榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』A (10694) |
- 日時:2019年03月04日 (月) 21時26分
名前:下総の野人
「数は力なり」 というのは唯物論である、と言った人があったが、それは数を集めるためには時間がかかるからであり、時間のかかるものは完全ではなく、實在ではなく、 「現象無し」 の宣言によって、吹き消されているものであることを知ったいのちの言葉であったのだと信ずるのである。
数はそれを使ってよろこばしさを顕わすためのものであって、それのあるなしによって、こちらの価値なるものが上がったり、下がったりするものではないのである。
また、生長の家は、集める教えではなく、すべてのものの、そのままの相(すがた)を拝みに出て行く教えなのである。そして、全宇宙をそっくりそのまま生長の家であるとして拝んでいる教えなのである。
天地一切礼拝感謝の教えである生長の家は、集める教えではなく、そのままの完全な相(すがた)を拝みに行く教えであり、それであればこそ、全宇宙組織がそのまま生長の家の組織であると、そっくりそのまま置き換えることの出来る教えである、と尊師がお示し下さっていたのであると、日に日に新たに想えて来るのである。
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