《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』 (10692)
日時:2019年03月04日 (月) 19時04分
名前:下総の野人

榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書― より紹介させて頂きます。


「實相顕現」という言葉は、實相は円満完全であるから、みずから顕現する力をもっている、その實相がみずから顕現して来ることを意味しているのである。

 實相のほかに、それをあやつり、それを顕現させる別の何ものかが必要であるというのでは、實相は自性(そのままで)円満ではないということになるのである。顕れて来る力がみずからの内に円満されていないということになるのである。

 實相は完全であり、神であり、すべてのすべてであるから、實相とはなれたところで、それを観じたり、自覚したり、しなかったりというようなはなれたもののはたらきは要らないのである。


 それ故、五官によって、本を読むことによって、話を聴くことによって、心の中にイメージされたところから予想されるところのものはいくら尊げなものであっても、それは實相ではないのである。五官がなければ成り立たないもの、

五官という外のものによって認められなければ存在しないもの、何ものかによって、観じられ、自覚せられ、みとめられなければならないものは決して實相ではないのである。それは實相ではなく、現象であり、無いものなのである。

 實相は観じられなければ、自覚されなければ無い、というようなものではなく、観る観ない、自覚するしないを超えてみずから在りて在るところのものなのである。

 實相は観る必要のないもの、自覚する必要のないもの、知る必要のないもの、みずから存在するものである。そのようなものとしてよろこぶことが、そしてそれが自分そのものであって、はなれていない、従って今ここに既にはじめのはじめから“それでよい”ところのものとして、よろこぶことが、尊師谷口雅春先生が 『生命の實相』 の中でお示し下さっている、「観ること」 であり、「自覚すること」 なのである。



             

榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』A (10694)
日時:2019年03月04日 (月) 21時26分
名前:下総の野人

「数は力なり」 というのは唯物論である、と言った人があったが、それは数を集めるためには時間がかかるからであり、時間のかかるものは完全ではなく、實在ではなく、 「現象無し」 の宣言によって、吹き消されているものであることを知ったいのちの言葉であったのだと信ずるのである。

 数はそれを使ってよろこばしさを顕わすためのものであって、それのあるなしによって、こちらの価値なるものが上がったり、下がったりするものではないのである。

 また、生長の家は、集める教えではなく、すべてのものの、そのままの相(すがた)を拝みに出て行く教えなのである。そして、全宇宙をそっくりそのまま生長の家であるとして拝んでいる教えなのである。

天地一切礼拝感謝の教えである生長の家は、集める教えではなく、そのままの完全な相(すがた)を拝みに行く教えであり、それであればこそ、全宇宙組織がそのまま生長の家の組織であると、そっくりそのまま置き換えることの出来る教えである、と尊師がお示し下さっていたのであると、日に日に新たに想えて来るのである。

榎本先生 (10750)
日時:2019年03月21日 (木) 09時51分
名前:一郎

榎本先生はたくさんの弟子を育てています。大萱うい子先生が榎本先生の生き写しとして活躍されています。
大変人気があるようですね。
まあ、善もあまりこだわりすぎると窮屈になり、苦しくなります。



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