《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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今こそ『元号−いま問われているもの』を読み直そう! (10784)
日時:2019年03月29日 (金) 09時51分
名前:破邪顕正


いよいよ、新しい元号の発表が近づいてまいりました。

それにつれ、元号への関心が高まってきてもいます。

もちろん、元号反対派も奇声≠あげています。

こんなニュースを耳にしました。

〈天皇即位のたびに元号を改定するのは国民主権を基本原理とする憲法の精神に反するとして、長野県弁護士会の山根二郎弁護士ら3人が27日、国に差し止めを求めて東京地裁に提訴した。

訴状では、国民が個々に持っている時間の連続性の意識を破壊し、憲法13条が保障する個人の尊厳を侵害すると主張している。

山根弁護士は提訴後に東京都内で記者会見し「国民は世界史の中の時間を生きている。元号は必要ない」と話した。〉

先述したように、「朝日新聞」は、こうも書き立てました。

〈…歴史を振り返れば、多くの権力は、時を「統治の道具」として利用してきた。

日本の元号も、「皇帝が時を支配する」とした中国の思想に倣ったものである。…〉

こういう元号反対派には、きちんとした反論が用意されなければなりません。

その最高のテキストが、標題に掲げた『元号−いま問われているもの』であります。

もちろん、この本は、元号法制化運動のただ中で発刊されたものであります。

昭和52年の発行ですから、40年以上もの前の本であります。

しかし、少しも古びてはいない。

否!今、このときにこそ、再度、読まれるべきであると思います。

そう思う理由をこの本の中から、かいつまんで、ご紹介させていただきます。

@元号は国家独立のシンボル

…占領軍が元号を廃止したのは、それが日本国の主権の象徴とみたからに他ならない。キリスト教暦に組み込まれないということが国家独立の意思の表明である。

A元号は国家統一の象徴であり、国民統合機能に大きく関わるもの

…近代社会では、時代の安定性がもとめられる。元号は国民統合の力に大きく寄与する。

B元号は日本人の時間感覚、歴史感覚に根付いている

…日本人にとって時間は無味乾燥な物理的存在ではなくて生きた存在。だから時間に命名した。昭和は「百姓昭明、協和万邦」大正は「大いに享(たてまつ)り以て正しきは天の道なり」。年を経るということは、単なる時の刻みではない。祈りを刻むこと。

C西暦は世界共通だから便利だというのであれば、世界の言語を廃して、エスペラントにすればいいのか

…元号を廃して西暦一本化にせよと言うのは、何か日本独自のものを棄てて、西欧化することを喜ぶ拝外主義そのものである。

D西暦一本化は日本文化に対する西洋文明の侵略

…護るべきものを持っている人間には、文化的侵略には耐えられない。

如何ですか。

今日の元号反対派に対する、有力な反証となっていますでしょ。

福田恒存は、かつて、こう述べました。

「現在の象徴天皇制の天皇には権力がない。権力がなければ権威も生じない。権威がなければ統合作用もなくなってしまう」

元号が法制化されての最初の元号が「平成」でありました。

この「平成」の御代を振り返り、改めて痛感します。

元号は、まさしく、国民を統合する力になったのだと。

その元号に反対するのは、まさしく、「天皇」のご存在を廃したいが故にほかなりません。

尊師の教えを受けた者として、元号反対派の企みを決して看過してはならないと思うものであります。


《祝》新しい元号「令和」を心から言祝ぐ (10808)
日時:2019年04月01日 (月) 17時52分
名前:破邪顕正

新しい元号が「令和」と決まりました。

5月1日から、いよいよ「令和」の御代が始まります。

「令和」の出典は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文から。

〈初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす〉

この現代語訳を中西進著『万葉集』から引かせていただきます。

〈時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている〉

安倍首相がこの「令和」に決定した意味を次のように説明されています。

〈この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。

万葉集は、1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。

こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。

厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。

そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。

文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、国民の皆さまとともに切り開いていく。

新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。〉

万葉集を研究している奈良大学の上野誠教授の言葉に共感を覚えましたのでご紹介します。

〈元号は中国が起源で、これまでは中国の儒教に関わる書物からほとんど取られていたが、今回は日本の歌集から取られた。

元号が新しい制度に変わったと思った。

万葉集は日本の情感の大切さを伝えてくれる書物で、それにちなんでいるのは感激だ。

うららかな春の日のような時代がやってきて欲しいという願いが込められているのだと思う。

グローバル化が進めば進むほど、日本人が日本人であることを意識することは難しい。

そんなときに日本の書物から元号が取られたのは意味がある〉

私も、今回の元号はこれまでの慣例を破って、ぜひ日本の古典からと願っておりましたので、出典が「万葉集」と知ったときには、思わず、快哉を叫びました。

来る4月21日開催の「第7回全国大会」を大盛会へと導き、素晴らしい「令和」の御代の幕開けとしてまいりましょう!



新元号「 令和 」のもと 心豊かな日本人の情緒を 次の世代へ (10809)
日時:2019年04月01日 (月) 21時41分
名前:明鏡


万葉集は日本の最古の和歌集で、日本人の魂のふるさとと言ってもよく、和歌の前には、
誰でも平等であったのである。

「 価値観や倫理観 」がともすれば揺らぐ現代において、心豊かな日本人の情緒を
次の世代に継承してゆくことは、極めて大事なことである。

「 令和」の新元号が、万葉集を典拠としていることは、日本の国柄を世界に発信してゆく
要となるものである。天皇の祈りが世界を動かしてゆくのである。

数学者の岡潔氏は、< 情緒が頭をつくる > < 頭で学問をするものだという一般の観念に対して、
私は本当は 情緒が中心になっているといいたい。> 

数学者の藤原正彦氏も同様のことを述べている。


次に二つの著書から『 万葉集 』 に関するものをご紹介させていただきます。

< 磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は
言霊(ことだま)の 助くる国ぞ まさきくありこそ
           柿本人麻呂

歌意 = 日本は言霊が助けてくれる国である。私がこうして祝福の言葉を口に出しているのだから、
必ずその効果があります。どうぞ無事に行ってこられますように。>

『 日本史 百人一首 』 渡部昇一 著


< 今という時代にこそ 私は万葉集に凝縮された民族の魂に魅せられるのであり
「 万葉の道 」へ旅立ちはじめたのもその故である。>

< それら(万葉集の原風景)は 机上の思索の中からでは 決して体験し得ない感動のリアリティで
あり、万葉集は そこで はじめて歌の奥に秘められたものまで 鮮かな色彩を帯びて輝き、
万葉人(びと)の存念は 生命をふき返して 再び蘇(よみがえ)りくるのである。>

『 旅と絵でたどる 万葉の道 ー 日本人の原風景を求めて ー 』 永井 郁 著




安倍首相に注文をつけた総裁に、今度は私から注文を! (10824)
日時:2019年04月04日 (木) 09時17分
名前:破邪顕正

谷口雅宣総裁が「唐松模様」で、新元号「令和」について思う≠ニいう題で、久しぶりに書き込んでいるということを「明鏡」さんの投稿から教えていただきました。

元号なのに、天皇という言葉が、一言も出てこない 「 唐松模様 」

そのタイトルが実に秀逸ですし、また内容も本質を穿った素晴らしいものであると感じました。

その素晴らしさについては、後に言及するとして、その前に、「転載」さんという方の投稿に注目したいと思います。

今回の「唐松模様」を引いて、「転載」さんは、こう書いています。

………………………………………………………………………………

これが共産主義者の発言ですか、あめのうずめさん(笑) (10811)
日時:2019年04月02日 (火) 19時08分
名前:転載

「鈴」の字の旁(つくり)が「令」であるのは、神道の儀式にあるように、鈴は「神を降し、神を送るときの楽器である」からだという。

だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。

生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。

しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。

宗教運動としては「“令”とは神意に従うこと」という古義を忘れずに、神の御心の表現に向かって進んでいきたい

………………………………………………………………………………

「転載」さんは、タイトルの最後に(笑)≠つけられました。

それというのも、「あめのうずめ」さんが、こういう投稿をされていたからです。

………………………………………………………………………………

妥協は、和解とは言わない (10810)
日時:2019年04月02日 (火) 03時09分
名前:あめのうずめ

私は、最近“教団と学ぶ会が和解すべき”という文章を読むと、心底ウンザリするんですね。

破邪顕正様が、スレッドを立てて下さった 「『憲法を知ろう』を通して、現教団の本質(「反日=左翼=護憲」)を知ろう (10583)!」を、ちゃんと読んでいるのかしらと、不思議になります。

雅宣総裁が、共産主義的思想をお持ちなのに、どうして和解など、出来ましょうぞ!(後略)

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つまり、「転載」さんによれば、「“令”とは神意に従うこと」云々、このようなことを言う谷口雅宣総裁が共産主義的思想をお持ち≠ナあるわけがない、笑うべき論であるといいたいのでしょう。

「転載」さんは、どうも、総裁を擁護したい方のように思います。

そういう「転載」さんに、明確な反論を呈した恰好となったのが、先に紹介した「明鏡」さんの投稿であると私は見ます。

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元号なのに、天皇という言葉が、一言も出てこない 「 唐松模様 」NEW (10812)
日時:2019年04月02日 (火) 23時42分
名前:明鏡

新元号「令和」について思うー 「 唐松模様 」 を読んで驚いたのは、元号なのに、天皇という言葉が、一言も出ていないということである。

人類光明化運動指針第5条の「生長の家立教の使命」に<天皇を中心と仰ぐ日本国家>があるがこのような時こそ、< 神意に従い > < 神の御心を表現 >するべきではないか。

以前、谷口雅宣総裁が立憲主義について述べている中で、<支配される国民の側から見れば>というように、支配するもの、支配されるものという対立する考えが、今回の新元号についても云える。

それは、次のような文章の中に読み取れる。

< 「令和」には、解釈によって別の意味が容易に付加できる。それは「令に和する時代」という意味である。この場合の「令」とは、政府の命令であり、政権の意思である。

『万葉集』の昔には「令」は「清らかで美しい」と見なされたかもしれないが、時代がくだるにつれて、その意味は「律令」「勅令」「県令」「軍令」「指令」「司令」「法令」「政令」「省令」……などと使われるように、世俗の権威や権力が定める規則や命令の意味に変ってきている。

そして、そういう世俗権力に国民が「和する」という時代を夢見ている人は、残念ながら現代の政治家にもいるのである。>

支配 ー 被支配という国家観は、生長の家の国家観ではなく、< 神意に従う > < 神の御心の表現 >とは、程遠いものである。

………………………………………………………………………………

総裁の全く同じ文章を読んでいて、「転載」さんと「明鏡」さんとでは、こうも取り方が違う…。

そこが実に面白いと思うのです。

何故、こんなにも捉え方が違うのか。

一言にして言うならば、今回の総裁の文章を、それだけで判断するか。

それとも、これまでの総裁の書いてきた流れの中で捉えるか、そこの違いによるのだと私は見ます。

有り体に言うならば、点として見るか、線として見るか、その違いと言っていいのかもしれません。

今回も前置きが長くなりました。

私の感想を述べさせていただきます。

今回の総裁の文章で、私の目に留まった箇所も、「転載」さんと同じく、ここです。

〈…だから、「令」とは「神意に従う」ことなのだ。

生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい気持だ。

しかし、それならば、安倍首相はなぜ、この「令」の古義について記者会見で何も語らなかったのだろう。〉

それでなくても、「令和」の元号が、はじめて日本の国書「万葉集」を典拠にしたということで、「やっぱり安倍首相は国粋主義者だ」という批判が一部にあるというのに、あまつさえ首相が、「令」とは「神意に従う」こと≠セと、もし言っていたとしたら、いったいどうなっていたでしょうか。

察するに余りあります。

森元首相の退陣が「神の国」発言が引き金になったことはいまだ記憶に新しいところ。

当然、サヨクマスコミは、ここぞとばかりに、よってたかって安倍首相叩きに喜々として狂奔したのではないでしょうか。

新元号制定の奉祝ムードはそれで一気にしぼんでしまった…。

そのような結果になっていたとしても決して不思議ではありません。

そういうことを知ってか知らずか…。

否!総裁は絶対に知っていたはずなのです。

だって、次ぎにこういうことを書いているからです。

〈為政者が拳を振り上げて「これが神の御心である!」などと叫び、国民を戦争に駆り立てた時代は、そんなに昔のことではない〉

「令」とは「神意に従う」こと′セった途端、今度は掌を返すが如く、安倍首相は「政教分離」「信教の自由」「立憲主義」という民主主義の政治原則≠逸脱したと総裁は糾弾し始めるに相違ありません。

それにしても、総裁は一体、何を言いたいのでしょうか。

一方で「古義を積極的に支持したい」といい、もう一方では、「これが神の御心である!」などと叫ぶのは危惧すべきことであると言うのですから…。

私には、首尾一貫しない論理展開のように思えてなりません。

さて、ここで、総裁が安倍首相に注文をつけた如く、私も総裁に注文をつけてみたいと思います。

もし、総裁が本気で「生長の家は神意を最大に尊重するから、この古義を積極的に支持したい」というのであれば、それをそのまま、「祭り=真釣り」の話へと展開してほしかったと思います。

「真釣り」とは、それこそ「神意=神の心」と「人の心」を真釣り合わす≠アとだからです。

それが脈々と息づいているのが「宮中祭祀」に他なりません。

そして、この天皇陛下の無私のお祈りである祭祀≠ノよって日本の国柄は支えられてきたのです。

『国のいのち 人のいのち』にはこうあります。

《…わたしは天皇のこの深い切実な国の生命と御一体となって身を棄てての御祈りが、神界の高級霊に通じ、イザという時の天皇の御裁断によって、今将に国が危いという時に国を支え、国民を護り給う力になるのだと思う。

…やがてこの陛下の御徳が現在の日本国の繁栄と国民の福祉の原因につながることを思えば、おのずから唯々合掌されるのみである。》(158〜159頁)

こういう話へと繋げていけば、総裁が最後に書いた、神の御心の表現に向かって進んでいきたい≠ニいう言葉が、俄然、説得力を持って心ある人々に響いたに違いないと確信するものであります。


総裁の「令」の捉え方は、生長の家本来の見方とは全然、違うという問題について (10828)
日時:2019年04月04日 (木) 18時07分
名前:破邪顕正


どこの世界にも、すぐケチをつけたがる人はいる…。

それが、私の最近の実感です。

で、今回の元号「令和」にも、そういう人がいるようです。

海外の反応は、例えば米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「令は『縁起が良い(auspicious)』で、和は『平和(peace)』」、英BBCは「『命令(order)』と『調和』(harmony)」と伝えたように実に好意的です。

ところが、日本では、それとは真逆で、こういうことを言い募る人がいるわけです。

@歴史学者の本郷和人・東京大学教授

…論語「巧言令色鮮し仁」(口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、媚びへつらうことは仁の心に欠けている)の例を出し、「令色と言うのはニヤニヤ顔を作ることで、仁の概念からは一番遠いという意味です」と説明。さらに、「令という漢字を見た時、最初にいい意味は連想しない。漢和辞典でも『命令』という意味が来る」「平和になりなさいって指示されているようだ」。

A弁護士の菅野朋子氏

…一般的にはやはり『命令』を思い浮かべますよね。私は逮捕令状とかの『令状』を思い浮かべました。

Bジャーナリストの青木理氏

…令の字は上が人で、下の部分が『かしずく』という意味。そういう印象を持つ人は明らかにいます。

いずれもが、名にし負う、ガチガチの左翼≠フ面々。

世論調査によれば、8割以上の大多数の国民が「令和」の新元号を好意的に受け入れているというのに、何なのでしょうね、こういう人たちの言い草というのは…。

じゃ、「令」のつく名前の人はどうなるのですか!

名づけ親は、命令の「令」を意識して名づけたとでも言うのでしょうか。

そうではないでしょう、やはり「うるわしい」と云う意味で用いているのではありませんか。

どうして、そんなヒネクレタ見方しかできないのでしょうね。

素直に祝福したらいいものを…。

さて、これを紹介したのは、他でもありません。

実は、谷口雅宣総裁も、上に上げた人達と同様に、実にヒネクレタ見方≠しているからなのです。

そこの部分を引きます。

〈この場合の「令」とは、政府の命令であり、政権の意思である。

『万葉集』の昔には「令」は「清らかで美しい」と見なされたかもしれないが、時代がくだるにつれて、その意味は「律令」「勅令」「県令」「軍令」「指令」「司令」「法令」「政令」「省令」……などと使われるように、世俗の権威や権力が定める規則や命令の意味に変ってきている。

そして、そういう世俗権力に国民が「和する」という時代を夢見ている人は、残念ながら現代の政治家にもいるのである。〉

先に紹介したお仲間さんと、まさにこれは軌を一にする、大同小異の論ではありませんか。

総裁は、やはり左翼≠ナあったと、ここでも証明できそうな話ではあります。

問題は、総裁の言っているこの見方が、果たして、本来の「生長の家」のそれに合致しているのかどうか、ということなのです。

『我ら日本人として』というご本にこういう話が出てきます。

鹿児島のある女の先生が、「本当のことを知らせなかったから、太平洋戦争のようなことが起こった」と言って、尊師にくってかかる場面が出てきます(48頁〜)。

それに対して、尊師はこうお応えになるのです。

《国家にも、人間の社会にも表門もあれば座敷もあり、台所もあれば便所もある。…

国家の歴史でも日本の国はこんなにもきたないものであると言って、教科書で幼い日本人の頭に、自己侮蔑の劣等感を教え込まねばならんということはないでしょう。

これは日本人に劣等感をいだかせ、国家転覆の陰謀をたくらんでいると言わなければならぬ。》

皆さん、総裁の「令」の捉え方をどう思われますか。

尊師のご表現を借りれば、「国家転覆の陰謀をたくらんでいる」人たちと同じような見方をしていると言えるのではないでしょうか。

これでは、日時計日記≠つけましょう≠ニいう教団の声が、実に白々しく響くばかりではないかと思うものであります。


《ちょっといい話》「令」が「靈」のあて字から生まれたという話 (10840)
日時:2019年04月07日 (日) 18時03分
名前:破邪顕正


本日(7日)付けの「日本経済新聞」朝刊、「遊遊漢字学」というコラム(阿辻哲次・漢字学者)に、すばらしきかな「令」≠ニいう記事が掲載されています。

それが実にいい内容なので、ご紹介させていただきます。

〈敬虔な信仰に対して神仏が示す不思議な験(あかし)を「霊験」といい、また「霊峰」や「霊薬」ということばがあるように、「霊」という漢字には「はかりしれないほど不思議な」とか「神々しい」「とても素晴らしい」という意味がある。

しかし「霊」の旧字体である「靈」は二十四画もあって、書くのがはなはだ面倒だ。

それで早い時代から、「靈」と同じ発音で、ずっと簡単に書ける「令」があて字で使われた。

こうして「令」に「よい・すばらしい」という意味が備わり、やがて「令嬢」とか「令息」といういい方ができた。〉

「令」のもともとの漢字は「靈」だったのですね。

それならば、「令和」の御代は、ぜひ、本来の意味に立ち帰って「はかりしれないほど不思議で、神々しく、とても素晴らしい、みんなの心が和む」そんな御代にしていきたいものであります。


「令和」の出典が「万葉集」と聞き和歌の前の平等(渡部昇一)を思い出しました! (10845)
日時:2019年04月09日 (火) 18時05分
名前:破邪顕正


学生時代、盛んに読んだのが、先年、お亡くなりになりました上智大学名誉教授の渡部昇一先生のご著書でした。

今回、新元号の「令和」が、「万葉集」に典拠していると伺い、最初に浮かんだのが和歌の前の平等≠ニいう言葉でした。

もちろん、渡部先生から教えていただいたことでした。

『万葉集』の特徴は、作者が上は天皇から下は兵士、農民、遊女、乞食に至るまで各階層に及んでいて、身分の差がまったく見られないこと。

もちろん、男女の差別もありません。

地域も東国、北陸、九州の各地方を含んでいます。

その選ぶ基準は?

純粋に、いい歌かどうか。

考えてみれば、そういう人たちが和歌を詠むことができたということが驚くべきことであります。

そして、それが、今日にも引き継がれているというところに、本当の素晴らしさがあるのではないでしょうか。

そうです、それが、新年、皇居で行われている「歌会始(うたかいはじめ)」です。

歌会始では、天皇陛下の御製の他、皇后陛下の御歌や皇族方のお歌、選者の歌人や召人(天皇陛下が特にお召しになって歌を詠む人)の歌、そして応募して選に預かった方々の歌が披講されます。

選ばれるに当たっては、職業も年令も関係ありません。

因みに、平成最後の今年の「歌会始」では、高知の八十九才から山梨の高校生まで多彩な入選者でした。

〈万葉集は、1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります〉

安倍首相のこの言葉を改めて味わうべきであると思ったことでした。




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