こんなことを言う島薗氏に傾倒しているようでは… (10756) |
- 日時:2019年03月23日 (土) 13時45分
名前:破邪顕正
島薗氏が如何に「国体」(くにがら)について理解が浅いか、それを物語るのが次の言葉です。
〈天皇の祈りは…国民への深い信頼と敬愛をもって人として祈るということ、それこそが、象徴天皇にふさわしい〉
何でしょうね、この物の言い様は?
上から目線もいいところです。
〈天皇の祈りは〉
敬称もなしで、陛下を呼び捨てにして、普通、こういう言い方をしますか?
で、極めつけがこれです。
〈それこそが、象徴天皇にふさわしい〉
何か、陛下にモノ申すといわんばかりの態度です。
それはそれとして、今回、私が申し上げたいことは、島薗氏には、それでは何故、天皇というご存在が象徴≠スり得ているのか、そこに対する認識が著しく欠落しているということなのです。
もっと言うならば、島薗氏の言う「国民への深い信頼と敬愛をもって人として祈る」ということが、なぜ、あり得ているのか…。
象徴≠フことを考えるのであれば、そこの一点を絶対に外してはならないと思うのです。
結論を申し上げましょう。
それがご皇室の伝統であるからです。
そして、それを支えたものこそ、宮中祭祀に他なりません。
島薗氏が嫌悪する万世一系=Aその悠久の歴史なくしてどうして象徴≠スり得るでありましょうや。
確かに、現行憲法第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とあります。
ここに言う「国民統合」とは、今、生きている国民のことを指しています。
しかし、「天皇」のご存在は、悠久の歴史をつき貫いて存する、まさしく「歴史的統合者」のそれとしてあるのです。
島薗氏の表現を借りれば、「歴史的統合者」としてあられるからこそ、天皇さまに、国民は深い信頼と敬愛≠フ念を抱くのです。
それにしても、「国体」に関して、こんな浅薄な認識しか持ち合わせていない島薗氏に、どうして「生長の家」の総裁ともあろう人が傾倒するのでありましょうか。
結局、総裁が尊師・谷口雅春先生から本気で学ぼうとしていないことが全ての根因であります。
教えは学ばず、「総裁」という立場のみを求めた、権力好きの人に牛耳られてしまったところに、今日の教団の不幸があると思うものであります。
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