《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「トキ」さんのこの情報、信憑性があると私は感じました! (10651)
日時:2019年02月21日 (木) 09時47分
名前:破邪顕正


「トキ」さんは、トキに耳寄りな情報を提供してくれるので、本当にありがたく思っております。

今回の情報も、私にとっては、とても有益でした。

〈ご参考まで (10059)
日時:2019年02月19日 (火) 07時58分
名前:トキ

私の記憶によれば、ある時期、本部が各教区に対して新経本を仏前で読誦している人で何か奇蹟がおこっていないか調査をしたことがあったと思います。

体験談を出版物に掲載して、新経本の宣伝に使うつもりだったと思われます。

しかし、私が知る限り、私の教区ではそのような奇蹟はなく、また、その後、そのような体験談が掲載されなかったところをみると、他の教区でも起きなかったような印象を持っています。

他の教区ではわかりませんが、私が所属している教区では、新経本を真面目に仏前で読誦している人や大会などで先導を勤めていた人の間で、重大な問題が起きると言う事案が複数、発生しました。

本人だけではなく、子供に不具合が発生する事案が起きたこともあります。(以下、略)〉

なぜ、これを有益な情報と言うのか。

「新経本」(私に言わせればニセ経)を拝読してはならないという、実に説得力のある情報と思ったからです。

今の教団は、総裁の総裁による総裁のための独裁¢フ制と言ってもよい状態ですから、総裁が喜びそうなことを提言する人は、総裁の周りにはいっぱいいるだろうなと思うのです。

そう思うと、当然、『「大自然讃歌」は素晴らしい』とか『「観世音菩薩讃歌」を読もう』というようなタイトルの本を出そうという声があがっても少しもおかしくはありません。

だから、「トキ」さんの言うように、そのための体験談を集修しようという話は大いにあり得たと私は確信します。

しかし、未だに、そういう本が出版されていないのは、それだけ体験が生まれていない、何よりの証左だと思うのです。

よしんば、体験があったとしても、果たしてそれがすべて「新経本」によるものか、判断がつかないということもあったのではないでしょうか。

だって、そう断言するには、その体験が「新経本」だけの読誦によるものと言い切らないといけないわけです。

しかし、そういう信徒が一体、どれだけいるというのでしょうか。

おそらく、教団に残っている信徒でも、神想観したり、聖経読誦したりして、その中でときどき「新経本」も読む…。

そんなところではないでしょうか。

その体験は、神想観の実修のおかげ、或いは「聖経」読誦のおかげ…。

そう言われてしまうのではないのか。

だから、「新経本」だけの読誦の功徳というのには、実に無理がある…。

おそらく、そんなところではないかと思った次第です。

それはそれとして、私がここで申し上げたいのは、誤魔化し、騙しの「新経本」に、果たして救いの高級霊が天降るのかという根本的疑義なのです。

そうです、総裁は、「新経本」は「聖経に取って代わるものではない」と言ったのです!

にもかかわらず、こうして「聖経」に取って代わるものとして、それどころか、千巻読誦の中にも入り込んでいる…。

飛田給では「聖経法供養」の中で読誦までされている…。

完全に「聖経」と同等の扱いになっているわけです。

これを、実に俗っぽい言い方で言えば…

話がちがうじゃないか!

そういうところに、果たして、高級神霊界からのご守護、お導きがあるでありましょうか?!

救いの体験談が生まれないのも、やはり、当然のことではないのかと改めて思った次第です。


「聖典と呼ばせない」「聖地と呼ばせない」と言ってのけた総裁が「新経本」だけは「聖経」化を許す…?! (10659)
日時:2019年02月21日 (木) 18時13分
名前:破邪顕正


総裁は、かつて、副総裁のとき、自分の書いたものを「聖典」と言われることに異常な抵抗を見せたことがあります。

あくまでも「聖典」扱いするのであれば、副総裁を辞するとまで脅して、当時の運動方針に「聖典」等≠ニいう表記に変えたことがありました。

また、生長の家総本山を「聖地とは言わせない」と言ったこともあります。

「聖地」と言うと、「聖地」争いが起きるからというような理由だったかと記憶しております。

その流れの一貫なのでしょうか、宇治では「神域清掃」が「境内清掃」に名称変更となったそうです。

そのことを「奉仕員L」さんの投稿で教えていただきました。

〈宇治も「神域清掃」という部署が無くなり「境内清掃」に。 (552)
日時:2016年02月24日 (水) 23時17分
名前:奉仕員L

>谷口雅宣総裁と言えば、神癒≠ニいう言葉が嫌いで、本部から神癒祈願≠なくした人です。

それでですか。

昨年、8年ぶりに宇治の大祭の奉仕に行きましたら「神域清掃」という部署が無くなり「境内清掃」に。

「神」が嫌いなら、生長の家から出て行けばいいのに。〉

当然、そうであれば、総裁は自分のつくった「新経本」を絶対に聖経≠ニ呼ばせてはならなかった筈です。

聖経≠ノ取って代わるような扱いをしたら、それこそ、かつてそうであったように「総裁を辞する」ぐらいの脅しをかけなければならなかった筈です。

それであってはじめて論理は一貫するというものです。

ところが、今やどうでしょう…。

「聖典」とは呼ばせない、しかし「聖経」と同じような扱いをするのは許す!

それでは、余りにも得手勝手すぎると言うものではないでしょうか。


副総裁(当時)は、なぜ自分の書いたものを「聖典とは呼ばせない」と言ったのか? (10664)
日時:2019年02月22日 (金) 10時27分
名前:破邪顕正


今、改めて、表題のことを考えています。

まず、「聖典」とは真理≠ェ書かれている書物と定義づけてみたいと思います。

そうすると、「聖典と呼ばせない」と言うことは、取りも直さず、自分の書く物は真理≠ナはないと言っているも同然ということになります。

つまり、総裁は、端っから真理=Aもっと言えば宗教的な悟り≠フ世界には関心がなかった?

専ら、関心があったのは現象界≠フこと。

環境とか政治とか、そういうものにこそ関心があった。

そう考えると、総裁は当初から、一つの恐れを感じていたのではなかったか。

そうです、そんな現象のことばかりを書いて何が「聖典」か?

そういう批判を浴びることを、一番、恐れていたように思うのです。

だから、前もって、自分の書いたものは「聖典」ではないと、言い訳しておく必要があった?

そして、自分の関心のある現象界≠フことをずっと書き連ねてきたというわけです。

当然、それについては、もっと真理を、もっと谷口雅春先生の教えを…という欲求、要望が信徒の間から澎湃としてわき起こって来るであろう。

しかし、そういうものに応える気持ちは少しもない。

どうしたら、それらを封じ込めることができるか。

圧倒的な権力をもつに如くはなし…。

ということで、これまで縷々、述べてきたように、様々な手段を弄して、絶対的な権力をもつ総裁≠ニいう立場を築き上げてきたということではなかったか。

何を申し上げたいか。

自分の書いたものは「聖典」と呼ばせない…。

そういうことを言っていた段階で、現総裁に、尊師の御教えをそのまま継承しようという気は毫もなかったし、今日の教団の萌芽は既に生まれていたと思うものであります。


霊界の母から「そんなもの読んでくれるな」と言われました… (10672)
日時:2019年02月25日 (月) 14時07分
名前:破邪顕正


表題のそんなもの≠ニは、もちろん、「新経本」つまりニセ経≠フことです。

氏名は分かっているのですが、その方の立場もありますので、匿名ということにさせていただきます。

その方は、役職をいただいている手前、信徒のお手本にならなければいけないという使命感から、ニセ経≠ナの先祖供養を熱心に行っていました。

すると、夢の中で、亡きお母さんが出てこられて、「そんなもの読んでくれるな」と言われたというのです。

この話を耳にして、私は「さもありなん」と思いました。

これを紹介しようと思ったのは、「トキ」さんのこの投稿を眼にしたからです。

〈「新経本」読誦の注意点 (10177)
日時:2019年02月22日 (金) 22時36分
名前:トキ

(前略)

 一般に、甘露の法雨」などの聖経は、

1 神様が谷口雅春先生を通じて書かれたもので、
2 霊界の諸霊に上げるものであるから
3 心を込めて読まなければならない

と言う指示を信徒は受けています。

 しかし、「新経本」は

1 人間の頭で書かれたもので
2 人間の都合で読むものであるから
3 心を込めて読んではいけない

と言うのがポイントらしいです。

もちろん、読まないのが一番だが、浮世の関係で、講師などはどうしても先導などをしなければいけない場合はあります。

その場合は、とにかく、「これは人間が書いたものである」と認識し、他のことを考えながら上の空で唱えると害は少ないみたいです。…〉

その「お経」が、ホンモノかニセモノか。

霊界の御霊の方が、肉体がない分、悟りやすいということはよく言われることです。

ですから、真贋の見極めもはるかに優れていると言えるのではないでしょうか。

そういう霊界の御霊さまが「そんなもの」と言われてしまうシロモノを「浮世の関係」とは言え、読誦しなければならない…。

しかも、被害にあわないために、「上の空で唱える」しかない…。

何でそこまでして…。

どうしても、そう思ってしまいます。

それはそれとして、「トキ」さんの投稿を読んで申し上げたかったことは、生きている人は「上の空」で読めばいいかもしれませんが、霊界の御霊さまに上の空で聞いてください≠ニはとても言い得る話ではないということです。

霊界の御霊さまは、「聖経」でこそ供養していただきたいはずであります。

先祖供養に適しない「お経」は、「お経」にあらず!

「そんなもの読んでくれるな」

この霊界からの警鐘を、心ある信徒は、真剣に受け止めてほしいと思うばかりです。



供養について。中心帰一について思うこと。 (10673)
日時:2019年02月25日 (月) 20時50分
名前:紙風船

こんばんは。初めての投稿です。さんざん迷っての投稿です。同じ教区の地方講師の先生に、ここの掲示板を教えてもらって、時々見ています。
教化部長先生からは絶対見てはいけないと言われていましたが、こわいものみたさです。その先生は「しろうさぎ」という名前の信徒さんの書かれたものをコピーして配っておられて、実を言うと、私も2年前に訳あって離婚してシングルマザーになったこともあって、なんかものすごく勇気づけられて、ここを見ていました。
もう全然投稿もやめられているようで、それが少し残念に思います。供養のお経についてですが、総裁先生のつくられたお経を誦げるよう教区でもちろん指導があります。
私は祖母も母も熱心な成長の家の信徒の家庭で育ちました。
私自身は中高生練成をすすめられて受けたくらいで、活動はしていません。離婚するとき、地方講師の先生のお世話になったので今も時々教区行事に出かけています。
祖母は生前「素晴らしい3代目の先生跡を継いでくださってよかった」と言っていました。
母は亡くなる前に私に「生長の家の根本は人間は神の子で、とにかく中心帰一だからね」と病床で言っていました。
私がお世話になった地方講師の先生のうちの1人がお亡くなりになる前に「生長の家はこれからどうなるかな。あなたには正しい御教えを学んで生きていってほしい」と言い残されました。
先日思い切って宇治別格本山の総務をされてる先生に電話をかけて永代供養のおまつりの時、総裁先生のお経で供養されているか、それとも甘露の法雨なのか、おたずねしました。
総務の先生は「観世音菩薩讃歌も大自然讃歌も誦げるが、甘露の法雨、天使の言葉できちんと供養しています」ということを丁寧に説明くださいました。

総裁先生が講習会で「ここは信じるが、ここは信じない、というような、つまみ食いのカフェテリア信仰ではいけません」とご指導なさいました。
今、お世話になっている地方講師の先生は「あなたも人生問題で苦しいかもしれないが地球はもっと苦しんでいる。
総裁先生の説かれている環境問題は正しい。
自分は自民党支持だが、安倍さんは誠実さがないから、支持できない。総裁先生の唯一の間違いは、左翼的思想に信徒を導いているということだ。あとは間違っていない」と言われます。
今年は雪も降らず、気味の悪いほど暖冬でした。今後台風も次々上陸して、夏も酷暑だといっているのを聞くと、総裁先生の言われていることはやはり大事なことなのかな、と思ってみたり。
でもただひとつ気になるのが、私の家に去年から赤旗新聞の日曜日版がよく入るようになったこと
先日は党費納入袋が一緒に入っていて、ぜひ一緒に活動していただきたいと、メッセージが添えられていたこと
党費はあなたの給料の1割が目安ですとも記されていたこと

たしかなことは、私は生長の家の家庭で育ったのでこれまでは共産党とかにはまるっきり縁がなかったということ
教化部から個人情報が漏れてるのではないかと、つい疑ってしまいたくなります。
私は安倍総理支持です。今のこの国は安倍総理だから守っていただけると思うからです。
教区では安倍総理のことを悪く言います。それなら誰が総理ならこの難局を乗り越えられるでしょうかと思います。
次々周りの信徒さんが退会されます。
ですが、母が生前言っていた「生長の家は中心帰一」という言葉が脳裏にあって、私はどうしても退会できないでいます。

皇太子殿下がお誕生日のご会見で「皇室の在り方も時代時代で変わっていく」と述べられました。
私を指導してくださる地方講師の先生も「ご皇室でもそうなのだから生長の家も時代時代で説き方が変わって当然」とも言われ、
私の思いは大変複雑です。
信徒みんなが総裁先生のお経を盲信しているわけではないですが
出るに出れない信徒もいるんだっていうことをお伝えしたく今回勇気を振り絞っての投稿をしてみました。
不適切な文面も多々あったかと思いますがお赦しください。

信徒だって苦しんでいます。教化部長先生は逃げ腰でアテになりませんし。

紙風船さんへ (10700)
日時:2019年03月08日 (金) 22時38分
名前:潮

紙風船さんの御文章を胸を締め付けられる思いで拝読致しました。

世の中の何と変わったことか!!! と驚き呆れてもいる次第。
しかし、これこそ、今の日本の姿を、あえて教団が見せつけてくれているのでしょう。

私は、学ぶ会の真理勉強会場を毎月2〜3会場開いて勉強しております。學ぶ會の先生がたも御尊敬できるか方が多く、安心して勉強しております。

しかし、実は未だに学ぶ会の会員ではありません。別に肩を張って会員にならない! ではなく、ただ未加入である、と言うだけです。

また新教連の勉強もし、これは定期的に先生に御来会頂いております。

要は かつての本当の『生長の家』を勉強しているわけです。

私が紙風船さんの御文章を呼んで、本当に残念に思ったのが最後の

“信徒だって苦しんでいます。教化部長先生は逃げ腰でアテになりませんし。”

これかなあ。

先輩、年長者に頼れる方が居られないのだ。

これは誠に残念至極なことではあります。
それに御文章を拝読して、あなたのまじめな御性格も良く分かりました。

ところで、お母さんが仰った

『生長の家の根本は人間は神の子で、とにかく中心帰一だからね』

これは見事に正しいのです。
勿論、その『中心帰一』も谷口雅春先生の御指導の御言葉なのですが、その谷口雅春先生が、

『人につくな。神につけ』

そう仰っておられていたのは御存じでしょうか。

人は必ず、間違う。
しかし、神に間違いは絶対にない!!!

そう仰って そうして神啓の御本、 生命の實相40巻(頭注版)が存在しているのです。

もう一つ、中心帰一 とは誰に帰一するのか?

勿論神様へ、なのですが、誰を通して? 少し私の書きように問題がありますが、天皇陛下に対してなのですよ。

かつて、谷口雅春先生に帰一する、これは谷口雅春先生を通し、天皇陛下に、と。

今の教団の論理は、真利への『中心帰一』ではなく、政略の為の匂いを非常に感じます。

それよりも、紙風船さん。貴女に必要なのは、十分に勉強されて、且つ人間的にも信頼できるそういう指導者だ。

こればかりは、相性もある故、安直に言えませんが、しかし、学ぶ会の指導者方は、皆さん真面目で良い人が多いですよ。

イヤ、そうでないとおかしい。
この學ぶ會は、元々組織無しで出発してるから、金目当ての者はほとんどいない筈だ。

近くの勉強会場か、學ぶ會の本部へ連絡して聞いて見られたら?

個人指導も含めて色々御相談なさったら。

必ず、得るものがある筈。そう確信します。

それにしても、學ぶ會の御本部も、いくら全国大会が近いからと言って、こういう紙風船さんのレスをほったらかしにしてはいけないなあ。

紙風船さん、またレスします。 (10706)
日時:2019年03月10日 (日) 22時01分
名前:ムラカミユウキ

紙風船さん、性懲りもなく、またレスします。ここで書きたいことは山ほどあるのですが、うまく表現できる自信がありません。

あなたの御文章を読み、あなたの悩み、あなたの苦労が、かつての自分のそれとダブって他人事と全く思えないからです。

読んでおられないかもしれないけど、考えて考えて、私の出した結論。

それは、来月、4月21日(日) 東京明治神宮会館で開催される學ぶ會全国大会に参加してみられませんか? と言うことなのです。

学ぶ会、中央部の方の回し者と思われるかもしれませんが、御自分の目で確かめるのがベストではないかな、と考える次第。

私も最初は、実は半信半疑で参加したのですが、その権威ある荘厳さ、そうして確かに神霊天下っている、そう信じさせる御講話や体験談。それに何より底抜けの明るさ。
御本部の方で、よく『喜び溢れる----』と言う言葉を使われますが、嘘偽りでなく、将にその世界なのです。

紙風船さんが、どちらの御教区か存じませんが、半日程度で行かれるところなら、ぜひ、この全国大会を覗いて見て下さい。

内緒で、そっと見て見られたら如何ですか?
もし気に入ったら、そこで会場の方に御自身の教区を仰って、誰かお聞きしても良いし、それが不安なら、本部の方に案内を乞うて後日、先生方にご相談されても良いのでは?

紙風船さんは、女性と仰ってたので、女性講師等にご相談しても如何ですか?

お子も居られましょうが、会場でも、その手配もしてありましょう。
學ぶ會本部での母親教室は、対象が、シングルマザーや、シングルと、色々の女性の会として、力を入れ始めている、と聞きました。

早く相談して、何よりもその今の悩み、問題を急いで解決して下さい。
かつて、本部錬成では10日〜13日受講すれば、ほぼ新生した、そう思います。

先生方の行動を拝見してますと、學ぶ會は間違いなく、以前のあの素晴らしい谷口雅春先生の生長の家復活を目指している!!! そう確信します。

紙風船さん、どうかご自分の目で、それを見てみて下さい。
早くトンネルを脱しましょう。

住之江の大神の栄光ありますよう。

甘露の法雨の御守りについて思うこと (10938)
日時:2019年05月06日 (月) 17時34分
名前:紙風船

「潮」さま、そして「ムラカミユウキ」さまは同じお方でしょうか?
せっかく私のことをご心配して頂き、投稿頂きましたのに、気づくのが2ヶ月も経った今になり、大変に失礼いたしました。お詫び申し上げます。
まず、学ぶ会の門を叩いてみるよう、ご指導くださっていますが、お気持ちだけ頂いておきます。私はトンネルに入ってはおりませんし、教団を辞める気持ちはありません。教団に残る私たち信徒は谷口先生がお始めになられた生長の家の長い歩みの中、人間神の子の教えは総裁先生が代わったからといって、変わるようなことはありません。ここ30年そこらの短い中で信徒の思いは変わらないと思います。ご愛念に感謝いたします。

甘露の法雨の御守りについて思うこと、の続きです (10940)
日時:2019年05月06日 (月) 19時31分
名前:紙風船

先ほど、移動中にスマホを使って投稿していたら充電が切れそうになり、途中切れとなってしまいました。
せっかく、ご愛念を頂き、学ぶ会の講師さんに指導を仰ぐよう、また全国大会に参加するよう、お声がけいただいておりましたが、教団に残る信徒そして、愛想尽かして退会していった信徒さんたちが、学ぶ会はじめとする、本流?と言うのでしょうか?そちらに行く人ばかりではないと思うのです。

私はこの連休、生長の家の友達のお母様の最期に立ち合わせていただいたんです。
前々から体調を崩してはいらしたのですが、急変され、友達から、「あなたにはとても会いたがっていたから、何とか間に合わないか」と連絡をもらい、即、病院へ向かいました。
聖経を誦げ、「人間は肉体ではないですよ。生き通しの生命なんですよ」と語りかけました。
お母様は私の手を両手できつく握って頷いてくださいました。
お医者様のお話では、今夜か明日か・・という厳しい状況でした。
私はバッグの中に甘露の法雨の御守りをいつも携帯しています。
教区で手にはいらなくなって久しく、もうかなり前のものですが、
教区で購入できないので、私の持っている御守りをお母様の枕元におきました。
あっという間の、安らかな最期でした。
その御守りは棺に入れられました。
その友達も、教団からは退会しています。
生長の家教団の人とも、本流の人ともかかわりたくないと言います。御守りの話に戻りますが、今回のように、急を要す場合、教区で御守りが手にはいらないというのは、信徒にとって大変に困惑します。
学ぶ会だか、光明思想社だかに連絡したらいいと言われるかも知れませんが、もし仮にそうしたって送っていただくのに時間もかかりますよね。
教化部でさっと頂けたら、どんなにありがたいか。
純粋に信仰している信徒にとり、お経、御守りひとつ入手困難なこの今の状況を何とかしていただきたいです。

谷口先生が立教されて以来、連綿と続いてきた生長の家信徒の信仰的、霊的な感性は本当に消滅したのでしょうか?
私はそうは思いません。信徒の内なる声は、総裁先生が実権を握られてたかだか30年あまりの短い時間の中で起きた表層の変化によってかき消されてしまうほど軽いものではないと私は思います。

今回の平成から令和にかわって、新天皇様がご即位なされ、雅子皇后様も完全にご回復なされたようにお見受けし、国民として本当に喜ばしいです。
総裁先生が、たとえそのことに触れられないからと言って、「総裁は左翼だ」などと攻撃してみて、それが何になるのでしょう。
こういう掲示板を見ていると、総裁先生のあら探しして、攻撃して、そこに残る信徒まで、何でこんな教団にいつまでも残って支えてるんだ?
みたいな書き方をされますね。

生長の家は光明思想の教えのはず。
生活のために働く本部講師は仕方ないとして信徒は、何故残るか・・と書いておられる投稿者もおられましたが、それもおかしな話かと。

私ははっきり申し上げて、創価学会母体の公明党と共党する今の自民党には信頼なんてできません。
なので、先の選挙では立憲民主党を支持しました。
教団の信徒さんたちもそういう人が多かったです。だって、地元の自民党の幹部である、県議さん、市議さんたちから、今回は立憲民主党を応援してくれとお願いもされたんですよ。
立憲民主の候補者を地元の自民党の県議、市議の先生たちが一生懸命応援されるんですよ。
総裁先生の言われてることが、間違ってないと思いました。
たぶん、この投稿、みなさんから叩かれて、削除されるんでしょうけど、お守りが手に入らないような争いを、同じ生長の家の中でしないでいただきたいです。困るのは信徒なのですから。



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