団から追放されていますね。

と言ったのですが、

『「生長の家」教団の平成30年史』(光明思想社)によれば、

「谷口雅春先生を学ぶ会」の発足が、平成14年9月27日。
宮澤潔先生が教団を解雇されたのが、平成14年10月。
谷口貴康先生が退職に追い込まれたのが、平成16年。

よって、10792は事件の順番を間違えていました。

「学ぶ会」はここ数年で大きくなったので、つい事件の順番を間違えて書いてしまいました。

宮澤潔先生。谷口貴康先生。「谷口雅春先生を学ぶ会」様。失礼いたしました。読者の方々にもお詫びを申し上げます。

なお、何度も申しますが、私は破邪顕正さんとは全くの別人です。だから私が間違えたことは破邪顕正さんの責任ではありません。

また、破邪顕正さんが私を指導しなければいけないかのような不可解な意見もあるようですが、私は10792の間違えで想像できるように「学ぶ会」の会員ではありません。その私を破邪顕正さんが指導しなければならない義務も理由もありません。私にとっても、無関係の人間や組織から強制されるのは甚だ迷惑です。

わけのわからないことを投稿しておられる方は、ご自分の思いこみ(ひょっとすると「学ぶ会」への嫉妬心?)を自省してください。


宗教おたく



〝和解〟を唱道してきた「トキ」さんには、「わからない」で〝逃げ〟てほしくありません… (10829)
日時:2019年04月04日 (木) 19時00分
名前:破邪顕正


「トキ」さんが、私の投稿に関して、こういうことを述べています。

………………………………………………………………………………

破邪顕正さんの投稿に「トキ」の名前が挙がっていました (11847)
日時:2019年04月03日 (水) 20時31分
名前:トキ

(前略)

教団の分裂と谷口家の分裂については、トキ個人は「わからない」と言うスタンスでおります。

何かを判断する正確な情報もなく、また、何かを申し上げる立場でもないからです。(後略)

………………………………………………………………………………

正直、申し上げて、とても残念な内容でした。

私は、「トキ」さんは「和解派」の中心人物であると認識しています。

だから、敢えて、「トキ」さんの名前を出させていただきました。

で、私が言いたかったことを再度、申し上げることにします。

「教団」と「本流復活派」との和解を願うのであれば、どうして、その声を谷口家に向けていわないのか、それに尽きるのです。

ところが、「トキ」さんは、それに関して「わからない」と言われる。

その理由が、〝何かを判断する正確な情報もなく、また、何かを申し上げる立場でもないからです〟と言う。

そういう「トキ」さんが、こと総裁に関しては、色々と批判的な言論を繰り返し繰り返し、これでもか、これでもかと展開しているわけです。

最近も、総裁の〝新元号「令和」について思う〟について、こういう投稿をしています。

………………………………………………………………………………

感想です (11808)
日時:2019年04月03日 (水) 01時38分
名前:トキ

総裁のご文章は、失礼ですが、悪文の見本のような文章だと感じました。(中略)

文中で、”「為政者が拳を振り上げて「これが神の御心である!」などと叫び、国民を戦争に駆り立てた時代” とありますが、現在の生長の家では、講習会の推進などで、「現在の総裁の方針に従うことが、神の御心である」という「洗脳」を行い、信徒を推進に駆り立てています。

最近の講習会は無茶苦茶評判が悪く、一度参加したら、二度と参加したくないという苦情があちこちから届いています。

それを推進するのに事欠いて「神の御心」と言っているのです。

別に私は「立憲主義」に反対するつもりはありません。

ただ、現在の生長の家は「立憲主義」とは反対の方向で動いています。

それを指揮しているご本人が「立憲主義」を声高に叫ぶのは、おかしいと思っています。(後略)

………………………………………………………………………………

実に説得力のある、舌鋒鋭い総裁批判です。

私も全面的に賛同します。

で、ここまで総裁批判を行うのであれば、このような総裁と「和解」など望むべくもないと普通は思うところではないでしょうか。

ところが、それにもかかわらず、「トキ」さんは、ご存じのように、「和解」を唱道し続けているわけです。

私にはとても理解が及びませんが、今回はそれが本旨ではないので、そのことについては、これ以上、言及しません。

それにしても、不思議なのは、「トキ」さんの言う〝立場〟のことなのです。

総裁に対しては、「何かを申し上げる立場」があり、谷口家のことについては「何かを申し上げる立場でもない」というのでは、何か、おかしくはありませんか。

それから、〝何かを判断する正確な情報もなく〟というのも、私からすれば、受け入れがたいものであります。

だって、「元職員のひとり」さんからは、谷口恵美子先生のお話として、こういう情報がもたらされているわけです。

〈教団の変貌については、信じられないと失望されておられ、八ヶ岳移転と共に特に裁判になった著作権問題での争いには心を痛められてからお気持ちが離れておられると聞いています。〉

更に、「転載」さんからもこのような情報が提出されているわけです。

〈谷口家の中で意見が分裂しているのではなく、唯一谷口雅宣氏が自説を説き始め清超先生を無視して教団を占有したということであり、他の皆様は教え親・谷口雅春先生を中心とされておられます。〉

少なくとも、こういう情報が出されているのですから、〝何かを判断する正確な情報もなく〟というのは、一種の〝逃げ〟ではないのか。

「感想です」で結構ですから、ここに提出された情報について、どう考えるのか?

「トキ」さんのお考えをお聞きしたいと思う次第です。

何故、私が「トキ」さんの投稿に拘るのか。

以前、「トキ」さんが、今日の教団の現状は何も総裁だけが悪いわけでないというようなことを主張していたように思うからなのです。

しかし、私は、「転載」さんが言われるように、全ての根因は、「唯一谷口雅宣氏が自説を説き始め清超先生を無視して教団を占有した」ことにあると思う立場です。

つまり、尊師の教えに学ぶことなく、総裁が自説を説いた、そしてそれをもって「生長の家の教え」としてしまった、すべてはそこに起因すると思っているのです。

で、総裁以外の、谷口家の皆さまも、それは谷口雅春先生の創始せられた本当の生長の家ではない、ということで、生長の家教団から離れていかれたわけでしょ。

そして、その〝分裂〟は、今もなお続いているわけです。

谷口家そのものが、二つに分かれた状態であるというのに、それには目をつぶって、「教団」と「本流復活派」とだけに向かって「和解せよ」というのは、如何なものかなと思っているということなのです。


こういう回答をこそ待ってました、「トキ」さんに心から感謝申し上げます! (10831)
日時:2019年04月05日 (金) 10時14分
名前:破邪顕正

「トキ」さんが、早速、私の思いに応えて、「私見ですが」を投稿くださいました。

こういう真摯なる回答をこそ、期待しておりました。

この場を借りて、厚く、篤く、心から感謝申し上げます。

読者の皆さんがとう思っていられるか知りませんが、私は、「トキ」さんとは、とても共感し合うものがあり、ある面、敬意すら覚えています。

とりわけ、総裁のことについて語る「トキ」さんの論評は、傾聴に値するものばかりで、私自身、大いに啓発されてもいます。

それでは、今回の「トキ」さんの投稿をもとに、私が申しあげたいことを書いておきたいと思います。

………………………………………………………………………………

日時:2019年04月05日 (金) 09時09分
名前:トキ

(前略)

現在、谷口雅宣先生以外の人たちが公式には教団とは関係なく生活をされていること、お母様を中心に兄弟姉妹仲良くされていることを考えると、谷口家の人たちもそれなりに筋を通した生き方はされていると思います。

今は、正しい谷口雅春先生の教えをどう後世に残すかという点に力を入れるべきだと思います。

………………………………………………………………………………

私が大いに納得したのは、まさしくここにある〝それなりに筋を通した生き方はされている〟ということなのです。

谷口雅宣総裁とは一線を画して、それぞれ、「ときみつる會」や「新教育者連盟」というところで、〝正しい谷口雅春先生の教えをどう後世に残すかという点に力を入れ〟ておられること、この現実を決して看過してはならないと思うのです。

そういうスジを通した生き方をされておられるのに、そこに敢えて、「和解せよ」と言い募る必要はないのではないですかと私は申し上げているのです。

もちろん、それを願うことまで、私は、頭から否定しようというつもりはありませんし、それはそれでいいのです。

しかし、多分、誰しも、「和解」が今、叶うなどとは、思ってはいないでしょう。

そういうところにあって、「和解」を目指さないのは、生長の家を名乗る資格がないなどと言う人がいるから、そして、それを何か「谷口雅春先生を学ぶ会」にだけ向けて言い募る雰囲気があるから、それはちょっと違うのではありませんか。

ここまで、考え方、運動路線が違ってしまえば、自ずと袂を分かつ生き方を志向するのもやむなしなのではありませんか。

それをしも、「和解」という、ただ一つのモノサシだけで、裁く、断罪するというのは、それは余りにもやりすぎではありませんか。

そのように異議を申し立てているということなのです。

「トキ」さんの表現を借りれば、「谷口雅春先生を学ぶ会」だって、〝筋を通した生き方〟をしているのです。

だからこそ、こうして「谷口雅春先生を学ぶ会」を支えていこうと思ってくださる方がおられるわけです。

今年で、創立17周年を迎えます。

ここまで、着実に、歩みを重ねているのですから、それはそれとしてお認めいただいてもいいのではありませんか。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は「谷口雅春先生を学ぶ会」として、〝正しい谷口雅春先生の教えをどう後世に残すかという〟ことに、ずっと心を砕いてきているのでからね。

その思いは、月刊誌「谷口雅春先生を学ぶ」誌をお読みになれば、絶対に分かっていただけると思うのです。

教団とは別に、私どもは私どもとして、別の道を歩んで参ります!

谷口家の皆さまも、教団とは違って、それぞれの道を歩んでおられるのですから、それはそれでいいのではないですか、そう申し上げたかったということです。



「顕斎」を受けての対談より (10834)
日時:2019年04月06日 (土) 20時48分
名前:転載

 ●神に無条件降伏して

 三月一日の立教記念日の祝賀式での谷口雅春先生のお話に、神に無条件降伏して天地一切のものと和解する、ここに住吉世界をもちきたす極意があると言われました。神に無条件降伏したとき、“もはや吾れ生くるにあらず、神のいのちここにあって生くるなり”で、もはや、そこに神が生きていられる、神が顕われているんですね。

 神が顕われるとは、ある限られた、五官とか六感とかの感覚にふれるような限定されたすがたでとらえられるということではなく、実に全相をもってわがいのちと合一するということ。顕斎的にいうと――つまり、神の側からいうと、神がわが姿となって顕われるということですね。“人間神の子”から“神の子人間”への自覚だ。

 K 「神の子人間」の自覚から顛落して、実相の側に立たないで現象の側から自分を中心に教えを受けとって、「俺は今までこういう功績をあげた」とかね、あたかも自分が自分の力で光明化したような、とんでもない不遜の気を起すことがある。それで谷口先生は今、「顕斎」ということを言われるようになったと思うんです。人間が人間を指導したり、育成したりすることはできないと思うんですよ。神様のおはたらきで光明化ということは行われるんですねえ。
 だから、いろいろ奇蹟的なことが起きたりすると、癒された本人よりも、指導にたずさわったこちらの方がありがたくなるんですね。

 E 「吾が業(わざ)は吾が為すにあらず」ですね。

 K そう。それでその時は、ただありがたいという素晴しい感動なんだけれども、しばらくたつと、「あれは俺が指導したんだ」とか、「自分が救ってやった」「自分が成績を上げた」と、そういった意識が残る……。

 本当は、バイブルの言葉じゃないけど、自分のカで身長1センチ伸ばせるわけじゃない。自分がしているわけじゃない、全部神様のおはたらきでしょ。それを、自分が何をしたというような功をほこる意識が残る、そんな未熟な、救いがたい、ニセモノの自分を去って、本来の神の子の姿にかえらしめ給え――と、そこで自分が死ぬわけだ。そういうことでないと、神のみもとへ行けない、ぼくは神想観できないですよ。

 神想観というのはね、吾々が祈るんじゃないんですよ。住吉大神が祈られる。それには、自分を捨て切らないと、祈りが始まらないんですよ。

 E 神想観というのが、神を想い観るのではなくて、もう一つ、生長の家の大神がここに坐し給うてなし給うのですから、神が想い観るということになるんですね。そうして、非常に強い神の光の放射する中に坐しているというような……それが顕斎ということなんですかねえ。

 K それは言葉で言ってしまえば簡単なことですけれども、大変なことで、死に切れるかどうかということによって、祈りに入らせていただけるかどうか、本当の顕斎に入らせていただけるかどうかということがきまる。

   ●両刃(もろは)の剣(つるぎ)をうちふるえば

 E 住吉本宮の御神体は「護国の神剣」で「両刃の剣(もろはのつるぎ)」になっているわけですが、「両刃の剣」というのは、相手がまちがっていれば相手も切るけれどこっちがまちがってればこっちも切るんだというところにすばらしい魅力があると思うんですね。ところが、今は「こっちに切るべきものがあったら切るけれども、今はない」というような感じになっていないかどうか。

 F 今年の青年大会のときの谷口雅春先生の最後の御講話で、「神の子無限力の真理」という題だったと思いますが、「どんなに神想観をしても、たとえば食膳で人の悪口を言ったりしている限り、無限力は出ません」ということを言われましたね。私は自分自身をふり返ってみて、ショックを受けたんですがね。

 悪口をいうということは、物質の世界を見ているわけですね。自分自身も物の世界からしか物を言っていない。そこからは、限定された力しか出ないですよね。

 「奇蹟の時は今」の「今」、感謝合掌礼拝して、物を観て、感じて、行動する。先生は最近、ラジオ放送でもそういうお話ばかりされていますよ。

 頭だけで教えを聞いていることがある、その姿勢が問題だと思います。頭だけで教義を理解してわかった気になっていると、いのちが無くなってしまう。それが、「顕斎」となると、神の子が神そのものの御姿をあらわす、そういう自覚の生れ変りが行なわれて来るんだと思うんです。

 「両刃の剣」ですから、まず自分が正しいすがたをあらわす――そうして、全世界が、神さまのつくりたもうた世界のすがたをあらわして来る……

 E 運動が、「実相独在」と最初にスパッと説かれたときに、全宇宙は自分の心の影なんだという、これはすごい宇宙をひらく言葉だったんです。それが今は、「自分の心も影もあるけど、ほかの国の心の影もある」というふうに、なにか切れ味がニブくなってきたんじゃないか。つまり、世界を変えるには、自分だけが変ればよいということを忘れているのではないか。「自分の心が変れば世界が変る」これをひっくり返して、「世界を変えるには自分の心を変えるだけでよい」というところまで徹底することができなくて、いささかニブっていて、そのニブった部分、その誤差の部分に光明化運動論を成立せしめているようなまちがいをおかしていないか……

突然ごめんなさい (10835)
日時:2019年04月06日 (土) 23時38分
名前:転載

上記は、昭和53年~54年当時の貴方の青年会の
大先輩である方々の対談です

もう一度、当時の先輩たちの思いと思索を読んでいただき

ご自分の投稿内容を振り返っていただきたく転載しました。

あっちが何派であっちが左翼という次元の、そこいらの政治団体レベルの論争を離れてもらいたく、参考に転載しました。




「転載」さんへ (10837)
日時:2019年04月07日 (日) 09時01分
名前:破邪顕正


過去の貴重な資料を転載いただきましたこと、心より感謝申し上げます。

私の誤読かもしれませんが、もしかして、私が投稿している一連のことが〝悪口〟の一種と思っておられて、それでこの資料を転載なさったのだとしたら、それに関しては、些か反論させていただきたく思います。

といっても、こと改めて、何かを書こうとは思いません。

この件に関しては、既に書いてきたことだからです。

最近の投稿では、これが「和解」とか「悪口」とかに対する私の気持ちをそのまま著したものとして、ここに再度、掲載させていただきます。

※「外道」ということに関して『維摩経解釈』に学ぶ (10794)
日時:2019年03月30日 (土) 18時58分
名前:破邪顕正

こういう掲示板は、玉石混淆で、その中で如何に〝玉〟を発見するか、それが私の楽しみの一つとなっています。

最近の投稿で、これは〝玉〟と思ったのがこれです。

…………………………………………………………………………

和解について、若干の感想 (26219)
日時:2019年03月30日 (土) 15時06分
名前:如来の願船

和解について、少し基本的なことを整理します。

和解は、

①人(対人関係)

②事物(対物関係)

③虚説(誤れる見解)

の三通りについてありますが、人や事物については、実相において和解する、それぞれの処を得るということが出来ます。

しかし、迷いや虚説(誤れる見解)に対しては、和解することはあり得ないのである。

虚説を拒否することで、救われる人も多くなるのです。

朝日新聞は “ 虚説を拡散 ” しているメディアと言っていいでしょう。

教団も「憲法を知ろう」と谷口雅春先生が “ 諸悪の因 ” とまで云われた非真理を拡大拡散している。(以下、略)

…………………………………………………………………………

「和解」をこのように分類して考察していただくと、理解がより深まることと思った次第です。

『維摩経解釈』にも、〝味噌も糞も一緒にしてしまふ人があります〟と、それに警鐘を鳴らす場面が出てきます。

《「天地一切のものと和解せよ」といふ教へを曲解して、善悪正邪をわきまへないで、生長の家は、万教帰一だからどの宗教でも皆よいのだと谷口先生が言はれたからといつて邪教に導く人があり味噌も糞も一緒にしてしまふ人がありますが、そんなのは可けないのであります。

必ずこれは真理、これは非真理と分けなければならない。

これを「外道を制し」といふので、これは菩薩の行であります。》(7頁)

ここの何が重要か。

〝必ずこれは真理、これは非真理と分けなければならない〟

では、それを分かつ基準はどこにあるか。

谷口雅春先生のお説きになられたことをもって「真理」とする、それが「谷口雅春先生を学ぶ会」の立場なのだと思います。

しかし、教団信徒は、総裁先生の言われたことをもって「真理」としていると思うのです。

即ち、「真理」の基準が根本的に違ってしまっているわけです。

で、「如来の願船」さんは、前者の立場だから

〉朝日新聞は “ 虚説を拡散 ” しているメディアと言っていいでしょう。

教団も「憲法を知ろう」と谷口雅春先生が “ 諸悪の因 ” とまで云われた非真理を拡大拡散している〈

そう書いておられるわけです。

しかし、後者の立場から言えば、総裁が推奨する「朝日新聞」や「憲法を知ろう」が「真理」ということになってしまうわけです。

何度も申し上げて恐縮ですが、そもそも「真理」の基準が根本的に違ってしまっているのです。

それで、どうやって〝和解〟が成り立つのか。

話し合えばいいというが、「真理」の受け止め方が違うのに、何を話し合うのか…。

凡そ「真理」とは、話し合いで決めるたぐいのものではないのではないでしょうか。

そこから認識し直さないといけないというのが、私の一貫して申し上げている〝和解派〟への注文なのです。

序でに申し上げておきますが、以前、私のハンドルネームがお嫌いの方がおられて

〝貴方の名前が傲慢なのです (10718)
日時:2019年03月14日 (木) 11時47分
名前:学ぶ〟

という苦情を頂戴しました。

それについては、以前、自分なりの回答を用意していましたので、それをここに引くことにいたします。

これもまた『維摩経解釈』に学んだことでありました。

……………………………………………………………………………

ハンドルネームを“破邪顕正”にしていて良かった! (6018)
日時:2017年04月27日 (木) 18時26分
名前:破邪顕正

『維摩経解釈』の173~174頁に、こういうご文章が出てきます。

《「伏心」というのは、邪なるを見て、それを調伏する心であります。

和顔でなければならないし、忍辱よくたえしのぶことも必要でありますが、いやしくも真理にそむく邪まな説を立てる者に対しては破邪顕正の剣を揮わねばならないのであります。

それが又、自分の魂をみがく道場となるのであります。》

なぜ、ハンドルネームを“破邪顕正”としたのかは、まさしくここにある通りであります。

どう考えても、現総裁の説く“今の教え”なるものは、「真理にそむく邪まな説」以外のなにものでもないと思うからこそであります。

例えば、「童子」さんの次の投稿などは、そう判ずるにたる十分な証拠と言えると思います。

《「私は朝日新聞に私の著書の広告を止めた」 谷口雅春先生 (5959)
日時:2017年04月25日 (火) 08時38分
名前:童子》

この投稿で私がとりわけ注目したのはこの箇所です。

《私は朝日新聞に私の著書の広告を止めた。

こういう左翼思想家に運動費を供給するようなものだからだ。》

ご存じのように、現総裁は、「産経新聞」の購読を止め、「朝日新聞」を読むように信徒に推奨しているわけです。

これが、如何に、谷口雅春先生の御心に背反しているか。

この投稿だけでも一目瞭然であります。

そして、敢えて「組織」に残り続けている方に申し上げたいのは、その行為は、上の谷口雅春先生のお言葉を借りるならば、「左翼思想家に運動費を供給する」ことと同義ではないのかということであります。

それぞれいろんな事情があってのこととは充分、理解しつつも、谷口雅春先生のこのご文章を拝するならば、いつまでも「組織」に残り続けるということは如何なものかなと言わざるを得ません。

ぜひ、ご一考していただきたくお願いいたします。

…………………………………………………………………………

谷口雅春先生の教えをもって「真理」とする立場に立てば、やはり「朝日新聞」を推奨するというのは〝外道〟というほかはないと思うのです。

「憲法を知ろう」もまた然り。

「真理」の基準が根本的に相容れないのでは、袂を分かつしかないというのが、当然の結論ではないかと思うものであります。


「転載」さんへ、言い忘れたこと (10838)
日時:2019年04月07日 (日) 09時11分
名前:破邪顕正


「転載」さんは、〝あっちが何派であっちが左翼という次元の、そこいらの政治団体レベルの論争を離れてもらいたく〟とお書きになっていますが、上に紹介させていただいた谷口雅春先生のご文章を読んでみてください。

〝左翼思想家に運動費を供給する〟

このように、ハッキリと、「左翼」という表現をお使いになっているのです。

私が、今日の総裁、並びに教団のことを論ずるのは、決して、「そこいらの政治団体レベルの論争」のような次元で申し上げているつもりは毫もありません。

実に重大な、思想性の問題であると思うが故なのです。

そこのところを何とぞ、ご理解いただければと思う次第です。


「転載」さんへ、〝時と処と人との三相応においてそれぞれの手段をとる〟 (10844)
日時:2019年04月09日 (火) 10時00分
名前:破邪顕正


「転載」さんから、資料を提示していただいた返礼に、私からも、尊師のお言葉をご紹介させていただきます。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は総裁、並びに教団を敵視して〝悪口〟ばかり言っている、「和解」の教えに反しているのではないのか?

もう、そういう現象のことに関わらない方がいいのではないのか?

よく耳にするご意見です。

それに対して、今回は、尊師のお言葉でお応えしてみたいと思います。

今から、ご紹介するのは、『生長の家』誌・昭和35年8月号誌上に掲載されたものです。

井上英治という方が、尊師・谷口雅春先生にこういう趣旨の質問をされます。

〈「生長の家は…愛の宗教であるから、共産党、ソ連、中共をも包容して愛すべきと思う。

しかるにそれ等を敵視しているのはどういうわけか」…〉

ここに、〝敵視している〟という言葉が出てきます。

話は、昭和35年のことですけれども、少しも古びてはいません。

現に、これは、「谷口雅春先生を学ぶ会」に、今、向けられている非難でもあるからです。

それに対する尊師のお言葉がこれです。

《宗教は愛であるから、ソ連人も中共人も(筆者註…尊師は一貫して〝中共〟と呼称されていました)みんな愛しなければならない、それもその通りであります。

だから〝世界平和の祈り〟というものをやっているのであって、これは中共人もソ連人も、全宇宙みんなに平和と愛の念を送って、衝突しないように、根本的に救済しつつある。

それは全人類の実相を喚び出すために思念をして争いの業を消しつつあるわけであります。

けれども現象面に於ては、生長の家では時と処と人との三相応ということを説くのでありまして、現実においていかに処置するかという上から言うなら共産党も自民党も平等に愛するんだからといって、両方に同じ票を与えるということにしたならば、日本国内は一層分裂してしまう。

そして国内が平和でなくなったら、日本国民は一層苦しまなければならないということになるわけですね。

だから、共産党の人間を憎むというのではないのであって、時と処と人との三相応においてそれぞれ手段をとるのが、神の智慧の道にかなうというわけであって、神の智慧が現れたら、その時にいかに処すべきかということが現れてくるわけなんであります。》

生長の家の教えでは、ここにある〝時と処と人との三相応においてそれぞれ手段をとる〟というのが、とても重要なのですね。

所謂、どう「現象」を処理していくのか、ということです。

ここが非常に大事なポイントなのだろうと思う次第です。

谷口雅春先生の教えは、実に、奥が深い…。

だからこそ、尊師がこう仰っておられるからという、それだけで安易に決め付けてしまうのは厳に慎まなければならないことではないのか。

そんな思いに駆られた、ご文章でありました。


実相直視と現象処理の問題について (10848)
日時:2019年04月10日 (水) 09時40分
名前:破邪顕正


尊師・谷口雅春先生の教えを学ぶ際、標題の問題はとても大事だと考えます。

『神と偕に生きる真理365章』に「何故、現象界の処置が必要であるか」と題して、このように説かれています(279頁)。

ぜひ、参考にしていただければと思います。

《神のみが唯一の力であり、神は善であり、神は無敵であるから、神を信ずる限り、「実相の完全さ」を神想観で念ずる限り、中共が核兵器をもとうとも、神の力に適するものはないから、それに対応する日米安保態勢など不要ではないかというような議論が往々行われるけれども、それは実相と現象との区別をわすれて、現象界に於ける適当の処置をなおざりにするものである。

「実相の完全さ」を念ずるとき、その「完全さ」があらわれるための現象的処置が自然に出来て来るのである。

インフルエンザ・ヴィールスが侵入して身体に熱があるときには、寒む気がして自然に温かい衣料で身体を覆いたくなるように、内部の「神の力」(生命力)が催して来るのである。

中共の核兵器が近くにあるのはヴィールスが皮膚面に迫って来つつあるのにも似ている。

何かそれに対して危険を感ずるのは、カゼ引きの時、悪寒がするのに似ている。

「温かい衣料で覆う」ことは充分の軍備で自国を覆うか、日米安保条約の外套で自分の身体を包むのに似ているのである。

神は無敵であるということは、何もしないで外敵に身をさらすということではない。

時と処と相手とに応じて、神が適当な処置をとらせ給うて、自然的過程を通じて敵と見えたものが害をしなくなるということである。》

「実相直視」していればそれでいい…。

現象は本来ナイのだから、ナイものにひっかかるな…。

よく、そういうことをいう向きがありますが、これまた〝人・時・処〟三相応で、神様の叡智をいただきながら、きちんと「現象処理」することを怠ってはならない…。

「思い全相に到らざるを迷いという」

全相に到るということ、それを常に心していきたいと思います。




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